2025年9月2日火曜日

波乱の第二の人生

 私の第二の人生は波乱に満ちている

こんな第二の人生を歩むとは思ってもいなかった

田舎暮らしを楽しむ第二の人生を思い描いて移住した

そんな我々は、国内観測記録最大のマグニチュード9.0の巨大地震を経験し、福一原発の1〜3号機のメルトダウン、水蒸気爆発から大量の放射性物質の拡散による避難生活を経験し、被災補償金の格差による地域崩壊を経験し、政府・政治の無気力・無力・無責任を知り、COVID-19によるパンデミックを経験し、私もコロナに感染し、その後遺症(後発高血圧症)にも苦しんでいる

私も妻もがんになり、放射能が影響しているのか周りはがん患者だらけだ

がんは誰もがなる病気と知った

気候変動による異常気象は当たり前になった

過去に例を見ない災害と言う言葉は聞き飽きた

線状降水帯、南北傾斜高気圧などの新たな気象用語も知るに至った

台風は日本のすぐ近くで発生するようにもなった

地球は、人類は、どうなって行くのかと心配になる

私も妻も先は見えている

そんな私たちは、先を心配する必要はないが、先の世代の子供達には厳しい環境が待っていると思う

p.s.

東日本大震災の大地震、福一原発の大事故、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、私の人生観を大きく変えた

福一原発事故に遭った福島県民は差別を受けた

福島ナンバーではガソリンも入れられなかったし、食堂にも入れなかった

30kmラインが家と家との間に引かれた

論理的根拠はなく、被災者と非被災者を細い線で分けた

飛散された放射能は政府が決めた境を越えて被災地非認定地域にも流れて来た

当地でも、補助も保障もないまま親は子供を抱えて放射能から逃げた

内部被ばくを気にして食品は選んだ

三春町は、放射性ヨウ素の体内への取り込みを防ぐため個別家庭毎に県庁に保存してあったヨウ素剤を配った

あろうことか、県はそのヨウ素剤を戻せと言った

各地で表土を剥がす除染が始められた

ヤクザが顎で除染作業員を使っていた

倒れかけていた建設会社は原発マネーで潤った

ベンツに乗り、自宅を新築し、社屋を修理した

田舎暮らしをしていた若者は、ここぞとばかりに金を持って都会に逃げた

コロナという新しい言葉を知り、死に至る病に怯えた

コロナ禍、私の友人はゴルフ場で倒れ、そのまま病院で家族とも会えずに火葬にされた

奥さんは朝ご主人を元気に送り出し、遺骨になって帰ってきた

マスクは異常な高値で売られていた

病院も施設も面会謝絶となった

私たち夫婦も確実に原発被災者だが、お金はくれなくてもいいから、医療費をただにしてくれなくてもいいから、健康保険料も固定資産税も無料にしてくれなくてもいいから、高速道路利用料金もただにしてくれなくてもいいから、私たちから復興特別所得税は取らないでほしい

「沢山貰っている原発保障金は泥棒から狙われないように気をつけろ」とか、「金はあるんだから新車を買ったらいい」と身内からも言われ、大きなショックを受けた

我々夫婦は、補償金は勿論、ペットを連れて山形へ岩手へ長野へと逃げ回った時に使った金も貰ってはいない

私は政治家を全く信用しなくなったし、社会は不条理に満ちていると強く感じるようになったし、人間はやっぱり馬鹿だと思うようになったし、地球は救えないと強く思うようになった

その反面、家族や身内や友人を大切に思う気持ちは強まった

戦後に生まれ、よく遊び、よく学び、よく働き、子を世に出し、良き老後を過ごした人生で私は終わりたい

0 件のコメント:

コメントを投稿