私は自らの判断で色々と削いできた
40歳を区切りにハードな登山を削いだ
仕事は定年を機に削いだ
生まれ育った故郷も生活拠点もそこで暮らす親類も友人も削いで田舎暮らしを始めた
卓球を削ぎパドルテニスを削ぎテニスも削いだ
大動脈解離罹患を機にゴルフも削ごうかと考えた
しかし、ゴルフを削ぐと私は孤立する
色々と削いで来たので、今はゴルフ以外に他人と接点を持つものはない
新たに熱中できる趣味を探し、他人と接点を作り上げるのはとても難しく無理だと思う
今あるゴル友はとても貴重な存在となっている
やはり、肉体的な健康維持の観点からも精神的な健康維持の観点からもゴルフは止めることはできないと思う
〇〇君が言う
ゴルフばかりではなく、テレビに出てきた美女を見ただけでも血圧は上がると
血圧は安定するかもしれないが、削いでばかりいたら、確かに生きがいを無くすだろう
ゴルフは少しでも上手くなりたい、納得のショット、納得のパットを打ちたい、使う道具やウェアーや帽子やサングラスなどにも気を配り工夫もする
止めてしまったら、こんなことも考える必要はなくなる
ボケそうな気にもなる
主治医に相談し、血圧管理も続ける前提で、回数を減らすなども検討し、ゴルフは続けることにしよう
色々と削いできたが、ゴルフ以外にこれから夢中になれるものは何かあるかと考えてみた
登山、クライミング、自転車ツーリング、車中泊は夢中になれると思う
だが、どれもが仲間を得るには難しいと思われるし、車中泊は元々一人旅である
ゴルフを止めたとしても、血圧を上げないで田舎暮らしの生活を維持し続けることは困難である
今日も灯油を買いに出たが、車の運転は必要だし40リットルの灯油は結構な重さがある
この灯油を灯油タンクにあける必要もある
夏には草刈りが必要だし、冬には雪掃きも必要になる
畑の耕運もあるし、野菜用のバイブハウスの設置や終われば片付けも必要になる
他にも力仕事は沢山出てくると思う
ゴルフだけではなく、血圧が自然と上がってしまう労作は沢山ある
血圧を上げないように注意することは大切だが、このことばかりにこだわって過ごしていたら生活は維持できない
今や自分の輪と、外の輪を結ぶ重要な役割はゴルフが担っている
長生きをすればその分、自分の周りは全て削ぎ落とされることになるだろう
その時はその時で、個人で頑張って生きていくだろう
今から外との接点を自ら断つことはない
これから先、長生きをすればするほど、削がれることも、削がれる関係も更に出てきて、孤立に向かって進む
「新たなこと」を加えたり、「新たな関係」を構築できれば良いが、それは難しいだろう
「新たなこと」を加える努力はすべきだが、体力も知力も衰えてくるので大変になってくる
「新たな関係」を築く努力も必要とは思うが、一番の築きやすい同年代は先にどんどん逝ってしまう
若い方と関係が築けることはないように思われる
何かのサークルに入るなんてことは言えるかもしれないが、かなり難しいと思う
例えば、妻が主管している絵手紙サークルとか、地元では盛んなコーラスグループとか、陶芸サークルとか、カラオケサークルとかがあるようだが、私は全く気乗りはしない
卓球クラブへの参加は反省すべき失敗事例であった
「ど素人」を受け入れてはくれなかった
周りの方を批判するつもりはなく、周りの方は、私をどう扱って良いものかと困っておられた
誘ってくれた方も、最初の1~2回ほどは面倒を見てくれたが、あとは何もしてくれなかった
忘年会に参加した折、来年に向けての意気込みを幹事から問われたが、私は何も答えることができず次の日に退会を申し入れた
すごく引き留められたが、引き留める理由がわからなかった
「ど素人」ではないハイキングクラブでもあれば始めるかもしれない
当市でハイキングクラブ的なところはないかと探してみた
どうも無いようだ
ネットで〇〇市の山岳会を当たってみた
三春町に拠点を置く、郡山勤労者山岳会がヒットした
新人募集を行っていた
1966年創立だそうで、今年で還暦の山岳会である
ダウラギリーにも遠征している古い山岳会である
しかし、福島県山岳・スポーツクライム連盟には加盟していないようだ
ここに受け入れてもらえるか当たってみても良いような気がするが、78歳の新人を受け入れてもらえない可能性も高いと思われる
受け入れてもらえたなら、「ずぶしろ」ではない(※1)ので、卓球のような失敗はないと思う
「ずぶしろ」は、私の一つ上の先輩にあたる東北リコーの社長を退任した後、2008年にJ1昇格を目指したベガルタ仙台の社長に就任した白幡洋一氏の愛称のようだ
※1 「ずぶしろ」ではないとは:私は、中学2年の時、同級生と丹沢表尾根の登山から始め、高校1年生で船橋の社会人山岳会の嶮稜登高会に入会し、第6期会員となった
それから22年間、嶮稜登高会ではチーフリーダーとして6年間、そのあと6年間は代表を務め、国際標準レベルの技術と国内のクライミングも四季を通じ冬山も多く経験し、ヨーロッパアルプスでの登攀もヒマラヤもトレッキングで経験した
途中、東北宮城県の関連会社派遣の4年間は仙台山想会に所属し、東北の沢も壁も冬山も経験した
その間に文部省の登山研修所の2週間のリーダー研修を受けたり、全日本登山体育大会にも宮城県代表として参加もしている
このように「ずぶしろ」ではないが、問題は78歳という年齢である
p.s.
最近になって知ったことだが、私より少し下の年齢となる嶮稜登高会の旧会員が会に復帰している
嶮稜の輪の中に回帰したい人は今も沢山いるようだ
その会へ復帰した中の一人に我が家の近くで生まれ育った者がいる
彼は今、我が家の近くの彼にとっては故郷の低山を頻繁に歩いている
削いで削いで削がれて来た者たちは元の輪に回帰したくなった
わかる気がした
3ヶ月ほど前になるか、私の後にチーフリーダーを引き継いだ嶮稜登高会の旧会員が泊まりがけで我が家にやってきた
私が嶮稜登高会を退会した後にこの人から強く言われていたことを思い出す
よっチャン(私の呼び名)、嶮稜OB会を作らなくちゃダメだよと言われていた
私はこの提言を無視をした
私は会を止めたら、個々それぞれの道を歩むべきだと考えていたと思う
また、その時期は、冬の穂高で他の山岳会の登山者も巻き込む大きな遭難事故があり、当会の若き会員2人を失った
2人の捜索活動に半年を要し、山岳保険の金銭的なトラブルも発生し、山岳会そのものの存続も危ぶまれる時期にあたり私は疲れてもいた
だが、彼が言った通り、嶮稜登高会退会者の受け皿を作っておけば良かったと今更だが思う
嶮稜登高会の創設名である「山百合の会」を持ち出し、嶮稜OB会を立ち上げても良いかなとチョット思ったが、遅きに失しるし、私が代表を務めるには船橋から地理的に遠すぎる
社会的には、「削いで削いで削がれて」行くと、最後には「孤独死」が待っているのかも知れない
3.11被災者の孤独死が顕在化してきた


