2026年3月8日日曜日

安心の取得と闘病

 最初に述べておく必要がある

次に書く内容は病院や医師を批判するものではない

いま私が通院している医院や病院、そして医師も尊重し信頼もしている

病院や医師を取り巻く諸問題がある中、一般論として病院や医師と患者の間でコミュニケーションの不足が生じている事例と患者のあるべき考え方を述べるものである


昨日で緊急搬送されて治療を受けた大病院のHCUから退院後、15日が経過した

大動脈解離の最大の敵は高血圧である

大動脈解離発症後48時間が最も危険な時間で、発症後2週間は安静を必要とされる期間と言われている

妻の協力のもと、私はこの15日間を静かにして過ごしてきた

退院後の経過を説明するために昨日、かかりつけ医院に行ってきた

退院後、記録し続けた血圧、脈拍、体重データをグラフ化したものも私の経過説明の中に加えた

大動脈解離とは別と考えられている長く続いている「胃の不快感」についても報告した

医師も胃カメラで確認する必要はあるとの見解は示されたが、血圧を上げてしまうリスクがあるのでもうしばらく待とうとの話になった

診察の最後に私は「大病院からのフィードバックはありましたか?」と聞いてみた

大病院の主治医からフィードバックは届いていた

診察時に、かかりつけ医からそのフィードバックの説明はないし、フィードバックが届いていることも私には知らされなかった

そのフィードバック資料を説明する気配はなかったのだが、「40日後に予定されている主治医の診察時にCTで確認する計画になっていない」と言った私の話から次の展開が始まった

そこで出てきたのが、大病院の主治医から届いていたフィードバック資料である

私のカルテと思われるファイルの中から取り出された

A4版の1cmほどの厚さになるクリップ綴じされた資料であった

医師はフィードバック資料に目を落とし「ステントも視野に入っているから見る(血管造影CT)と思いますょ」との話であった

チラッと覗いた最初のページに「ステント」と書かれているのを私は確認した

私は、医師から医師ヘの伝達資料を見せるわけにはいかないと理解はしている

私は、患者に「要らぬ心配をかけない」ことも医師の務めであることも理解している

「ステント」もそれなのかもしれない

続けて私は、「画像データは届いていないのですか?」と質問を続けた

「後でどっと来る場合もあるし、院内規定で外に出せないケースもある」、「私も画像は見てみたいとは思っている」と話されていた

医師は忙しいのは確かだとは思うが、医師と患者間のコミュニケーションは不足気味であると感じている

今回のことに関して言えば、私が質問するから、これが明らかになったわけである

「患者は分からないことは医師に質問しなければならない」と今回のことのみならず強く感じている次第である

私の腹部大動脈解離の患部に主治医は外科的処置であるステント挿入も視野に入れているとの情報は患者にとってはとても重要な情報であった

腹部大動脈解離については勉強し、理解を深めてきた私としては、主治医が外科的処置であるステントを視野に入れていることは知っておきたい情報であった

今後の生活にも役立つ情報である

情報とは何に対してもそうであるが、「知らせるべき量と質」の問題は常にあるかと私も思うところはある

その反面、矛盾しているが「すべて知らせるべきだ」との強い思いもある

少し前までは、「患者に最後まで“がん”は知らせない」が当たり前の考えであったが、今は、がんであることは知らせるし、余命も知らせる

これでとても少なくなった余生をどう過ごすかを自身で決められるようになった

私の弟もがんの緩和ケアー中に行われた静脈を通じての栄養補給(TPN)を断つ決断をして旅立った

弟は、命永らえて自身を苦しめるより、家族に負担と心配をかけ続けるより、命に見切りをつける方が良いと判断したと思う

先に述べた通り、医師は大変に忙しい

見ていればわかる

医師は与えられた時間内では処理できないほどの患者を抱えている

結果、診察時間も制約される

結果、説明が十分には行われない

結果、患者は十分な情報を得られないままで帰る

結果、患者の判断は鈍る

これを防止するには、「患者は賢く医者と向き合う」必要がある

先ず、自分の病気のことを(正しく)理解する

理解するには、(正しく)勉強をする

弟の胃がん末期に対応した医師の言葉を思い出す

患者に「説明しても分からない」、「説明しきれない」、「私達も勉強中である」

これは誠実で正しい話しをくてくれたと今でも私はそう思っている

この医師の話を180度向きを変えてみると、患者は「医師の話を少しでも理解しようとしよう」、「すべてを理解しようとしなくても良い」、「医師も分からないことだらけだと理解しよう」と言えると思う

これに関係する(と思う)話もある

私が好きな立花隆は東大で講師を務めたことがある

立花隆はこう言う

「私は東大の学生に勉強の仕方を教えている」と

立花隆は講義中、分からないワードをどんどん出して分からない講義をどんどん前へ進める

どうなるか?

学生はわからないワードを理解しようと努める

どうなるか?

理解は進む!

医師も分からない言葉を使って説明しても良いのかもしれない

落ちこぼれ学生が出ると同じように落ちこぼれ患者も出ると思う

落ちこぼれ学生は「生死に影響」はないが、患者は「生死に影響」する

結果、患者は勉強し自分の病気のことを知ろうとする

結果、医師は(強く)協力しようとする

結果、患者と医師の間に(強い)コミュニケーションが生まれる

ちょっと「風が吹けば桶屋が儲かる」的な論理の臭はするが、私は患者なら、「自分の病をよく知る努力は不可欠」と考えている

自分の病を知ると、「不安の壁を乗り越えて、正しく理解し、安心し、闘いの力が強まる」

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絵になるなぁ〜