2026年5月4日月曜日

大部屋病室

 私が経験をしてきた昔の病院の大部屋は4人部屋であった

昔も今と同じようなカーテンでベッドの間は仕切られていた

仕切られてはいたが、朝になれば、すべて開いていた

患者同士はよく話をした

病気、病状、経緯は勿論、仕事の話し、趣味の話し、家族の話にまで及ぶことは当たり前のように多くあった

見舞い者は入院患者に挨拶をしながら入室してきた

見舞いで持ち込まれたお菓子や果物などはみんなにわけられた

見舞い客は、当該病人だけを心配するだけにとどまらず、同室の病人の痛みを嘆き、回復と聞けば喜び励ました

整形外科の病人の見かけは痛ましいが、病室内は賑やかであった

勿論、痛みに耐えてそれどころではない人も居たが、そのような方への配慮は怠ることはなかったと思う

医師や看護師と患者や家族の間も、今よりもっとフランクであった

私は若い頃、穂高滝谷P2フランケで滑落し左肘を折って4人部屋に入院した

退院前日に私のベッド前に入院治療をしていた大工の奥さんが、そっとビールを隠して持ち込み、病人3名と大工の奥さんの4名で私の退院祝をしてくれた

私が一番遅く入室し、一番早く退室した患者であったのだが、この同室3名の方のことは今も忘れていない

多分私は、北アルプス穂高岳でのクライミングを、自慢気に面白おかしくベラベラと喋っていたものと思う

本当は死んでいてもおかしくない滑落であったのだが!

前述の通り、私の前のベッドには屋根から落ちた大工の方、私の斜め前方は全学連の学生の方、私の隣の窓側のベッドの方は、ステンドグラス作家でイギリスから一時帰国されていた方と記憶している

全学連の学生は、内ゲバで両両足を骨折していた

一時期は、両手両足を吊り下げられていたそうだ

治療なのか拷問なのか、分からない状態であったと思う

当時の病室の入り口には、入院患者の氏名が表示されていた

この内ゲバで、両手両足を折られた学生の氏名は表示されていなかった

何故なのか理由はわからないが、再度襲われる危険もあるのかなと私は考えていたことも覚えている

イギリスから一時帰国していた方は、日本の健康保険には加入はしていないので、全額自費となる治療費のことを心配していた

イギリスでの生活のことも話されていて、日本人の自分は差別を受けていると聞かされた

病室にテレビはない

談話室みたいなところはあったと思うがそこにもテレビはない

小さな病院ではないが、テレビは一階のホールにしか置かれていなかった

この年は甲子園で銚子商業が優勝した年で、病院の一階ロビーで、患者も見舞者も医師も職員も一体となって大声で銚子商業の千葉県の優勝を万歳で喜びを分かち合った

銚商「黒潮打線」を優勝に引っ張った4番は、ジャイアンツに1位指名で入団した篠塚である

今、私は6人部屋に入院をして16日が経過しているが、入院患者の誰とも一言も話していない

病室内の人間関係も昔とは大きく変わった

p.s.

昔の病院は屋上にも行けた

勿論、屋上は高いネットフェンスで囲まれていた

屋上は洗濯物干し場にもなっていた

私は、屋上に行ってタバコを吸っていた

ちゃんと大型の灰皿も置かれていた

この灰皿も定期的に掃除もされていたと思う

私は、この怪我の入院で16日間も陽の光を浴びていない

太陽が恋しい

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