2026年3月16日月曜日

削いで削いで削がれて

 私は自らの判断で色々と削いできた

40歳を区切りにハードな登山を削いだ

仕事は定年を機に削いだ

生まれ育った故郷も生活拠点もそこで暮らす親類も友人も削いで田舎暮らしを始めた

卓球を削ぎパドルテニスを削ぎテニスも削いだ

大動脈解離罹患を機にゴルフも削ごうかと考えた

しかし、ゴルフを削ぐと私は孤立する

色々と削いで来たので、今はゴルフ以外に他人と接点を持つものはない

新たに熱中できる趣味を探し、他人と接点を作り上げるのはとても難しく無理だと思う

今あるゴル友はとても貴重な存在となっている

やはり、肉体的な健康維持の観点からも精神的な健康維持の観点からもゴルフは止めることはできないと思う

〇〇君が言う

ゴルフばかりではなく、テレビに出てきた美女を見ただけでも血圧は上がると

血圧は安定するかもしれないが、削いでばかりいたら、確かに生きがいを無くすだろう

ゴルフは少しでも上手くなりたい、納得のショット、納得のパットを打ちたい、使う道具やウェアーや帽子やサングラスなどにも気を配り工夫もする

止めてしまったら、こんなことも考える必要はなくなる

ボケそうな気にもなる

主治医に相談し、血圧管理も続ける前提で、回数を減らすなども検討し、ゴルフは続けることにしよう


色々と削いできたが、ゴルフ以外にこれから夢中になれるものは何かあるかと考えてみた

登山、クライミング、自転車ツーリング、車中泊は夢中になれると思う

だが、どれもが仲間を得るには難しいと思われるし、車中泊は元々一人旅である

ゴルフを止めたとしても、血圧を上げないで田舎暮らしの生活を維持し続けることは困難である

今日も灯油を買いに出たが、車の運転は必要だし40リットルの灯油は結構な重さがある

この灯油を灯油タンクにあける必要もある

夏には草刈りが必要だし、冬には雪掃きも必要になる

畑の耕運もあるし、野菜用のバイブハウスの設置や終われば片付けも必要になる

他にも力仕事は沢山出てくると思う

ゴルフだけではなく、血圧が自然と上がってしまう労作は沢山ある

血圧を上げないように注意することは大切だが、このことばかりにこだわって過ごしていたら生活は維持できない

今や自分の輪と、外の輪を結ぶ重要な役割はゴルフが担っている

長生きをすればその分、自分の周りは全て削ぎ落とされることになるだろう

その時はその時で、個人で頑張って生きていくだろう

今から外との接点を自ら断つことはない


これから先、長生きをすればするほど、削がれることも、削がれる関係も更に出てきて、孤立に向かって進む

「新たなこと」を加えたり、「新たな関係」を構築できれば良いが、それは難しいだろう

「新たなこと」を加える努力はすべきだが、体力も知力も衰えてくるので大変になってくる

「新たな関係」を築く努力も必要とは思うが、一番の築きやすい同年代は先にどんどん逝ってしまう

若い方と関係が築けることはないように思われる

何かのサークルに入るなんてことは言えるかもしれないが、かなり難しいと思う

例えば、妻が主管している絵手紙サークルとか、地元では盛んなコーラスグループとか、陶芸サークルとか、カラオケサークルとかがあるようだが、私は全く気乗りはしない

卓球クラブへの参加は反省すべき失敗事例であった

「ど素人」を受け入れてはくれなかった

周りの方を批判するつもりはなく、周りの方は、私をどう扱って良いものかと困っておられた

誘ってくれた方も、最初の1~2回ほどは面倒を見てくれたが、あとは何もしてくれなかった

忘年会に参加した折、来年に向けての意気込みを幹事から問われたが、私は何も答えることができず次の日に退会を申し入れた

すごく引き留められたが、引き留める理由がわからなかった

「ど素人」ではないハイキングクラブでもあれば始めるかもしれない


当市でハイキングクラブ的なところはないかと探してみた

どうも無いようだ

ネットで〇〇市の山岳会を当たってみた

三春町に拠点を置く、郡山勤労者山岳会がヒットした

新人募集を行っていた

1966年創立だそうで、今年で還暦の山岳会である

ダウラギリーにも遠征している古い山岳会である

しかし、福島県山岳・スポーツクライム連盟には加盟していないようだ

ここに受け入れてもらえるか当たってみても良いような気がするが、78歳の新人を受け入れてもらえない可能性も高いと思われる

受け入れてもらえたなら、「ずぶしろ」ではない(※1)ので、卓球のような失敗はないと思う

「ずぶしろ」は、私の一つ上の先輩にあたる東北リコーの社長を退任した後、2008年にJ1昇格を目指したベガルタ仙台の社長に就任した白幡洋一氏の愛称のようだ

※1 「ずぶしろ」ではないとは:私は、中学2年の時、同級生と丹沢表尾根の登山から始め、高校1年生で船橋の社会人山岳会の嶮稜登高会に入会し、第6期会員となった

それから22年間、嶮稜登高会ではチーフリーダーとして6年間、そのあと6年間は代表を務め、国際標準レベルの技術と国内のクライミングも四季を通じ冬山も多く経験し、ヨーロッパアルプスでの登攀もヒマラヤもトレッキングで経験した

途中、東北宮城県の関連会社派遣の4年間は仙台山想会に所属し、東北の沢も壁も冬山も経験した

その間に文部省の登山研修所の2週間のリーダー研修を受けたり、全日本登山体育大会にも宮城県代表として参加もしている

このように「ずぶしろ」ではないが、問題は78歳という年齢である

p.s.

最近になって知ったことだが、私より少し下の年齢となる嶮稜登高会の旧会員が会に復帰している

嶮稜の輪の中に回帰したい人は今も沢山いるようだ

その会へ復帰した中の一人に我が家の近くで生まれ育った者がいる

彼は今、我が家の近くの彼にとっては故郷の低山を頻繁に歩いている

削いで削いで削がれて来た者たちは元の輪に回帰したくなった

わかる気がした

3ヶ月ほど前になるか、私の後にチーフリーダーを引き継いだ嶮稜登高会の旧会員が泊まりがけで我が家にやってきた

私が嶮稜登高会を退会した後にこの人から強く言われていたことを思い出す

よっチャン(私の呼び名)、嶮稜OB会を作らなくちゃダメだよと言われていた

私はこの提言を無視をした

私は会を止めたら、個々それぞれの道を歩むべきだと考えていたと思う

また、その時期は、冬の穂高で他の山岳会の登山者も巻き込む大きな遭難事故があり、当会の若き会員2人を失った

2人の捜索活動に半年を要し、山岳保険の金銭的なトラブルも発生し、山岳会そのものの存続も危ぶまれる時期にあたり私は疲れてもいた

だが、彼が言った通り、嶮稜登高会退会者の受け皿を作っておけば良かったと今更だが思う

嶮稜登高会の創設名である「山百合の会」を持ち出し、嶮稜OB会を立ち上げても良いかなとチョット思ったが、遅きに失しるし、私が代表を務めるには船橋から地理的に遠すぎる

社会的には、「削いで削いで削がれて」行くと、最後には「孤独死」が待っているのかも知れない

3.11被災者の孤独死が顕在化してきた

灯油150円

 妻のめまいが長引いている

今回のめまいは、いつものめまいとは質が違うとのことだ

また、症状も重い

私も大動脈解離を患っていて、病人が病人を介護する「病‐病 介護」となっている

食料はあるし、近所からのありがたい差し入れもある

6日間、妻と私は家に籠って、どこにも出ずに過ごした

二人がそれぞれが血圧を測り処方薬を飲んで過ごす生活を続けてきた

愛犬との散歩も近場で済ました

今日は少し具合が良いのか、妻は買い物に出たいと言う

石油給湯器のタンクの灯油も少なくなっているし、外の空気に触れるのも良いかと考え、私の運転で二人で買い物に出た

最初に灯油を仕入れにいつもの安売り店に車を入れた

灯油は1リットルあたり、150円となっていた

それも40リットル限定となっていた

スーパーマーケットに向かう途中のガソリンスタンドのレギュラーガソリンの表示価格がリッターあたり196円となっていた

6日間、家の中にいただけで、世の中はこうも変わってしまっていた

コーヒーも切れていたので、買うことにした

180gで700円以上もした

今日は安かったイワシの開きをフライにして夕食とした

燃料は急にすごく上がり、食材もどんどん高くなり、これでは週一ゴルフも回数は減らさなければならないと感じた

大動脈解離でゴルフはできるか否かも今の段階ではわかっていないが!

Eチケット

 バリューゴルフのプレー券もそうなってきたが、すかいらーくグループの株主優待券も今回からEチケットで発行された

この方が便利だろう

益々、スマホは離せなくなる

2026年3月15日日曜日

落下音

 妻は自室でよく物を落とす

妻の自室はリビングルームの真上にある

畳敷き真壁の和室を私がヒノキのフローリングに張り替えた部屋である

畳の時には気づかなかったが、フローリングにしてから落下音はよく響くようになった

何かを引きづってもゴォゴォと音がする

妻はいま、重度のめまいを発症しているので、ゴトンという音は、ドキッとする

私はマンションとかアパートとかに住んだ経験がない

アパートなどでは、上の階の音は響いて来るのではないかと思う

元気な子供が住んでいたら、なおのことかと思う

発せられた音には慣れてくるかもしれないが、常にかかりつけていれば、ストレスとなるだろう

落下音ではなかったかもしれないが、事件に発展したケースもあったかと思う

妻も私のそれに近いようだが、集合住宅の寮生活の経験があり、その時には音も経験はしていたようだ

慣れとは恐ろしいもので、新婚当時、我々は高速道路から200mほど離れた木造2階建ての家に住んでいた

高速道路を走る車の音はかなり聞こえていたが、気にならなくなった

また、結婚した若い友人宅を訪ねたことがある

家のすぐ後ろを私鉄が走っていた

電車が通ると、話声も聞こえないほどのすごいコォーという音が走り過ぎて行った

でも生活を続けているのだから、慣れたんだろうなと思った

マンションやアパートなどの集合住宅の床の音も慣れるのだろう

それと妻が言っていたが、寮の集合住宅では隣りの話し声が聞こえていたそうだ

落語の長屋話しのような話だ

妻の経験は古いことなので、今の集合住宅にはない話かもしれない

妻が入っていたのは独身寮であるが、集合住宅の家族寮もあったそうだ

弟夫婦は、子育て真っ最中には、鉄筋5階建てエレベーターなし3階の3DKの公団住宅に住んでいた (抽選に当たって)

音の話は聞いたことはなかったが、上の階の洗濯機からの水漏れ被害には遭った

集合住宅は、子育てには安全で快適だったそうだ

公団住宅は、同年代が多く住んでいて、どの家庭も同じような生活であったと思う

私は、そして私たちは、母と一緒の生活が長く、集合住宅に住んだ経験はないのだが、私たちが住んだ一戸建て持ち家環境は、ほぼ同じ年代の家庭が集まっていた

子どもたちも同年代で共に成長した

妻の生協利用はご近所が集まり、グループ生協からスタートした

どの家もファミリーカーを所有するようになった

どの家にもエアコンが入ってきた

どの家もBSを見るようになった

こんな生活から振り返ってみても「良い時代」であったように思う

高度経済成長期であった

給与も上がり、物もあふれ出ていた

各家庭に個性が出て来るとその輪は広くなり、各家庭の関係は薄れて来た

各家庭が同じようだとその輪は狭く、各家庭の関係は強まっていた

我々団塊世代は、この輪が広がっていく渦中で成長して来た

各家庭の成長の度合いも広くなり、貧富の格差も広がった

金が金を生む時代となった

何かが間違っている

昔も悪いことは沢山あったが、若者が老人に席を譲るのは当たり前の時代は良い時代だったと思える

男が全身脱毛に走る見かけを気にかけ過ぎる時代は何かがおかしい

鼻の形や眉毛の形を気にかけるよりも、中身を気にかけろ!と言いたくなる

ジェット噴射オナラ

 愛犬Matthewのオナラが増えた

年齢の関係もあるかと思う

私と同じで便秘症気味となった

朝のウンチはかなり苦労をしている

私は酸化マグネシウムを使い、便を柔らかくしているが、Matthewに飲ませるわけにはいかないだろう

Matthewは散歩中に歩きオナラもする

した途端、ピューと5mばかり走る

ジェット噴射オナラである

妻の話によると、どこから仕入れてきた情報かは知らないが、コーギー犬にはよくあることだそうだ

だが、前のハルちゃんにはそうしたことはなかった

女の子だったからか?

Matthewは部屋に居てもオナラをする

すると、自分のオナラに驚くようで、横になっていても起き上がって動く

吠えたりもする

散歩中にもあることだが、私に顔を向けて「何をするんですが!」みたいな顔をする

私はあらぬ嫌疑をかけられている

2026年3月14日土曜日

昼はラーメン

 インスタントラーメンを私自身が使ったのは、若い頃の冬山合宿中あたりでテントの中で食べた時以来であろうと思う

だがそんな古い時代にも今日食べた袋麺のチャルメラは売られていたような気がする

他のラーメンよりあいしく、人気のインスタントラーメンだったと思う

独身寮で電気ヒーターを使い鍋のまま食べていたインスタントラーメンには乾燥ネギが入っていたと思うが、今日開けた袋麺のチャルメラには入っていなかった

代わりにスパイスの小袋が付いていた

麺を茹でた湯で付属のスープの元を器で先に溶かし、3分茹でた麺の上に昨夜の残りのカレー味のスープを温めて乗せて食べた

これが思いのほかおいしかった

オニオンスープが、カレー味のスープに変わり、今日はラーメンの具になった

2026年3月13日金曜日

調理にチャレンジ

 妻は本日、耳鼻科の再診の予約を取っていたが、キャンセルした

「行っても無駄なような気がする」と言った

悪くされて帰ってきた耳鼻科を再診するという妻の考えに私は反対はしなかった

症状は私にも見えるが、本当の辛さはわからない

直前のキャンセルについても反対はしなかった

私も「家で静かに養生をし、回復を待った方が良い」ような気にもなっていた

これが良かったのか、お昼ごろには大分良くなってきたようで、お昼はうどんを調理し食べた

私もそれをいただいた

夕方に思った

昨夜の残りのオニオンスープにひと手間を加えれば夕食のおかずになると考えた

妻に相談しないで作るチャレンジ料理である

私には珍しい「ノーマニュアル」、「ノー計量」調理である

調理法も電気調理器のヘルシオとフライパンの併用で、仕上がりのイメージと感覚に基づく調合のアナログ調理(※1)でもあった

先ずは、冷蔵庫にあった豚肉とニンジンを切ってサラダオイルで炒めた

その中にトマトを半分、少し小さく切って加えて更に炒めた

これをオニオンスープが残っている電気調理器のヘルシオの中にあけて、ティスプーン1杯のカレー粉を加えた

ここにリンゴ半分をすって加え、更にトマトケチャップをひとまわし半と、ウスターソースを一回し加えた

塩コショウと思ったが、これは味を確認してから後に加えることにした

ヘルシオは時々混ぜるモードにし、中火で25分加熱に設定した

妻が2階から降りてきたので味見はしてもらった

良いとも悪いとも、おいしいともまずいとも言わなかった

だが、トマトケチャップは正解だったようなことは言っていた

私も勿論味見はした

私はとても美味しくできたと思っている

トマトケチャップの甘さとウスターソースの辛さがちょうど良く絡んでいたように思えた

探し出せた材料だけで作った

鶏肉が欲しかったが見つからなかった

野菜ジュースを加えたかったが無かったので、トマトケチャップを追加した

隠し味的にウスターソースを加えた

テレビてみたリンゴを加えた

日本ミツバチの蜂蜜もあるがそれを加えるのは止めにしておいた

カレーを作る気でいたが、思った通りカレーとはならず、カレー味のスープとなった

塩コショウは後から追加は正解であった

2日前に焼いたプレーンパンが残っているので、ご飯ではなくこのパンで夕食として

イメージ通りにできたし、わたし的にはとても美味しくできたと思っている

まだ残っている

これにじゃがいもを加え、鶏肉を加え、もう少しカレー粉を加え、トロ味をつけたら本物のカレーになる

明日はカレーにして、ナンが冷凍保存されているので、これでインドカレーとしよう

私の調理もまた少し前進した

※1:妻からは、途中での味見が必要と言われた

p.s.

サラダを加えれば良かった

冷蔵庫のものを使い、ドレッシングをかければサラダになる

妻が言った「バター」を加えれば更に良かったと私も思えた

食べ終わってみると、ああすれば良かった・こうすれば良かったというものが出てくることもわかった

昨日は洗濯もした、今日は洗濯物もたたんだ

明日は掃除もしてみるか

だが、あまり動くと妻は心配するかもしれない

私は、大動脈解離患者であった

削いで削いで削がれて