10月19日に受けた精査の時と同じく、内視鏡室の前の椅子に座り、小さな紙カップ一杯の胃の中をきれいにすると言われた液体を飲み、その後、喉の部分に麻酔をかける為に口を開けてスプレーを受ける
今回は19日の精査の時よりも念入りにスプレーをかけられた
内視鏡室に入ると直ぐにベッドに横になった
内視鏡室内には、内視鏡室の外から私を案内したナース1名と内視鏡室内の若いナースが1名、若い女性の助手が1名、執刀医(○○医師)1名の体制である
助手であることが直ぐ分かったのは、執刀医と同じ濃紺の手術着を着ていたからだが、彼女は医師ではない(消化器内科に女性の医師の登録はない)
彼女も看護師と思われる
こう言ってはいけないのかもしれないが、動作や発言を聞いていると「私はチョット違うのよ」といったオーラが漂っていた
私に話しかけることは一切なかった
19日の精査の時とは違い、内視鏡室内は、私のESD手術の準備が完全に終わっている状態ではなかった様であった
麻酔薬が点滴チューブを通して注入されたが、すぐには効いて来なかった
内視鏡室外の年配のナースと内視鏡室内にいた若いナースの2人で私の足と手を縛り始めた
両腕の間、両足の間、お腹と両腕の間、背中とベッドの間には大小様々なクッション入れて、身体も動かないように固定された
点滴は左腕につけたまま、身体には心電図につながる端子、その下の脇腹に電気を逃がすアースが貼り付けられ、左手薬指にパルスオキシメーター、右腕上腕に血圧計などが取り付けられた
私の前に立ち器具を点検している医師に、○○先生ですか?と声をかけた
○○です!と返事が帰ってきた
よろしくおねがいしますと言ったのか言わなかったのか、この辺りから記憶がなくなった
声をかけられて目が覚めた
その時には既にESD手術は終わっていた
私はまだ、内視鏡室内に居た
私は縛られていた状態から開放されつつあった
私は「1時間位かかりましたか?」と誰に質問するでもなく聞いていた
内視鏡室内担当のナースが、「内視鏡室に入ってから1時間、手術に2〜30分と応えてくれた」
自力で立ち、移動用のストレッチャーに自分で上がり、横になった
内視鏡室を出るストレッチャーの上から、私は、内視鏡室内にいる方たちに向けて、私はお礼の言葉を投げた
なんと返事が帰ってきたか忘れたが、内視鏡室内からも言葉が帰ってきた
内視鏡室から出ると家内が待っていた
私は動いているストレッチャーの上から家内に手を振った
私はそのまま3F消化器内科の自室のベッドへ戻った
自力で自分のベッドに移れるのだが、ナースからは寝ていてくださいと言われた
スライダーを使って、ナースが3人がかりで、ストレッチャーからベッドへ私をスライドさせた
この時からベッドで横になっているしかない、身体も起こしてもいけない状態に入った
トイレにも行けないし、水を飲むのも禁止である
ナースから家内は帰ったと知らされた
家内は、執刀医から、摘出したがんの部位を見せられ、手術の状態も話があったと思う
家内は私が注射を受けるのも見れない方なので、摘出部位を見るのは辛かったと思う
あとから家内から話を聞いてホッとしたのは、このESD手術のことではなく、もう一ヶ所、19日の精査の時に採取したがんではないかと疑いがあった咽頭部の生検の結果であった
家内は、内視鏡室内から出てきた執刀医から「悪いものは見つからなかった」との回答を得ていた
後、私はベッドの上で「じっと我慢の子」で過ごし、順調に入院計画表の通りに退院したい
手術時の穿孔はなかったので、後は出血がないことを願う
「備考」
写真は着けっぱなしの点滴のひとつ
このソルデム3Aは維持薬で、水を飲んでいない私に水分を補給してくれている
もうひとつの併用の点滴はソルアセトF
細胞外液の補給とある
【追記】
10月26日9時30分
心電図モニター端子が身体から外され、送信機も外された
圧力ソックスも外された
身体を起こすことも許可となり、水も普通に飲んで良いことになった
胃潰瘍の制酸薬も再び飲むことになった
尿瓶からも開放され、トイレにも行ってきた
一旦、点滴チューブを途中で外してもらい、病院パジャマからTシャツとジャージーパンツへと着替えた
この先、順調に行けば、入院計画表を見ても何もやることはない
明日からか、食事も三分粥から始まる
退院日の30日までは、やることがなく相当に暇になるだろう
山岳書を3冊持ってきたのでこれでも読んでいよう
コーヒーが飲めないのが悲しい!
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