2026年6月21日日曜日

お酢のような臭い

 昨日あたりから「お酢のような臭い」が気になっていた

どうも私が臭っているようだ

入院前日に自宅でシャワーは使ってきた

だが、16日から5日間、病院では紙の蒸しタオルを使い自分で体を拭くだけだ

植皮した左足首はシャワーどころか動かしてもならない状態にある

私はトイレに行く以外、ベッドの中で過ごしている

体が臭うのも仕方がない

2ヶ月と4日もの長い間、足首の傷は、皮膚が2ヶ所で開いたままなので風呂は使うことができないでいる

いたるところが痒い

臭くてボロボロな身体になっているわけだ

左足首の植皮が上手く生着してもらわないと、更に臭くボロボロな身体になっていく

色々と違う

 今年は2月からこの総合南東北病院にたびたびお世話になっている

2月20日に大動脈解離でこの病院のHCU「High Care Unit(高度治療室)」へ緊急入院となった

4月17日のゴルフカートによる事故で、19日の深夜に救急ER診察から外傷センターセンターへの入院となった

外傷センターからは一旦は退院したが、今月の6月16日に植皮手術を受けるため、形成外科へ今回の入院となっている

そんな関係で色々な病棟の色々な部屋の色々な入院ベッドを経験している

面白いことに、病科や病棟によって看護体制はかなり違う

一つの例を挙げよう

病棟は違ってもどこでも朝に蒸した紙タオルが出る

一番ひどいのがいま私が入っている11病棟である

最初の日の朝に「顔拭きタオル」と言われて1本の冷たい小さな紙タオルを渡された

次の日も顔拭きタオルだけであった

持ってきた人に、蒸しタオルが必要だと依頼した

蒸しタオルが二本出るようになった

蒸しタオルはもっと欲しと言ったら、「動ける人は二本だ」と言う

「私は動けない患者だ」と言うと、もう1本を置いて帰った

この病棟だけが看護師ではなく、シーツなどを交換するおばさんがこの蒸しタオルを配って歩いている

HCUでは蒸しタオルは配らない

体を綺麗にするのは患者に任せない

蒸しタオルは必要なだけ使う

記憶が定かではないが8病棟だったかと思う、外傷センターでは蒸しタオルは看護師が配り、必要に応じて看護師が体を拭く

蒸しタオルは必要なだけ使うし、自分で拭くという患者には患者が要求する本数を渡す

私は常に5本をもらっていた

最初の1本は看護師に背中を拭いてもらう

次の一本は自分で胸や腹や脇の下を拭く

3本目で顔と耳と鼻とドライシャンプーをした頭を拭く

4本目で、太ももから足先までを拭く

最後の1本でパンツを下ろし股の部分を拭く

北棟の13病棟では、個室であったことからか、VIP待遇で、蒸しタオルは何本でも置いていく

今回は蒸しタオルの例を通じて病科、病棟の看護体制の違いを述べたが、他の色々な面に違いがある

この病院の看護基準に疑いの目を向けざるをえない

この病棟のいま私が入っている部屋は寒すぎる

私は今日もジャージを着て過ごしている

この病院のこの時期の基準温度は何度に設定されているのだろうか?

病院のマネージメントはもう少し正すべきかと思う

私だったら、患者目線でのマニュアルと基準のチェックと、病科、病棟通しの監査を行う

p.s.

看護師が来たので部屋が寒いことを告げた

今は何度に設定されてあるのかも聞いた

個別エアコンに温度設定は無いそうで、切って置きますぅ〜と言ってエアコンを切った

床に置かれているバカでかい器具は暖房と思っていたが、エアコンであった

今どき温度設定ができないエアコンなんて、一般家庭にもないぞ!

8病棟の6人部屋には温湿度計が入り口付近にあったが、この11病棟の私が入っている部屋には温度計すら置いてない

昨日からかな、南東北も梅雨に入った

除湿だけというのもできないのだろうな

ここ、11病棟は古い病棟のようだ

6人部屋の各ベット間はとても狭い

よく見ると、私のベット脇の壁には大きく長い穴が空いてる

天井照明はまだ蛍光灯のようだ

13病棟の個室の照明はすべてがLED化されていた

看護体制も違うが病室もかなり違う

納豆

 母は広島生まれである

私は納豆というものを知らずに育った

結婚後も、この齢になっても、臭くて腐ったような納豆は食べていない

病院の朝食に多く納豆が出てくる

特に今回の入院では、妻も動けない原因不明の痛みで動けない状態となり、夫婦共倒れとなっている

納豆は食えないとは言ってられない

また、入院中に悪玉コレステロールの数値が悪いことがわかり、食べ物の配慮が求められた

納豆はとても良い食材となった

私は家でも納豆を食べるようになった

食べ慣れると美味しいとも感じるようにもなった

妻も寝たきりとなり、納豆にご飯と海苔で済ませる事も出来る手軽な食材ともわかった

入院生活

 入院生活は苦しいものだ

病気や怪我だけでも苦しいのに自由が利かない入院生活が加わる

病院関係者は、苦しんでいる患者に対して少しでも楽になるようにとの対応はしてくれている

しかし、それだけでは十分ではない

私は、術後は動いてはならないという今回の植皮手術入院に際し、入院生活を少しでも快適に過ごせるようにと事前に色々と準備をしてきた

愛用のクッションをひとつ用意したし、今回は忘れずに「孫の手」も用意した

タオルは大・中・小と用意した

他にも色々と用意をして来た

中でも「気を紛らわせる」準備は周到にして来た

病棟によってはWiFiが繋がらないのでモバイル通信のギガアップの契約も変更して上げてきた

映像ものを見る準備も、モバイルWiFi接続のタブレットも、またそのタブレットをテーブルに固定する器具も用意して来た

多くの多岐にわたる入院準備品は私の思い通りの働きをしていて、私の入院生活の助けになっている

だが、金もかけて準備した「映像計画」は失敗であった

動画は疲れて長くは見ていられないと分かったし、体そのものがきついので、体はあっちにこっちにと動かさなければならない

タブレットは軽いが、スマホに比べたら重い

自由に回転はするが、体の位置変更に合わせて固定具をその都度変えるのはとても煩わしいとわかった

一番楽なのはラジオとわかった

それにはBluetoothイヤホンが一番楽であることもわかった

動画も見るが、スマホで十分なこともわかった

ベット内では画面の大きさよりも重さを重視しなければならないとわかった

寝たきり状態であった妻が少し動けるようになったらしく、助けに来てくれている妹に連れられて私の見舞に来た

不要になったタブレットや固定具などは持ち帰ってもらった

本日、ワールドカップの日本対チェニジアの試合がある

有料TVは観れる準備はしてある

昨夜は眠れた

 個室から6人部屋へ移ってから、夜に眠れなくなった

部屋が替わったストレスもあるが、生着確認日が近づく連れ、生着率80%が気になる

考えてどうにかなるものではないとはわかっているつもりだが、私は弱い

6人部屋へ移動した初日に一睡もできなかった反省から、担当医に頼み、眠剤を処方してもらった

移動後の2日目は、眠剤(エスゾピクロン1mg)を処方通りの1錠を服用して眠りに就いた

全く眠くならず、2日目の夜も一睡もできずに朝を迎えた

看護師には処方変更を依頼した

しかし、担当医は居ないとの返事しか貰えなかった

私は理解している

担当医は別に病院(おそらく県立医大)での夜勤明けで休みのはずである

したがって、処方変更は受けられない

昨夜は、少し早めの22時15分にエスゾピクロン1mgを2錠飲んで眠りに就いた

耳のイヤホンから届く音楽は長く届いていなかった

かなり早く眠りに落ちたようだ

しかし、1時間おきに目が覚めた

これを2度繰り返した

3度目(2時過ぎ)が来た時に、合わせてトアラセット(鎮痛薬)を1錠服用した

傷口からの痛みが強かった訳では無いが、トアラセットの眠気の副作用に期待した

それからよく眠れた

5時半に一旦目が覚めた

看護師が検温に来るまで更に眠った

眠れたので体も頭もスッキリしている

この6人部屋、もともと満室ではなかった

2人に挟まれたとても狭い中間部のベッド2つは空いていた

この6人部屋は4人で使っていた

その内の2人が退院し、せん妄状態になった抗がん剤治療を受けていたご老人はベッドごと何処かに移された

結果、6人部屋は私一人となった

この静けさが私の睡眠を助けてくれたのかもしれない

2026年6月20日土曜日

鼠径部の採皮跡

 鼠径部の採皮部の傷跡の出血は昨日からほとんど無くなった

担当医も言っていたことだが、思いのほか術後当日から痛みはほとんど感じない

本日から鼠径部の傷跡の消毒は看護師の担当となった

担当医も言っていたとおり、消毒は自分で行えるのだが、看護師に任せることにした

見られたくない所はタオルで隠している

看護師もその方が処置もしやすいだろう

手術中に何針縫いましたかと担当医に聞いてみた

数えたことはないそうだ

私は見かけによらず臆病である

採皮中は執刀医や看護師と、怖さをまぎらわすため話しをして過ごした

植皮中は腹ばいとなった

腹ばいは苦しい態勢である

麻酔は打たれていても痛みはあり、腹ばいでの雑談はストップした

実際の執刀は1時間ほどだと思うが、手術室に入ってから出るまでは2時間ほどを要した

腹ばいで受ける手術は体力が必要になる

手術中に音楽を流すと良いと提案をした

執刀医は賛成してくれた

スムースジャズなどはとてもいいですよと言ったところ、看護師が用意すると言い始めた

さすがに今はいいですと断った

看護師は3名いたが、ほぼ暇をしていた

p.s.

明後日か明明後日には植皮部の生着状態がわかる

上手く生着してくれていることを願うばかりである

生着が失敗に終わると、自然治癒力に任せることになるので、この先も長い闘病生活を強いられることになる

それは避けたい

もう、2ヶ月以上も痛みと戦い苦しんでいる

せん妄

 私は18日の11時に個室から6人部屋に転室した

私が入室した後、隣のベッドにご老人が入った

元気なご老人で、少し耳は遠いものの看護師との応対も元気よく適切に応対し、あまり良いことではないが、ベッド上で娘さんと明るく元気に長話もされていた

看護師とのやり取りも耳に入ってくる

その話から抗がん剤治療を目的とした入院とわかった

一晩目は、このご老人の豪快ないびきに悩まされたが、その晩は問題なく過ごされていた

昨夜である

せん妄状態となった

昨日のお昼少し前から抗がん剤治療が始まった

治療の前に認知度テストが行われていた

日にちの問いに間違った答えをしていたが、特に問題となる所はなかったようだ

私も初めて知ったのだが、抗がん剤治療の点滴は先ず最初に吐き気止めの点滴から始められた

これにも長い時間を要した

点滴中に昼食も入った

次に抗がん剤の点滴が始められた

これも長い時間を要した

これで終わりかと思っていたが違った

水分補給の点滴が続けられた

これも長い時間を要した

合計すれば6時間ほどの点滴治療となっていた

辛い6時間であったと思うが、トイレで会った時も元気そうであった

しかし、夜中に変な行動を示すようになった

話していることがよく分からない

靴下を脱ぎ始めた(看護師に靴下を脱ぎたいの?と聞かれていた)

それから立ち上がって何処かに行こうとしているようだ(看護師にどこに行くの?ベッドで寝るんだよ!なんてことを言われている)

昼間、あれほど元気でハッキリしていた方が、せん妄状態になっていた

環境変化や、夜間のひとりぼっちなどに対応できないのか?

それとも抗がん剤によるものなのかは私にはわからない

わからないが、昼間のご老人とこの夜のご老人は全くの別人であった

これが抗がん剤によるものだとするととても怖くなった

また、よく耐えたものだと思うのが6時間にも及ぶ点滴である

これを毎日続けるようだ

このご老人、耳が遠いので、看護師の話も大声となる

治療の仕方から、ご老人の家族構成まで筒抜けである

6人部屋にプライバシーなんてものは存在しない

娘さんとの電話のやり取りも、電話機(スマホか否か)の音量も上げているのだろう、娘さんの声までもが私にも届いてきていた

弟は胃がんの手術後、1回目の抗がん剤治療が終わらない内に治療を拒否した

死は覚悟したようなことも言っていた

私は弟の考えを受け入れた

隣のご老人のことだけではない

多くの友人知人か抗がん剤治療で苦しめられた末に死んでいった

私にも抗がん剤治療が必要だと言われたら、私は受けないと思う

私も、QOL(生活の質)の維持を重視して過ごすことを選ぶと思う

立花隆は、がん再発後は検査も治療も受けなかったそうだ

あれだけ調査研究を続けた「臨死」は無いと断言した

死ねばゴミの考え方は私と一緒であった

私は「直葬・散骨」を望んでいる

立花隆は樹木葬である

もう一つ立花隆と同じであったのは、「死は怖くない」である

だが、「痛い」のは怖い

避けたい

この2ヶ月、痛い日の連続で、ますます痛いのは怖くなっている

私は、強い人間のように見えるようだが、実のところは臆病である

だから今まで山で死なないできた

岳友からは「石橋を叩いても渡らない〇〇」と言われてきた

岳友6人を山で喪っている

お酢のような臭い