息子へ荷物を送るため、車でヤマトの営業所へと向かった
今日はものすごく車が混んでいる
路上駐車も迷惑になるくらいに多い
喪服姿の方も多く目にした
今日は新盆見舞いの日のようだ
商売をしている人などは、20軒も30軒も回ると直接に聞いたことがある
そうなると、義理を超えて義務のようになっていると思える
都市部から来た者から見ると、毎年だが、黒い服があふれるこの日は特に、異常にさえ見えてくる
私も妻も、この地で知った人は毎年のように亡くなっている
でも、新盆見舞いに行ったことはない
一緒に移住をしてきた母はこの移住地で亡くなり、ここで葬儀も行ったが、家族葬とした
ささやかではあったが母の新盆飾りは行った
新盆見舞いに来てくれたのはお隣さんだけであった
その関係もあって、新盆見舞いに行く義理というものは私達にはない
仏となっても友人は友人だし、知り合いは知り合いである
その人たちを大切にする気持ちは強くある
義理や義務といった気持ちは弱い
私たちも隣組の一員となっている
何度もお葬式のお手伝いはさせてもらったし、組長の時には葬儀委員長にもなった
葬儀には300とか500といった数の香典が集まることは珍しくない
10以上の香典を束にして持ってくる方もいる
一人で10の香典を出すわけではなく、多くの方から香典を預かってきたわけである
私も会社関係で何人かの香典を一つにしたことはあるが、一人ひとりの名前で多くの香典を預かって受付に出し、それぞれの方の名前を記帳した経験はない
私が経験したこの地での葬儀の弔問者の多くは、香典を渡し、記名をして、お焼香をして、香典返しをもらって帰るというパターンである
これにも驚いた
葬式のお手伝いをしていた時であるが、最初はわからず、弔問者の数の予測が300人と聞いた時、この狭い会場にどうやって入れるのかと思っていた
受付も予定時刻の1時間近く前には開いた
予定時刻前にも弔問者は来た
その多くの方は、前述のパターンで帰って行った
これも義理、義務といった言葉が当てはまるような気がしている
私も300人とか500人の葬儀の経験がないわけではない
若い方が亡くなった時には、特に多くの方が集まる
名前を忘れぽい私も若い方の死は忘れない(岸君、坂田君、斎藤君、吉野君)
その時にも、会場の外、お寺の庭などに立ったままで葬儀に参列し、亡くなった方を乗せた車が出るまで見送るのが普通であった
若い方でなくても、葬儀に来たならば、最後まで居るのが当たり前のような気がしている
当地の葬儀や新盆見舞いには違和感を感じるが、地方は地方のやり方があると理解している
p.s.
翌日の15日、遅い散歩で街の方に出た
昨日は道路が渋滞する程にいた新盆見舞いは一人も見なかった
これからも言えると思うが、義務的な感じがする
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