2026年5月19日火曜日

癒しのMatthew

 不思議なことに、陽が昇り部屋に明るさが届き、野鳥のさえずりが耳に届いてくると、痛みの波は静かに引いていく

逆に、夜のしじまが訪れ、周りの音がすっと消え、しんとした静けさの中に置かれると、痛みは私を苦しみの淵へ沈めていく

床の間に置かれたベッドとリビングルームのソファーの間の往復を何度か繰り返した眠れない長い夜は明けた

事故から32日目の朝を迎えた

毎日、多くの場合、日に4錠も連続して飲み続けてきた鎮痛薬のカロナール500も効かなくなったようだ

私の苦しみを和らげてくれない

妻が2階の寝室から降りてきた

妻も朝は薬を服用するために何かを口にする必要がある

ダイニングキッチンのテーブルで何かを食べ始めたようだ

Matthewは勘違いをしたようだ

ソファーで横になっている私の所へ「お父さんごはんだょ」と迎えに来た

私がわかったと言ったり、立ち上がる素振りを見せると、ダイニングキッチンへと戻る

妻の手からビスケットをもらうのが彼の狙いである

妻が食べている姿を見て「朝ごはんだ」とMatthewは思ったようだ

(ちょっと早いようだが)お父さんを迎えに行こうと考えた

考えは行動に出た

妻がその姿を見て「違うょ!」とMatthewに声をかけた

妻の言葉は「早く!」とMatthewには聞こえるのか、妻が否定しても何度も私を迎えに来る

私は笑いがこみ上げてきて止まらなくなった

(仕方がない、)私は起き上がり、杖を頼りにダイニングテーブルの私のいつもの椅子に座った

私はテーブルの上にあったバターロールを少しちぎりMatthewにお礼をした

Matthewはおすわりをしてそれを受けた

いつもだと、妻が用意してある愛犬用のビスケット2枚が食べられる

ダイニングテーブルの席へ移動をしたので、私の役割は一応済んだ

私はリビングルームのソファーに戻って休むことにした

妻が「お父さんを送っていきなさい」と言った

Matthewは私の後についてきた

私がソファーに座るとMatthewはダイニングキッチンへ足早に戻った

妻からビスケットをもらったかどうかは確かめていない

朝の陽射しにも朝の野鳥のさえずりにもMatthewのお迎えにも私はとても癒された

痛みを忘れさせ、苦しみから私を救ってくれた

p.s.

私は傷を負い、妻も原因がつかめない痛みと持病のめまいの中にいる

Matthew君の散歩は必要になる

Matthew君が一番好きなタマちゃんと2番目に好きのトッコちゃんが朝の散歩と夕方の散歩をかってくれている

今朝も勝手に家を出て行った

タマちゃんとトッコちゃんの声が聞こえたからだ

タマちゃんもトッコちゃんも、Matthew君との散歩を楽しみ癒されているようだ

散歩を終えると、Matthew君は勝手に家に帰って来る

2026年5月18日月曜日

抗生物質を服用

 昨夜は私もいっぱいいっぱいであった

痛みに耐えての夜は長かった

退院後、足の状態も痛みの具合も変わって来ている

「壊死創以外の何か違う問題が生じてきているのではないか?」との考えに落ちて行った

膝下、特に甲が赤く腫れている

中指の付け根から小指の付け根にかけてが相変わらず痛く赤く腫れている

足首から上方向へ電気が走るような痛みも襲ってきている

どこから痛みが出ているのかよく分からなくなっている

壊死創でなく、壊死創の上のふくらはぎに痛みは移っているような感じもする

痛みの位置、痛みの種類も違ってきていて、恐ろしくなってきた

南東北医療クリニックの形成外科へ痛みの位置、痛みの違いが出ているが、心配ないかと問い合わせてみた

だが、医師も看護師も電話に出てもくれなかった

医師に聞いてもらいたいと私は事務員に食い下がった

午後は医師は誰もいないと看護師から言われとの返事が返ってきた

私は、黙って電話は切った

私は整形外科の患者で、通院治療を受ける患者で、植皮手術も予定されている患者なのだ

患者が抱えている恐れを聞いても対応しない

やはりここでも、「聞き入れる」が「聞き上げる」対応はしない決まりのようだ

入院患者もいる大病院の形成外科に、月曜日なのに、一人の医師もいないとの回答を私は信じることはできなかった

対応マニュアルには、「電話に出てはならない」、「医師はいない」と書かれているのかもしれない

総合南東北病院は、日本医療機能評価機構認定(3rdG:ver.1.0)の第三者認定を取得している

「すべては患者さんのために」が院是であることをここに示しておく

セカンドオピニオンの病院を紹介もらうつもりで、かかりつけ医院へ相談に行った

セカンドピニオンの病院を紹介してもらうところまでには至らなかった

だが、褥瘡(床ずれ)については詳しそうであった

私の壊死創をよく観察し、大きな綿棒なものを使い傷の中をよく洗った

ウミを出そうとしたのか、ガーゼで壊死創内を指で押した

白い所は悪い部分(不漁肉芽)でこれが消えてこなければならないそうだ

また、赤い肉芽が平らになってくると良いそうだ

壊死創の周りに心配しなければならないところは認められないそうだ

足の指の付け根当たりの赤い部分の痛みについては分からないようであった

ガーゼに残った滲出物の中に感染を疑うものが認められると言う

南東北医療クリニックの形成外科通院日までの二日分の抗生物質も処方された

かかりつけ医は、私の話もよく聞き、壊死創の傷の中の状態も壊死創の周りの状態もよく説明してくれた

安心を与えてくれる内容であったと思う

かかりつけ医院にゲーベンクリームは無かった

ガーゼを剥がした壊死創にはゲンタマイシンを塗ったガーゼを仮に当ててくれたて

帰宅後、家で壊死創は再度洗い、ゲーベンクリームを塗り、滅菌ガーゼで保護した

この処置のことを医学用語では、「ドレッシング」と呼ぶ

洗っている時にも洗った後も壊死創からのチクチクとした痛みが出た

かかりつけ医が大きな綿棒で壊死創内部を洗ったり、ガーゼで壊死創内を押したりした影響がこのチクチクとした痛みとして出ているものと思われる

今夜も眠れる自信はない

だが、安心感は増している

夕食後、処方された抗生物質(レボフロキサシン250m)1錠と痛み止めのカロナール500を1錠服用した

これで、痛みが止まることを願う

p.s.

完全移住後の18年間、母も妻も私もこの大病院を頼りにして来た

今も頼りにしている

だが、その経験を通して私は次の科は信用しないことにした

外傷センター、眼科、整形外科、リハビリ科

まだ増えるかもしれない

泌尿器科、消化器内科、心臓血管外科、腎臓内科には今も通っている

全てが信用ならないとは言わない

消化器内科と心臓血管外科の担当医は信頼している

病院と医師は選択しなければならない

なぜなら、自分に責任を取らなければならないから!

選択するには、自分の病気や怪我を理解しなければならない

褥瘡や壊死創について私の理解は不足している

勉強する!

痛みを病気の本質を科学的に理解することにより、回復を早めることにつながると私は信じている

先ずは、津山中央病院 皮膚科 鈴木 規弘医師(※)が書かれた「褥瘡の治療 2012年創傷・熱傷ガイドラインを踏まえて」から読み進めることにする

https://tch.or.jp/asset/00032/renkei/CCseminar/20150223jokuso.pdf

本資料は褥瘡についてのレポートであるが、私のゴルフカートから受けた強い外力(圧力・ずれ力)により生じた壊死創とよく似ている

※現在:医療法人鈴木医院 鈴木皮ふ科 院長

2026年5月17日日曜日

流石に私もへばった

 事故から今日でひと月となる

今日は朝の4時から痛みが続いている

左足の甲は赤く腫れて引かない

流石に私もへばった

疲れた

一人で苦しむのにも飽きた

「負けない」宣言も取り下げたくなった

今夜をどう過ごすか悩ましい

脚は高く上げていないと痛みに耐えられない

ベッドでは眠れないような気がする

今夜はソファーで過ごそう

眠くなったらソファーの中でも眠れるだろう

妻に促されてカロナール500を1錠服用した

一ヶ月も日に4錠、この薬を飲み続けていると、身体も騙されなくなったのか、効かなくなってきている

「人はひとり」

そんな当たり前のことがやっとわかったような気がする

一人で苦しむのは飽きたが、慣れてはいる

QCの教えも、今の私からすれば幼稚な考えに思える

p.s.

一睡もできなかった

私が取れる治療法

 いま、私が家にいて行える治療法は限られている

限られているが、それをきちんと行うことはとても重要なことだと感じているし認識している

それは、

1. うっ滞を防止する

1-1. 心臓よりも脚は高く上げ、下げている時間をなるべく短くする

1-2. 指の「開いて閉じて」のぐーぱーの動きを行う

2. 細菌感染に最大の注意をはらい、壊死創を泡石鹸で洗い、ゲーベンクリームを塗り、滅菌ガーゼで保護する

これを毎日続け、植皮が可能となるまで根気よく待つ

これしかできないが、これがとても大切であることに間違いはない

ターンオーバーは更に

 痛い時には赤く腫れて熱を持っ足首に壊死創を抱えた右足の甲のターンオーバー(皮膚の新陳代謝)が更に進んでいる

指も皮膚が浮いてシワクチャに見える

痒くないと思っていたが、剥がれかかっている皮膚を引っ掻いていたら、痒くなってきた

ギブスの中の痒みに対し、箸を中に入れて掻いていたら更に痒みは酷くなった

この経験があったので、剥がれかかっている皮膚は気になるが、剥がしたり、引っ掻いたりはしないことにした

p.s.

今日は何故なのか1日を通して痛みが続いている

昼を過ぎても壊死創を負っている左足の腫れと赤みは消えない

腫れと赤みは、痛みと関係がありそうだ

R1からラベルが消えた

 明治の飲むR1ヨーグルトからラベルが消えた

ホルムズ海峡封鎖がR1にも現実化した

以前から買っていたキリンの飲料水2リットルペットボトルからもラベルは消えていたけどね

この際、過剰包装の見直しが進むことを期待している

足指のぐーぱー

 今朝の壊死創から来る痛みは強い

ソファーに寝転び、ソファーの背もたれの上に脚を上げて血行の改善に努めている

コーヒーでも飲んだら休まるかと思い、ダイニングキッチンまで来た

足の甲が赤く腫れている

右甲の普通の白さに比べ、傷めている左足首の甲はかなり赤い

痛みの結果がこの甲に表れているのは間違いない

コーヒーはどうでもよくなった

ソファーに戻り、再び脚は上げ、足指のぐーぱーを繰り返している

痛みは和らいできた

ぐーぱーは、血行の改善に役立つようだ

p.s.

チャッピーの解説によると、

脚を高く上げて痛みが和らいできた、というのは、

👉 「うっ滞した血液や組織液による圧」が関係している

ことを示唆します。

外傷後や浮腫のある足では、

下げる ↓

血液・組織液がたまる ↓

圧が上がる ↓

ジンジン・ズキズキ

となりやすいです。

挙上で軽くなるのは、その圧が少し下がるためと考えられます。

👉 足指を軽く動かすのは、血流や静脈還流の改善に役立つ可能性があります。今のあなたには「軽い範囲で続ける」が合っています。

しかし、

今朝の痛みはなかなか収まらない

妻が起きてきた

痛み止めのカロナールをとってくれと寝たままで頼んだ

とんでもない所を探している

置いてある所を教えカロナールを出してもらった

バックされ、2錠がつながった状態のカロナールを渡そうと出した

それじゃ飲めないだろうと言ったら、

「私の手で破るよりも」と訳の分からない言葉を返してきた

痛みに耐えながら、ソファーに横になっている私の手でパックを破らなければならない理由が何処にあるというのか?

それでは退院日の前日に傷の処置をしに来た小生意気な若い護師と同じではないか!

この看護師、「退院するんだから何でも自分でしないとね」と言う

それは正しい

だが、無理なところはある

身体を捻っても届かない外くるぶし側の壊死創に、はみ出して塗ってはならないと言われているゲーベンクリームを自身で塗ることはできない

この看護師、パソコンに向ったまま、私の言い分を聞く耳を持っていなかった

間違えば、いじめになる

痛み止めのパックは確かに私自身で破くことは可能である

だが、痛いので早く痛み止めを飲みたいと思っている私自身で破かなければならない理由はないと思う

何でも一旦反論する妻のクセが、ここでも出た

痛みが激しい時は、何でも頭にくる

病人が出ると、安定していた生活は狂い始め、もめ事も出てくる

小さなことでぶつかり合う

小さなことから大きなことへと鬱積は現れ広がることもある

心の乱れが生活の乱れへとつながる危険がある

痛み疲れと介護疲れがぶつかる

双方に寛容さが求められがとても難しい!

犬猫の癒し

 今朝の痛みは去ってくれそうにない

ベッドを出て、リビングルームに移動した

smokyが椅子からトンと降りた

近づいて来た

甘い声を発し、スリスリしてきた

餌皿を見たらご飯がない

smokyに15年食べ続けている尿路療法食を餌皿に追加した

ソファーに横になって痛い脚を背もたれの上に上げた

ソファーで寝ていたMatthewが甘えてきた

痛くて上げた左脚の股の間に入って来た

Matthewを撫ぜていたら、痛みが和らいできたような感じになった

足の先に2人

 痛みで目が覚めた

枕の脇に置いてあるスマホを手にした

4時5分と表示されている

かなり痛い

脚を上げて置くと痛みが収まることは経験済みである

ベッドの中で、右膝を立て、その膝の上に右脚を乗せた

痛みの足の先に父と母がいた

床の間に設置したベッドでいま私は寝ている

ここは母の寝室になっていたところであり、これは母が使ってベッドである

母の懐かしい笑顔があっても、傷の痛みはなかなか去ってはくれない

この足は、爪の形まで父にそっくりと聞かされ続けて育った

自分勝手で嫌いな父だが、足を交換するわけにもいかない

2026年5月16日土曜日

日向ぼっこ

 愛犬と日向ぼっこ

傷の痛みも忘れて!

立派な記念誌

 4月の初旬、岩城山岳会に人会の申し込みを行った

4月12日にあっさりと断られた

いわき市在住が入会条件だそうだ

千葉県の社会人山岳会の嶮稜登高会に私は育てられた

嶮稜登高会も今年の10月1日が来ると創立66年となる

岩城山岳会はそれを上回る1956年創立70年となる社会人山岳会である

入会は断れたが、創立70周年記念誌を購入した

この記念誌の素晴らしいところは、いわき市を中心とした周辺の山のガイドブックとなっていることだ

この記念誌は、書棚の奥に仕舞われたままの本にはならないだろう

地域研究の本になっている

進行していた

 左下、犬歯の奥の歯の先が虫歯になっていることには気づいていた

だが、事故で入院をしていたので、1ヶ月近くも放置していた

妻に送ってもらい、行きつけの歯科を予約無しで受診した

虫歯は進行していた

裏側にまで回っていた

神経を抜いて処置する必要があるそうだ

足の傷のことがあるので、応急手当で本日は済ませることになった

夏までは十分にもつそうだ

p.s.

歯科医師の最初のラウンドは棚倉田舎倶楽部であったそうだ

スコアは126であったそうだ

私は勝ったと言った

私の初ラウンドは船橋カントリーで124であった

お互いに初ラウンドのスコアは忘れないものだ

ゴルフはリハビリに最適だと思う

傷が癒えたらゴルフに行こう

リハビリに行ってくると言えば、妻も止めないだろう

ターンオーバー

 皮膚の新陳代謝のサイクルは4週間〜45日だそうだ

私の場合、今日で事故後29日目となる

丁度4週間を超えたところになる

普段の生活では垢となり剥がれ落ち、気づきづらいが、垢となるべき皮膚が私の傷を負った足でははっきりと見える

痒くなると思っていたが、痒くはない

甲の腫れは引かず、足首の壊死創との関連はあるそうだ(チャッピー君の話し)

朝の寝起きは赤く、熱を持っているのも壊死創との関係しているそうだ

朝、外で妻と共に草取りをしていたMatthew君は、お隣に行ってしまったそうだ

お隣さんがMatthew君の散歩係をかってくれている

Matthewは、朝の散歩の時刻を分かっている

2026年5月15日金曜日

逃げられない

 急いで外に飛び出すことはできない

松葉杖をついてでないと室内も歩くことができない怪我を負っている

この揺れは、ソファーの中で受け止めた

壊死創進行経緯

 事故から10日目に当たる4月28日から創傷部の写真を撮り始めた

今から考えてみると驚きを感じる

事故から2日目の午前2時ころ、救急外来で応急的に塗り薬もなく壊死創にはガーゼが当てられた

そのガーゼは、入院から数えると8日間もの長き間、当てられたままで、壊死創の状態の変化は確認されないままにされた

その間、当然ながら写真を撮る機会はなかった

その8日間、私はこの強い痛みを訴え続けてきた

この痛みの辛さは医師にも看護師にも受け入れてもらえなかった

ただ、食後の痛み止めが処方されただけである

その8日の間に救急外来で応急的に当てられたギブスは交換となった

主治医が作った新たなギブスは、より強く巻かき直された

結果、痛みは更に増すことになった

入院から8日が経過した4月27日の夜も、私は痛み止めの服用だけでは消えない強い痛みに襲われ眠れないでいた

気を紛らわせるため、ベッドから出て、ナースステーション脇の談話コーナーで傷を抱えて痛みに耐えていた

そんな私の姿を見た1人の夜勤看護師が私に話しかけて来た

(都合よく)明日は〇〇医師は来ない

明日になったら、ほかの先生に診てもらうように頼んでみると言ってくれた

次の日の28日の11時頃になり、同じ外傷センターの若い医師が私のベッドに来た

昨夜の夜勤看護師が頼んでくれた医師かと思う

若い医師は、包帯を解きギブスを外し、9日ぶりに創傷に当ててあったガーゼを外した

創傷を見た若い医師は「あぁ〜」と言った

傷を見ると、最初に誰もが「あぁ〜」と言う

若い医師は私に説明をした

病院に「皮膚専門の看護師」がいる

その人にこの創傷を診てもらうことにすると言い残して病室を去った

創傷は新しいガーゼに取り替えられた

お昼すぎに皮膚専門の看護師が来てくれた

この壊死している創傷は毎日洗って細菌感染を防ぐため抗生物質の軟膏を塗る必要があると言った

自ら、べッドの上で、外くるぶしと内くるぶしの両方の壊死創を石鹸水で洗い、お湯で洗い流し、抗生物質のゲンタマイシンを塗布し、5枚重ねのガーゼを指定して傷口は保護された

それからは、若い医師の許可を得て、ギブスは外され壊死創は毎日洗われゲンタマイシンを塗り、袋を破って出されたきれいなガーゼで傷口は覆われた

包帯は緩く巻かれた

強く圧迫するようには巻かれなかった

その日から、私は壊死創の写真と、時にはガーゼに残された滲出液の状態も写真に残すようにした

これまでも、これからも、この闘病生活はブログに書いてきた

私自身のブログに私自身が訴えることで聞いてもらえたような安堵感が得られた

壊死創を洗ってもらい、抗生物質軟膏が塗られても辛い痛みはおさまることはなかった

この日の結果から、私は痛みの主原因は壊死創から来ていると確信した

主治医は、壊死創は9日間もガーゼの交換も行わずに放置したのに対し、細いヒビ状の腓骨骨折を主体に考えていた

この日に、私は痛みの主体は骨折ではないと分かった

その後は、早く形成外科で診てもらうように頼ん

だが、この願いがも届くことはなかった

願いが届いたのは、傷口を洗い始めた4月28日から数えて13日目、入院から数えると22日目になる5月11日になった

主治医は、やっと形成外科へ依頼を出したようだ

5月11日の昼過ぎ、形成外科の若い医師が突然、私のベッドにやって来た

私はここで、回復が早い壊死創のデブリートマンの処置を希望し受けた

若い医師は、壊死創の表面に固まった黒い部分を切り取り、創傷内に溜まったウミも絞り出してくれた

医師が言う通り、切り取りはすごい痛みを伴った

この日を境に壊死創から来る痛みはかなり改善された

入院中に接骨の治療らしきものは受けなかった

骨折は治っていないまま、入院から数えて24日目に、追い出されるようにして退院した

壊死創に植皮が可能になるまでは、傷の内部に肉が盛り上がってくる必要がある

それまで、自宅で細菌感染に注意しながら傷をきれいに保ち続ける必要がある

退院から1週間後の20日に形成外科の外来検診を受けることになっている

形成外科医に壊死創の経緯をひと目で分かるようにと、「壊死創進行経緯」をPowerpointで作成した

診察日の20日まで創傷の状態と滲出液の状態を表す写真を撮り続け、見やすい資料として完成させ、形成外科の治療に役立たせるようにする

この経緯を見るともっと早く、デブリートマン(壊死創削除)は行うべきであっと理解できる

私の主治医は、経緯から見ても対応から見ても、皮膚については疎いことが分かる

彼の処置・対応は間違っていたし、私が要望した通りに、早くから形成外科に私の創傷を見せるべきであった

形成外科医による処置を受けるまで、事故から数えて24日、入院から数えて22日も要してしまった

これは、主治医の責任に他ならない

形成外科医に任せるにはあまりにも遅かった

早く形成外科医診せていれば、私もこんなに苦しまなかったし、壊死創の回復も早かった

p.s.

今日の壊死創を洗った後も写真を撮り、経緯資料に反映した

2026年5月14日木曜日

傷は広がっている

 今日も自宅で細菌感染に注意をはらいながら壊死創の傷を洗いゲーベンクリームを塗り清潔なガーゼを使って保護を施した

剥がしたガーゼの跡を見ると、滲出液が多くでている様に見える

あまり良いことではない

またこの滲出液の広がり具合も広くなったようにも見える

ガーゼに残った滲出液跡を見ると、外くるぶし側と内くるぶし側の壊死創が近づいている

「シャワーで洗っている時にも痛いよ」と退院前に看護師から言われていたとおり、シャワーを直接に傷に当てると痛かった

だが、それくらいにきれいに洗わないと意味がないとも言われている

ゲーベンクリームを塗る前に傷口を確認してみた

やはり、外くるぶし側の壊死創は広がっている

ガーゼに残された滲出液の広がり具合と同じく、外くるぶし側の壊死創は内くるぶし側に伸びている

また、内くるぶし側の壊死創も広がっている

外くるぶし側の壊死創は、内くるぶし側の壊死創につながり、一つの壊死創となってしまうかもしれない様相を呈してきた

5日ほど前から痛みが再燃していた

痛みの中心個所が外くるぶし側からアキレス腱側に移っているのが気になっていた

この痛みの箇所の移動が、壊死創の広がりと一致しているのかもしれない

そもそも、この壊死創の洗浄などの日常管理は個人で行うのはかなり難しいことのように思われる

私は間違いなくできていると思うが、細菌感染を防止を私も妻もかなり心配しながらの手当となっている

どの家庭でもできる手当てとは思えない

使用するガーゼなどの医療品も分かる人は少ないのではないかと思える

壊死創は私の現実から見ても進行するし、滲出液の量が多いのか少ないのか、その色は大丈夫なのか、傷の内部の状態、色あいは良いのか悪いのか等々、専門医でないと分からない

壊死創は通院でも毎日専門医に診てもらい、傷の手当てなどの管理も看護師などに任せる創傷かと思われる

壊死創の広がりを考えると、この怪我を治すにはかなりの時間を要すると思えるようになった

p.s.

形成外科への外来予約日を27日から20日に早めてもらった

この壊死創の広がりは気になる

今朝の起床時には、左甲は赤く熱をおびていた

杖へ移行

 病院のリハビリは、私の体に合わた松葉杖を用意してくれた

昨日、この松葉杖を使って帰宅してきた

昨日は、家の中でもこの松葉杖を使って移動した

トイレへもダイニングキッチンのテーブルへも浴室へもベッドを置いてくれた床の間へもこの松葉杖をついて移動した

狭くはない我が家のトイレだが、病院のトイレに比べたらとても狭い

松葉杖は引っかかったり、立てかけて置いても倒れたりで使いづらい

松葉杖は倒れてしまうとこれを開い上げるのが大変になる

使いづらくても左脚に体重かけてはいけないので仕方がない

11日のデブリートマン処置を受けてから、左足首の痛みも着地感も日に日に良くなってきている

今日は杖を使っての移動にチャレンジしている

杖を右腰にピタッと当ててつけ、右脚を一歩前に出す時に杖荷重としている

松葉杖を使った移動は、壊死創がある左足は、大きな荷重はかけないが踵から着いて指先に抜ける要するに歩く動きとなる

それに対して杖を使っての移動は、左足は踵を突くだけの動きとなる

骨折箇所にも大きな負担もかけずに移動することができる

松葉杖歩行は、真っ直ぐ正面へ向っての歩行になるのに対し、杖歩行は、少し右斜へ向かう歩行となる

家の中では、この杖を使った移動で済みそうな感じになった

この杖はすごくむかし、息子が中学2年生の時に一緒にスペイン旅行に行った際に買い求めてきたものである

3度の痛風発作の際にも役立ってきた

今回もしばらくはこの杖頼りの生活となるだろう

外を歩くには、杖よりも松葉杖の方が良いとは思う

看護犬・介護猫

 昨日、退院し帰宅した

ゴルフに行ったりして帰ってくると、飛びついて来るMatthewであるが、昨日は随分と違っていた

玄関に入った際、Matthewは怖怖といった感じで私に近づいてきた

リビングロームのソファーに席を移しても直ぐに上がってきて飛びつくような歓迎はなかった

呼ぶと上がってきて甘えたが、いつものMatthewとはちょっと違っていた

smokyはあまり変わらなかった

リビングルームに入ってきて「帰ってきたんだぁ」、「触ってもいいょ」といった感じで迎えてくれた

病院での夜の過ごし方の経験から、自宅に戻った最初の昨夜も「眠くなるまで寝ない」と考えた

妻は9時前に寝室に上がった

自宅に戻り、気持ちは落ち着き1日リラックスした日を過ごしたが、夜9時になっても眠くはならない

ニュースなどを見て過ごしたが、11時が過ぎても眠くならない

眠くならないのは当たり前だと考える境地に達した(w)は、悩むことはなくなった

日中、ほとんど体を動かすことはないので体に疲れは溜まってはいない

眠くなるはずもない

リビングルームはエアコンで22℃の室温を守っている

私の右横の私の揺り椅子の上で愛猫smokyはすやすやと眠っている

愛犬Matthewはソファーで眠っている

愛犬と愛猫は無防備に寝息もたてて私の気持ちを安定させている

眠くならない私は、映画でも見ようかと思った

色々と選んた末、小栗旬主演の「罪の声」を選択した

おもしろく観ることができた

5月10日の母の日にやって来た息子が、倉庫から引き出してきたベッドを私が帰ってきた時のために、床の間にセットしていた

このベッドは、母が使っていたベッドである

深夜の1時にこのベッドに横になった

エアコンを19℃にセットした

音楽はニュージーランド、アボリジニの民族音楽をかけた

よく眠れた

明るくなっているのに気づいた

時計は6時を示していた

トイレを済まし、リビングルームに戻り、揺り椅子に席を移した

Matthew私のそばに寝転んた

妻がお茶を私のところに運んできた

Matthewは吠えた

僕のお父さんのところに来るなと吠えた

妻が私の肩に触った

Matthewは更に吠えた

僕のお父さんになんてことをするんだとの勢いで吠えた

日常に戻った!

朝食ができてよとMatthewは私を迎えに来た

無視してみたら、早くおいでよとまた迎えに来た

これも私達の日常である

妻の体調も良くない

私は動けない

お隣り奥さんと街中の◯チャンがMatthew君の散歩係となってくれている

朝の散歩の定刻となり、Matthewは外に飛び出していった

p.s.

壊死創の痛みは大分おさまって来ている

だが、痛みは去ったわけではない

今朝は前述の通り6時に起床した

壊死創は痛みを発していた

今朝の右足と壊死創の左足を比較してみると、色が違っていた

右足の白さに比べ、左足は赤かった

触ってみると熱を持っていた

今朝の痛みはこの足の赤みと熱に関係がある

病院では痛みかあるなしに関わらずアイスノンで冷やし続けていた

家でも何か工夫する必要がありそうだ

2026年5月13日水曜日

医療品購入

 昨日の入院中に退院後自宅で治療に使う医療品を注文しておいた

本日、全て届いた

二日前の11日に整形外科医によるデブリートマン処置を受けた壊死創は、自宅でも傷口は清潔に保たなければならない

傷口は、泡石鹸で少し強めに洗い、温水で流し、ゲーベンクリームを傷に塗り、ガーゼで保護し、包帯で止める

壊死創は細菌感染が一番怖い

自宅療養に当たっても、この点を一番注意しなければならない

そのために、医療用の物を選択した

病院で使っていたものとほほ同じものが用意できたと思う

どこかわからない

 ただ、24日間痛みに耐え壊死創を毎日洗いて寝ているだけ入院生活

骨折は、治療らしきことは行われずに過ごして来た

骨折箇所は3度レントゲン撮影が行われたが、入院の間に医師から接合状態に関する説明はなく、退院にあたって本日、医師は外来病室で私に会った

私は、腓骨骨折とは聞いているが、どこが骨折しているのかの説明も受けていない

医師が私に会うことになったのも、私が骨折箇所の写真のコピー要求したからにすぎない

写真のコピーは渡されたが、どこが骨折しているのか全く分からなかった

今思えば、じっと寝かせておくのが彼の治療であったのかもしれない

この先は、形成外科へ通院し、植皮ができるタイミングを図っていくことになる

退院

 リハビリといっても、松葉杖をほんの10分ほど2回の訓練を受けて、歩けると判断され、退院となった

数えて24日の入院となった

退院手続きを取っている間に、バタバタと私が使っていたベッドに新たな患者が入ってきた

24日間の入院で私の病室では、6回の入退院があった

そのどれもが午前中に退院し、午後には直ぐ新しい患者が入ってきた

看護師の話によると、ベッドに空きは無いそうだ

4月19日深夜の私の入院はベッドが空いたわけだから、ついていたのかもしれない

2026年5月12日火曜日

ゲーベンクリーム1%

 昨日、勇気を出してデブリートマンを行った後にゲーベンクリームを塗った

今日になり、壊死創を洗うためにガーゼを剥がした

吐出物が多い

良いのか悪いのか分からないが、「傷から吐き出しているので良いことだ」と考えることにした

※昨日はゲーベンクリームを塗るのもガーゼを当てるのも看護師に任せていた

剥がしてみてちょっと驚いた

とんでもない位置にガーゼは当てていた

はみ出しそうになっていたことになる

概して、医者も看護師も不器用だ

ガーゼを止めたテープもシワクチャだった

シワは痛みの元となる

【ゲーベンクリーム1%の説明】

※私の壊死創は最も悪い黒色期にあたる

■薬の効果と作用機序

 褥瘡(床ずれ)などの皮膚潰瘍に用い、薬剤によって感染制御、壊死組織の除去、創面の修復、血管新生など作用は様々であり、創面(傷口)の状態に合わせて薬剤を使い分ける

褥瘡(床ずれ)は布団などと触れる部分の皮膚が長い間の圧迫での血流悪化により皮膚や筋肉などの組織が壊死する状態

褥瘡は創面の色調により病期が4期(黒色期、黄色期、赤色期、白色期)に分かれる

褥瘡の治療目標は大きく分けると「黒色期〜黄色期では壊死細胞の除去や感染制御」「赤色期〜白色期では創面の水分環境の保持・改善や保護」となる

 褥瘡以外にも外傷、熱傷、手術の傷などの皮膚潰瘍の治療にも使用する場合もある

■詳しい薬理作用

褥瘡は布団やベッドなどと触れる部分の皮膚が、長い間圧迫され続けることで血流が悪くなり皮膚や筋肉などの組織が壊死する状態。慢性化した状態では創面(傷口)の色調により病期が4期(黒色期、黄色期、赤色期、白色期)に分類され、一般的にはその状態に合わせた薬剤の選択が行われる。

黒色期〜黄色期では壊死組織の除去と感染制御、赤色期〜白色期では創面の水分環境の保持・改善や保護といったものが治療の目標となり、使用する薬剤(外用薬)も治療目標に合わせて選択する。

本剤は褥瘡などの皮膚潰瘍などに用い、感染制御作用や壊死組織の除去や軟化・融解作用、創面(傷口)の修復作用、血流改善による皮膚組織の新生を促す作用、血管の新生を促す作用などにより、創面(傷口)の状態や色調による病期に合わせて使用する外用皮膚治療薬である。

本剤は褥瘡以外にも、外傷、熱傷、手術の傷などによる皮膚潰瘍などに使用する場合もある。

わかってねぇなぁ〜

 また、めんどくさい奴が来た

入院は今日で23日となる

今日、日勤で私を担当することなった看護師は私を初めて診る

夜勤との引き継ぎの後、私のベッドに来た

壁に貼られていた傷手当てのマニュアルを確認していた

このマニュアルは初期治療のもので、今の手当てとはかなり違うことを事例を挙げて説明した

使う軟膏もゲンタマイシンからゲーベンクリームになっていることも伝えた

ベッドに残されている壊死創の手当てに使うガーゼなども確認し始めた

ゲーベンクリームを塗った後は、5枚重ねの15cm角のガーゼを使うとも話した

私の壊死創に対する手当は初めてなので、丁寧に説明をしていたが、我慢が切れたか、私の話を遮って話し始めた

「分かった・わかった」という雰囲気が出ている

「松葉杖のリハビリのあとは退院するから、なんでも自分でできないとね」と言う

お前、わかっちゃいねぇなぁ〜

お前より俺の方が処置は数段上だぞ

実際、シャワー室での処置は何も分かっていなかった

シャワー室へゲンタマイシンを持ってきて何をする気だ

小生意気な看護師だった


滅菌ヘラに乗せたゲーベンクリームは、外くるぶし脇の壊死創は自分からはまったく見えない

滅菌ヘラに乗せたゲーベンクリームは塗れない

自分でやらないとねぇ〜とまた言う

家に帰れば「恋女房にやってもらうから塗ってくれ」言って滅菌ヘラを渡した

雑な塗り方をしやがった

この病棟の看護師のばらつきはものすごく大きい

自信かぶれのこいつとは話をしないことにした

なんでこいつを新たに私の担当にしたのだろうかと考えた

教育か?

6時36分

 う!、明るい

何時だ

6時4分

眠った

よく考え、よく診てくれる夜勤の〇〇さんが、検温に来るなぁと思い、体温を測った

36.4℃!

体温計は、よく見えるようにと、見やすいと思われるベッド上に置いておいた

6時36分、あれぇ?「検温」に来ないなぁ?

部屋の照明は点けられている

よく眠っている私を起こさなかったのかもしれないと思った

違った!

6時45分になり、検温、血圧測定に〇〇さんはやって来た

「おはようございまぁ〜す」と言っては入ってこなかった

静かに、各ベッドを回っている

私は検温済みであった

私の壊死創の状態を包帯の上からだが確認した

包帯の上にまで、壊死創から染み出たものが確認できた

〇〇さんは「ガーゼを交換しよう」と言う

彼女と話し合い、両者納得の上で、ガーゼは交換しないことにした

彼女はベッドを離れようとした

私は彼女を止めた

「血圧は?」

「安定しているから必要ない」と言い残して去った

夜勤看護師の朝のやるべき業務のルールを私は知らない

知らないが、

23回もこのベッドで朝を迎えれば、夜勤看護師が朝何時に何をすべきなのかは概ね理解できている

今朝の〇〇さんは、他の看護師とは大分違っていた

・6時にベッドで休んでいる患者を元気な声で起こそうとはしなかった

中には、少年スポーツクラブの寮長のように元気な掛け声を朝6時きっかりにかけてける看護師もいる

何が違っていたか

・血圧測定は必要ないと判断できる患者の見極めが行われていた

・患者の傷みはそれぞれに違う

〇〇さんは、それぞれに沿った内容の問いかけをして回っていた

私の左手のベットの患者は特別だ

よくはわからないが、骨折などの怪我はある

それに加え、寝返りが打てない・透析を行っている・糖尿病もある・ここ5日間は抗生物質の点滴は刺し放し・24時間オムツ対応・食事は完食することはない

こんな隣の大変な患者にはベテランの□□さんがついて対応に当たっていた

□□さんは、7時10分過ぎになってからこの患者の所に熱いタオルを持ってやって来た

それから、検温、オムツの確認、点滴針の確認などを行っていた

この患者はとても大変だが、対応に当たる看護師も大変かつ丁寧な対応が求められる

確かに、ルールにはルールの根拠がある

でも、運用には柔軟性も必要になる

これをできる看護師とできない看護師がいることを私は学んだ

今日はナイチンゲールの日であった

今朝の対応に当たった私の担当夜勤看護師の〇〇さんは、ギブスの上に固く巻かれた包帯の苦しさから逃れるために私が解いてしまった包帯の巻き直しを手伝うと言って手を出してきた看護師である

その隣には、「駄目だダメだ」とただ言い続けて立っていた看護師の△△君が居た

△△君は正しい!

それは私も認める

〇〇さんは間違っている

それはルール違反である

でも、苦しんでいる私の姿を見てはいられなかったのだろう

ナイチンゲールなら、〇〇さんと同じことをするだろうと考える

今日はそんな日なのである

2026年5月11日月曜日

対処の遅れ

 私の壊死創に対する対処はやはり遅れたと思う

今日行ってもらった形成外科医によるデブリートマン(壊死組織除去)により、それは明らかになったと思う

もっと早くに形成外科医に私の壊死創を診てもらっていれば、もっと早くから壊死創の表面を溶かす処置が取られていたと思う

私と看護師は、かさぶたの様に硬くなった壊死創の表面を、一生懸命に優しく洗い続けて来たわけである

そんな必要はなく、早く硬い層を除去してやる必要があったと思う

この壊死創の下にはウミ(血腫)も溜まっていた

今日、整形外科医はこのウミも絞り出してくれた

一旦収まっていた痛みの再発、痛みの移動は、このウミが原因ではなかったかと思う

形成外科医に私は聞いた

除去した後の痛みはきついですかと!

きつくなると思うとも答えたが、ウミを出したので、以外と軽くなるかもしれないとも言った

なんだか、今の痛みは軽くなってきているような気もする

デブリートマン

 午後になり、若い形成外科医が突然にやって来た

壊死創をみた

この医師も最初にあぁ〜と言った

表面の死んでいる組織を溶かさなければならないという

溶かす薬を使って溶かすか、削るかの方法があるという

痛いのは嫌ですか?

と聞く

勿論、痛いのは嫌ですと応えた

では溶かす方法にしましょうとなった

溶かすには、どのくらいかかりますかと聞いた

2〜3週間はかかると言う

今、夜も眠れないくらい痛いのに、後、2週間も3週間も我慢はできないと考えた

私は早く済む削るデブリートマン(壊死組織除去)を選択した

今このベッドで剥ぎ取るという

若い形成外科医は、「抜糸セット」を用意するようにと看護師に指示を出した

私はうつ伏せ状態になって、ハサミでの切り取り処置を受けた

痛いですよと言うとおり、歯を食いしばって痛い処置を我慢した

隣にいた看護師が、気持ちが悪くなったら言ってくださいと言う

なんで?と聞いたら、気絶する人がいるそうだ

とにかく終わった

でもこれで、直ぐに植皮とはならないそうだ

まだなおきれいにして壊死創内部に肉が盛り上がってくるのを待つ必要があるそうだ

そうでないと、移植の皮膚を貼ってもつかないそうだ

通院は、週ニかな週一かな?と悩んでいる様子であった

通院頻度を決めたかったらしい

どこに住んでいると聞く

〇〇市の〇〇町と答えた

この病院と太平洋との間くらいだと答えた

では西ですねと言う

西に行ったら日本海になってしまうと言った

先生はこちらの人ではないですねと聞いた

来たばかりだそうだ

千葉の浦安だそうだ

私は船橋生れで習志野に住んでいたと応えた

西船橋辺りは変わったという

私が住んでいた習志野の津田沼駅周辺も大変わりしていますよと応じた

医師はマスクを取った

ちょび髭が目に入った

表情が和らいだ

この後も痛かった

シャワールームで壊死創を石鹸水でそれも粗めのガーゼで傷口をこするようにして洗った

細菌膜を取り除く必要があるそうだ

傷口にはゲーベンクリーム(一般名:スルファジアジン銀)を傷口からはみ出さないように塗った

はみ出すと生きている組織まで溶かしてしまうそうだ

あとは今までと同じで、ガーゼと包帯で壊死創の傷を保護した

今夜は、今までとは違った痛みで眠れなくなると思うが、1歩も2歩も前に進んだような気になった

腹立たしく、不機嫌になっていた私の気持ちも少し落ち着いた

p.s.

この形成外科医と私の話は成立した

会話になっていた

しかし、22日間が経過しても主治医との話は噛み合わないままである

私は、話下手でも聞き下手でもない

論理的でさえある

多分、このまま、骨折がどうなったのか私は分からないままで(説明なしのままで)、退院になると思う

私をベッドへ寝かせていることが、彼の骨折治療だったのかもしれない

彼は急に、私を歩かせたくなったようだ

明日からは松葉杖の訓練が始まると思われる

リハビリ室も私のリハビリについて、明日からは迷いはなくなるだろう

歩かせて早く退院させるが「リハビリ目標」となるだろう

骨折を負ったまま!

彼は言う

松葉杖は、左脚を強くつかないようにしてと言う

どうにも矛盾していると私は感じるのだが・・・

リハビリもちぐはぐ

 私のリハビリもなんの方針もないまま進められていると思う

進められているとも言えないかもしれない

4月の29日に平行棒を使っての歩き、翌日に松葉杖を使っての歩行訓練とあって、いよいよ私のリハビリも始まったかと思った

思ったが、その後は1週間も放ったらかしで、単発的に来るには来るが、リハビリは私に何を期待しているのか分からない

私を歩かせたいのか、まずは関節の動き、筋力保持をしたいのかが分からない

私が思うのに、多分、理学療法士も分からないのではと感じている

それは、私の治療方針、治療計画、入院計画が明らかでないことに由来しているからだと思う

主治医は退院をほのめかしているが、退院なら自宅で過ごせるように理学療法士は考えてくれるだろう

骨折箇所の治療方針はどうなっているのかも分からない

ギブス外されている

手術はするのか否か?

はたまた、形成外科へ転院し植皮手術になるなら、歩行訓練の前に関節が固まってしまうのを防止することがリハビリの優先事項になると思われる

理学療法士も困っていると思う

だから、来たり来なかったり、筋トレをさせてみたり、歩かせてみたりと、やらせることもちぐはぐになっている

どうも、私の「骨折+壊死創」の治療、看護、リハビリなど、全てにおいてちくはくな状態が長く続いている

私は、痛み止めを飲み、ベッドに横になり、ただ痛みに耐える入院を22日間も続けている

私が間違っているのか?

 私は間違った考えを持っているのかもしれない

看護師は「患者が少しでも快適に過ごせるように努める」ことに尽力するが、「患者の訴えをつなぐ役割」は担っていないのかもしれないと考えた

私は、私の辛さや痛みを、看護師は上に、医師に、伝え、治療の向上に活かしてもらいたいと考えている

考えているだけでなく、そのようにしてくれるものだと期待をしている

私の考え違いであったのか?、私の期待は反映されていない!

ぎゅうぎゅうに巻かれた圧力包帯が私を狂わせるほどに苦しめている

この包帯を緩めるのを手伝ってほしいと看護師に頼んだが、私達にはその権限がないと断られた

私が包帯を解き始めたら、全員で止めにかかった

くだらんルールよりも目の前で苦しんでいる患者を救うのは看護師の役割では無いなんてことは絶対にない

痛い、苦しい、眠れないと訴えているのに、医師は1週間も私の具合をなぜ見に来ないのか?

医師に伝わって無いと考えるのは普通かと思う

ギブスが外れて特別仕様の脚を長く伸ばして座る車椅子は必要なくなった

車椅子の変更を申し入れているのに「医師の許可を得る」のになぜ3日も要するのか?

そもそも、使いづらくなってしまった車椅子を3日も使わせるのは正しいのかとの思いには至らないのか?

車椅子ごときの、明らかに正しい変更を医師に確認する必要がどこにあるのか?

予定している理学療法士が来ないことを、午前、午後、5時前にと3度看護師に訴えていた

リハビリが予約されていなかったことを、なぜ夜の8時になるまで患者に知らされなかったのか?

なぜこんなバカバカしいことが起こるのか?

やっと寝付けた患者を、朝の6時に、「おはようございまぁ〜す」と明るく元気な声で「検温ごとき」で起こさなければならないのか?

看護師の役割は「患者の入院環境を保持」するだけと考えても、上に挙げた事例は看護師の守備範囲内であり、患者の訴えを聞き入れなかった看護師の怠慢と言える

とにかく、何についても遅い、忘れる、聞いただけが多すぎる

明日はナイチンゲールの日である

ナイチンゲールになれとは勿論言わない

でも、明日の1日だけでもいい

ナイチンゲールの心を汲み取った1日にしてほしい

入院22日間

 壊死創からくる痛みは、ぶり返している

特にこの3日間の夜は長かった

夜襲ってくる痛みは強い

やめていた痛み止めのカロナール500の服用も再開した

勿論、この変化は看護師には伝えてある

しかし、外傷センターの主治医にも形成外科の医師にも伝わってないと考えられる

私は、ここの看護師の対応は信用できないと判断できる経緯をみてきた

看護師は、「聞く」だけで「聞き上げる」対応はしていない

そもそも、私の壊死創の状態や痛みの具合を、外傷センターの手術は7日間、形成外科の医師は4日間もの長きの間、診に来ていない

私はこれを「患者放置状態」と考える

壊死創の広がりは見た目には変わりはないように見えるが、痛みは再発して裏側に上に移動しているように感じる

私の痛みに対する訴え、鎮痛薬の服用情報、アイスノン使用状況は、夜勤・日勤間の看護師の伝達やり取りだけで終えていると思われる

なにしろ、入院から22日が経過し、形成外科での植皮までも決められているのに、私の「骨折+壊死創」に対する治療方針も治療計画も入院計画も決まっていない

骨折に対しては、「手術は無い様だ」との「うわさ話」しか私には届いていない

笑うしかなく、あきれて涙がこぼれる

「壊死創の痛みがぶり返している」ことに対して私はとても怖い!と感じている

外傷センターは私を追い出したいと考えているようだし、形成外科は私を迎え入れてくれる話を提示してくれない

医師と看護師、医師と医師の間のこの2つの連携がうまく取れていな感じを、私は長くい抱いたままでいる

私は、痛み止めを飲み、ベッドに横になり、ただ痛みに耐えている入院生活を22日間も続けている患者になっている

p.s.

私のリハビリもなんの方針もないまま進められていると思う

進められているとも言えないかもしれない4月の29日に平行棒を使っての歩き、翌日に松葉杖を使っての歩行訓練とあって、いよいよ私のリハビリも始まったかと思った

思ったが、その後は1週間も放ったらかしで、単発的来るには来るが、リハビリは私に何を期待しているのか分からない

私を歩かせたいのか、まずは筋力保持をしたいのかが分からない

私が思うのに多分、理学療法士も分からないのではと感じている

それは、私の治療方針、治療計画、入院計画が明らかでないことに由来しているからだと思う

主治医は退院をほのめかしているが、退院なら自宅で過ごせるように理学療法士は考えてくれるだろう

また、形成外科へ転院し植皮手術になるなら、歩行訓練の前に関節が固まってしまうのを防止することが優先事項になると思われる

理学療法士も困っていると思う

だから、来たり来なかったり、筋トレをさせてみたり、歩かせてみたりと、やらせることもちぐはぐになっている

2026年5月10日日曜日

息子の見舞い

 息子が見舞いにやって来た

昨日から来てるようで、一泊して今日私を見舞ってこのまま帰るようだ

私の見舞いと言うより、母の日に妻に会いに来たのだろう

きれいな爪

 そうは言っても年寄りの爪だ

それほどにきれいではない

だが、爪の中には何も詰まっていない

手も誰の手だと思うほどに柔らかそうできれいだ

入院してから21日が経過した

ただ寝ているだけの入院

感染症が怖くて手はよく洗う

爪は伸びた

爪切りもヤスリも用意したので爪は切ることにする

田舎暮らしとは、爪はきれいなままでいることはできないのだと悟った

早く爪が汚れる生活に戻りたい

のりたま

 そうだと思いつき、10年前のエベレスト街道トレッキングでもお世話になった「のりたま」を地下の売店で買ってきた

たかだか180gのご飯だが、おかずが少なすぎて食べきれない

お昼になった

のりたまの封を切った

昼食の蓋を開けてみたら、メニューはけんちんうどんであった

なんだ、がっかり

いつもだとバナナは半本だが今日は一本がついてきた

菜の花の和え物はツナ入りなので食べられなかった

とりたまは夕食に使おう

怒りは禁物

 妻からそんなに怒らないでと言われた

私は、腹部大動脈解離を患っている

腹に爆弾を抱えているようなもので、高血圧が最大の敵となる

怒ると血圧は上がる

妻はそれを心配している

主治医はその日に、私の怪我した脚の状態を診に来ることになっていた

しかし、来ない、いつまで待っても来ない

夜になり、看護師に聞いてみた

「明日にすると言ってました」という

帰ったのか?

帰りました

ナースセンターから私の病室までの距離は登りも下りもなく平坦で、10mと無い

私は怒った!

入院以来初のリハビリの日があった

松葉杖なよる歩行訓練と聞いていた

来ない

誰も来ない

午前中に一度、午後に一度、5時が近くなり一度、療法士が来ないことを看護師に告げた

待てど暮らせど療法士はやって来なかった

夜の8時が過ぎて療法士がやって来なかった理由が分かった

予約されていなかった

これにも私は怒った!

他にもあるがここでやめておこう

怒りが再燃すると妻にまた怒られる

私のゴルフ歴は長い

雨が降ろうが槍が降ろうが約束したゴルフをサボったことは一度もない

私の初期のゴルフの先生は池田先輩であった

コンペの日、若い奴が連絡もなしにゴルフ場に現れなかった

池田先輩は怒った

「約束したゴルフは、お前が死んでいなかったら来い」と怒鳴りつけた

言った内容は変だが、なるほどと感じた

私は池田先輩が発したこの言葉を忘れずに今も大切にして守っている

「男の約束」なんてきざなことは言わない

患者は医者を頼りに生きている

医者はそれを理解する義務がある

交わした約束を一方的に齟齬にするなんて論外だ!

私は、大動脈解離を忘れて(妻には内緒で)怒る

5月12日も近い

 医師も含めて主に看護師の多くの不適切な言動をここに取りあげ述べてきた

隣のベッドの患者は、「謝れば済むと思っている」と怒りをあらわにしている

すみません、何があってもすみません

後にも先にもつける、この「すみません」は看護師の挨拶のように聞こえる

考えてみると、毎日毎日

あっちでは痛い、こっちでは苦しい

ああしてくれ!、こうしてくれ!

中には怒るやつ怒鳴るやつ叫ぶやつもいる

もう、そんなまともに、真面目にはやってられない

オムツを交換している間に、先に聞いたことは忘れてしまう

そんな日常に「慣れっこ」になっていて「痛みや辛さを共有する余力が失われている」のかもしれない

こちらは「訴えて」いるつもりだが、相手は「聞いてあげてる」だけで、「聞き上げてくれてる」わけではないようだ

5月12日も近い

5月12日は、ナイチンゲールの日である

2026年5月9日土曜日

どうもおかしい!

 左隣の寝たきりの爺さんがまたナースコールのボタンを押した

スプーンをお願いと言っている

このやり取りを私は何度聞いただろうか

たくさん聞いたとしかいいようがない

寝た状態でベッドを起こして食事を摂るのだからスプーン無しには食べれない

スプーンを慌てて持ってきて、看護師は毎回謝る

くさる程、ベッド脇のテーブルに置いておけば、あるいは給食部へこの患者は常にスプーン使用でと伝えておけは済む話で、そうなれば看護師も助かるはずだ

右隣の透析も受けている爺さんもナースコールを押した

食後に飲む薬が届いたてないと怒鳴っている

このやり取りも何度も聞いた

斜め前の夜中も咳とくしゃみがうるさい爺さんは、食事の前に飲む薬がないと、これも毎回のようにナースコールボタンを押す

この二人には自主管理で薬を渡しておけば良い

それほどボケ老人でもなさそうだ

私は、最初から薬は自主管理としている

忘れっぽい看護師に薬は預けられない

私も看護師に依頼したことの多くに返答が得られていない

その多くの中から事例を2つ

ギブスを外したので、左脚を水平に伸ばして置く形の車椅子は必要なくなった

これでは脚を下ろせず使いづらい

医師からも看護師からも車椅子を変えようという提案はないので私から要求した

3日後(w)に許可が出た(?)ということで、一般的な車椅子になった

そもそも医師がギブスを外したのだから、許可云々なんて言う話し自体がおかしい

その替えてくれた車椅子の左ブレーキがバカになっていて効かない

これでは左脚を下ろせない私の身体では危ない

直すか、交換してくれと頼んだ

いつになっても修理はされず、交換もされない

空いた車椅子は、談話コーナーにはたくさん並んでいる

私は、適当な車椅子を選んで乗り換えようとした

飛んできた看護師が私を止めにかかった

許可を得てからと、バカなことを言う

誰の許可を得るというのか?

ブレーキの故障だぞ!

医者に、患者さんが壊れている車椅子から壊れていない車椅子に乗り換えたいと言っているんですが、いいですか?と聞くつもりか?

私は止めるのを振り切って乗り換えた

もう一つ

本日来ることになっている理学療法士がなかなかやって来ない

午前中に一度、午後になり一度、5時も近くになり一度、理学療法士は何時になったら来るのと看護師に確認した

夜の8時になってやっと分かった

予約されてなかった

なんとアホなことか

患者に約束していたリハビリの予約を忘れていたこと自体が問題だが、患者が聞いているのに、来ないことに不思議感も抱かず、誰一人としてリハビリ室へ、電話一本もの問い合わせもしてもいなかったのだ

患者不在の対応としか言えない

看護師は患者の話しを聞いたふりして忘れてしまう

無責任極まりない

こんな事例は他にもたくさんある

医者もそうだ

来るといった日に来なく、突然にやってきてバタバタと雑な処置をして患者の話も聞かないで去ってしまう

入院して21日が経過した

私の治療方針も治療計画も入院計画も伝わってこない

私の骨折に対しては手術はしないようだとか、

形成外科との合同手術は取り止めになったようだとか、

この話は、私のリハビリを担当した理学療法士から聞かされた情報である

今夜の夜勤勤務看護師が漏らした話によると、形成外科の△△先生へ〇〇先生は電話をしていたが、△△先生が電話に出なかったので、まだ話は決まってないようですよ!

だそうだ

何とも馬鹿らしい

この病院というか、この病棟というか、どうもおかしい!

個々個人の問題ではなく、マネージメントに問題がある

要するに管理された状態にない

間違いない

それとも、病院とはこんなものなのか?

また、放送が流れた

コロナ禍以降、この病院では、午前10時と午後3時に「窓を開けて換気しましょう」と流れる

だが私は、窓を開けて換気をしているところは一度も見たことがない

ここは、やる決まり、やると決めた決まりさえも実行されていないし、誰も気にしていないように見える

柔軟+筋トレ

 今日は理学療法士が来た

リハビリ室に降り、広いベットの上でまず硬くなっている筋肉を揉みほぐしてくれた

あと、脚を張るような動きと膝を曲げて胸に近づける運動を行った

昨日も行ったクラストレーナーのような器具に座り負荷をかけて(レベル3)手足を動かす運動を10分間行った

その後、再びベッドに戻り、整体的なことのあと、ベッドの上で行える筋トレ・柔軟運動を一つ教わった

両膝で枕を強く挟み、膝は90度に曲げ、呼吸は止めないで、手のひらはベッドに平らに着け、ゆっくりと膝を胸の方向に引き、その後ベットに降ろす運動を10回連続て行い、それを2度繰り返す

今行っているという腹筋、股関節の回転、脚のピン伸ばしにこれを加えると良いとのことであった

暇なので、痛みが出ていない時にやってみる

縛って寝た

 昨日はいつもの通り午後3時過ぎに壊死創は石鹸水で洗い温水で流した

その後は、これもいつもの通り感染に注意を払い、滅菌のヘラに抗生物質のゲンタマイシンの軟膏を乗せて2ヶ所の壊死創に塗り、密封された袋を破り、5枚折15cm角の滅菌ガーゼを指先でつまんで取り出し、それで傷口を覆い、ガーゼをテープで2箇所とめし、包帯を巻いて終わる

看護師はこの皮膚専門看護師(WOC)が実施し示した工程(手順)を覚えようとはせず、毎回私が手順を教えている

私のベッドの脇には文書化された手順が掲示されている

私は2ヶ所の壊死創の細菌感染を一番恐れている

手を貸す看護師もそう思って欲しい

昨日はこの壊死創を洗ってから、何故か壊死創は痛み出した

痛みは続くので、昨日はここからアイスノンを使い足首を冷やし続けた

夜、病室の明かりが消された22時ごろになり、痛みは更にひどくなった

甲の腫れも大きくなっているようだし、熱も持っている

0時を過ぎても痛みは止まらず、体を横にしていることさえできないでいた

我慢ができず、3日間服用を止めていたカロナール500を0時半に服用した

左足にソックスを履き、裸にしたアイスノンを直接足首に当ててタオルを使ってアイスノンを縛ってずれないように止めて身体を横にした

カロナールが効いたのか、直接乗せたアイスノンが効いたのか分からないが眠った

そして朝が来た

今朝は、夜勤勤務の看護師は検温で私を起こすことはしなかった

おかげで、私は7時半まで眠ることができた

トイレを済まし口を洗いベットに戻った時には目も覚めて、頭はスッキリとしていた

朝ごはんもおいしくいただけた

今朝は温泉卵であった

夜勤勤務看護師の早朝の役割は、担当患者の体温と血圧とトイレの回数をもれなく記録簿に残すことではない

早朝の看護師の役割は、患者の安息状態を確認することにある

「大丈夫かなぁ」と思う気持ちが大事になる

元気に大きな声を発し「おはようございまぁ〜す」と叫んで患者を起こすことではない

何を勘違いしているのかと、腹立たしくなる

一つ前の晩の夜勤勤務看護師はそうであった

この看護師、いつもの通り、隣の患者にも、トイレの回数を聞いた

おしっこゼロ、うんちゼロと答えた

看護師は「0−0ね」と言って記録簿にペンを走らせた

えぇ~

おしっこゼロはいくらなんでもないだろう

排尿管を着けているわけでも、紙おむつをしているわけでもなく、歩くことができる患者である

隣の患者も3食は私と同じように食べている

看護師はゼロでも記録簿に残せる数値が聞ければ自分の仕事は終ると考えているようだ

この病棟は、個人差はあるとは思うが、医師も看護師も栄養士も療法士も保全係りも仕事の質は低くい

私がギブスを外した後に与えられた車椅子は左のブレーキがバカで効かなかった

直すか交換してくれとの願いは果たされなかった

談話コーナーの脇にズラッと並んでいる車椅子の中からブレーキがきちんと効くものを選んで乗り換えた

それを見た看護師が私を止めにかかった

かまうことはない

私は乗り換えた

看護師達は駄目だと言うのは早い

だが、患者の要望は忘れるか、無視するか、やらない

それに苦情を言えば、謝る

隣の患者は「謝れはわ済むと思っている」と言う

そのとおりだと思う

隣の患者は、看護師管理となっている薬を毎回要求している

看護師は毎回謝りながら薬を届けるということを続けている

それに「いそがしい!」などの言い訳がつく

私は呆れている

私に処方されている薬は看護師に任せず自分で管理している

任せ切れない、信頼できない

談話コーナーのテレビは壊れたまま、電子レンジは傾いたまま、自動販売機は旧千円札しか使えないといったお粗末なものである

医師、看護師、理学療法士間の連携も意思疎通も悪い

患者は置いてけぼりになっている

理学療法士が知っている私のこの先の治療計画を私は知らされていない

そんなこと、どう考えてもおかしいだろう

院是の「すべては患者さんのために」は死んでいる

何度も言う

ここには二度と入らない

総合南東北病院 外傷センター

磐越自動車道の交通事故で怪我を負った高校生もこの病院に運ばれてきているようだ

当日の当番病院となっていたと聞く

この方たち、外傷センターではなく、ICUやHCUへ運ばれていることを私は願っている

2026年5月8日金曜日

病室テレビ

 私は他人が考えているよりも多くの入院を経験している

怪我も病気もある

中でも母をおどろかし心配させたのは、「穂高滝谷での滑落骨折」であり、妻をおとろかせ心配させたのは、「結核」であった

そんな多くの入院生活において、病室内で個人のテレビを見ることは一度もなかった

左足首がゴルフカートの下敷きとなり怪我を負った

治療のため入院し、今日で3週間が過ぎた

怪我は思いのほか重く、まだ退院はできない状態にある

骨折していて歩けないし、左足首の両くるぶし側には壊死した傷が残っている

痛みに耐えながらの入院が続いている

本は妻に運んでもらって読んでいる

この病棟で本を友としている患者は私一人のようだ

スマホで朝日新聞も読めるし、プライムビデオも見れるし、アマゾンミュージッも聴くことはできる

だが、病室までWiFiは届いていない

3ギガ契約なので、LINEで連絡を取り合うくらいにしかスマホは使えない

LINE電話をかける時や検索やブログ更新などはWiFiがつながるところへ脱走している

一度、看護師に捕まった

一昨日、磐越自動車道で痛ましい事故が発生した

高校生1人が死亡している

重症者も出ている

当病院へも負傷者は運ばれできたようだ

世の中で何が起こっているのか、今日は寒いのか暖かいのかも分からずに過ごしている

今日からカードを買って病室でテレビを見ることにした

見るといってもニュースしか見ない

病人にはテレビはあっても良い

肩腱板断裂の接合入院の際は、談話室のテレビを見ていた

この病棟の談話コーナーにもテレビは置いてあるが、壊れたままで放置されている

9時のNHKニースを見終えたところで、病室も廊下も談話コーナーも消灯となった

明かりがついているのは洗面所だけになる

まだ寝付けないので、いつもの通り、これから本と老眼鏡を持って、車椅子に乗り洗面所に向かう

0時近くまで本を読んで、眠気を誘い込む努力をする

手術なし 連絡もなし

 間にゴールデンウィークを挟んでいると言えども、私のもとに理学療法士は1週間ぶりにやって来た

歩けないと嘘をつき、何でもやってもらうを基本方針としている患者のもとにはゴールデンウィーク中にも午前午後と日に2回理学療法士が来て、リハビリを行っている

この差は何だろうと思うと同時に、私を動かしてはならない理由が何かあるのかとも考えてしまった

今日リハビリルームで行ったのは「有酸素運動」だという

器具に座り、動かせる右脚で圧のかかったペダルを踏み、同時に動く両手ハンドを10分間動かす運動であった

汗もかかずに10分は終えた

トレーニングジムによくある「クロストレーナー」(写真)と同じような器具であった

座ってか立ってかの違いだけのように感じられた

そのリハビリを担当した理学療法士から、また(2度目の)私の治療方法について聞かされるに至った

理学療法士が私に語ったその内容は次の通りである

「外傷センターの〇〇先生(私の主治医)と形成外科の△△先生が(私の)骨折と壊死皮膚の植皮を同時に共同手術で行う話が進んでいたけれど、骨折は手術しないことになったようですね」と

そんな話しを私は聞いてない!

前回もあった

私がいつまでも決まらない左足首の両くるぶしにある2個所の壊死の皮膚の状況を形成外科に診てもらうのはいつになるのかとヤキモキしていた

私の最初の歩行確認に当たったこれも理学療法士から4月30日に次の話を聞いた

「〇〇先生は、形成外科に(私の)傷の状態を診てもらうようにオーダーを出しましたね」

え、いつ!と私

「明日診てもらうようですよ」

そんな話も私は聞いていない

それからそのような話は出ず、形成外科の△△先生が来たのは昨日の5月7日であった

どうなっているんだ!

私の治療方針も治療計画も入院計画も私にはまったく届かない

私の治療計画、入院計画を教えてほしいと看護師にも依頼しているが、まったく返答はない

私は、外傷センターには二度と入院はしない

他の患者に対する扱いを見ていても多くが存外である

痛み止めを飲んで、アイスノンを抱いて、ただ寝ているだけの入院生活を私は既に3週間も続けている

おはようございまぁ〜す

 元気すぎる夜勤勤務看護師のさゆりさんの声である

6時半きっかりに「おはようございまぁ〜す」の声で目覚めた

よく眠っていた

「起こすなょ」と思った

検温の時刻だそうだ

患者の体を心配しているというより、とにかく各自に測ってもらって、記録簿に書き入れることを第一目的のようにして、忙しく動き回っている

私の体温計は37.1℃を示していたが、「はぁ〜ぃ」で行ってしまった

睡眠が治療の様な患者に対しても、起こして、測って、記録に残さなければ彼女の仕事は終わらないのだ

そんな風に感じる患者は私一人だろうか?

昨夜も寝付けなかった

山本一力の小説「峠越え」を読んでベッドで過ごしていた

22時きっかりに部屋の明かりは消された

いつもの通り、明かりがある洗面所に車椅子で向った

ここで小説を12時まて読んで過ごした

相変わらず、眠気は襲ってこない

代わりに足首の傷の痛みが襲ってきた

ベッドに戻り、ナースコールを押してアイスノンを持ってきてもらった

ここに足をせ、痛みをごまかし、眠ろうとしたがなかなか寝付けない

尿意はなかったがトイレを済ましベットに戻って横になった

ナースコールを使ってアイスノンを交換してもらった

十分に冷した

いつしか眠りに入ったようだ

前述の通り、検温ですで4時半に起こされたが、また眠りに就いた

ご飯でえ〜すでまた起こされた

時計の針は、7時49分を指していた

高い声で、キンキンな声で、元気に、「おはようございまぁ〜す」の声を聞くと、なぜだか「腹が立ってくる」

2026年5月7日木曜日

3ヶ月か2週間か

 私の傷の具合を外来診療を終えた形成外科の医師が午後になり確認にきた

包帯を外し、傷を診るなり「死んでる」と言った

外来通院で死んでいる組織を削り取りながら下から(皮膚)浮いて来るのを待つか、または植皮になると言う

浮いてくるのを待つとなると治療に3ヶ月を要するそうだ

植皮だとどのくらいかかるかと聞いてみた

2週間だそうだ

私は「植皮」での処置をお願いした

3ヶ月も通院してはいられない

どこから皮膚を取るかを聞いてみた

お腹だそうだ

「それくらいだとね」と言い残して去った

「それくらい」は、どのくらいなのか?

壊死したところは、大きいのか?小さいのか?

外傷センターの主治医が顔を出した

一旦退院となるかもと言う

おかしなことを言う

骨折したままで退院させて、歩くことも立つこともできない私はどうやって生活を維持すればよいと言うのか??

松葉杖の歩行訓練は6日前に10分行っだけで終えている

今朝も良い天気

 病室内は明るくなっていた

目覚めた

昨日と同じで、時計の針は4時半を示していた

一昨夜と違い、昨夜は足首の痛みはあった

目の前にテーブルの上には看護師が用意したカロナール500が2錠置いてある

ちょっと悩んだが、カロナール500は飲まずに眠ることにした

だが、眠れなかった

目は覚めている

起きて車椅子に乗り、明かりのある洗面所へ向かった

一昨日、妻が置いていき読み進めていた小説の第2話を読み切った

ベッドに戻り少し眠った

何時であるかわからない

足が痛い

ナースコールを押した

要求したわけではなかった

私が何を求めているか既に理解していた看護師はキンキンに冷えたアイスノンを待ってきた

タオルを巻いて、その上に痛みが出ている足を乗せて横になった

眠った

前述の通り、目覚めたら部屋は既に明るくなっていた

今日も良い天気のようだ

もう少し眠ろうとまぶたを閉じた

10分くらい眠ったかなと思った

時計の針は、5時45分を指していた

4日ほど前までの足首の痛みが激しかった頃、10分の進みは、1時間ほどにも感じられていた

何度見ても、時計の針は止まっているように感じられた

眠れるということはとても幸福なことである

2026年5月6日水曜日

シチュー事件

 病院の朝食にクリームシチューがでた

一口食べて「なんだコレ」であった

冷たいと通り越した冷たいシチューであった

隣のベッドの方が、配膳を片付けにきた看護師に「冷蔵庫に入れておいたのか!」と注文をつけた

看護師は応じたが、軽く流した

私もこれは食べられなかった

他のおかずは小さな切り身の魚だけである

今朝は、180gのご飯も食べ切れずに残す結果となった

私は、メニュー表の裏に「温めるのを忘れたのでは?」と書いて配膳トレーの上に残した

たまたま、ベテラン看護師が私の配膳トレーを片付けにきた

私のメモに気づいた

そのシチューの器を取り上げた

「器も冷たいね」と言った

6人部屋のみんなにも聞いて回った

みんなが苦情を述べた

ベテラン看護師は「栄養士に言う」と言って私の配膳トレーを片付けて去った

ベテラン看護師は夜勤勤務であった

時間もかなり経ったので帰ったと私は思っていた

洗面所の近くでスマホをいじっていた私のところへベテラン看護師はやって来た

私に栄養士の回答を報告に来てくれた

ベテラン看護師はあきれ顔で、冷たいシチューの献立だったそうだ

ベテラン看護師は引き下がらなかった

クリームシチューといえば、みんな温かいと思うょと言ったらしい

栄養士は検討すると応えたとのことであった

そして今日の夕食

私の配膳トレーには管理栄養士からの手紙が添えられていた

私のメモは貴重な意見と捉えてくれたようだ

患者はおとなしい

私から見るとおとなしすぎる

あの冷たすぎるクリームシチューは「食えねえぞ」と怒らなくても言うべきだ

ベテラン看護師に私は話を続けた

若い看護師さん、隣のベッドさんの苦情を無視したと思うよと!

ベテラン看護師さん、既に指導済みだそうだ

この病院のこの病棟の問題点は書ききれないほどある

誰かが温暖的にマネージメントしなければだめだ

たが、どこかに掲げてあったと思う

病院の認証システムを取得しているとあったと思う

内部監査も行われているはずだが?!

p.s.

病院内は磐越自動車道で起きた自動車事故の話しがあちこちで出ていた

クラブ活動の高校生のマイクロバスが事故に遭遇した

外に投げ出された1人が死んだそうだ

重症者も多くいるそうだ

けが人は当院に運ばれてきているとの話であった

連休最後の日、痛ましい事故となった

沖縄のボート転覆事故が思い出された

セルフリハビリ

 入院から数えて18日、トイレで便器に座る際に手すりな捕まり右脚1本だけで立つこと以外立ってもいない

先週の木曜日だったか、松葉杖の前トレ(確認)で2〜3分、平行棒につかまり歩いたことと、次の日の病室の廊下で松葉杖のテストで5分くらい歩いただけである

病室の「歩けない」と嘘をついてる爺さんの所へはこのゴールデンウィーク中にも、午前と午後の2回、療法士来てリハビリを進めているのに、なぜ私のところには6日間も療法士はやってこないのか?

差別だ!訴えてやる!

仕方がない

自分でやるか!

左のブレーキの効きが悪い車椅子は、なんだかんだといちゃもんをつける看護師の言うことは無視して、たくさん並んでいる車椅子の中からブレーキが正しく効くのを選んで乗り換えてやった

この正しくブレーキが効く車椅子をベッド脇に着け、後ろへも動かないようにプラタンスに押し付けた状態にして、両手を車椅子の肘掛けに添えて、痛んでいない方の片足屈伸、痛んだ脚の方も加えて、股関節の負け伸ばしを10分ほど行ってみた

気分がいい

体にもいい

時間つぶしにもいい

薄っすらと汗もかいていた

今日も15時にはシャワーの予約を入れてもらっている

着替えもある

ノープロブレムだ!

懐かしさと切なさの同居

 昨夜、浅田次郎の小説「地下鉄に乗って」を読み終えた


幸せとは、懐かしさのなかにあるのではないか。ときおり、そう感じる。

人は、だれしも生きてきた土地と時代に無縁ではいられない。家族という血縁から逃れられないように。そのために、自分の思いどおりには生きられず、苦しみばかりを味わってきたという人は多いかもしれない。

だが、年月を経ることで、自分とかかわったさまざまな縁のかたちが、ちがった側から見えてくる。過ぎた日々は戻らない。起こった事実を受けとめるしかない。無心になって過去を振りかえると、そのときには気づかなかった、かけがえのなさと親しみを覚えることがある。懐かしく思いはじめるのだ。

そしてまた、辛苦や悔恨の情が深く刻まれた思い出ほど、いま自分がここにいることを強く感じさせるだろう。楽しさや悲しさといったひとつの気持ちから生まれる幸福感や不幸感ではなく、もっと複雑で矛盾した「懐かしさ」こそ、生きている証しとなる感情といえるかもしれない。


これは、吉野 仁が書いた「地下鉄に乗って」の解説の冒頭の一節である


私の79年の人生もそんなであったと思う

「懐かしさ」と「切なさ」が同居している

そんな感じを抱かせた小説であった

p.s.

私は、父のような男には絶対にならないと誓って生きてきた

小説の主人公のように

父は周りの人から見ると「立派な」人であったようだ

田舎にも貢献した人のようである

だが、家族の側から見た父は無責任な男であった

満州では贅沢三昧な生活をしていたようだ

甥の大学の資金も送っていた

従兄弟の綿工場設立にも力を貸していた

母が「家を買ってきて」と渡した金を使い果たして満州に帰ってきたそうだ

子供の頃、あの家は私たちの家になるはずであったと母から教えてもらったことがある

自分はキャメルのコートを着てビカビカな靴を履いていた

私と弟と母は、6畳ひと間の汚い外トイレの長屋に住んでいた

外に女がいた

好き勝手に生き、幼い子供2人と母を残して、病気の治療もおろそかにし、何一つ残さないで死んでいった

残された3人は、バラバラな所でバラバラな生活を続けて生きてきた

この「電車に乗って」の小説のように、タイムスリップし、父の若かりし頃の姿を追うことができれば、もう少し、父のことが理解できるかもしれないとは思った

周りから、私は、「父にとてもよく似ている」と言われている

小説の主人公のように

眠れた

 目が覚めた

ぼぉ〜としている

車椅子に乗りトイレに向った

もう、窓が明るかった

スマホの時刻を確認した

4時半であった

昨夜も0時に痛み止めのカロナール500を飲むために、22時に用意してあった菓子パンとジュースを飲んだ

明るい洗面所で小説の「地下鉄に乗って」を読み終えた

ベッドに戻ったの11時頃だと思う

眠った

0時に目が覚めることはなかった

カロナール500は飲んでいない

前日の昼12時にも飲んていない

私は、入院をしてから今日で18日となる

23時間もの長い時間、痛み止めなしで過ごし、痛み止めなしで眠ったのは初めてだ

いつもだと、朝の6時がくれば、3種類の痛み止めと1種類の胃薬を飲む

今朝は、この薬も止めてみることにする

まだ眠れそうだ

もう一眠りすることにしよう

2026年5月5日火曜日

午前中ぼ〜として

 昨夜は一向に眠くならなかった

痛くて眠れないのではないので、苦しいわけではない

まぁ、眠くなるまで待てば良いと思った

小説はあまり読まない

読まないと言うより白けてしまうことが多くて、途中で放棄というものが多い

妻が小説ではない意外な本も勧めた

この「ドードーの歌」はおもしろい

だが、この手の本を読む場合、私はメモを取りながら読む癖があるので、入院中はちょっと難しい

一昨日に妻が黙って置いていった浅田次郎の小説「地下鉄に乗って」は面白くなり、朝の5時まで読み進めた

さすがに疲れて、5時にはベッドに戻った

眠ろうと思ったが、疲れているだけでまだ眠くはならない

6時になり処方されている3種類の鎮痛剤と1種類の胃薬を飲んで横になったがまだ眠気は来ないが、午前中は、ぼ〜としてベッドの中で体を横たえて過ごした

夜は寝ないと、次の朝がきついとわかった

「地下鉄に乗って」はまた昼過ぎから読み始めた

思った

小説は苦手なのだが、そんな中でもタイムスリップ物は好きなようだ

蒲生邸事件やJIN‐仁は面白く読んだことを思い出した

それと、「地下鉄に乗って」は東京メトロが題材となっている

私も東京で長く働き、この小説の中に出てくる地下鉄と場所は懐かしさも加わるので読み進められていると思う

銀座も渋谷も青山も私の勤務地であった

p.s.

妻は今日、また新たな小説を持ってきた

浅田次郎の「闇の花道」と山本一力の「峠越え」である

ベッド生活だと、文庫本の方が重量の関係で楽だ

深夜読書

 今夜は痛くて眠れないわけではない

今夜もいつもの通り、0時少し前にカロナール500は飲んだ

この鎮痛剤が効いているのか、もう夜であっても痛みが襲ってこなくなったのか、どちらかはわかないが、眠れないほどの痛みはない

アイスノンは痛みの防止には欠かせない物になっている

新しくキンキンに冷えたアイスノンを持ってきてと頼んだが、あまり冷えたものがないと言って済まなそうに2つ持ってきた

2つは要らないので一つを受け取ったが、確かにあまり冷えてはいなかった

なぜ、この夜中なのにギンギンに冷えたアイスノンが無いのか不思議であった

あまり冷えてはいないが、これで痛い足を冷やしていたが、まったく眠気はやってこない

一昨日に妻が来た時に、テーブルの上に黙って浅田次郎の小説「地下鉄に乗って」を置いていったようだ

先に置いていった小説「シェエラザード」は少し読んだが、白々しくて面白くない

深夜だから部屋は真っ暗になっている

まぁ、と思い、シェエラザードも持って、本を読むのに適した明るいところ探した

ナースセンターの前が比較的明るく、そこでシェエラザードを再び読み始めた

やはり面白くない

代わりに「地下鉄に乗って」を読み始めた

これも最初、面白くないなぁと思ったが、眠気はまだ来ないので、更に少し読み進めた

のっぺい先生が出てきたあたりで面白くなってきた

トイレに行きたくなりトイレに向った

もっと明るい所を発見した

洗面所は煌々と明かりがついていた

ここで「地下鉄に乗って」を読み進めている

2時半近くになったが、全く眠くならない

まぁ、寝なくても良い

p.s.

不思議なことにもなった

3階のこの病棟にWiFiは届いていない

届いていはずなのだが、この洗面時では繋がった

この洗面所の位置だと届くのか?

それとも深夜だから届くのか?

場所を変えて確認してみた

どうも、この洗面所のこの位置だけなようだ

誰もわかっていないのか、わかっている人は黙っているのか

どっちだろう

2026年5月4日月曜日

赤い光

 夜の病院は怖い

子供のように、暗いから怖いといった様なことではない

昼間は何でもなかった痛みが、夜になるとなぜか襲ってきて眠れなくなるから怖い

いま入院中の私は、夜、熟睡できるような対策をいくつか取っている

(1) 0時頃に鎮痛薬を服用する

(2) 痛い脚を冷やし続ける

(3) 赤い光の中で眠る

(4) 音楽を聴きながら眠る(病院ではイヤホン)

※ 赤い光は登山用のヘッドランプの赤い光をいま私は枕元で灯している

※ 緊急ライトだが、点滅モードではなく点灯モードで使っている

(3) に付いての理由をAIに説明してもらう

眩しくない赤い光の波長は、主に640nm〜770nm(ナノメートル)の範囲です。

この波長域の赤い光が眩しく感じない主な理由は以下の通りです。

目の感度(暗順応の維持): 赤色光は、暗闇で物を見るために働く「桿体(かんたい)細胞」を刺激しないため、暗闇に慣れた目(暗順応)を維持でき、眩しさを感じにくいです。

エネルギーが低い: 可視光線(目に見える光)の中で、赤い光は最もエネルギーが低く、青い光に比べて網膜への刺激が少ないです。

具体的な用途と波長:天体観測・緊急用ライト: 630nm〜660nm付近がよく利用されます。

睡眠用ライト: 赤い光はメラトニンの分泌を抑制せず、寝付きを良くする効果があります。

特に660nm付近は、明るさを感じにくく、暗所作業用として適しています。

病院家族

 入院していると色々な家族に出会える

私が入院をしている病棟にWiFiは届いていない

妻に電話を入れる必要があったため、本館の地下一階の売店のところまで降りてきた

電話は鳴れども妻は出ないので、私は病室へ戻ろうとした

その時、目の前を頭部も固定されているように見える大きな電動車椅子が私の目の前を通った

電動車椅子の後ろに高校生くらいの女の子がついてきていた

電動車椅子は乗っている患者が左手で操作をしていた

電動車椅子が進む先にはレストラン前に置かれた椅子と小さなテーブルがある

その椅子には父親らしき人と母親らしき人が笑顔を向けて座っている

その脇に立っていた中学生ほどの女の子が電動車椅子がに向って走り出した

電動車椅子は止まった

その子は電動車椅子の人に抱きついた

私は突然涙が流れてきた

いま、こうして書いていても涙が流れ出てくる

電動車椅子のあっちにもこっちにも、後ろにも脇にもスヌーピーのぬいぐるみやらバッグや、その他の色々なスヌーピーがぶら下がっていた

どうも三姉妹らしい

電動車椅子の子も女の子のようで体の大きさから見ると長女のようだ

車椅子の後についてきた子は次女くらいで、抱きついた女の子は一番下の子のように見えた

大好きなお姉ちゃんに抱きついたように見えた

本当のハグを私は見た

どのような入院生活をしているのか想像もできない

私も妻もサンドウィッチマンの「病院ラジオ」をよく見るが、どこの病院にも辛い思いを抱えている家族はいるのだとあらためて感じた

いま私は、家族という言葉以上に温かく感じられる言葉はないのではと思っている

足の怪我からも、私に色々なことを教えてくれる

ブリマポア

 左足首の傷については、壊死もあるし傷も広く痛みも強く出ているので、この創傷被覆材は使われていない

しかし、事故時、右足にも右肘にも左指にも怪我は負っており、これらに傷に対しては、とても便利な被覆材が使われている

これはなんというものなのか?

GoogleAIの写真画像で質問してみた

軽度の滲出液がある創傷に適していますとあり、私の傷に本当に適していた

得られた回答は次の通り

AI による概要

選択された画像は、スミス・アンド・ネフュー社の「プリマポア」粘着性創傷被覆材です

  • 製品名: PRIMAPORE(プリマポア)
  • 特徴: 通気性の良い不織布のトップ層と、創傷に付着しにくい吸収パッドで構成されています。
  • 用途: 切り傷、擦り傷、軽度の滲出液がある創傷に適しています。
  • サイズ: 8.3cm × 6cm

壊死している傷の状態

 怪我をした日から数えて17日が経過した

これと言った治療はしていない

簡単に言えば、痛み止めを飲みながらベッドに横になっているだけだ

腓骨に入った細い糸を引いたようなヒビ状の骨折を最優先にとかんがえられ、脚全体をギブスで固定する治療から始められた

壊死している擦過傷の手当ては何も処置にされないままで、入院から9日間も放置された

骨折の痛みではなく、傷の痛みが激しくなり苦しんだ

主治医が休みの日に、私の苦しみを見かねた看護師により、代わりの医師が擦過傷の状態を診てくれた

その日からギブスは外され、傷の洗浄と抗生物質の塗布を行うこととなり、本日まで6日が経過した

本日、突然に、神出鬼没の担当医が傷の様子を見に来た

良くなってきた

黒いところ(壊死)も小さくなってきた

周りの赤いところが見えてきた

形成外科に診てもらう時期にきた

とのことであった

しかし、黒いところは(壊死)の大きさは、入院した時と変わらないかそれ以上に大きくなっている

小さくなってはいない

掲載した写真は、外くるぶし側に負った傷である

前述の通り、黒いところが壊死している組織である

反対側のくるぶしの脇にも小さく10円硬貨大の壊死した組織がある

植皮になるにしろ、私としては早く形成外科の診察を受けたい

この傷はどの程度の問題か、どのような処置が必になるかを早く知りたい

この先しばらくの生活をどうするか、考えなければならない

めまいの持病の発症や、一昨日から帯状疱疹になってしまった妻のことも心配になる

私がいま帰ったら、「老老介護」を超えた「病病看護」になってしまう

突然にやって来た

 連休明けまでは来ないと思っていた神出鬼没の担当医が、さっき、突然に、やって来た

今日は随分話したし、優しかったな

傷の状態を確認したあと、「形成外科で診てもらう時期に来た」そうだ

「黒いところがはっきりとしてきた」と言う

元々黒い所は、はっきりしていたと私は思っていて見解にはギャップがある

ギブスへのこだわりは今も強い

「歩けなく危険もあるから」と言う

本当はギブスは着けておいたほうが良いという

木曜日に(骨の)レントゲンを撮るという

ギブスを外した後であったから、29日だったと思う

入院時にも撮っているが、2度目の骨折箇所のレントゲンも撮り終えている

この結果を聞くのを私は忘れた

何の前触れもなく、突然にやってくるので聞きたかったもすぐには出てこない

専門医でないと見えない細い糸を引いたヒビのような骨折だが、それほどに問題になる骨折なのかと疑問にもなる

一緒に(?)針金を1本刺す必要があるかもと言う

一緒とは何を指すのか?話しの流れからすると形成外科と一緒にという意味にとれた

針金を刺すとは、骨の芯に金属を通して固定するという意味だ

私は、左人差し指の手術で経験済みである

その時には、針金を抜くまでの間、人差し指の先から針金は飛び出していた

足首の傷については、形成外科の予約状況を確認して「外来で」と言った

形成外科へは外来受診をさせる気でいるようだ

植皮となると手術後が長くなる

動かしてはいけないからねと言う

外来と言うし、植皮後は長くなると言うし、今日は比較的に長く話したが、話しの見えないところがある

リハビリの今までの経緯も少し話したが、

まったく、この件には反応しなかった

植皮の件とリハビリの報告、また骨に針金を刺す件の話は、去っていく医師の背中越しの質問・回答となった

慌ただしい

新車

 脚が下ろせるようになった

理学療法士が私のベッドにも訪問してくるようになった

最初の日の平行棒によるチェックも簡単にクリアー

次の日の松葉杖による歩行チェックも一発でクリアー

暇なものだから、松葉杖による歩行チェックは楽しんだ

次の日からは松葉杖による歩行訓練になると思っていたら、ゴールデンウィークに入るため、私のところに理学療法士は回せないと言う

6日間もこれないそうだ

歩けないと嘘をついている斜めベッドのジジイのところには午前午後と2度も毎日来るのに私の訓練はどうしてやってくれないのか?

差別だ!!

一昨日から車椅子が新車となった

新たな車となっただけで、ボロボロな中古車だ

脚乗せの出っ張った前がないので扱いやすいが、早速、平らに落とす事が出来る足乗せに引っ掛け右足に擦り傷ぽいものを作ってしまった

ここに赤チンはない

自分でゲンタマイシンをちょこっとすり込んでおいた

大部屋病室

 私が経験をしてきた昔の病院の大部屋は4人部屋であった

昔も今と同じようなカーテンでベッドの間は仕切られていた

仕切られてはいたが、朝になれば、すべて開いていた

患者同士はよく話をした

病気、病状、経緯は勿論、仕事の話し、趣味の話し、家族の話にまで及ぶことは当たり前のように多くあった

見舞い者は入院患者に挨拶をしながら入室してきた

見舞いで持ち込まれたお菓子や果物などはみんなにわけられた

見舞い客は、当該病人だけを心配するだけにとどまらず、同室の病人の痛みを嘆き、回復と聞けば喜び励ました

整形外科の病人の見かけは痛ましいが、病室内は賑やかであった

勿論、痛みに耐えてそれどころではない人も居たが、そのような方への配慮は怠ることはなかったと思う

医師や看護師と患者や家族の間も、今よりもっとフランクであった

私は若い頃、穂高滝谷P2フランケで滑落し左肘を折って4人部屋に入院した

退院前日に私のベッド前に入院治療をしていた大工の奥さんが、そっとビールを隠して持ち込み、病人3名と大工の奥さんの4名で私の退院祝をしてくれた

私が一番遅く入室し、一番早く退室した患者であったのだが、この同室3名の方のことは今も忘れていない

多分私は、北アルプス穂高岳でのクライミングを、自慢気に面白おかしくベラベラと喋っていたものと思う

本当は死んでいてもおかしくない滑落であったのだが!

前述の通り、私の前のベッドには屋根から落ちた大工の方、私の斜め前方は全学連の学生の方、私の隣の窓側のベッドの方は、ステンドグラス作家でイギリスから一時帰国されていた方と記憶している

全学連の学生は、内ゲバで両両足を骨折していた

一時期は、両手両足を吊り下げられていたそうだ

治療なのか拷問なのか、分からない状態であったと思う

当時の病室の入り口には、入院患者の氏名が表示されていた

この内ゲバで、両手両足を折られた学生の氏名は表示されていなかった

何故なのか理由はわからないが、再度襲われる危険もあるのかなと私は考えていたことも覚えている

イギリスから一時帰国していた方は、日本の健康保険には加入はしていないので、全額自費となる治療費のことを心配していた

イギリスでの生活のことも話されていて、日本人の自分は差別を受けていると聞かされた

病室にテレビはない

談話室みたいなところはあったと思うがそこにもテレビはない

小さな病院ではないが、テレビは一階のホールにしか置かれていなかった

この年は甲子園で銚子商業が優勝した年で、病院の一階ロビーで、患者も見舞者も医師も職員も一体となって大声で銚子商業の千葉県の優勝を万歳で喜びを分かち合った

銚商「黒潮打線」を優勝に引っ張った4番は、ジャイアンツに1位指名で入団した篠塚である

今、私は6人部屋に入院をして16日が経過しているが、入院患者の誰とも一言も話していない

病室内の人間関係も昔とは大きく変わった

p.s.

昔の病院は屋上にも行けた

勿論、屋上は高いネットフェンスで囲まれていた

屋上は洗濯物干し場にもなっていた

私は、屋上に行ってタバコを吸っていた

ちゃんと大型の灰皿も置かれていた

この灰皿も定期的に掃除もされていたと思う

私は、この怪我の入院で16日間も陽の光を浴びていない

太陽が恋しい

満足度80%の熟睡

 一昨夜も眠れた

そして、昨夜も眠れた

満足度は高く、「80%熟睡」と表現する

消灯の22時から1時まではうつらうつらの睡眠

その1時に、鎮痛剤のカロナール500を1錠飲み、アイスノンを交換してもらった

そこから5時30分まで、ほぼ熟睡できた

昨日は日中もアイスノンを使って左足首を冷やし続けた

ふくらはぎの腫れは4月28日にはかなり引いていたのだが、甲の腫れが引かないでいる

昨日は前述の通り、日中も足首を冷やし続けていた効果なのか、身体が治し続けてきた効果なのかわからないが、甲の腫れも少し引いてきたように感じる

5月1日から甲の部分に巻かれていた包帯は外されたので甲の状態はよく見えるようになった

昨日も見舞いに来た妻は、甲の腫れも引いてきたと言っていた

一昨夜、昨夜と眠れたのはこの甲の腫れの治まり具合と関係しているようにも思えた

右足を痛めている患者が私の前のベッドに寝ている

昨夜は、鳴き声に近い唸り声を発していた

この人の苦しみを私は理解できる

この人のベッドには、一昨夜から心療内科と思われる医師が来ている

一昨夜はこの医師と10分以上、2度の問診が行われていた

眠れないと訴えていた

この人の主治医も私と同じだったと思うが、主治医は私以上にこの人のところには来ない

2026年5月3日日曜日

優先順位が違う

 これは、主治医が作ったギブスである

私の枕元に飾ってある

出血した後が見える

よく作られているように見えるか、これがそうではない

私はこのギブスにも痛めつけられた

そもそも、このギブスの製作意図がナンセンスなのだ

痛みの箇所と壊死している傷の所は避けて作るべきである

だが、これは痛みの箇所の両くるぶしと、くるぶしの脇の壊死している傷の箇所を両側から挟んで締め付けるようにこのギブスは作られている

そしてまた、そもそもだが、

ギブスそのものが必要であったのか、疑問になるのである

今回の怪我の重要度から見ると、次の優先順位となる

① 壊死している皮膚の感染防止と保護

② コンパートメント症候群の進行防止

③ 骨折箇所の保護

だが、主治医の行動から見るとこの優先順位は逆になっている

骨折箇所の保護を第一優先とし、骨折箇所の保護の為、ギブスは作られ脚にはめらた

その上から包帯は強く巻かれた

骨折は、膝下に2本ある内の細い方の腓骨にある

骨折は横に細く糸を引いたようなヒビである

緊急外来へ駆け込んだ19日に、レントゲン画像から細い骨折を見つけたER の医師は、「そのままでも」と言うくらいの骨折なのだ

ERの医師が入院を決めたのはこの腓骨の骨折が理由ではない

脚の腫れのコンパートメント症候群と、傷の中にある壊死を理由として入院を決めたのである

それを主治医は何を取り違えたのか、骨折を最重視した治療方針で今まで進んできてしまった

ギブスの中の肌に直接巻く包帯も、ギブスの上に巻く包帯も強めに巻いた

骨折の保護には良いだろうが、コンパートメント症候群で脚はパンパンに腫れている

ここを、ギチギチに締め付けるの逆治療となる

ギブスは傷に当たり、より悪化させてしまった

細菌感染を最も気にしなければ壊死している皮膚の保護をないがしろにし、消毒も洗うこともしなかった

主治医の治療優先順位はまったく逆である

それに加え、皮膚の専門医にもなる形成外科にどうして私の傷を診てもらおうとしないのか誠に不思議である

形成外科の病棟は今私が入っている病棟のひとつ下の階にある

主治医は、では、ゴールデンウィーク開けに「紹介状」を書くと言っている

え!紹介状

違うだろう

下の階に行って、壊死していそうなんだけど、チョット診てやってょ!で済む話だと思う

直ぐに手術してやってょの話ではない

馬鹿げている

また言うょ

医者は頼りにすべき存在だが、信用すべき存在ではない

今日の昼もパス

 左足首の傷から来るの痛みは、夜になるの鎌首を持ち上げてくる

日中は、痛くないわけではないが、夜の恐ろしい痛みとは違い、わりと楽に過ごしている

昼食後は、鎮痛剤のカロナール500を服用するようになっている

しかし、昨日の昼もそして本日の昼も処方されているカロナール500を服用しないで過ごしてきた

但し、左足首はほとんどの時間、アイスノンの上に置いて冷やし続けてきた

これで、ほとんど痛みは感じずに過ごせていた

夕食後には処方されている鎮痛剤2種類は服用した (カリナール500+セレコキシブ)

夜は怖い!

眠りたい!

癒しのMatthew