新型コロナウイルス感染症の発症から本日で15日となる
10日目に熱が下がった後、寝ていれば治ると思って過ごしてきたが治らなかった
重症化していると考えてよいだろう
重症化は、加齢による免疫力の低下も関係していると思われる
15日間の経過をみると、咳の種類が変わってきたように感じている
最初は高熱とともに激しい乾いた咳が続いたが、8日目から痰が交じる咳に変わり、現在は発作的に出るヒューヒューとなる咳に変わった
今も息苦しさが続いていて、本日になって寝ているだけでは治らないとの判断に至った
妻に今回も開院前に受診の順番を取りに医院に行ってもらった
診察では、右肺の呼吸音が低いとのことで胸のレントゲンを撮った
画像からは肺炎は認められないとの判断に至ったが、診察中に発作的に出た私の咳を聞いた医師は「喘息の様な咳だ」と言った
気管支炎を起こしていると思われるとのことで、抗生物質が処方された (クラリスロマイシン錠200mg「サワイ」)
他に痰を切り、咳を和らげる漢方薬 (麦門冬湯エキス顆粒「ツムラ」)と痰を出しやすくする薬 (カルボシステイン錠500mg「トーワ」)が処方された
咳の激しさを聞いた医師は前述の薬に気管支を広げる貼付薬 (ツロブテロールテープ2mg「久光」)が追加で処方された
就寝前に胸とか背中に貼って寝ると良いようだ
皮膚刺激を避けるために毎回貼付け位置を変える必要があるそうだ
医師はマイコプラズマ肺炎の話しをし始めたが、私は「マイコプラズマ」の話しは聞きたくもないのである
9年前の2016年11月16日にネパールから発熱したまま帰国した翌日に受診した大病院の感染症専門医は、私の病名をマイコプラズマ肺炎と診断しその治療を開始した
その医師にも話したが、いま、日本各地でマイコプラズマ肺炎がいかに流行っていよとも、昨日ネパールから帰ってきた私がマイコプラズマ肺炎に感染するはずはない訳であるし、帰国2日前から発症するはずもない訳である
入院を勧められたが、入院に耐えられそうになかった私は、マイコプラズマ肺炎と言い切る医師のそれを断り自宅療養で過ごすことにした
第一、マイコプラズマ肺炎として医師が処方した治療薬は全く効かなかった
帰国当時は、感染症炎症反応(CRP)が数値にも現れており、発熱は39.9℃まで上がり、肝機能も心配されたが、肺炎と言う割には不思議なことに胸のレントゲン画像(肺・気管支・心臓)に特段の異常は見られなかった (今回も9年前と同じく激しい咳が伴う割に胸のレントゲン画像に特段の異常は見られなかった。なぜだ??)
私の体の不調は帰国から15日間の自宅療養で治した (当たり前だが、今でもそれはマイコプラズマ肺炎ではなかったと信じている)
かかりつけ医が心配してくれた感染症炎症反応のCRPの数値も下がった
しかし、 69歳は今とは違う体力も免疫力もあったとは思う
事実、毎日2度測るパルスオキシメータによる酸素飽和度の数値が70.0%に近い値が出ていても、私はエベレスト街道も5500mのの峠越えもクンブ氷河上もエベレストベースキャンプで折り返しルクラまで高山病も乗り越え誰よりも元気に歩いた帰ってきた
69歳の私にはそれほどの体力があった
カトマンズで体調を崩しても耐えて帰国した
マイコプラズマ肺炎は、他にも嫌な思いがある
1979年から1980年の正月にかけて私は妻と25日間のネパールでのトレキングを楽しんで来た
帰国したその年の1980年、私は微熱に悩まされ続けた
大きな病院で診てもらった
マイコプラズマ肺炎と診断されて一年近く治療を続けたが、微熱が下がることはなかった
夕方になると熱が出た
結局これは誤診で、私は結核を発症していた
予約診察日に担当医師が休んだことで代わりの医師が私を診た
その代わった女医は、「いつまでも放っておいたらダメでしょう」と私を怒った
私は怒られる理由がわからなかった
担当医師に言われるままの治療を続け通院していた
代わった医師は、その日に私の腫れている頸のリンパ節からサンプルを採取し病理検査へと回した
幸いなことに開放性の結核ではなく、結核ではあるがリンパ節炎との診断で、50日ほどの入院の後は普通の生活に戻ることができ、仕事も続けられた
たが、完治には5年の歳月を要した
私を最初に診た医師は結核の知識が欠如していたわけだが、その病院は別棟に古くから結核専門病棟がある大病院であった
私が医者に対する不信感を抱くようになったのはこの頃からである
今では、専門家である医師は頼りにはするが、医師の言うままを鵜呑みにはせず、疑問や知りたいことは遠慮せずに聞くことにしているし、示された画像や資料はコビーを要求している
もらってきた画像や資料には、診察時に医師から説明がなかったことも書かれていることは多い
専門的な用語や記号も今の時代、調べれば多くのことはかなり理解できる
そこから疑問や知りたいことが浮かび上がってくることもある
患者の方も悪い
医師の説明をきちんと聞いてこない患者は多い
メモも取らない
医者に任せておけば良いではダメなんだ!
これは異常すぎる事例に当たるが、青森みちのく記念病院では、殺人で殺された人に肺炎の死亡診断書を指示した医師もいれば書いた医師もいた
ここは、「みちのく“危険”病院」と名を変えた方が良い
病気から少し離れる
妻とネパール旅行するには私も妻も仕事は休まなければならない
正月の休みを挟んで年末に9日、年始に9日の土日の休みを含めての休暇申請を出した
正月休みを含めると30日近くの休みとなる
私は33歳の出世遅れの係長であった
係長と言っても部下はいないスタッフ職の係長である
私の休暇申請に対し、部長はカンカンに怒った
そんなに長く休む奴なんていないと、職場の社員が聞き耳を立てている中で怒鳴った
しかし、私の有給休暇は沢山残っていた
私は計画通りに休んだ
帰国してみると、私の仕事に問題も支障も起こってはいなかった
係長が一人休んだくらいで会社の歯車が狂ったり止まったりすることはなかった
仕事仲間は私達のネバールトレッキングの旅の話しを聞きたがった
妻は当初は休みを取れるはずであったが、許可は出なくなり退職してネパールを歩いてきた
結婚5周年の記念旅行である
そんな二人が歩いてきた道は今年で50年となる (※)
ネパールの25日間はこの長い道のりから見れば、ほんの一瞬である
今となればその一瞬は私達の大切な財産となっている
(※) 今月末には、結婚50周年の記念一泊二日の旅を計画し予約してある
https://vivi1947.blogspot.com/2025/02/blog-post_2.html
そのためにも早くこの長引いているコロナを治さなければならない
p.s.
私が定年を迎えるかなり前から、「部下が休暇を申請したならば、仕事に相当な支障が出ない限り、休暇申請の理由を聞いてはならない」となった
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