北アの中で、私は雲ノ平に足を踏み入れていない
行ってみたいなぁ〜という気がチョット頭をもたげた
結婚前に家内は雲ノ平に行っている
この番組の放送が終えた後も、先を見続ける気はなかったが、テレビのチャンネルはBS1のままになっていた
テレビ画面には、私もサラリーマンとして暮らしたサラリーマンの町、新橋が映し出されていた
私の現役最後は、この新橋駅で降りて銀座8丁目の本社に通っていた
見続ける気のなかったテレビには、手ぬぐい姉さんかぶりの年配の靴磨きが映し出されていた
その方は、新橋SL広場の端っこで40歳から50年靴磨きを続けている中村幸子という方であると紹介されていた
スマホからGoogle Earthで新橋駅のSL広場を映し出してみると、この姉さんかぶりの中村さんが座っていた
6日は東京も10cmの大雪で、中村さんの外仕事の靴磨きは無理だったことだろう新橋に事務所を置く友人から新橋の雪景色の写真が送られてきた
私はこの方に靴を磨いてもらった経験はないが、私もすごく若い頃、駅構内や路上にも多く居た靴磨きに靴を磨いてもらうことは多くあった
磨き代は思い出さないが、高くはなかったと思う
靴を磨いてもらうと、ちょっとリッチに気分になっていたように思う
私は東京での会社勤めの二年後には、東北の新工場の立ち上げチームに派遣社員として加わったことから、白ワイシャツにネクタイのスーツ姿からもビジネスシューズからも離れ、一日中、上下白の作業服姿で、靴も会社から支給される作業靴で過ごす生活となった
4年後、派遣先の工場生活から離れ、東京に戻って来た
戻って来た東京本社の勤務では、白いワイシャツにネクタイのスーツ姿にまた戻り、会社支給の作業靴から革底のビジネスシューズに戻った
東京に戻ったこの年から、靴磨きの靴置き台に、私は私のビジネスシューズを置くことはなくなった
なぜだかわからない
「できない!」と感じただけであった
私の中の何かが変わったのだが、私の中の何が変わったのかはわからない
私が私の靴を磨いてもらえば、靴磨きの見事な腕前で、私の靴はかなりピカピカになるし、その方の収入にもなると考えてもいたと思うが、靴磨きの靴置き台に私は足を置くことができなくなっていた
自分の靴は自分で磨くようになっていた
今の私は、「自分でできることは自分で行う」をモットーの様にして暮しているが、この時の靴磨きの靴置き台に自分の足を置けなかったのは、「自分でできることは自分で行う」という考え方とは違う感情から生まれたものであることは確かであった
私の靴磨きは、家内も母も手が出せないほど見事な仕上がりを見せていた
その中には、革の靴底全体を3度張替え、40年履き続けた愛用のビジネスシューズもあった
この歳になった今では、靴を磨くことはなくなった
ほとんどゴム長で過ごしているので!
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