岡部一彦氏の「山のえほん」であった
岡部一彦氏は、岳人としても、画家としても、作家として有名な方であるが、絵本のあとがきによるとパイプ愛好家でもあるようだ
年齢は私と近く1年先輩となる
岳人としても、勿論画家としても作家としても届かない私だが、パイプ愛好家としては少し近づけるかもしれない
この山のえほん、ここは何処かは書かれていない
当ててみろと言うことかもしれない
表紙は、前穂北尾根で間違いない
船橋嶮陵登高会の冬合宿でこの北尾根を登った
夏の涸沢での岩登り合宿では、合宿装備をすべて背負い、全員でわざわざこの北尾根を登って上高地へと下る下山ルートとしてこの北尾根を選んだ
そんな計画をするチーフリーダーとしての私がいた
p.s.
その狙い:軽量化
私は愛用のペンタックスは棚にしまい、カメラはスパイ映画に出てくるような超小型カメラを使った(※1)
ガチャも何にを選択するか、何を外すかと頭を絞った
ハーケンはチタンとジュラルミンを選択した
チーフリーダーが装備、食料全て合わせてザックの重量は○○kgまでにしろと言っても言うことは聞かない
この夏山の話ではないが、ウイスキーのダルマを瓶ごとザックに入れて持ってきた奴もいた
下山レートを北尾根とすれば、うるさく言わなくても、誰のザックも重さは自然と軽くなる
※1:リコマチック110Xポケットデラックス
物持ちが良い私だが、さすがにこのカメラは手元にはない緑色のフェルト製のカメラカバーがついていた
妻によく言われるが、昔のことは良く覚えている
このカメラは、カートリッジ式のコダックの16mm幅の110フィルム(ワンテンフィルム)を使用した
16mmフィルムで仕上がり画像は良くはないのだが、岩登り中に片手で操作できる小型軽量のカメラは実に重宝であった
カラーフィルムであった
穂高滝谷の岩登り合宿から使い始めた
リコーカメラ全機種リストを見ると、このポケットカメラは1973年12月に発売とある
滝谷合宿は1974年(昭和49年)の夏なので、このカメラを使っていたことに間違いはない
その頃の私は、カメラメーカーに勤めていたということもあり、山岳写真やカメラにも凝っていた
写真を撮るだけのために単独で冬山にも入っていた
写真部にも所属し、現像も焼き付けも自ら行うほどに凝っていた
社内の写真コンテストで優勝したこともある
尾瀬で写した写真であったことは覚えているし、前述の通りこの写真で優勝したことも覚えているが、賞金はいくらで、賞品は何であったかは覚えていない
覚えていないので、賞品はカメラではなかったと思う
ISO9000推進ポスターのコンテストでは、妻が描いたポスターが優勝し、RICOH MIRAIというこれもかなり変わった一眼レフカメラを賞品としてもらった
このカメラは今も持っている
そんな、こんな私が、この超小型カメラの魅力にとらわれないはずはないので、発売と同時に購入したものと思われる
当時、リコーオートハーフというカメラが売れに売れていた行楽地に行くと、このカメラだらけであった
これも特徴あるカメラであったし、小型であったのだから買っていてもよかったと思う
多分、岩登り中でも使えたと思う
しかし、私はこのカメラは買ってない
35mmフィルムを半分にして使うというコンセプトが気に入らなかったようにも思うし、あまりにもミーハー過ぎていると思っていたのかもしれない
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