2024年8月14日水曜日

義理を超えて義務

 息子へ荷物を送るため、車でヤマトの営業所へと向かった

今日はものすごく車が混んでいる

路上駐車も迷惑になるくらいに多い

喪服姿の方も多く目にした

今日は新盆見舞いの日のようだ

商売をしている人などは、20軒も30軒も回ると直接に聞いたことがある

そうなると、義理を超えて義務のようになっていると思える

都市部から来た者から見ると、毎年だが、黒い服があふれるこの日は特に、異常にさえ見えてくる

私も妻も、この地で知った人は毎年のように亡くなっている

でも、新盆見舞いに行ったことはない

一緒に移住をしてきた母はこの移住地で亡くなり、ここで葬儀も行ったが、家族葬とした

ささやかではあったが母の新盆飾りは行った

新盆見舞いに来てくれたのはお隣さんだけであった

その関係もあって、新盆見舞いに行く義理というものは私達にはない

仏となっても友人は友人だし、知り合いは知り合いである

その人たちを大切にする気持ちは強くある

義理や義務といった気持ちは弱い

私たちも隣組の一員となっている

何度もお葬式のお手伝いはさせてもらったし、組長の時には葬儀委員長にもなった

葬儀には300とか500といった数の香典が集まることは珍しくない

10以上の香典を束にして持ってくる方もいる

一人で10の香典を出すわけではなく、多くの方から香典を預かってきたわけである

私も会社関係で何人かの香典を一つにしたことはあるが、一人ひとりの名前で多くの香典を預かって受付に出し、それぞれの方の名前を記帳した経験はない

私が経験したこの地での葬儀の弔問者の多くは、香典を渡し、記名をして、お焼香をして、香典返しをもらって帰るというパターンである

これにも驚いた

葬式のお手伝いをしていた時であるが、最初はわからず、弔問者の数の予測が300人と聞いた時、この狭い会場にどうやって入れるのかと思っていた

受付も予定時刻の1時間近く前には開いた

予定時刻前にも弔問者は来た

その多くの方は、前述のパターンで帰って行った

これも義理、義務といった言葉が当てはまるような気がしている

私も300人とか500人の葬儀の経験がないわけではない

若い方が亡くなった時には、特に多くの方が集まる

名前を忘れぽい私も若い方の死は忘れない(岸君、坂田君、斎藤君、吉野君)

その時にも、会場の外、お寺の庭などに立ったままで葬儀に参列し、亡くなった方を乗せた車が出るまで見送るのが普通であった

若い方でなくても、葬儀に来たならば、最後まで居るのが当たり前のような気がしている

当地の葬儀や新盆見舞いには違和感を感じるが、地方は地方のやり方があると理解している

p.s.

翌日の15日、遅い散歩で街の方に出た

昨日は道路が渋滞する程にいた新盆見舞いは一人も見なかった

これからも言えると思うが、義務的な感じがする

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