新聞は朝日新聞のデジタル版で読んでいる
購読が条件だが、プラス500円で読める
私はデジタル版で読んでいるが、妻は購読紙を机いっぱいに広げて読んでいる
我が家には、デジタル版にはない、地元スーパーのチラシも必要だ
辺野古埋め立て、アメリカ大統領選、総裁選乱立、人工知能、株に為替、イスラエル、中国、ウクライナ、原爆、戦後80年、原発再稼働、台風、猛暑、大谷翔平、高校野球、パラリンピック、文化芸術などなど、どれも重要であったり興味深い記事が並ぶ
だが、私の目は「医療」に向く
今日の朝日新聞では、2つの記事に目が止まった
ひとつは、検診心電図と発症リスクの関係についての記事である
心電図軽度異常と関連する発症リスクとは、心不全、脳卒中、心筋梗塞である
軽度異常が一つ、二つ、三つでどのように変わるかと言うと、それぞれで正常な人に比べ、前述の病気の発症リスクは、一つの場合は1.19倍、二つの場合は1.37倍、三つの場合は1.96倍となり、統計上明らかに差が出たそうだ
大した違いはないと考えてはいけない
発症リスクが2倍になるとは大変なことだ
私は8年前に心電図軽度異常ではなく、重度異常となり通院を余儀なくされた
しかし、特段の投薬も治療も行わず、2年後には心電図から異常が出ることはなくなった
それは愛犬による力であった
雨が降ろうが雪が降ろうが一日2回の愛犬との散歩は欠かせない
この散歩によって、私の心電図異常は改善された
集団検診の場で、検査技師二人は顔を見合わせ頷きながら、私に「病院へ行った方が良いと思います」と話した
実は、愛犬ハルを亡くした年から私の心電図異常は発生し始めた
愛犬が居なくなると同時に私の散歩も止まった
「散歩をしない=心電図異常」、「散歩再開=心電図問題なし」となる
私の健康維持には散歩が必要なようだ
もうひとつの記事は、「患者を生きる」である
昨日から続いて今日で2回目の記事の「遺伝性大腸がん」の方の闘病記である
この方の闘病は壮絶である
がんは既に腹膜に転移し、ステージ4にあった
手術で大腸は全摘、小腸と肛門をつなぎ、腹膜に広がったがんも切除した
大腸を全摘しているので、排便は一日に十数回と生活維持も大変であったと思われる
遺伝性大腸がんは25歳で発症し、一年後の再発による手術、四年後の再々発による手術、抗がん剤治療を続け、現在50歳となられている
実に25年に及ぶ闘病生活である
職場復帰もしている
他人には想像することさえできない生活であろう
この方を支え続けた家族も、大変では言い尽くせないほどに大変だったと思う
この朝日新聞の患者を生きるは欠かさずに読む
がん患者の壮絶な戦いの記事は多い
こんな記事を読んで思うのは、弟の胃がんに対する取り組みは、諦めるのが早かったと思い知らされるのである
兄として、もっと頑張れと言ってあげられなかった
生きていてほしかった
悲しみは癒えない
p.s.
弟の胃がんについては、転院前の医師からも転院した病院の医師からも色々と治療については提案もあった
そもそも、最初の病院での胃がん摘出は、その後の抗がん剤治療を続けることを前提とした手術であった
弟は、一度目の抗がん剤使用による副作用で抗がん剤による治療を諦めてしまった
もう長くは生きられないと考えていたようだ
だから、抗がん剤で苦しむよりも、苦しまないで少しの間で生きる選択を当初からしていたように思う
弟はネット情報にはまり、医師から提案される治療法を軽くみた
ネット上で持論を展開する医師の理論にハマっていた
生きることを諦め、この医師が推奨する緩和ケアにハマっていた
この医者に診てもらいたかったとも言った
この医師の動画を見てみろと私にスマホを渡した
弟は、治療方や薬、医療用語、副作用などについて、医師と対等に話が通じるほどに詳しかった
私もそれに近いところはあるし、医師には頼るが、医師を信用し切ってはならないと考えてもいる
医師の話がわかるように患者としても自分の病、治療法、副作用について学ぶ必要はあると私も考える
だが、患者は素人であることに変わりはない
医学用語わかっていても、治療法や副作用のことを知っていても、深いところまで理解は及んでない
転院先の病院で、PET検査画像を前にして、弟は担当医に向って苦情めいたわかった風なことを言ったことがある
弟の言い方は悪かったかもしれないが、患者は命の不安の中にある
その若い医師が言った言葉を私は忘れない
「説明してもわからない、説明しきれない、私たちも勉強中である」
この言葉から言えることで、否定的に捉えると、
説明してもわからないで医師は逃げてはならないと思う
肯定的に捉えて考えると、
説明しきれないは、正しいと思う
だからこそ、医師は説明する必要がある
また、私たちも勉強中は、「わからないことは多い」と捉えてよい言葉かと思っている
そうだろうと思う
だからこそ、医師は説明する必要がある
私はそう思うのである
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