2012年9月15日土曜日

気づくべきであった

先にも書いたとおり私は環境保全・管理の仕事を10年余続けてきた
半期に一度、世界に展開している事業所、工場から排出されるCO2のデータを集めていた
私は何故、ひとつのデータに注目をし、少し深く考え、そのデータを追っていかなかったのか
気づいていたはずだ
フランスの工場のCO2の排出はなぜいつもゼロなのか

4年間信頼性管理の仕事をしてきた
event treeやFTAの手法も学び、普及し、指導もしてきた
なのにラムッセン報告を知らない

話しを変えて
私の母は広島生まれである
昭和20年8月6日当日、母は広島にはいなかった
祖父母、叔父、叔母は広島に住んでいた
身内は幸いにして直接被ばくにて亡くなった人はいないが被ばくの傷跡は残されている
私は幼少期を広島で過ごしたし、12歳の時には原爆ドームも見ている
終戦記念日には黙祷もしたが、原爆について特別の関心も抱かず過ごしてきた

私の仕事を高く評価してくれる人も多くいた
しかし、今考えるに、私の仕事の輪は小さかったようだ
専門という輪のその先のもう一つの輪に目が向いていなかった思いである
目標を見つけると周りに目を向けない猪突猛進型が私の特性であるようだ
組織にとってこの特性を持った人間は使いやすかったであろうとの思いに今は至っている

前述に三つの切り口を示した
気づいたはずなのだ
もう少し、もう少し視野を広げてさえいれば
私の生き方さえも変えたかもしれない
核の恐ろしさに行き着いてさえいれば

私にも責任がある

2012年9月10日月曜日

原子力発電とは

会社では約10年環境の仕事をしてきた
原子力発電のうさん臭さは何とはなしに感じていた

原子力推進派と原子力反対派
3.11以前に発行された書籍を中心に両者の出版物を14冊選び読み込んでいる
歴史的背景も自分なりに整理し保持しておく必要も感じ、幕末から昭和史までも併読している

右の岩波新書(青版)「原子力発電」(編者 武谷三男)はAmzonから310円で購入した
発行 1976年2月20日
もっと早く出合うべき本であった
編者 武谷三男氏のあとがきは次の文章で終わっている
「原子力発電のような重大な心配のある問題に対して国民の冷静な目をやしなう一助になればと願うのである」

2012年9月5日水曜日

原発被災者の救済

逃げたくても逃げられない人
どう救うか


帰りたくても帰れない人
どう救うか


その中間は
我々だな
良くはないけどここがいい


一家族、一人ひとり
違う
一人ひとりに対応していたら
制度ではない
だから
どこかで切り捨てる
どこで切り捨てるのか
わざと決めないでいる


人の痛みの半減期はどれほどか

2012年9月4日火曜日

卓球の日

卓球の日といっても卓球にまつわる記念日とかではない
単に私が卓球クラブの練習に混ぜてもらう次の日が来たといだけのことである

今日は、練習2回目である
初回の1時間ほどの練習で右足太ももの前の筋肉が張ったことから何らかのトレーニング必要と考え、翌朝からウォーキングを始めている
人気の少ないところは歩くには問題がないのであるが、万が一のことがあると発見してもらえない可能性があると考え、街中を歩くことにした

初日は早足歩行で50分歩いた
家内曰く「最初からとばさないほうがよい」と
ごもっともな意見である
2日目からは30分に短縮した

今朝も30分歩いて、いまシャワーから出てブログを書いている
誠にさわやかである

食事は腹七・八分
晩酌はやらない
間食も気をつけている
勿論タバコはとっくに止めた
夜は熟睡
そして毎日のウォーキング
うまくすれば、卓球も続けられるかもしれない
等々
健康オタクみたいな、サラリーマン時代とは真逆の生活をしている

歳をとるのもそんなに悪くはない!

原発ゼロにすると

福島原発事故、関連画像(大震災)2030年に原発をゼロにすると

① 電気料金は2010年の2倍の3万2243円になる

② 原子力の安全を担う技術と人材を失う

③ 日米関係を含む外交・安全保障への影響が出る

そうです (本日の報道から)


* それで安全・安心が買えるならよいのではないかと思うけど・・・

* 日本人の知恵から考えると、そうはならないと思うけど・・・

また、脅しですか
これは「政府」という組織の見通しだそうです