2021年10月31日日曜日

3時のお茶

 胃がんのESD手術の後、特に3週間は飲食に細心の注意を払う必要がある

退院後、家内は食事に工夫をし、胃に優しいものを提供してくれている

今日は、家内が仕入れてきたカフェインレス紅茶とウエハースで3時のお茶となった

まあ、おいしいことはおいしいが、カフェインレス紅茶もウエハースもパンチが足らない

胃に優しいものとは、こういうことなのかな

キイロスズメバチ

 キイロスズメバチは、我が家のミツバチの巣も襲うし、気をつけないと人間も襲う

我が家の2階軒下には大きなキイロスズメバチの古い巣が2つぶら下がっている

今、庭のグミの木に甘い赤い実がたわわに実っている

そのグミの実にキイロスズメバチが群がって実を食べている

一本のグミの木は食べ尽くし、もう種だけになり、今はもう一本のグミの木に群がっている

春グミはカラスにやられ、秋グミはキイロスズメバチにやられると、家内が言っている

2021年10月30日土曜日

帰宅

 本日退院となり、家内の迎えの車でお昼前に自宅に帰ってきた

愛犬Matthewの猛烈な歓迎を受けるはずだと考えて、家内には事前にビデオを撮ってもらうように頼んでおいた

しかし、意外であった

Matthewは、玄関を開けても飛び出してこない

声をかけたら、やっと出てきたが、どうしたら良いのかといった風で、何か戸惑っている感じである

部屋に入ったら抱きついてきたが、最初の対応は意外なものであった

その後、家の中では私から離れず、どこにでもついて歩いてきた

1週間、ろくな物も食べずの入院生活であったし、ろくに歩いてもいないほぼ寝たきりの生活であった

大丈夫?と家内は心配したが、夕方のMatthewと近くの城址公園へ散歩に出た

知らぬ間にお城の紅葉は始まっていた


夕食は、病院での夕食時間に合わせて6時にしてくれた

長く食べてなかったとの家内の配慮で、いつものごはんではなく、パンとなった

久しぶりのパンとバターはとてもおいしかった

パンの相手は、圧力鍋を使ったシチューであった

シチューはジャガイモも人参もピーマンも柔らかく、傷んでいる胃にはとても優しい

副食のリンゴは、紅玉の酸味と相まって甘く柔らかく煮てある

家内の言うとおりリンゴの皮は食べずに残した

栄養士も推奨していたヨーグルトも食べた

胃にも優しいおいしい夕食であった

我が家は静かで、薪ストーブの火がはぜる音も心地よく快適である

退院

 本日退院となった

胃がんESD手術はうまくいったようだし、入院中の経過も順調で、予定通りに1週間で退院となった

顕微鏡検査に回っている患部の病理検査の結果が気になるところであるが、気を病んでも仕方がないことであると考える

いつからゴルフが出来るかがとても気になるが、イメージトレーニングと自作のヤーデージブックでも眺めてしばらくは暮らそう

今日から全粥となった

塩気なしの粥はもう飽きたが、今日はおかかのふりかけがついてきたので粥を食べる助けになった

食事を終えたら、直ぐに退院仕度にかかった

入院用具は嶮稜登高会40周年の記念品であった携行ザックに詰め、小物はモンベルのショルダーバックに収めた

山に行くような仕度に見える

ナースから次の通院日の16日までは特に生活面で注意して過ごすようにとの話があった

それまでは激しい運動は避けること、出血(吐血、下血)があったら、救急対応するようにとの話もあった

その後は栄養士から食事について細かな注意があった

人口潰瘍が治るまでには2ヶ月を要すること、特に次の通院日までは、食事についても注意して過ごすようにとの話があった

コーヒーもカフェインレスのものなら良いそうだ

繊維質の物は消化に悪いので避ける必要があるとのことであった

2021年10月29日金曜日

格安ゴルフチケット

 私のお気に入りのゴルフ場であるヘレナ国際カントリー倶楽部のバリューゴルフプレー券が今週の水曜日に発売された

長く広大で、写真で見るとチョット日本のゴルフ場ではないような景観が広がる

結構難しい

難しいからいいので、長いからいいのである

スコアーは二の次と考えるようになったら、こんな考え方にもなった

バリューゴルフショップから最近、売り出さなくなったヘレナ国際カントリー倶楽部である

待ちに待ってやっと売り出された

ヘレナ国際カントリー倶楽部、私は好きだが、嫌いだと言われる方も多い

それは風なのである

木が少なく、あっても小さく、吹きっさらしの広大なゴルフ場である

暖かないわき市にあっても、ここヘレナ国際カントリー倶楽部に風が吹くと、強く寒い

それが人気のないひとつの理由でもある

今回の売出しは次の通りである

1月〜3月のプレー券で、4人で使えるプレー券1枚が6,400円となっていた

プラス送料が200円かかる

6,400円+200円=6,600円÷4人=1,650円/人

1月〜3月のヘレナ国際カントリー倶楽部は確かに寒い

だが、寒い日ばかりではない

暖かないわきの地にあり、リタイヤ組としては天気の良い日を選択する自由度は高い

考えてしまったのは6,400円の価格なのだ

それに胃がんで入院治療中ということもある

入院先のベットの上で考えている内に売れてしまった

ここヘレナ国際カントリー倶楽部、4人プレー券を私は4,400円で買ったこともある

最近は強気である(w)

地域の山

 病院から東方向に我が家近郊の山がきれいに見える

病院のなんの木か知識不足でわからないが紅葉している

結構、絵になった

左から、移ヶ岳、鎌倉岳、片曽根山となる


山を眺めていると思い出すこともある

がんを病んだということもあってのことだと思う

それは、厳冬期の明神岳東稜の登攀からの帰り、今は亡き私のザイルパートナーが嘉門次小屋で呟いた「山は逃げる」である

それは事実で、山に限らず、やれる時にやっておかないとできなくなるものは多い

特に先が見える歳になったのなら、なおさらである

シャワー

 入院4日目にしてシャワーを使えるようになった

朝一番、本日の担当ナースの見回り時に「今日もシャワーを使うか」と問われたので、使うとお願いをした

予約をしておくと言って帰った

予約時間を知らせに来るのかと思っていたが来ない

ナースステーションに行き、本日の私の担当ナースではないが、ナースステーションから出てきたナースにシャワー予約の件をたずねた

予約は取れてないそうだ

何時が良いかと聞かれたので希望時間を告げた

その時間にサッサと記入した

え!何で俺がわかるの?

あぁ〜、これか!と右腕につけられたIDかと思ったが、書かれている内容は違う

これはなに?と聞いてみた

「部屋番号−ベッド番号」

何で知ってんの?

だって、○○さん、担当したもん!と言う

患者数は多いし、入れ替えも頻繁である

びっくりポン!だった

この広い病院の私が使っている部屋のベッドの位置を私を見ただけで、私の名前も言って、即座に予約表に書き入れた

このナースがすごかっただけかもしれないが、驚いた

これだけでも安心感は生まれる

「その後」

○△さんと私の名前を間違って私のベッドへ入って来るナースもいたので、先のナースは特別だったのかもしれない

五分粥

 今日から食事は五分粥となった

具がある

これだとかなり食べた感じがある

医師と話し、予定通り明日退院だそうだ

昼食

段々と良くなってきたぞ

魚が出てきた

夕食

鶏肉、醤油なしのシュウマイが出てきた

塩気全くなしの粥は飽きた

2021年10月28日木曜日

点滴開放

 

 厄介な点滴が外された

歩くにも点滴スタンドを引きずりながらでなくなったので大変に楽だ

下に行ってチョットコーヒーをとしたいが、それはダメなようだ


【追記】

シャワーも使った

さっぱりし、ジャージーパンツも着替えた

浴室に剃刀を持っていくのを忘れたので、洗面で髭も剃ってなおサッパリしよう

三分粥

 今朝の朝食から三分粥になった

チョット噛みごたえがあるフルーツがおいしかった

昼食

真ん中上のかぼちゃがおいしそうだと思って期待したのだが、まったく食感なし

口の中で溶けてしまった

南瓜の含み煮と書いてある

夕食

果物までミキサーにかけてある

深夜便

 病院の夜は長い

入院中はベッドの上での生活が長くなり、今は点滴につながれているので、歩くのもトイレに行くくらいで、身体はほとんど動かしていない

食事はやっと流動食になったところで、常にお腹が空いている状態でもある

夜は眠れたものではない

昨晩は、ウトウトしながらも、午後11時5分から始まるNHKの「ラジオ深夜便」を番組終了の朝の5時まで聞いていた

気がついた時には、6時からのニュース番組に変わっていたので、最後の方はどこかで眠ったようだ

私は音楽が流れていないと寝付けない

家にいる時は就寝時は勿論、昼寝の時にも音楽聞きながら眠る

聞きながらといっても、ほとんどが一曲聞き終わらない内に眠ってしまっているようだ

ラジオ深夜便は、しばらくぶりに聞いた

30年くらい前は、音楽を流して眠りに入るのではなく、枕元に携帯ラジオ置き、ボリュームは抑えて、このラジオ深夜便を聞きながら眠っていた

放送は、男女ともベテランアナウンサーが担当し、放送は聞いてもらいたいのだか、眠りにも誘うという、矛盾を抱えた放送番組である

病院生活では、ラジオ深夜便は助けられる番組である

2021年10月27日水曜日

貧素な食事

 術後、今日から流動食が食べられるようになった

朝食、昼食と食べてきた

そして、先ほど夕食となった

水とこの流動食しか食べれないので、夕食も楽しみにしていた

提供されたものは、貧素な中で最も貧素な食事に見えた

重湯に具なしのうすい味噌スープにアイソカルゼリーなるものだ

アイソカルゼリーなるものは初めて食べた

医療用としても、介護食としても使われている高カロリー食品で、このように少ない量でも全粥一杯分のカロリーがあるそうだ

腹ぺこなので朝食も昼食も夕食も待ち遠しいが、病院の夕食時間は6時になっている

昔々の病院の夕食時刻はとても早かった

私の最初の入院経験は、若い若い頃、穂高滝谷P2フランケで滑落し、左腕を折って入院した

この時の夕食時間は4時であった

左腕は使えなくても、胃腸は元気だし、涸沢で1週間の貧相な山食しか食べてなかったこともあり、4時から消灯までは長く、1日5食にも6食にもなった

この時の入院期間は20日であった

この頃には、20日の入院期間はスピード退院と言われた

傷があるので傷が塞がってから骨をつなぐ手術となった

そして抜糸まで入院していた

当時はスピード退院と言われたが、今では考えられない長期の入院である

この時の入院も暇で暇で、玄関ホールのTVで高校野球を観ていた

この年、銚子商業が優勝した

病院の玄関ホールは大騒ぎであった

この時の優勝メンバーの篠塚和典は、ジャイアンツを1位指名で入団した名二塁手である

ラジオは正解

 入院は大変なことだし実際に大変なんだが、暇過ぎということもある

こうなって来ると、こうなって来たということは、順調に回復してきている証でもあるわけだが、時間の進みが遅いとも感じてくる

今回の入院に際しては、書棚から読んたのか読まなかったのか忘れている古い山岳書を3冊引き出して持ってきた

それにプラス、これもまた古い携帯ラジオも持ってきた

体調が良く、暇な時に持ち込んだ山岳書をおもしろく読んているが、それに増して、ラジオが暇つぶしにも心の安らぎにも大いに役立っていて、ラジオの持ち込みは大正解であった

私の手術はうまく行ったようだし、胃潰瘍特有の痛みは少しはあるものの、順調に回復してきているので、退院までの間、山岳書とラジオは役立ってくれるだろう

入院した24日から面会制限は緩み、1日、1人、15分の面会は許されるようになった

しかし、多くの見舞客は許されないので、静かにしてラジオを聞きながら過ごそう

流動食開始

 術後3日目の朝、医師の許可も出て朝食の流動食が提供された

内容は、お米ののりのような重湯と具のない味噌スープとスープ状になった豆腐と梅のエキスみたいな物が提供された

スプーンが付いてきたが、スプーンの出番がないようなものばかりで、食べるよりも飲むものばかりであるが、特に豆腐はおいしくいただいた

これほど食べてないと、夢に餃子が出てきた

術後、胃潰瘍特有な痛みがある

今朝、様子を見に来た担当医にこの痛みについて聞いてみた

おっしゃる通りで胃潰瘍の痛みが出るのは普通のことであるとのことである

この痛みはどの程度続くものなのかも聞いてみた

剥離程度によっても、患者によっても違いがあるが、退院頃には徐々に収まってくる方が多いとのことであった

私の場合は、剥離の大きさは中程度であったそうだ

剥離した部位は顕微鏡検査に回されていて、その結果は退院後の通院でお知らせすることができるそうである

その通院日には、入院前の検査時に見つかっている前立腺の塊について、泌尿器科に回ってもらうように予約を入れたとのことである

心配ごとは続く

老人とは、「叩けば埃が出る」身体なのだ!

昼食

ヨーグルトが増えた

かぼちゃのスープがおいしかった

夕食

最も貧相に見える食事

アイソカルゼリーなるもの初めて食べた

高カロリー食品で、全粥一杯分のカロリーがあるそうだ

医療用としても、老人介護食として使われているようだ

地震

 夜中の3時過ぎ、グラッ!ときた

地震である

入院している慣れない病室での地震であったので、チョット緊張した

左腕にはまだ点滴がつながっている

私の病室は南棟3Fにある

かなり古い病棟で、ナースステーションがある本棟とのつなぎには段差があり、点滴スタンドを引きづって歩くには苦労をする

私を病室に案内したナースは、「病院とは思えないバリアフリー」と口に出して言っていた

入院初日に、ベッドに寝ていて気づくことがあった

この病室内を人が歩くと、ベッドが揺れるのである

最初は地震かな?と思った

前述の通り、古い病棟なので3.11のマグニチュード9.0の大地震にも耐えたのであろうが、鉄筋コンクリートの建物の床が人が歩いただけで、人が感じるほどの揺れが生じるとは、耐震性に問題があるのではないかと考えていた

そんな考えの中での地震であったので、揺れた時には緊張が走った

私の病室は、6人部屋である

話しは交わしていないが、全員が胃がん患者である

病室のカーテンの仕切りの間隔が広く、大部屋の個人のスペースとしては広い感じである

やることもなく、天井を眺めていたら、カーテーレールの吊金具の天井の止め位置が変えられていることに気づいた

その吊金具のスパンや頭の位置方向の壁に取り付けられたコンセントや酸素口の位置などを確認すると、6人部屋としては不自然な造りとなっている

この病室は、元は8人部屋として使われていたと私は結論した

何年前であったか、その趣旨は私には全く理解できないでいるのだが、政府の方針として、「病人の看護の基本は家庭にある」として、病院のベッド数を減らす政策が進められた

その結果、病院は一人部屋を増やし、ベッド数の減少を図ってきた

今回、私が入った入院部屋もこの政策のもとに8人部屋を6人部屋に改造したのではないかと考える

日本のやることは、基本線がどこにあるのかわからないことをやるように感じている

例へば、先に述べた「病人の看護は家庭にある」との政策と、「子供の数を増やす」政策や「一億総活躍社会」の政策は、これと矛盾している

【追記】

病室でもうひとつ不思議に思うというか、以前の経験(w)と違うことがある

どのベッドのカーテンも全日を通じて完全に閉じられていることである

それは患者が閉じているというより、ナースや訪れた医師さえもが閉じて行く

私はカーテンが閉じられているのが嫌で開けておくのだが、私の様子を見に来るナース達は、私が開けてあるカーテンを閉めて帰ろうとする

私の何度かの入院の経験からすると、カーテンをこれほど完全に閉じている病室の経験はない

病室のドアーは常に開放されているのだから、医師やナースの立場からすれば、通りすがりにでも患者の様子が見えるようにカーテンは開けておいて欲しいと考えるのではないかと私は思うのだが、病院側の考え方はどうあるのか?、今は私の考え方とは違っているようだ

「その後」

その後、カーテンに注目していると、

どうも、看護師も医師もカーテンが開いている方が、具合が悪い感じのようだ

奥の患者を見に来た外科医などは、何で開けてんだ?!みたいな顔を私に向けて通り過ぎた

ナースなんかも「開けておくんですね?」とわざわざ聞いてから帰る

俺、暇だなぁ〜

「その後のその後」

カーテンを閉じることについては更に不思議が?

1日24時間を通じて患者のもとにナースは、定例であっても4度は来る

患者のもとに来ると、カーテンは閉まっているから声をかけてカーテンを開けて、器具やPCが乗ったカートを押して中に入る

ここからが変だ!

全てではないが、ナースは中には行ったら、カーテンを閉じる

これは変だよ

中に若いナースと爺さんが外から見えない空間にいることになる

変態ジジイもいるからこれはダメだよ

処置をしている時であればカーテンを閉じるのは納得できるが、体温測定とか血圧測定などの時は、カーテンは開けておくべきだと思うけどなぁ〜

2021年10月26日火曜日

入院中のくすり

 オメプラゾールは、制酸剤であるが、出血防止の効能がある薬で、注20mgとある通り、点滴チューブを経て注入される

今日まで使われていた薬で、「出血があるなら止めてくれ!」と心のなかで願った薬である

ESD手術が終わり、今日から次のタケキャブ錠に変わる

タケキャブ錠20mgは、この病院で再検査を始めた日から服用するようにとされた胃潰瘍の治療薬として使われる制酸剤である

ESD手術が終わり、今日からまた服用する薬となった

ESD手術後の胃は、時々、ぐうっと押し込まれる感じ(痛み)がある

タケキャブ錠が効いてくれることを期待している

【追記】

本日、お昼過ぎ頃から軽い頭痛と微熱が出るようになり、チョット心配になった

見回りに来た看護師に話してみた

術後、頭痛を訴えた患者は2〜3人いたとのことである

多分、少数派!

この手術で一番心配される合併症は、患部からの出血だそうで、止血部(の止め)が外れる例があるとのことである

その場合は、吐気や吐血があろそうである

少し眠ったのが良かったのか、夕方には発熱と頭痛は治まった

周期的な胃がぐうっと押されるような痛みが出るが、昨日手術したばかりで、人口潰瘍がある訳だからこの程度の痛みは出るのかもしれない

この痛みは、来る看護師に話してはいるのだが、それかなという回答はなかった

担当医に聞いてみたいと思っているのだが、手術翌日の朝にちょこっと顔を出しただけで、私のベッドには来ない

楽観的に考えれば、私はそれほど「軽い患者」なのかもしれない(2つの意味ではなく)

昨日に入院し、今日、ESD手術を行った私と同年代の男性患者が私の前のベッドに帰ってきたが、患部が大きく、手術時間も長かったとのことで、麻酔も覚めず、酸素吸入を受け、既に6時間以上が経過しているが、まだ大きないびきをかいて眠っている

私は入院から3日目だが、ESD手術を受ける方はとても多く、多くが高齢の男性である

この病院だけのことではないと思う

男は特に高齢になったら、胃がん検診は必須である

スキルスのことも早期がんのことも考えると、バリューム検査も(口からの)内視鏡検査も必要かと考える

面会

 新型コロナウイルス感染症拡大を受けて、今はどこもだと思うが、私が胃がん治療のために入院した病院も例外ではなく、面会は禁止であった

家内も病院で入ることができるのは、消化器内科のナースセンターまでで、病室にも談話室にも入れないし、私にも会えない

しかし、新型コロナウイルス感染症拡大も福島県も全国的にも収束してきてることを受けて、私の入院している病院でも面会規定が緩和されて、私が入院した10月25日から「面会禁止」が「面会制限」となった

全面解禁ではないが、「1日、1名、15分以内」、「面会時間は月〜土曜日の15時〜17時」と緩和された

今日も(大変だが)家内は、水を抱えて見舞いに来るそうだ

Matthew君にもsmoky君にも会いたいが、緩和規定の中に「1匹」はないのでだめだろう

ESD手術

 昨日、10月25日の11時、予定通りESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)を受けるため、3Fの病室から歩いて1Fの内視鏡室へ向かった

10月19日に受けた精査の時と同じく、内視鏡室の前の椅子に座り、小さな紙カップ一杯の胃の中をきれいにすると言われた液体を飲み、その後、喉の部分に麻酔をかける為に口を開けてスプレーを受ける

今回は19日の精査の時よりも念入りにスプレーをかけられた

内視鏡室に入ると直ぐにベッドに横になった

内視鏡室内には、内視鏡室の外から私を案内したナース1名と内視鏡室内の若いナースが1名、若い女性の助手が1名、執刀医(○○医師)1名の体制である

助手であることが直ぐ分かったのは、執刀医と同じ濃紺の手術着を着ていたからだが、彼女は医師ではない(消化器内科に女性の医師の登録はない)

彼女も看護師と思われる

こう言ってはいけないのかもしれないが、動作や発言を聞いていると「私はチョット違うのよ」といったオーラが漂っていた

私に話しかけることは一切なかった

19日の精査の時とは違い、内視鏡室内は、私のESD手術の準備が完全に終わっている状態ではなかった様であった

麻酔薬が点滴チューブを通して注入されたが、すぐには効いて来なかった

内視鏡室外の年配のナースと内視鏡室内にいた若いナースの2人で私の足と手を縛り始めた

両腕の間、両足の間、お腹と両腕の間、背中とベッドの間には大小様々なクッション入れて、身体も動かないように固定された

点滴は左腕につけたまま、身体には心電図につながる端子、その下の脇腹に電気を逃がすアースが貼り付けられ、左手薬指にパルスオキシメーター、右腕上腕に血圧計などが取り付けられた

私の前に立ち器具を点検している医師に、○○先生ですか?と声をかけた

○○です!と返事が帰ってきた

よろしくおねがいしますと言ったのか言わなかったのか、この辺りから記憶がなくなった

声をかけられて目が覚めた

その時には既にESD手術は終わっていた

私はまだ、内視鏡室内に居た

私は縛られていた状態から開放されつつあった

私は「1時間位かかりましたか?」と誰に質問するでもなく聞いていた

内視鏡室内担当のナースが、「内視鏡室に入ってから1時間、手術に2〜30分と応えてくれた」

自力で立ち、移動用のストレッチャーに自分で上がり、横になった

内視鏡室を出るストレッチャーの上から、私は、内視鏡室内にいる方たちに向けて、私はお礼の言葉を投げた

なんと返事が帰ってきたか忘れたが、内視鏡室内からも言葉が帰ってきた

内視鏡室から出ると家内が待っていた

私は動いているストレッチャーの上から家内に手を振った

私はそのまま3F消化器内科の自室のベッドへ戻った

自力で自分のベッドに移れるのだが、ナースからは寝ていてくださいと言われた

スライダーを使って、ナースが3人がかりで、ストレッチャーからベッドへ私をスライドさせた

この時からベッドで横になっているしかない、身体も起こしてもいけない状態に入った

トイレにも行けないし、水を飲むのも禁止である

ナースから家内は帰ったと知らされた

家内は、執刀医から、摘出したがんの部位を見せられ、手術の状態も話があったと思う

家内は私が注射を受けるのも見れない方なので、摘出部位を見るのは辛かったと思う

あとから家内から話を聞いてホッとしたのは、このESD手術のことではなく、もう一ヶ所、19日の精査の時に採取したがんではないかと疑いがあった咽頭部の生検の結果であった

家内は、内視鏡室内から出てきた執刀医から「悪いものは見つからなかった」との回答を得ていた

後、私はベッドの上で「じっと我慢の子」で過ごし、順調に入院計画表の通りに退院したい

手術時の穿孔はなかったので、後は出血がないことを願う

「備考」

写真は着けっぱなしの点滴のひとつ

このソルデム3Aは維持薬で、水を飲んでいない私に水分を補給してくれている

もうひとつの併用の点滴はソルアセトF

細胞外液の補給とある

【追記】

10月26日9時30分

心電図モニター端子が身体から外され、送信機も外された

圧力ソックスも外された

身体を起こすことも許可となり、水も普通に飲んで良いことになった

胃潰瘍の制酸薬も再び飲むことになった

尿瓶からも開放され、トイレにも行ってきた

一旦、点滴チューブを途中で外してもらい、病院パジャマからTシャツとジャージーパンツへと着替えた

この先、順調に行けば、入院計画表を見ても何もやることはない

明日からか、食事も三分粥から始まる

退院日の30日までは、やることがなく相当に暇になるだろう

山岳書を3冊持ってきたのでこれでも読んでいよう

コーヒーが飲めないのが悲しい!

2021年10月25日月曜日

投薬

 明日の起床時間前の早朝、血液検査があるとの案内が来た

4時〜5時ころとある

多分、採血に来るということだろうと思うが

何でか、早すぎる気もする

食事は勿論、水も今朝6時から飲んでないのだから、採血なら6時〜でもいいような気がする

4時〜5時ごろとあれば、患者の私は寝ていると思うが、寝ている患者を起こしてまで採血するのは何故だろう

置いて行った薬を見ると、明日の26日朝の分から処方されている

良く捉えたらよいのか?!、悪く捉えたらよいのか?!

良く捉えるとして、早朝に採血、朝早く検査し結果を出し、その血液検査結果が良ければ、明日の朝から薬を飲まそう!と考えたのかもしれない

処方された薬は、錠剤に表示されている小さ過ぎる文字は、ルーペでもないと読めないが、(おそらく)患者には「おくすり」か、言っても「胃潰瘍の薬」と説明する薬てある

薬の機能からいえば「制酸薬」である

p.s.

ESD手術を終えてから6時間が経過した

気分が悪いといったことはないし、胃以外に痛いところはない

胃は、「少し痛い」と言ってもよいのだが、痛いといった感じよりも、何かこの痛みは経験がある感じがしていた

思い出した!30歳少し前だった

厳しい冬山合宿のリーダーから開放された後、胃潰瘍を患った

疾患箇所は、今回胃がんが見つかった同じ胃角付近であった

その胃潰瘍の痛みに似ている

お腹が空くと痛くなる!その痛みによく似ている

今回は手術で大きな胃潰瘍、人口潰瘍を作ってしまったのだからと理解することができるし、仕方がないことなのだ

仕方がないことは仕方がない!

他にも気になっていることがある

10月19日の内視鏡検査による「精査」で、この胃がんとは別なところに早期がんが見つかっている

肉眼的分類では、0-Ⅱaとなる早期の咽頭がんである

19日に生検となった部位の理学検査の結果を、今日ESD手術に立ち会った家内が、ESD執刀医に聞いてくれた

悪いものは見つからなかったそうである

ホッとした!

尿瓶

 明日の医師の判断が出るまでは、ベッドから身体を起こしてもならない絶対安静である

水も食事も取れない

水分も朝6時から一滴も飲んでいないが、小水は出る

点滴を受けているからか?!

絶対安静では、トイレにも行けないので、小水は尿瓶対応となった

膀胱へチューブを入れる処置を受けることもできるが、私はこれはイヤで尿瓶対応とした

6年前の右肩の腱板接合手術の時は全身麻酔で、ベッドで目覚めた時は尿道にチューブが入っていた

看護師は反対したが、私は担当医の許可を得て、チューブを外してもらい、尿瓶対応とした

だから、今回、尿瓶使いは慣れている(w)

尿が入っていた方が、インスタ映えするとも思ったが止めにしておいた

ESD終了

 ESDによる胃がんの疾患部の剥離を終え、30分ほど前に病室のベッドに戻ってきた

内視鏡室には1時間ほど、手術は30分ほどだったようだ

手術は上手くいったようだ

術後、執刀医から家内には、切り取った胃がん疾患部位を見せたそうだ

家内は、こういうのは苦手なんで、見るのは辛かっと思う

私なら写真に収めるが!

ベッドに戻り、手首近くに指した点滴の針は、もう少し上に刺し直してもらった

これなら休む時も痛くなく安心である

この点滴は28日にならないと外されない

麻酔が残っているのが、眠くなってきた

ラジオ聞きながら、少し眠ることにする

点滴が始まった

 今日、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)となる

その準備、術後のこともあり、点滴が始まった

左腕に指す点滴針の位置をナースは探したが、血管を見てけ出せず、手首の上に針を指し、固定した

しかし、手首が近いので手を少し動かしても針が刺さったところが痛い

針の位置は変えてもらいたい

3日ほど24時間針は刺さったままなので、痛みが出ないところに変えてもらいたい

【追記】

点滴は始まったのだが、やっと10時になって、本日行うESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)の時刻の案内が来た

午後の2時からだそうだ

昨日は、今日の9時-10時の朝一番になるだろうと言われていたので、今日のESDに立ち会う家内は、朝早く出て(会ってないが)病院に到着している

家から病院に来るには、車で1時間の距離があり、朝はMatthewの散歩も必要だっただろうから、忙しかっただろう

ESDが伸びて午後2時になったので、家内は家に戻ることもできず、病院外のどこかで時間をつぶしているだろう

時間つぶしは上手い方なので、心配はしていない

2021年10月24日日曜日

病院食

 久しぶりの病院食(w)

右肩腱板断裂の接合手術での入院以来であるから、6年ぶり位にはなるだろう

6時過ぎに夕食が出た

とても少ない!

「低残」と書かれている???

ごはんもおかずもおいしい!

汁物がないのがチョット残念ではある

手術が上手くいって1週間、普通の食事は家に帰るまで取れない

味わって食べた!

p.s.

低残とは:低残渣食(ていざんさしょく)のことで、消化管への負担を軽減させるため、消化しにくい食物繊維の少ない食事だそうだ

【追記】

消化器内科の病棟は以外と騒がしい

ピンポン・ピンポンはしょっちゅう鳴っているし、優しげなメロディのナースコールもしょっちゅう鳴っている

ピロロ・ピロロはなんの音だろう

プップとか、ツルルとか鳴っている連続音は何だろう?

職員の話し声はかなり通るし、かなり響く

エアコンの音は特にうるさい

私の経験が多い整形外科(w)は、患者はうるさいが、色々な音は鳴らなかったと思う

入院計画

 順調に行けば、30日(土曜日)、全粥になった段階で退院となる

大きなステップで言えば、

今日24日(日):完全フリー

明日25日(月):朝から点滴開始、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)実施、完全安静(身体を起こすことも禁止)、トイレにも行けない、飲食禁止

26日(火):様子を見て歩行可となる、医師の判断により水分摂取開始

27日(水):食事は流動食

28日(木):点滴終了、食事は3分粥、シャワー解禁

29日(金):食事は5分粥

30日(土):食事は全粥、退院

順調な場合の入院計画なので、こうなってほしいね

入院した

 先ほど家内の付き添いで消化器内科に入院した

新型コロナウイルス感染症拡大で、病院は全面面会謝絶であったが、感染拡大が落ち着いてきたということもあって、明日から県内在住者に限り、1日、1人、1回、15分の面会が許されるようになった

面会は、基本的には消化器内科のホールであるが、安静中でベッドから動けない間は、病室内のベッド脇で明日から面会することができるようになった

術後3日間、寝ている間も点滴はつけ放しだし、ESD当日は、身体を起こすこと自体がだめだそうで、小水はチューブ対応か尿瓶対応になるそうだ

今日の入院日はフリーなので、消化器内科ホールに置かれたTVで、ZOZOチャンピオンシップを観戦している

16番、松山がショットを放った瞬間、クラブを離したのでドキッとしたが、グリーンには乗っていた

【追記】

パーファイブ、5Wでツーオンし、今、18番グリーンに上がってきた

勝ちは確実となった

引き連れてきた5,000人のギャラリーが段になって待っている

気持ちいいだろうな

見事!最後をイーグルで上がった

松山英樹がZOZOチャンピオンシップを2位とは5打差でブッチギリの優勝をもぎ取った

日向ボッコ

 仲は良い

あんちゃん遊ぼうよと追いかけ回すしつこいMatthewに対して、いやがるsmokyということはある

入院見舞い

 今日、胃がん治療のため入院となる

昨日の夕方、Matthewと散歩から帰って来ると、我が家に軽トラが入っていた

ゴル友でもある友人が、「入院見舞い」で、里芋と貴重な乾燥イノハナを届けてくれた

とてもうれしい!

ありがとう

がんばります

2021年10月23日土曜日

ガソリン高騰

福島民友より
 田舎において、ガソリン価格の上昇は、家計を直撃する

田舎においては、食料品を買いに行くにも、病院に行くにも、何をするにも、車を使うことが多い

車を使うしか移動手段はないといってもいいくらいである

バスの路線は廃止が続き、走っていても一日に朝夕の2本というところもあり、これではどうしょうもない

歳をとったら「都会暮らし」と考える人の論理はこんなところにもある

10月も下旬に入り、暖房に灯油も使うようになる

原油が上がれば、ガソリンの高騰だけではなく、灯油の価格も上昇し、ますます家計を圧迫する

ガソリンと灯油の高騰に対する我が家の対抗手段は地域振興券の活用である

今年もひとり5万円までの地域振興券を、私も家内も最大限の5万円を購入した

5,000円で買える7,000円分の地域振興券ワンセットの構成は、市全体で使える食事券が2,000円分、市全体で使える商品券が2,000円分、当該町のみで使える商品券が3,000円分となっている

当該町のみで使える商品券の比率が高い構成となっている

私達は、まずはこの当該町のみで使える商品券を「ガソリンと灯油」の購入に当てている

いま、福島県のガソリン価格は、今月の18日現在で、1リットルあたり164.8円である

今日現在では更に上がり、168円くらいにはなっている

私達は、地域振興券を活用することによって、1リットルあたり168円の価値があるガソリンを118円で購入する

地域振興券がなくなるまで、1月末の使用期限まで!

不思議なことに、今年はこの地域振興券が売れ残ったとのことである

追加販売があったので、買っておけば良かったと、今、思っている

昨日は、入院する前にとゴルフに行ってきたが、一昨日は、入院する前にと市内のイタリアンレストランに行き、家内は反対したが、私はペペロンチーノをおいしく食べた

勿論、地域振興券の食事券は活用した!

そんなバカをやっているのも今日限りで、今日は明日に迫った入院の仕度をしよう

愛車軽バンの自動車保険の期限が迫っているので、今年は色々な保険会社の検討は止めにして、今日中に継続で契約しよう

薪は充分にある

薪小屋から1日分30kgの薪を家内が運ぶのは大変だろうが、暖かく過ごすには必要な量である

薪はネコ2台に積める最大量は家脇に運んでおいた

焚付用の細かな木も多く用意した

薪ストーブの代用に、今年の春に購入した対流式の大きな灯油ストーブも、リビングルームに夏を通して出しっぱなし(w)であるので、薪に困ったらこれを使ってもらうこともできる

灯油は60リットルを用意した

灯油ポンプは、漏れのないものを用意した

入院までにほかに何かやっておくことはあるかなぁ・・・

まぁ、家内は気丈だから大丈夫だろう

地域に友達も多い!

2021年10月22日金曜日

入院前ゴルフ

 24日に入院し、25日に胃がんのESD治療を受けると、その治療が一番うまくいったとしても、最低で1週間の入院、2週間の自宅療養となり、ゴルフは当分できないことになると思われる

できなくなる前にと思い、チョット強引にゴル友を誘って、本日、棚倉田舎倶楽部に行ってきた

ニュードライバー「シムグローレ」はどうも私は使い切れず、当たれば今までのツアーステージViQ2016年モデルよりも飛ぶのだが、引っかけショットが今日もよく出て、OBは3度叩いた

半面、大きくスライスすることはない

棚倉田舎倶楽部は、21日から本日まで、中学生と高校生のゴルフ東北大会が開催されていた

本日は、高校生の試合が開催されていて、東コースと西コースがこの東北大会に使われていて、我々ゴルファーは中コースを2度回ることになった

2度回っても、2度目のスコアが向上するということはなかった(w)

いつもはないグリーンのティーマークが、レギュラーの白と、バックの青の間に設置されていた

多分、中学生のティグラウンドになっていたのではないかと思われたが、東北高等学校・中学校ゴルフ連盟のHPに載ったコース設定を確認してみたが、どうも違うようである

いつもはない、このグリーンのティマークは何なのか分からなかった

中学、高校の東北大会のコース設定は次の通りになっていた

□中学、高校男子:7127yards Par72 (これは青のバックティのヤード設定である)

□中学、高校女子:6211yards Par72 (白ティの6549yardsでもなく、Front/Lady's Teeの6080yardsでもない、よくわからないヤード設定であった)

東北高等学校・中学校ゴルフ連盟のHPに載っていた個人の部の成績(スコア)は、

□高校男子の部 優勝者(山形 日大山形高校):1日目77、2日目73、Total150

□高校女子の部 優勝者(宮城 東北高校):1日目71、2日目72、Total143

□中学校男子の部 優勝者(宮城 ウルスラ中学校):77(38-39)

□中学校女子の部 優勝者(山形 山大付中学校):76(40-36)

【追記】

棚倉田舎倶楽部では、前の組で、ゴル友の○○さんがラウンドしていた

オゥ、久しぶりと挨拶を交わした

今年の春だっか、湯本スプリングスCCで私の同伴者の友人が失くしたiPhoneを、やはりゴル友の□□さんが見つけて私に連絡をしてくれた

昨日のゴルフの私の同伴者から、viviさん「顔が広いね!」と評された

温度差

 遊びに来いよ!遊びに行くよ!と、

気軽に話す友人、知人がいる

2年前ならそれは嬉しいことであった

田舎暮らしを長く続け、私達も相当に田舎人になった

コロナ禍、都市部と田舎とでは、新型コロナウイルス感染症に対する、危機感はまったく違うと感じている

首都圏ではそんな対応はしていないと聞く

それは病院の対応である

緊急事態宣言が解除された今もそれは変わらない

病院受付で体温測定とか手の消毒を求められるのは、首都圏の病院でも同じと思うが、こちら福島県の病気では、県外に移動したか?県外の人と接触したか?と問われたり、チェックシートに記名提出も求めるところもある

私は、2年以上も県外には出ていないし、県外の人に接触もしていない

もし、県外に出たり、県外の人に接触していたとしたらどうなるのかと、病院の受付で聞いてみた

自己負担で、PCR検査を受けてもらうことになるそうだ

もし、陽性となったらどうなる?

貴方も、いま受付で待っている多くの患者や付き添い人の方は、私の濃厚接触者になるのではないかと問いかけてみたら、困っていた

この様に矛盾もあるのだが、福島県内の病院はとても慎重でクラスターの発生をとても怖がっている

私は明後日の24日(日曜日)に入院をする

それに先立ち、PCR検査を受けた

連絡は来ないので、陰性であったのだろう

入院時の付き添いもESD治療時の立ち会いも、県内在住者一人に限ると厳しいものである

私は勿論、付き添い者も立ち会い者も入院当日、治療時当日まで県外の人とは会ってはならないとまで言われ、クギをさされた

2021年10月21日木曜日

カフェインレスコーヒー

 それほど頻繁に飲む方ではないが、朝一杯のコーヒーは、私にとっては大変に貴重な存在である

胃がんの内視鏡による剥離を受けると、しばらくの間はコーヒーは禁止だそうで、その話を家内にしたら、カフェインレスのコーヒーがあるとのことであった

調べてみたらあったよ!

ドリップ式もコーヒー豆もあるけれど、人気も高い、カフェインレスのインスタントコーヒーで良しとして早速注文をした

幸い、15%オフのクーポンも適用された

このところ、通風発作で2階の自室にも上げれずにいたので、衣替えができていない

明日の天気予報からすると、明日は特に寒く、冬のような天気になりそうだ

明日のゴルフに備えても、24日と入院も近づいているので、痛くなくなった足で自室に上がり、午後には衣替えを行うことにしよう

冬が近づくとなると、チョット憂鬱な気分になる

冬の間はどこか暖かなところに住み替えができれば良いのだが、家内に言わせると、そんな経済的な余裕もパワーもないそうだ

家内の作品

 こんなにも大きくなるんだと驚いた

家内が作った立派なサツマイモだ!

測ってみたら長さはちょうど30cmあった

これは友人から余った苗をもらったので、植えてみたとのことだ

いも料理は胃に優しいのかな?

内視鏡による胃の治療を終えたら、当分の間はコーヒーは禁止だそうだ

コーヒーに対するこだわりはそれほどない私だが、飲めないとなると、かなり辛くなりそうだ

「追記」

豊作

家内、1つの苗から5つは採れると言っていた

「追記」

家内は畑から掘ってきたサツマイモを水できれいに洗った

だが、サツマイモは洗ってだめ、水に濡らしてはだめなんだそうだ

家内はそれを聞いて、サツマイモは、薪ストーブの前に並べられて、乾かされている

2021年10月20日水曜日

早期胃がん(0型)の肉眼的分類

東京歯科大学病院のHPから
 現時点での私のがんは、胃の胃角部付近と下咽頭部にある

8月10日の健康診査での内視鏡検査から始まる、これまでの肉眼的観察では、早期がんとみられている

これであれば、このままで済めば、不幸中の幸いといえるだろう

医師は、「切り取って病理検査にまわしてみないと、断定的なことは言えない」と、勿論、慎重な話はする

また、ESD手技のリスクや合併症の危険も話して聞かせてくれた

ESDで最も恐れられている合併症は穿孔と出血であるそうだ

低リスクであるが、考えられる合併症であるとのことだ

私は私でできることは何でも自分でやらないと気が済まない方であるが、こればかりは私が内視鏡をのぞいて切り取ったりはできない

「まな板の鯛」でいるしかないのである

私は鯛の素質はなく「サバかアジ」くらいだろうから、まな板の上でバタバタするだろう

早期がんについては、わかりやすい分類や表があるので素人にもわかりやすい

私の胃角付近にあるがんは、肉眼的分類では0-Ⅱc (表面陥凹型)、下咽頭部のがんは0-Ⅱa (表面隆起型)と分類される

いずれも、0(ゼロ)と分類される「がんが粘膜下層までにとどまる」早期がんである


10月の今夜の満月は「ハンターズムーン」と呼ばれているそうだ

夜、寝る前には、愛犬Matthewのオシッコさせに外に出る

今夜は懐中電灯は必要なく明るい!

ZAMST EK-5

 長く愛用しているザムストのEK-5という膝サポーターをもうひとつ、ラクマを使って入手した

殆ど使用されていない新品に近いものを、送料込みで3,000円で購入した

実際にはラクマポイントなども活用したので、2,400円ほどで入手できた

何故この様なガッチリとした膝サポーターが2枚も必要なのか?!

私の加齢による変形性膝関節症は、右膝に始まり、今回、左膝に及んだ

スポーツというよりかは、まだまだ自宅の田舎暮らしに課題が残っている

土木作業とか、庭の大木化した木の剪定作業といった重労働には、今後は膝をプロテクトしてかかる必要があると感じている

もう膝から水を抜くのも、ヒアルロン酸を打つのもやりたくない

精査

 昨日、胃がんの状態を詳しく調べるため、入院してESD治療に備えるために、意識下麻酔による内視鏡検査を受けてきた

胃がんの部位は、8月10日の健康診査で顕在化した患部の画像よりも、より鮮明に映し出された

胃角部付近にある胃がんは、検査担当医師の所見によれば次の通りである

*部位:角部 小彎、前庭部 小彎

*質的診断:早期胃癌 肉眼型:0‐Ⅱc (表面陥凹型)

*大きさ・周在性:内視鏡的直径(最大) 20mm

*処置:生検...2,3,4 周囲陰性生検施行

私は、昨夜、内視鏡検査担当医師のこの専門的すぎる、この所見はすべて(調べて)理解するに至った

何故だか、検査後の診察で、検査担当医師の、患者にとってはとても重要な、この所見に対して、担当医から説明されることはなかった

私は、昨日、担当医からモノクロ映像ではあるが、この映像データをハードコピーで入手した

担当医は、私のこの要求に対して、「チョット意外!」といった顔を見せた

自宅に戻ってから気づいたことであるが、この画像データには、前述の通り、担当医が説明しなかった重要な内容が記載されていた

そう感じたのは、前述の胃角部分に存在する直径20mmの胃がんのことではない

検査担当医師は、私の下咽頭部に存在する「怪しすぎる部位」を発見している

これについて、検査担当医師の所見には次の通りの記載があった

*部位:下咽頭 右輪状後部

*質的診断:咽頭癌 肉眼型:0‐Ⅱa (表面l隆起型)

*処置:生検...1

しかし、検査担当医師がこの正式な検査データの所見で述べている「咽頭癌」について、担当医は、咽頭にコブ状のものがあり、生検との説明はあっものの、検査担当医師が述べている部位とか、咽頭癌と記されている質的診断とかの説明はしてくれなかったのである

繰り返し言うが、医師に要求してはじめて得た検査データを持ち帰り、家で詳しく見たら、「恐ろしいような」ことが書かれていると感じたのである

「0‐Ⅱa」とは何か?何を示しているのか?検査担当医師は何を言っているのか?

調べた結果、0(ゼロ)は、表在癌を表し、癌の壁深達度が肉眼的に粘膜下層までと推定される病変を示している

また、Ⅱaは、癌の進行度(ステージ)を表しているのではなく、肉眼で見た時の表在癌の形状を表しているだけだと、家内と額を突き合わせて調べた結果、知るに至り、安心したが、検査担当医師の診断にはハッキリと、表在癌であって「咽頭癌」と記載されている

これを何故?、私の担当医は、私に、家内に、説明しなかったのか?、誠に疑問である

よく捉えれば、生検の結果を待ってから知らせてもよいと考えたのかもしれないが、この説明はして欲しかったと思うのである

昔は、医師だけの責任ではないが、患者に患者自身の情報がうまく提供されなかった様に思う

今では信じられないことだが、がんなどの重い病は本人に知られないような努力さえされていた

今回の診察ではないが、医者は患者の身体に触ろうとしないし、パソコン画面とキーボードに向かったままで、患者の不安な、または喜びの、何か言いたいのかな、といった表情も読み取ろうとはしないケースも感じている

患者の情報のデータベース化は、患者の状態を共有できて良いのだが、患者も共有対象に含めなければならないと思うが、忘れてはいないかと心配になる

患者が診察室に入ってきた段階で、届いてる検査データを初めて開け、その検査データを読み解き、わかりやすくもロジカルに説明することがうまくできていないようにも感じる

もっと単純な例では、前回検査した結果を患者に説明することを医師が忘れているケースもある

病に打ち勝つためには、医師をはじめとする医療関係者と共に患者側の努力も必要であり大切である

わかないことは質問する努力である

多くにおいて、質問レベルに応じた回答が返ってくる

「大丈夫ですかね?」と問えば「大丈夫、心配ないよ!」と返ってくる

「この数値はどう解釈すればよいのか?」と問えば「○.○○の数値は、何々が心配される何々とか」といった返事が帰ってくる

私は、当初の予定通りに、24日に入院し、25日に胃角部の胃がんのESD治療を受ける

チョット難しいといわれている「癌部を粘膜下層を限界に薄く剥ぎ取るESD」を、誰が行うのかはとても気になる

担当医に訊ねたたところ、私を担当するESD手技は「今日、内視鏡を担当した〇〇ドクターが担当する」との話を得た

少し安心した!!

〇〇ドクターは、昨日の精査を含めて2回、既に私の胃の中を覗いている

2021年10月18日月曜日

8時から絶食

 明日は病院で胃の精査となる

今夜8時からは何も食べてはならない

だが、つい忘れてしまいがちで、先ほどミカンに手が伸びてしまった

オッと、食べられない!

わたし、胃がんのことも、そもそも胃のことも良くわかってなく、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)もネットでパラパラ見ただけで、頭の中はチットも整理はついていない

今日は、胃がんの学習をしてみて、それをWordを使ってまとめてみた

整理はできた

8ページになった

胃そのものの理解から始め、胃がんの理解、胃がんのクラスと進行度の理解、内視鏡治療の理解、ESD手技の理解、使われる薬、ESDのリスク、入院計画、術後の管理などが整理でき、安心も不安も理解することができた

明日は麻酔をかけて、内視鏡を使っての精査になることはわかっているが、何をやるのか、麻酔は「意識下麻酔」になるのか「全麻」になるのかなどが気になる

ESD手技はどの部屋で行うのか?とか、術後、どのくらいの期間を安静にしていれば、ゴルフに行けるのか?などが気になる

痛風発作は、急激に悪くなったが、急激に良くなって、今日は走ることも可能となった

ESD治療を受けたら、ゴルフは当分できないかもしれないと考えたら、落ち着かなくなってしまい、今日は強引に仲間を誘って、入院前の22日(金)にゴルフに行く計画を立てた

2021年10月17日日曜日

寒い一日

 今日は寒い一日となった

午後5時現在で8℃しかなく、とても寒い

この秋に入って初めて、一日を通して薪ストーブを焚き続ける日となった

暖かくして、日本オープンゴルフ選手権競技を朝の「とことん1番ホール」から始め、午後のNHKの放送を楽しんだ

ちょうど(w)通風の痛みが取り切れていないので、こんなことしかできないと言うのが本当のところだ

日本オープンゴルフ選手権競技は、ショーン・ノリスのぶっちぎりの優勝で幕を閉じた

終わってみれば、尾崎将司の18アンダーを超える19アンダーの記録も更新した

観ていて、ショーン・ノリスの堅実なゴルフには感心させられた

まずは、ファーストパットの正確性があげられる

殆どがセカンドパットOKの所まで近づける

チャンスが来ればバーディーを奪う

無理をしてまでしてピンは狙わない

寄せは、転がしてホールに近づける

時によっては、外からもパターを使って寄せる

これら全ては、アマチュアが学ぶ点でもあると感じた次第である

痛風発作発症から10日目

 昨夜は、痛風発作から9日目にして自室に上がり、ベッドで横になり休むことができた

不安もなく、ぐっすりと休むことができた

一昨日に再発した痛風発作は、なんとか一晩で治まったようで、昨日から本日にかけては強い痛みが生じることもなく、室内の平らな所では普通に歩ける状態にまで回復した

階段は、登りに痛むことはなくなったが、下りは右足体重で左足を下ろすことができず、一歩ずつ足を揃えて降りることにはなっている

右足足首の状態は、腫れ(むくみ)がまだとれず、「外側くるぶし~アキレス腱~内側くるぶし」にかけて、腫れている状態のままである

内側くるぶしとアキレス腱は指で押しても、さほど痛いとは感じないが、外側のくるぶしは、くるぶし下を押すとまだかなり痛い

この腫れが引いてこないと、完治とはいえず、痛みも完全には取り切れないのではないかと思う

昨日から庭に出て、ゴルフの素振りも痛みを感じることなくできるようになったし、廊下に敷いた絨毯の上でのパッテングの練習も再開した

ラウンドに出ても回れそうな気になっているが、この腫れが引くまでは我慢しなければならないと思っている

更には、入院も控えているので、ラウンド再開はチョット先になる

2021年10月16日土曜日

電気圧力鍋

 家内が「いい物を上げる」と言われてでかけて行った

しばらくすると、新品の電気圧力鍋を抱えて帰ってきた

お礼に、仕入れた農家ご自宅用の新米を精米して待っていったそうだ

何かで当たった賞品だそうだ

その方は一人暮らしで、この電気圧力鍋は大きく、一人用の電気圧力鍋は、既に持っていて使っているそうだ

取説を読んでみたところ、ごはんも炊けるとある

実は我が家、電気釜が壊れて以来、ごはんは鍋で炊いている

とは言っても、ごはん炊き用の鍋ではある

今日、早速この電気圧力鍋でごはんを炊いてみた

2合が一番少ない量なので、2合を炊いた

洗った米は置かないで直ぐに電気圧力鍋に入れて炊いて良いとの説明である

自動炊きである

当たり前か?!

米は洗ってすぐ入れて良いのでその分なのか、炊きあがるまで1時間以上かかっそうである

圧力鍋なのだが、ごはんは圧力をかけずに炊く使い方になる

新米は使わなかったそうだ

新米は、新米自体が美味しいので、この電気圧力鍋の炊き上がりの評価はできないというのが家内の意見である

なるほど、納得!

食べた!

家内は、おいしい!と言う

私もおいしいと思った

おいしいをどう表現をしたら良いかわからないが、おいしいのは確かだ

自宅で電気で炊いたごはんを食べたのは、私の記憶によれば5年か6年ぶり位になるだろう(w)

2021年10月15日金曜日

再び痛く

 2年前の通風発作の時も1週間後に痛みが再発している

今夜、寝てから急に痛みが強くなってしまった

右足はどこに置いても痛く、眠れない

再発したようだ

腫れが残っているのに散歩を再開したのが良くなかったのかもしれない

ロキソニンテープを貼ってしばらく様子を見たが、痛みは止まらない

アイスバッグに氷を詰めて、幹部に当ててアイシングを再開した

冷えてくると痛みは和らいでくる

ロキソニンテープより、鎮痛消炎剤より、やはりこのアイスバッグによるアイシングが痛みに対しては最も効果的である

それでも、横になると足の置き方によっては痛みが走る

今夜も膝を立てて寝るしかないようだ

氷は直ぐに溶けるので、頻繁に交換する必要がある

【追記】

3時45分、まったく眠れず、アイスバッグに4度目の氷を交換した後、座薬の鎮痛消炎剤を使った

これで眠れると助かるのだが!

【追記】

4時過ぎくらいだろう、座薬が効いて眠れたようだ

外が明るくなっているのに気づかずに寝ていた

【追記】

今朝、昨夜襲って来た通風の強い発作は治まった

昨夜のことはいったいなんであったのか?という感じである

再発は昨夜だけにしてもらいたい

「通風発作の発症は夜!」と言われているようだ

何故そうなるかはわからないが、それは正しいと思う

散歩

 今日も青空が広がり、爽やかな良い天気となった

この天気に誘われたということもあるが、勇気を出して愛犬Matthewと城址公園へ向けて散歩に出た

足はまだ腫れが残っていることもあって、痛い!

通風を発作した右足を踏み出す時に痛みは出ない

左足を踏み出す時に、右足にズキンと痛みが走る

要するに、右足に体重が乗った時に痛い訳である

左足を踏み出す前に、痛い右足の脇に杖をついて体重を分散すると痛みが出ることは少なくなる

また、左足は大きく踏み出さなければ右足に痛みが出ることは少ない

逆に、痛い右足は大きく踏み出しても、左足体重なら右足に痛みが出ることは少ない

今日の散歩は、いつもの半分の距離も歩かずに、無理はせずに(無理はできずに)帰って来た

しかし、歩数は伸びて、いつもの距離を歩いた程になったようだ

杖の補助が無いとまだ歩くことはできない

この杖、昔々、息子が中学2年生の時、家族で行ったスペイン旅行で買ってきた物である

この杖は、2年前の通風発作の時も、変形性膝関節症を患った時も、そして今回の通風発作時にも役立っている

若い時に、いつかはこうなると、考えていたのかもしれない

散歩から帰ってきてから、実際にどこが痛いのか、どの様な状態になると痛みが出るのかを確認してみた

痛い所を確認してみると、「外側踝の下の前方〜後ろのアキレス腱のくぼみ」にかけて痛いとわかった

ここは、指で軽く押しても痛いとわかる箇所である

痛みが出る状態は、前述の通り、右足に体重が乗ると痛みが出る訳だが、椅子に座った状態から立つ時にも痛みが出る

なぜかを検証してみた

踵が浮き、つま先が床についた状態で、踵が床につく瞬間に痛みが出る

椅子に座ったまま、踵を少し上げ、つま先を床についた状態から、踵を床につく(降ろす)と、それだけで痛みが出ることがわかった

そのことを理解すると、健康体なら椅子から立ち上がる際は、足裏は全体でついて、手の補助はあっても緩く、楽に立ち上がることはできるが、足が痛いと肘掛けとか脇のテーブルとか、椅子の座に手をついて立ち上がろうとする

すると、前述の検証通りに、足は踵が少し浮き、つま先が床についた状態で「よいしょ!」と立ち上がる

この瞬間に痛みが走ることがわかったので、よいしょ立ちの時にも、踵はついたままで立ち上がるようにと学習した

ソファーに沈んだままの長い生活に飽きているのだが、痛みがあってはまだどうにもならない

発症から8日、足首の腫れも徐々に引いてきているし、日常生活に戻れるのももう少しの我慢だろうが、日頃からプリン体を避ける食事に注意し、運動も人並み以上に続け、医者の処方に基づく尿酸降下薬を服用していても発症する通風発作はどうすれば良いのだろう???と思っているところである

ナツハゼジャム

 昨日、友人からいただいたナツハゼは、家内が昨夜、早速ジャムに加工した

今朝、そのナツハゼジャムを早速いただいた

いただいたナツハゼは、完熟気味であったので、フルーティー感は弱いとの家内の評価であるが、何とも表現のしようがない酸味と甘さ、香りが絡まっておいしかった