2015年11月30日月曜日

PCのバックアップ

以前、パソコンのハードディスクが壊れたことがあり、その復旧に苦労させられたことがある
その反省から
パソコンデーターのバックアップは定期的に行っている

現在使っているバックアップ用の外付けHDDの容量はもともと小さく、残りの容量も少なくなってしまった

3.0TBの外付けHDDを買い足し、現在、主要PCのバックアップをバックアップソフトを使いバックアップを行っている
長くなりそうなので、扇風機でPCを冷やしている

家内の作品


デカい

家内が作ったダイコン
畑にはもっと大きなものがあるそうだ

今夜あたり、食卓に上るのではないかと思う

外で何やら作業しているので覗いたら大きな段ボール箱にこのダイコンやらキャベツやら家内が作った野菜、その他に会津から仕入れたリンゴなどを詰め込んでいる

友人に送るそうだ

自分でも気づいているようだが、送料はいったいいくらになるんだろう
ダイコン一本の重量は2kgあるそうだ

2015年11月28日土曜日

体力維持

術後の腱板再断裂には十分に注意をしなければならないが、ただ寝ているただけでは筋力も体力も落ちる一方だ

朝、ウオーキングを始めた
交通量が少ない県道を選んで1時間ほと歩いている
行きは上り一方で帰りは下り一方の道となっている
行きは上りを早足で結構しっかりと歩き、帰りの下りはのんびりとウオーキングを楽しみながら帰る

何もしなければ腕の筋力も落ちてしまう
肩を痛めている右腕は自分自身ではリハビリも止められているので何もできない

左腕は1kgの鉄アレーで筋力の低下を極力抑えるようにトレーニングを行っている

室内では両足首に500gの砂袋の負荷をかけている
この負荷は寝るまでつけているが、今のところウオーキングでは外している
介護士から指導を受けた大腿四頭筋の筋力アップトレーニングはこの負荷は点けたまま行っている

後はこれも介護士の指導によるものだが、肩甲骨の柔軟性を維持するためのふたつのストレッチと左肩の動きを維持するためのストレッチを取り入れている

それでも一日は長い
普段はあまり行ったことがない玄関、廊下、リピンクルームの掃き掃除を行っている
まず部屋ほうきで掃き、仕上げにバッテリー掃除機を使って隅々のほこりやゴミを吸い取っている

薪ストーブの薪運びだが、家内が一日3回ほど薪小屋から運んできている
家内は何も言わないが大変だ
普通の太さの40cm薪一本の重量は2kgほどの重さがある
一回で5、6本を運んでいるようだが、その少ない本数でも10kg以上の重量となる

私は工夫をして薪は極力私が運ぶことにした
40cmの棒が2本、5mmの太さの1m長のロープ2本を使って薪運びの道具を自作した

これを使って6、7本の薪は運ぶことができそうである
この薪は左手でぶら下げて持つことができる

この薪運びは私の体力維持にもなるし、家内の負荷低減にもつながる
しかし、転んで痛めている右手を突いてしまったら何の意味もないことになるので注意しよう

入浴

昨夜は我が家の風呂の湯船にゆったりと浸かった
左腕と左わき腹と右わき腹、背中は洗えないので家内に洗ってもらった

入院していた病院の担当医師が作ってくれたペットボトル3本を使った浴用装 具は湯船の中では浮いてしまうので、机の脇にあった100円ショップのザルを使って浴用装具を自作した

ザルなら浴槽の中に沈む
使い心地はまあまあといったところだ

今夜も風呂に入った
右腕を脱力した状態で髙さを合わしたテーブルの上で右腕を安定させ、装具を慎重に外し、着ているものも慎重に右腕から抜き、入浴用の自作の装具を付けて風呂に入る

この時、肘から曲げたままの腕をそっと伸ばす
肘は曲がったままで、完全には伸びないが、この解放感は感動的でさえある
浴室内で下げた腕は手のひらを上に向けたり下に向けたりの腕の回転はしてはならないと医師からも療法士からも言われている
この様にぎごちない入浴であるが、とてもありがたい時間である

風呂から上がった後の着替えも大変な時間を要する
装具の外しから入浴して装具を付けるまで40分以上はかかっているだろう

汗をかいているわけでもないので、毎日風呂に入らなくても良いのだが、腕を開放できる唯一の時間でもあり続けるだろう

【追記 12月2日】
術後最初の通院時、担当医に作ってもらった浴用ペットボトル装具は浴槽では浮いてしまうことを話した
担当医の話によると浴槽に入ることは想定外で、(リハビリ中は?)シャワー入浴を想定していたとのことであった
一日の疲れを癒してくれる効果がある伝統的な日本式入浴法について整形外科医としては認識しておいてほしかったと思う次第である

2015年11月26日木曜日

帰宅

退院して我が家に帰ってきた

薪ストーブが赤々と燃え、足元には愛犬ハルがすやすやと寝ていて、薪ストーブの前にはsmokyが体を延ばして寝ている

家内は台所で昼飯の準備をしている
焼きそばだと思う

とても静かだ
この静けさは私にとってはご馳走だ
薪のはぜる音が心地よい

退院日の朝(入院10日目)

退院の朝を迎えた

心配した雪は夜半から雨に変わった模様で、路面は黒く濡れているものの、路上に雪は残っていない
これで家内の運転も心配することがないように思える

今朝も食事の前に院内早足散歩を楽しんだ
4日ほど前であったと思うが、10周の歩数は数えて4600歩であることの確認はとれている
この4600歩はどの程度の距離になるのか
どの程度のスピードで歩いているのかを計算してみた

まず一周の時間測定をしてみた
2回測定してみて、3分25秒と3分23秒であった。中を取って一周は3分24秒とした

歩幅を測定してみた
廊下の床に張ってある30cm角のブラタイルを利用して10歩歩きそのブラタイルの数から10歩の距離を割り出した
3回測定し、その平均値から10歩は7.8m、1歩は78cmと割り出した

その結果から、私の朝の院内早足散歩は
3.6kmを34分で歩いていることになる(スピードは約6.4km/h)

体力維持はまず散歩からということになりそうだ

2015年11月25日水曜日

初雪

外から病院に来る誰もが寒い日だといって入ってくる

そんな一日であったが、
6時頃から雪が舞い始めた
初雪である
毎年この11月の今頃に初雪となる
今年は遅いくらいかもしれない

しかしだょ
明日は退院なんだょ

私も雪道は怖いが、家内はもっと怖いだろう
家内に電話をしてみた
「家の方は2時頃から降っている」そうだ
明日は私を車で迎えに来なければならない

「無理はするなょ」と言ったところ
通勤者が走った後は大丈夫でしょうだと
しっかりしているね
そうかもしれないなとは思ったが、無理をしてはいけない
我々は雪道の走行経験はとても少ないのだから・・・・

最後の晩餐

先ほど病院食の最後の夕食をいただいた

病院食=まずい
と思いがちであるが、まずくはない、おいしいといってよいかと思う
この9日間、用意してくれた食事は全て完食であった

最後の「リハ食」(リハビリ食?)のメニュー
飯180g
味噌汁
鶏肉の照り焼き
コンソメ煮
かぼちゃのサラダ

睡眠薬つきである(w)

この整形外科の看護士は全てといってよいと思うが「優しい!」
この優しさが患者にとっては一番の薬である

先ほど、「退院される患者さまへ」という書類をもって看護士が私のベットに現れた
まず、「おめでとうございます」と言ってくれた
そして
退院後は規則正しい生活を心がけてください
と私の顔を見ながら話した

規則通りの文言なんだろうが、この言葉は心にしみた
手を取ってありがとうと言いたかったが、
そこはグッとこらえて、ありがとうと言葉を返した

この看護士がいちばん優しかった
身に備わった優しさであろう

抜糸(入院9日目)

先ほど、手術で穴をあけた個所の抜糸処置が終わった
6箇所の各所1本づつ縫われていたようだ

これでもう治療として病院でやることはなくなった

既に本日もシャワーは浴びてしまったので、後はG2~4Fまでの136段の階段を上り下りし、夕食をとり、寝て、起きて、4600歩の早歩きの院内散歩をして、朝食をとり、会計を済まし、お薬をいただき、明日の午前中に家内の車で「野原の家」に帰るだけだ

体を動かすことが好きな私としては、体を動かすことができない6ヶ月間をどのように楽しく過ごそうか
ハルちゃんは時々グンと引っ張るのでハルちゃんとの散歩もしばらくは無理かもしれない

毎年楽しみになってきている車中泊の旅も行くとなれば梅雨明け以降になるだろう
治ったらすぐにでもゴルフに行きたいし、テニスのラケットを振るのも楽しみだ
読む本は用意してあるが、このところほとんど本は読まない私が本に集中できるであろうか
自信はない

院内での体力維持(入院9日目)

しゃっくり男の騒音にも慣れたのか夜中の1時半に一度目は覚めたものの朝の5時までかなりぐっすりと睡眠はとれた
入院8日目の朝は結構寒く、スマホに表示された現地点で6時の気温は4℃となっていた
この寒さだと暖かな病室といえども薄い掛布団が一枚では寒い感じがする

隣の病室の婆さんたちはどうしてあんなにも大きな声で笑うのか、私には騒音にしか聞こえず、幾度となくキーボードをたたく指が止まる
病院はありがたいのだが、色々な意味で早く退院はしたい

ここ2ヶ月ほどで体重は3.5kgも増加してしまった
4日前からG2からPまでの6階分の階段の上り下りをしている
こんな運動だけで足の筋肉は固く張ってしまった

3日前から朝食前に院内の廊下を使い早足で4600歩を歩いている
病室に帰ってくると、うっすらと汗をかいていることがわかる
その後、介護士から指導を受けている肩甲骨の柔軟体操と足の大腿四頭筋の筋力アップの運動を行っている
が、
増加した3.5kgの体重は減らない

明日の退院が正式に決まった
午前中に退院となる
請求書が怖い

通院は、火曜日と金曜日の週2回になりそうである

車の運転は2ヶ月間止められているので、週2回の通院は家内の世話になることになる

2015年11月24日火曜日

便秘(入院8日目)

ストレスなのか運動不足なのかそれとも痛み止めの薬の副作用なのか出ないのである

かなり前、特に現役中は、下痢と便秘の繰り返しみたいな時が長く続いていた
しかし、この頃は便秘で苦しむことはまずなかった

腱板断裂の手術で入院し、今日で一週間となるが、すっきりと排便できた日は一日としてない
出てもウサギのうんちみたいな「コロ・コロうんち」が少しずつ出るだけである

こんな時には、イチジク浣腸が最適なんだが、この病院にある浣腸は最も小さなものでも60ccだそうだ
看護士も言っていたが、とても強力だそうだ
これでは強すぎる

では飲み薬の下剤となる訳だが、私はこの服用タイプの下剤を全く信用していない
使用量が全く分からない
弱ければ全く効かないし、強ければいつまでもおなかが痛く、大切な時に急にもよおしたりする

私はその存在を知らなかったのだが、
看護士の推薦によると、坐薬の下剤がよいようだ
30分ほどで効果を発揮するとのことである
良さそうなので、その座薬(テレミンソフト10mg)を保冷庫から持ってきてもらうことにした

坐薬の下剤を薦めてくれたその看護士(若いきれいな女性)がやってきた
両手にプラスチックの手袋をして左手にゼリーのようチューブを持ち、右手に座薬を一つ持っている
これはどう見ても「坐薬を入れてあげるょ!」という体制である

「大丈夫、一人で入れられるから」とその座薬を渡してもらった
あのお方にお尻を向ける勇気は私にはない

思っていた通り、坐薬は収まるところに簡単に収まった
外に出てきてはいけないので、ベッドにそのまましばらく寝ていた
が、
大きなくしゃみをしたら、その座薬君、飛び出してしまった
慌てて、再度押し込んで入ってもらった

排便の結果は思わしくなかった
そんなに強い「もよおし」の兆候はなく、40分が経過したので、トイレに座ったが、大して出なかった

残念!

今日は火曜日
明日の水曜日には福島医大から主治医が来るので抜糸となる
そして明後日、木曜日の26日には退院だ
家に帰り、自作のトイレに座ればスッキリ出るだろう

2015年11月23日月曜日

民主主義

あまり観る番組ではない
10日ほど前になると思うがBS1の「久米書店」を観た
高橋源一郎がゲストで彼の著書である「ぼくらの民主主義なんだぜ」の紹介(?)番組であった
高橋源一郎という人物を知りたいと気持ちが以前からあったし、「ぼくらの民主主義」というワードの餌に私は引っかかった
入院前にその本を仕入れ、病室でそれを読んだ
本書のあとがきにも書かれているが、本書は著者が朝日新聞の論壇時評に20114月28日から載せ始めた時評を本としてまとめたものである
2011年4月28日といえば、東日本大震災から一ヶ月チョットしか経過していない
この時点で時評を、それも朝日新聞の時評を引き受けたのであるから相当な覚悟を要したであろうと考える
タイトルをなぞっただけではわからないが、震災とか、原発とかの用語がかなり出てくる

高橋源一郎が朝日新聞の論壇時評に書いていることを私は知らなかった
家内は朝日新聞を購読しているので知っているかと思う
私は現役中の日経新聞、日刊工業新聞、環境新聞以外の印刷された新聞は20年以上読んでいない
ニュースも含め、この20年間はもっぱらネット情報を頼りにしてきた
2年ほど、朝日デジタルは見ているのだが毎日は見ていなかったし、よほどのところでない限り、流し読み、斜め読みの時が多かった

高橋源一郎の声はよく耳にしている
それは、NHK第一放送ラジオの朝番組「すっぴん」である
高橋源一郎は、「すっぴん」の金曜日のパーソナリティーである
私はここ3年、毎年一ヶ月近くの車中泊旅行を楽しんでいるが、その時はNHKラジオが旅の友となっている
火曜日のユージ、水曜日のダイヤモンド・ユカイとともに金曜日の高橋源一郎が私のお好みパーソナリティーである

本書の話に戻そう
一つひとつの時評が新書版で4ページぐらいのボリュームで終わる
文字数の制約は、書き手にとっては言い表し切れない部分を多く残してしまうからなのか、突如引用文の短い内容が現れ、著者のメッセージが断片的にしか伝わらず読みづらいと感じた
しかし、その断片的ではあるが著者のそのメッセージにはキラリと光るものが感じられ、読んでよかったとの読後感もある

キラリと光るメッセージは多くあるがその中のひとつを紹介すると、
2014年3月18日、「中台サービス貿易協定」に反対した台湾の数百人の学生が立法院議会を占拠した
この占拠は24日間(?/4月10日)にわたり続いた
占拠が20日(?/4月6日)を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、立法院議長から魅力的な妥協案が提示された
葛藤とためらいが占拠学生の中に流れた
その時、一人の学生が手を挙げ、壇上に上がった
「撤退するかどうかについて、幹部だけで決めることには納得できない」と声を上げた
この後、占拠学生のリーダーであった林 飛帆(和名表記:リン・ヒハン、発音転記:リン・フェイファン)は驚きの行動をとった
彼は丸一日かけて、占拠している学生の一人ひとりの意見を訊いて回ったのである
最後に林は妥協案の受け入れを正式に表明した
すると、前日に壇上に上がった学生が再度壇上に上がった
かたずを飲んで見守る学生達に向かって彼は、
「撤退の方針は個人的には受け受け入れ難いです。でも、僕の意見を聞いてくれたことを感謝します。ありがとう。」と言って彼は静かに壇を降りた
それから学生たちは2日をかけて院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったヒマワリの花を一輪ずつ手に持って学生たちは立法院を去って行った

わかっているような気になっていた「民主主義」がクリアーになった気がした

先のブログにも記したが、
病院というところは弱い者の集まりである
怪我を負ったり病気で苦しんでいる人たちの集団である
その弱い(?)患者に対して強い(?)集団が病院側である
医師であり、看護士であり、介護士であり、受付であり、会計であり、食堂であり、掃除のおばちゃん・おじちゃんであり、薬局であり、売店であり、守衛のおじちゃんだったりする
この病院、この強い側のほとんどの方が優しく親切である
弱い人にやさしくし親切にしてあげる多くの人たちがいる社会=民主主義が存在する社会と言えるのではないかと思うのである

いつからなのか日本には民主主義はなくなってしまったのではないか、または今まで経験したことがなかったのではないと思えてしまう
だが、今私が肩の痛みをこらえて過ごしているこの病院には民主主義が存在しているように感じているのである

入院7日目の朝

今朝は5時15分に目覚めた
いつものように2時半に一度目が覚め、トイレに立った

入院時、いつもの夜だとここで部屋から何か「口に入れるもの」と強い痛み止めの「トラマール」とトラマールの副作用を抑える吐き気止めの「プリンべラン」の薬とペットボトルの水と本を持って病室を出る

トラマールは強い痛み止めと聞いているので、いつもの夜中だとアンパンとかバナナを食べてから痛み止めと吐き気止めの薬は飲む
痛み止めを飲んでもすぐに痛みは治まらないので、ベンチで30分ほど本を読んでからベッドに戻っていた
しかし、この夜はトイレから帰りすぐにベッドに入りすぐに眠りに就いた

昨夜、消灯の9時に斜め前の椎間板狭窄症の手術を受けた患者が睡眠導入剤を看護師から渡されていた会話が耳に入った
無理だとは思ったが、私はその看護士に「睡眠導入剤を今夜私に出すことができますか?」と尋ねてみた
「聞いてみます」と言って若い女性の看護士は病室を出て行った

?聞いてみます?とは・・・・この夜間に、いったい誰に聞こうというのだ????
私が「今夜」と言った言葉が聞き取れず、「(明日にでも)聞いてみますということだったのかなぁ」?????

しばらくすると、その看護士が病室に戻ってきた
私は、おっと!と思ったが、
戻ってきた看護士は、私の斜め前の脊柱管狭窄症の手術を終えた患者の何かの処置をしている
違ったか!と思ったが、
そのあと私のベッドに来て、「はい」といって一錠の薬を私の左手の上にそっと乗せてくれた(睡眠導入剤プロチゾラム0.25mg)

え!処方できたの?
○○先生に聞いてきました
こんなに遅くに○○先生(私の担当医)はまだいるの?
「なんか、呼び出されたみたい」

週末にはいないと言っていた担当医が夜中までいて、私の睡眠薬を処方してくれたということになる
私はやっぱりついている男なのかもしれない

文章だから正しい表現はできないのだが私に睡眠導入剤を手渡してくれた看護士は、私に対しても優しい福島弁で「(錠剤のパッケージ)外せるかいぃー」と聞いてくれた
福島弁で私に対応してくれた看護士は今までの間では彼女ひとりであった(医師、介護士を含め)

昨日のブログにも書いたが、福島弁はやわらかな良い言葉である
「訛っているよぅ~」なんてことは言わず、大事にしてほしいと思います

※昨日、洗濯物やお菓子、果物、和装コートを持って見舞いに来た家内とベンチで話をしていたところ、週末はいないと言っていた担当医が通りかかり話しかけてくれた
チョット立ち話であったが長話になり、切れた腱の状態にも話が及んだ
担当医師はMR画像を見てみますかと言ってくれた
私たちは忙しいでしょうからいいですと断ったのだが、担当医は私たちを連れて、近くの他の病棟のナースステーションに入り、大きなモニターの前に私と家内を座らせ、切れた腱版や肩の構造を詳しく説明してくれた
医師には言えなかったが、正直なところ医師の話は残念ではあるが1/3くらいしか理解はできなかった
この私の担当医、朝には私のベッドに顔を出し、肩と体の状態、睡眠についても話を聞いてくれたし、昼は前述のとおり、私と家内にMR画像で肩の状態を説明してくれた
この人の休日出勤は夜中まで続いたようで、夜の9時過ぎに私の睡眠導入剤も処方している

なぜ、私は睡眠導入剤を用いる気になったかというと、担当医師が言われているとおり、今程度の肩の痛みは正常で4日目ぐらいからかなり痛みは緩和されてくるとの話であった
肩の痛みの具合はその通りで、昨夜は肩の鈍痛も収まりつつあったように思われた
強い痛み止めを服用しているためかと思われるが、この痛み止めを使い始めてから、硬い便に悩まされている
肩の痛みは緩和されてきているし、便通の改善も図りたいということもあり、夜は痛み止めではなく睡眠導入剤に頼ることにしたわけだ
痛み止めから睡眠導入剤への切り替えは良い方向に働き、昨夜はぐっすりと休むことができた
夜間に悩まされた病棟に響く叫び声や咳き込む声なども気にならず(聞こえず)、熟睡できた
今朝の体調はすこぶる良い

ここの病院の多くの方は大変にやさしい
看護士、医師、介護士、売店の人、会計の人、受付の人、警備の人、それぞれの忙しい役割の人から優しい言葉をかけていただき、優しく親切に対応をしていただいた
人種、性別、年齢、職業、その他もろもろの違いにとらわれず、弱い人間((患者)に優しくできる方々の人間力は高度なレベルに達している
ここの病院の方々はそのような方が多いと感じている

昨日のことだ
私が洗面所で歯を磨いていると、一人の若くはない看護士が「今日はいい夫婦の日だ」と言って私の後ろを通り過ぎた(11月22日)
周りを見たら誰もいなく、その広い洗面所にいたのは私一人だ
家内ともっと仲良くしてねと言いたかったのか・・・・何なんだったか????

私たち、仲はいいょ
(今考えた:今日は「いい夫妻の日」 11月23日 こじつけるにはチョット無理があるかなぁ~)

2015年11月22日日曜日

介護肌着

病院内の介護用品売り場で購入した介護肌着と同等のものを昨日Amazondへ注文した

本日、その肌着がヤマト便で病院に届いた
その肌着到着に合わせ、腕の装具を看護士に見守ってもらいながらひとりで安全に苦労して外し、ひとりでシャワーを浴びた

到着した肌着も何とかひとりで着けて、腕の装具もひとりで安全に装着した
看護士が心配して見に来たが、何とか無事に着替えることもできた

これから約一ヶ月大変だが、怪我を治すのだから頑張ろう
家内にも苦労をかけるだろう

昨日家内のもとに姉から電話が入ったそうだ
「○○ちゃんを甘えさせないように」と言っていたそうだ
経験からそういえるとも言っていたそうだ

今週の水曜日(術後1週間)に抜糸だそうだ
翌日の木曜日の26日には家に帰れる

※病院の介護用品から購入した肌着は2764円であった
Amazonから購入した肌着は送料無料で891円であった(品物は同等品である)

方言

私の病室は6人部屋である
内、一人は千葉県の四街道市から来た人で、私を除く他の4人の方は地元の人である
私は千葉県生まれの千葉県育ちで、仕事の任地は主に東京であった

続いて病室に訪れる看護士の話言葉について記す
私のベッドに吊り下げられている2枚の個人情報カードには私の出生地、出身地、勤務地などは記されていない
同室の他の方のカードも同様である

この部屋に訪れる看護士は対応する患者ごとに話す言葉を使い分けている
私には完璧な標準語で対応する

四街道から来たという人以外の4人の患者には完璧なる(?)やわらかで優しい福島弁(?)で対応する
この傾向は女性看護士に多く見られる

私のリハビリを担当しているハギトモ似の作業介護士は「都会の言葉はきれいでいいですねぇ」という
私は「方言はとても美しい言葉だ」と、心に思っていることを言った
「そうですかぁ、訛っていますよ」と言葉をつないできたので
言葉の美しさを言い表す事例ではないが、私はある人の次の事例を話して聞かせた

その人は高校生の時、長崎の大規模キャバレーのピッバンドでバンドボーイをしていた
その人はその仕事(バイト?)を通じ、バンドマンの手ほどきを受けてラッパを吹くようになったそうだ
ラッパの師匠が東京に出るにあたり、その人も師匠とともに東京について行ったそうだ
しかし、時代はビックバンドの流れではなくなってきていた
師匠でさえラッパでは食えなくなってきていた
その人は今の時代、ラッパ吹きでは食えないと悟ったそうである
その人はピッバンドの世界から去るのはとても残念なことであったようだ

その人は東京で(?)運送会社に就職し、営業職に就いたそうだ
客先でその人は、お客様に「$&%#&&%$-!」としゃべったそうだ
「え!今なんて言ったの?」と問いかけられた
長崎弁で「その仕事、私に下さい」といいました。と標準語で説明したそうだ
客は大声で笑いだし、
その仕事はその人の成果となったそうだ
その人はその後独立し、運送会社を立ち上げ、大成功を収め大きな会社に成長させたそうである
その人は今、ピッバンドを立ち上げているそうだ

その人はおそらく、ビックバンド立ち上げパーテーでは長崎弁で挨拶をすると思います
そして多分、その人はラッパを吹くでしょう

こんな話を私を担当する作業介護士に話しました

地方の美しい言葉は大切にしましょう

患者主義、患者主体とは?を考える

今日は日曜日で明日は勤労感謝の日の祭日である

術後の翌日からリハビリが始められた
リハビリといっても、腱板再断裂を起こさないように3週間は腕のツボのマッサージと20回の腕の曲げ伸ばし運動、手のマッサージとこれも20回のグウパアー運動だけである
このように簡単なリハビリなのだが、24時間右腕を固定されている身からすると装具を外してもらっての運動は肉体的にはもちろん、精神的にも開放された感じとなり誠にありがたい

前述のとおり、今日と明日、連休に入るためリハビリはお休みだそうだ
私の気持ちとしてはガッカリなのである

話を聞いてみると、介護士が全員休みになるわけではなく、休日でも出勤する介護士はいるそうである
ただ、この2日の連休の間、腕のリハビリを診られる介護士がいないそうだ

この話を聞いて私の驚きがふたつ出た
1.患者のリハビリ部位により「診られる/診られない」の介護資格のようなものが存在するということだ
2.患者主体の考えはないようだ

→医師も看護士も介護士もリハビリは続けることが大切だと患者に説く
→再断裂を防ぐためには、アウターマッスルを使ってはならないから自分で腕の曲げ伸ばし、手首の回転も「絶対にやってはならない」とくどく注意されている

であるならばだ!
患者主義、患者主体の思想があれば、20分の腕の曲げ伸ばしリハビリを診れる看護士を「勤労感謝の日」とはいえども誰かは出勤していなければならないと思うのだが、これは老人のたわごとであろうか


老人のたわごとをもう一つ
私が今付けている腕の装具が肩に食い込み痛い
看護士が気にしてくれて、肌着を引っ張り上げて肩バンドの下入れてくれる(が、すぐ外れる)
家内がハンドタオルを間に挟んでくれた

トイレに立ち、何の気なしに鏡を見ていたら、この肩バンドにはクッションパッドが装着されており、そのクッションパッドが胸の位置に来ている
これではクッションパッドが機能していない
早速、位置調整もしてくれた病院出入りの装具業者に電話を入れた
受付の方から、私の装具を調整した方に電話が変わった
私の話は理解された
だが、「では水曜日に伺います」
「ふざけるな」と私は言いたい
お前の調整ミスを俺は4日間も我慢して待たなければいけないのかと
「もういい、話にならん」と電話は切り、看護士に事情を話しクッションパットの位置を何とかずらしてもらった

政治家も一緒だが、自分の仕事はチャンとやれょ!

鈍痛(入院6日目)

術後3日半となるが肩の鈍く重い痛みが消えない
手術の傷の痛みが続いているのであればよいのだが腱板断裂の内部の痛みであると困る

この痛みが続いているため昨夜も処方されている痛み止めと吐き気止めを飲んで床に就いた

昨夜は比較的静かな夜であったが、2時頃、ゲェ~・ゲェ~と吐くような声が廊下に響き、目が覚めた
だが痛み止めが切れた影響で目が覚めたのかもしれない

またナースセンターで痛み止めと吐き気止めの薬をもらい、昨日見舞いに来てくれた友人からいただいた7ドーナツの箱と薬を飲むためのペットボトルの水を持って部屋を出た
しかし、明るい場所を探して廊下をうろつく私の姿も、事情が分からない方から見れば、異常といえば異常に見えるかもしれない

痛み止めの薬を飲んでもすぐには眠れないので、明るいところでしばらく本を読んでからベッドに戻った

明け方、相部屋の誰かが咳きこんでいる、また、誰かが大きなくしゃみを連発している
ここで風邪をもらうわけにはいかない
マスクを着用した
手洗いも念入りに行おう

2015年11月21日土曜日

入浴(入院5日目)

本日、手術後初めてシャワーを浴びることになった

手術した右肩の再断裂を防ぐため、右腕に装具をつけている
この装具を取り外すにも手順があり、一昨日には担当医の指導の下にトレーニングが行われた

担当医が自ら、ペットボトル3本を使った入浴のための装具を作ってくれていた
看護士の手伝いもあり、事前訓練のおかげもあって、肌着を脱ぐところから常用装具の取り外しも入浴装具のセットも無事に終えた

看護士の手伝いは借りず、入浴装具をつけてシャワーを浴びた
入浴中、手術した腕は下げてもよいとのことだが、手のひらを上にあげたり下に向けたりの腕をひねる動作は再断裂を招くのでやってはいけない動作であると注意を受けている
このように制約の中でのぎごちない動作での初入浴となったが、
かゆくなっていた頭もシャンプーし、体も洗ってサッパリした

しかし、当たり前だが右腕が使えないので左腕の肩から下は洗えない
風呂も誰かの介護が必要になることが分かった
家では風呂も家内の世話になろう

夜中の整形外科(入院4日目の夜中)

整形外科病棟、灯が消えると色々なことが起きる

21時の消灯に合わせ、頭と右肩の枕の位置と高さを調整し、少し簡単なものを食べてから処方されている痛み止めと吐き気止めを飲んで床につく

21時きっかりに看護士が各病室の灯りを消して回る
消灯から暫くすると、日中はひどくなかった嚥下障害を抱える高齢の方が痰が切れずに苦しみ出す
私は眠りに入れず目はさえてきてしまう
物音を発てないように気をつけ起きてトイレにたつ
トイレを出ると下半身丸出しのお婆さんがトイレに向かって歩いて来る
と同時に、隣りの泌尿器科病棟から「トイレ・トイレ」と騒ぎながらお爺さんがフラフラと歩いて来る
ベンチの所で転んだ
助けようと思い向かったが、それより先に看護士が駆けつけて助け起こした
泌尿器科の患者であった

痛み止めが効き、眠れたが、2時半に目が覚めた
追加の痛み止めをもらうためナースセンターに行く

3時過ぎ、部屋で暴れていると訴える女性の声が耳に届いてきた

この患者も含め、問題行動を起こしているのはいずれも私よりも年上の老人である
病棟の灯が消えると老人は不安になるのではないかと思われる
私も後20年、いや10年後かなァ~
こうなるのかねェ~
日本の近い将来は不安だ!
団塊の世代、今とは数が違う!

2015年11月20日金曜日

肌着が着れた(入院4日目)


ひとりではチョット無理であったが介護用品店から購入したワンタッチ肌着が着れた

右腕をベッドの手すりに置き、装具を手順通りに外したところまではできたのだが肌着の右袖を右肘から抜くところがひとりではできなかった

肌着の着替えは毎日のことだし厄介なことだ

これを5週間も続けなければならない

今日は外来リハビリから1年間通院していた時のなじみのハギトモによく似た作業療法士が私のリハビリ治療にやってきた

彼女の話によると私は4本ある腱の内3本が切れているとのことである

担当医は上の腱と前の腱が切れていたと言っていたが・・・・・

熟睡(入院4日目)

昨夜は熟睡できた
追加処方された痛み止め(ドラマールOD錠25mg)のおかげだ
この痛み止めは強い薬のようで副作用を抑えるため吐き気防止の薬(プリンべラン)も併用服用している
一昨夜は肩の術後の痛みで横になることもできず一睡もできなかった
薬は怖いがありがたい!
効能の高い薬は副作用も強いので怖い
この痛み止めと吐き気止めの薬は医師から処方されているのだが、患者からの要求があり且つ4時間以上経過していないと出してもらえない
それも一錠ずつの支給である
誤用防止と考える

昨日は術後2日目にあたるが、リハビリが始まった
担当医の話によると手術の際、中を見たら上の腱板だけでなく前の腱板も断裂していた
そこも結合した関係で更に初期リハビリ動作に対する制約が増えたそうである
リハビリはリハビリ室で受けた
30分ほどの簡単なリハビリ運動であったが、これは誠にありがたかった
たった2日であるが装具で固定されていた右手は、むくみがあり関節は固まりつつあった
リハビリ師任せの運動であるが装具から腕は解放され気持ちの良い30分間であった

このリハビリ、自分で動かすとアウターマッスルを使ってしまうのでアウターマッスルを使わないリハビリ師に頼らなけばならないそうである

2015年11月19日木曜日

入院3日目


昨夜は一睡もできなかった

肩が痛い
夜、痛かったら言ってくださいと言われていたのだが、坐薬は恥ずかしくてお願いできなかった
絶対安静だからベッドから一人で動いてはいけないというもんだから、おしっこは尿瓶を使用した
尿瓶は初めての経験である(漏らしはしなかった)

朝食をいただいた
右手が使えないので「リハ食器左」というもを用意してくれた
おかずは全てフォークに刺さっていた

処方されていた痛み止め(SW110)を服用した
痛みが緩和されたら少し眠ることにしよう

2015年11月18日水曜日

手術終了

11時半に歩いて手術室に向かった
目が覚めた時には手術は終わっていた
手術台の上で担当医から手術時間は1時間40分であったことを知らされた

病室に戻った時には2時半になっていた
家内が長かったと心配顔で迎えてくれた
考えていた時間よりも1時間ほど長かったようで心配をかけたようだ

右腕は装具で固定され、酸素マスク、心電図、点滴注射、尿管が付けられていて私の体はベッドに固定されているようだ
尿管のせいらしいが常にトイレに行きたいような感じがしている

この状態は我慢ができない
尿管を外してくれ
座りたい

担当看護師に申し入れたが安静にしておかなければならないと断られた

私の感覚としては起きて座っても大丈夫なような気がする
再度起きたい旨の要望を言った
看護師も折れて、先生に聞いてくると言ってくれた

結果はOKの判断が出た
尿管を外し、紙おむつを外しパンツとジャージをはいた
トイレは絶対車イスだと念を押され、車イス用のトイレに入れてもらった
おしっこをすると痛い
尿管が入っていたせいだ

今まで手術室から出てきて1時間で座った人はいないとのことだ
確かに麻酔からは完全には覚めてなく立つと少しふらつく

左手一本でこのブログをアップしている
左手ではマウスは操作できないことが分かった

家内に完全装備(?)の私の写真を撮ってもらったが、悲惨すぎてアップはできない

獲物は狸

愛猫smokyが今度はタヌキを捕えてきた
タヌキは初めてのことだった

家内はいやいやであったのだろうが庭に埋めたそうだ
smokyはドヤ顔だったそうなので、褒めてやったそうだ

そうしたら元気にまた狩りに出かけたそうだ

私は入院中で見れなかった
残念だ

装具

術後、肩を固定する装具が届いた(24628円)
Ultra SlingⅣ、メキシコ製だ

思っていた以上に大がかりなものであった
これを5週間も付けっぱなしになると思うと憂鬱になる

Tシャツも着れないようだ

入院2日目

さすが昨夜はよく眠れなかった
手術の不安とかではない

夜中にトイレで騒いでいる女はいるし、ナースコールは結構な頻度で鳴っているし、緊急通報のような連続コールも何度か鳴っていた
こんな音などが気になりよく眠れなかった

夜勤のナースは二人ほど
これは大変な勤務だ

明け方、うつらうつらしていたようだ

昨日も朝風呂に入るかと言われたし、今朝も風呂が空いているからどうぞと言われた
これだけ風呂を奨めるということは、術後当分の間、風呂には入れないということを示しているのだろう
ではと、でかい湯船に湯をたっぷりと満たし、ゆっくりと入った

風呂に入った後も、3人のナースから風呂に入ったかと問われた

7時半に部長回診(?)があった
5人ほどの医師を引き連れて私のベットにも来た
よくあることなんだが、部長先生、まず私の苗字を言い間違えた(読み間違えたと言った方がよいかな)

私の担当医も回診の輪の中にあった
私は昨夜の丁寧な説明について礼を述べた
この担当医、なかなかのイケメンである
医者でイケメン
無敵だね

医師も変わったなぁ~と思う
この担当医も主治医も偉ぶったところは全くない(感じられない)
紳士である

8時になる
これから先は食事はもちろん、水も飲めない
看護師の話によると、術後、麻酔から覚めても夕食も取れない人がほとんどだそうだ

2015年11月17日火曜日

入院

右肩の腱板断裂を接合するために郡山の大病院に本日入院した

大病院なんだから、wi-fiぐらい使えるようにしといたらと思うのだが、使えないようだ
仕方がないのでスマホのテザリングでパソコンは繋いでいる

主治医は福島医大の医師なので今日は居ない
5時半ごろ、担当医が私のベットに来た
若い医師だが、誠実でロジカルな話しっぷりが気に入った

私に色々とやらせ、腕の運動機能がチェックされた
「結構動く」とか背骨の位置の数を数えたり、私には何を見ているのかはよくわからない

若い医師の説明はわかりやすく、質問すると少し専門用語が入るが適格な回答が返ってきた
手術についてもテーブルの上にあった夕食のメニューを取り上げ、その裏に図を描きわかりやすく説明してくれた

これまでの私の言動からなんだろう
彼には私が強引な男のように見えたようだ
それは正しい見方かもしれない・・・・・

リハビリの重要性を良い意味でくどいくらいによく説明してくれた
術後3週間までは本当に軽いリハビリだそうだ
腱板断裂に対するリハビリは術後3週間後からはじめられるそうだ
その後、2ヶ月間は絶対に無理をしてはいけないとのこと
週2回のリハビリは自分で車を運転してきてはいけないとも言われた(当然、普段も)
その訳も説明してくれた
1.自動車事故が怖い←確かに、運転ミスで人生取り返しがつかなくなってもいけない
2.再断裂が怖い←結構な頻度で再断裂を起こしているそうだ

その間のリハビリは、自分で勝手に動かしてはいけないそうだ
腕は脱力した状態(三角筋などのアウターマッスルは休ませた状態)で専門家にリハビリは任せなければならないそうだ
無理をした自力のリハビリで再断裂を起こすケースがあるそうだ(競泳選手の例などを取り上げて説明した)

痛みの変化についても説明してくれた
前方および脇方向へ腕を上げる際の痛みが消えたのは、断裂腱板の先がめくれていてそこが腕を上げる方向によっては肩峰と接して痛みが出る
痛みがなくなったのは断裂腱板の先の捲れがなくなったためだろうと考えるとのことであった
恒常的な痛み、特に横になっている時の痛みの発生は、骨頭周りに炎症があり痛みが発生しているのだろうとのことであった
手術によってそこはきれいにするので、痛みは消えるとのことであった

私から、外来通院時、主治医からは「○○さんの場合は、3ヵ月程度でゴルフができるようになるのでは」と言われていると話したところ、
○○さんの風貌(?)などから冗談を言われたのではないかと言われた
そう言われて主治医の話を考え直してみると
○○さんは「言うことを聞かなそうだから、3ヵ月もしたら我慢できずゴルフなんかをはじめちゃうんじゃないの」という意味だったのかもしれない

どちらにせよ、私はリハビリについては結構安易に考えていた
スポーツを今後も続けるためには正しいリハビリを我慢強く行う必要があるようだ

担当医は、ほかに質問はないかというから、
看護師から手術中に支障があるから髭を落としてくれと言われている
残したいが駄目か?と言ってみた
まあ、よいでしょうとのことだ
「何か言われるかもしれない」とは言っていたが・・・・

明日は眠らされるのでブログはアップできないだろう
眠りから覚めないなんてことはねえだろうなぁ~

2015年11月15日日曜日

ラフランス

今年も義兄からラフランスが届いた
ありがたいことだ

昨年も書いたと思うが、家内はラフランスを食べないと初冬が来ないというか、深い秋が来ないと言えるらしい

届いたらフランスは箱を開けて玄関に置いてあるが、甘い香りが漂っている

早速いただいた
上品な甘みが口いっぱいに広がる
ぬるっとしてざらっとした独特な食感も良い

暖かな朝

昨日から続く雨の朝を迎えた

室内で18℃、玄関外で13℃と、体感的にはもう少し高い数値を示していると思い温度計を確認したわけだが、思ったほど高くはなかった

暖かく感じられ、薪ストーブに火はどうしようかと迷っていたのだが、smokymも薪ストーブの前で火を期待していたので、火は入れることにした

今年も1階宅内の冬仕様のセットは既に終えている
台所と洗面台前にセットした灯油ストーブも点けた
この冬仕様はヒートショック防止が目的である

外は朝靄が広がっている
天気は回復してくるだろう

2015年11月12日木曜日

腹減った

今朝は6時半に起床した
暖かな雨の天候が続いていたが、昨日から冬型の気圧配置に変わったので朝の寒さが戻ってきた
寝室に灯油ストーブを持ち込み昨夜はタイマーを5時半にセットし寝たのだが、今朝起きた時、灯油ストーブは点いていなかった
ストーブの時計をあわせていなかった

薪ストーブに火を入れ、
コーヒーを入れ
トイレまでついて歩くsmokyとハルにご飯をあげ、PCで最新ニュースやメールをチェックした
家内からメールが入っていた
今から飛行機に乗るそうだ

TVをつけてNHKに合わせた
朝ドラはあまり観ていなかったのだが、今流れているNHKの連続テレビ小説「あさが来た」を結構な頻度で観ている
この朝ドラ、九転十起生の広岡浅子がモデルになっているからだ
※広岡浅子の説明は省略する

NHK、朝ドラの後に続いて流れるのは「あさイチ」だが、
いつもの朝だと続けてこの「あさイチ」観ることは少ない
今朝の「あさイチ」は全国人気度最下位が続く茨城県、その中央に位置する石岡市の魅力紹介となっていた
ここまでならTVは消してしまったり、NHKからテレ朝の「羽鳥真一モーニングショー」にチャンネルは移るのだが、
私がお気に入りのNHKの近藤泰郎(コンドウタイロウ)アナ(あさイチレポーター)がこの石岡市を紹介していたのでNHKを観続けた
※魅力的な石岡市の説明とNHKの近藤泰郎アナの説明は省略する

そこでふと気づいた
腹減った!
朝飯を食うのを忘れていた(気づいたのが9時半)

家内が旅行中で正直チョットさみしい
が、
ひとり者が結婚しない訳がこのようなところにもあるのではないかと思ったりした
なかなかこの感情を言い表す言葉が見つからないが、近い感覚でいえば「気楽」と表現できるかもしれない
今は(?)
通販で何でも揃う
私のコンクリートミキサーも通販で買った
コンビニは24時間オープンしている
洗濯機はすべて自動でやってくれる
我が家はそうではないが、風呂だってボタンひとつで湧く設備の家は多いだろう
若い人は風呂も面倒でシャワーだけという人も多いと聞く

私はこのような生活を肯定する者ではないが、気楽といえば気楽だ (否定する者でもない)

結婚は面倒
相手を探すのも面倒
子供なんかさらに面倒
ベツニー! ひとりでも困ってない ・・・・

私は毎年一ヶ月近く車中泊での一人旅を3年続けて楽しんでいる
この旅行中、生活面で困ることはほとんどない
今朝のように朝飯を食うのを忘れていても誰かに迷惑をかけるわけでもない
むしろ、飯のことで誰かを気遣うことも必要ないので気楽だ

ここ6日ほどの私のひとり暮らしの経験だけで言いすぎてしまうのは危険だが、この6日間、不自由することはなかったのだが、どうも生活が荒れてくる
テーブルの上は物が出しばなしで食事をとるスペースが日に日に狭まってきている
一昨日洗濯したが、その洗濯物は部屋に吊るしぱなしになっている
6日間掃除はしていないので、ハルの抜け毛とかsmokyが体に着けて持ち込んだ枯葉などが目につく
ゴミ箱は満杯になってきた
台所の流しはレトルト食品しか使っていないので意外ときれいだ

だからといって誰かに迷惑をかけるわけではない

話が長くなりすぎた
気遣う人がそばにいた方が絶対に人生は楽しく豊かになると思う

さて、掃除でもするか
今日、家内がクアラルンプールから帰ってくる

2015年11月10日火曜日

長生き

私は母からよく言われていた
「お前は私に似ているから長生きするよ」と・・・・・

私は長生きがしたい
何故か
息子にはどんな人が来てくれるのか見たい
私の孫にも会ってみたい
が、
私は
日本から・・・・いや世界から
生きている間に、電柱がなくなるのを見てみたい

灯油で暖をとり、ガソリンを燃やして日本中を走り回っている私だが、
石油を単に燃やしてしまうだけに使うのはもったいないと思っているのである

各家庭に小型の燃料電池(?)の発電機が備わっている姿が見たい

蜘蛛の糸

いつもの通り、今朝も愛犬ハルと散歩に出た
そして今日も蜘蛛の糸に引っかかった

私はチョット背が高いがそのせいではないと思う

蜘蛛は常にその見えない糸を風に乗せているのだ

私がその糸によく引っかかるのは、
私が田舎に暮らしているからだと思う

老朽化

またまた、今朝のニュースの中に気になる報道があった
→JR秋葉原駅の総武線ホームからコンクリートがはがれ、このコンクリート片が下を走る東北新幹線の路線内に落下したとのことである

「秋葉原」で思い出すのは今年の4月、JR山手線の架線を支える柱が折れてしまい、長時間にわたり電車がストップするという事故があった

どちらも鉄道設備の老朽化である

老朽化でまだ記憶に新しい大きな事故としては、中央自動車道笹子トンネルの天井板落下事故である
走行中の車がこの落下してきた天井板に潰されて死傷者を出した恐ろしい事故である
「こんなことが起きるとは」、と思ったと同時に「老朽化してるんだ」、と思い知らされた事故であった

高度成長期を支えてきた団塊世代が老いてきたと同じように高度成長期を支えてきたインフラも老化してきている

この老朽化は鉄道や道路だけではない
水道、ガス、電気などのインフラも老朽化している
我々はその危なっかしいインフラの中で今の生活をしているのだ

人間歳をとれば色々なところで不具合が発生してくることは理解もして、健康を維持しようとする努力もしてきている  (人にもよるが・・・・)
我々の生活を支えてきたインフラも永遠のものではないことを理解はしているが、我々はその老朽化に目をつぶって来たのではないかと思える
事故は起きても自分の身だけには降りかからないだろうと思ってきたのではないか


「一億総活躍社会」
何とも嫌な言葉だ
頑張って・頑張っている東日本に暮らしている、またそこを故郷とし頑張って暮らしている人たちに、「頑張ってください」と無責任な言葉を投げかけている人を思い浮かべてしまう
都会人が「花は咲く」と歌っても、地方の花はなかなか咲かないのである

歳をとったことによって生み出される「いぶし銀の日本」の魅力に気づくべき時が来たと私は思うのである
ただし、いぶし銀になるには常に手入れをしていないとこの色艶は出ない
年寄には年寄の身体のケアーが必要である

今の日本、老後破綻社会に目をつぶってはならないし、若者のワーキングプアー、子供の貧困にも目を向けなければならない
この顕在化している大問題に対し、日本は正しい方向に向かっているとはとても思えないのである

2015年11月9日月曜日

暖かい!

昨夜はかなり雨が降った
そのせいなのか、今朝はかなり暖かい
6時15分現在の気温は、リビングルーム内で18.5℃
玄関外で15℃と、実測でもかなり暖かい気温を示している

今朝の天気図を確認してみると、秋田沖と朝鮮半島に低気圧があり、秋田沖から伸びる低気圧から寒冷前線と温暖前線が伸びている
ここ福島はこの両前線のV字の中にあるため南から暖かな空気を引き込んでいるのかもしれない
この寒冷前線が通過すると西高東低の気圧配置となり、今夜はここ福島でもまた寒くなって来るのではないかと思われる

この様に暖かな朝を迎えているので、今朝は薪ストーブに火を入れるのはためらわれた
薪ストーブの火を恋しがる家内は旅行中でいないこともあり、今朝は薪ストーブに火は入れなかった
smokyは冬場のお気に入りの暖かな居場所を失い困るかもしれない

冬支度を済ましてきてはいるが、宅内を冬仕様にすることと車2台のタイヤを冬用タイヤに履き替えることがまだ残されている
家内が帰国するまでにこの残された二つの冬支度は終えておきたいと考えている

冬の入り口、この気温の変化に体がなじめず体調を崩し、風邪もひき込みやすくなるので気をつけよう

2015年11月5日木曜日

我が家の秋

今朝も寒かった
しかし、昨日から大きな高気圧に日本列島は覆われ、日中はさわやかな秋空が広がっている

我が家の庭も秋が深まった

冬の準備も終えた
今年は友人の世話になった10石の薪材と知り合いから届けてもらった2トン車10台分の薪材の薪割りが本日やっと終わった

今シーズン分も含め、4年分の薪ストーブ用の薪がそろった

薪割りは飽きた

2015年11月4日水曜日

冬到来

 今朝はかなり寒かった
7時10分現在の玄関外での気温は3℃しかない
冬に入ってきた感じがする
霜も降りた

薪割りは再開しているが、このところ何かと忙しく滞りがちであったが、今日は天気も良くなるので残りの薪割りを片づけてしまおう

smokyはストーブ猫になっている

2015年11月3日火曜日

駅伝

10月18日の市主催のロードレースのコース監視員のボランティア協力に続き、本日やはり市主催の駅伝競技のコース監視員のボランティアを務めた

先のブログに記した通り、私が立つコース監視位置は真っ直ぐに進むランナーと左折するランナーが混在して走って来る位置である

先に開かれたコース監視員に対する説明会で私は「混在して走って来るランナーひとり一人を正しいコースに間違いなく誘導することは不可能である」と意見を申し述べた
この不安は拭い切れないまま本日コース監視員として定められた位置に立った

コースに立ってわかったことだが、私が述べた意見が少し理解されたのか、当初予定されていた監視員の人数が3人から5人に増員されていたし、分岐箇所には長くロードコーンでコースが仕切られていてコースの道路上にはゼッケンナンバーと矢印が描かれていた

実際の運営では、コース監視員の内の二人が分岐点のかなり前に立ち、走って来るランナーのゼッケンナンバーを確認し、ひとり一人を正しいコースへと振り分けた
それでも2人間違ったコースに入ってきたが、大きな遅れを出さずに正しいコースへと導くこともできた

老若男女これほど多くの人がこの大会で走るとは私は思っていなかった
朝7時の集合から11時半ごろまでのボランティア協力はかなり疲れたが、終わってみれば良い行事だとも強く感じた次第である

こまいランナーが必死になって坂道を駆け上がってくる
見た顔だなと思った瞬間、そのこまいランナーの苦しい顔がパッと明るくなった
そのかわいい男の子も私の存在に気づいたのだ
その男の子、明日もボランティアで指導している木工クラブでパチンコ台を作っている5年生の元気な男の子であった
明日、その子の小学校に行くのがまた楽しくなった