2024年5月17日金曜日

終わりのタブレット

 ノートパソコンの使用頻度は激減したものの、やはりバソコンの使い勝手は良いので使っている

2年ほど前までは、「PC+タブレット+スマホ」と使い分けてきたが、タブレットの出番はなくなってきた

タブレットは2012年だったと思うがnexus7が発売となると、飛びつくようにして買った

宝物のように扱い大事にした

ノートパソコンで読んでいた朝日新聞もこのnexus7に移った

ビデオ映画もソファーに寝転んでnexus7で観た

nexus7は、2013年5月18日に出発した西日本車中泊の旅のブログ作成にも役立った

次の年の2014年7月17日に出発した北海道車中泊の旅でのブログ作成にもnexus7は働いた

2016年のエベレスト・トレッキングの旅にも持っていった

その後、nexus7にカバー一体型のBluetoothキーボードとBluetoothマウスが加わった

ほんの少し大きめのMicrosoft社製のゴムカバー付きのキーボードはその後に買い足した

このMicrosoft社製のキーボードは使いやすく、家に居ても、わざとPCは使わずに、ドッキングステーションにnexus7を立てて置き、このbluetoothキーボードを使ってブログや日記の作成、メールの送受信などに使い、遊んでいたりもした

小ささを楽しんでいた

置くだけで充電できたドッキングステーションは枕元のテーブルの上に置いていた
ベッドの中でも使えるように、手を伸ばした先にnexus7は置いてあった

タブレットは最初のnexus7を含めると、私と妻とのを合わせると5台使ってきた

私は、このタブレットで新聞を読み、ブログも書き、映画も見て、スマホより大きなタブレットは重宝して使ってきた

だがここ2年ほどは、私も妻もタブレットは全く使っていない

まず、スマホの画面が大きくなったし、軽くなった

それにスマホの画面はどんどんときれいになっていった

妻もスマホを手にしてからは、花の写真もタブレットではなくスマホで見るようになった

タブレットは確かに大きく見やすいが、重く感じるようになった

また、使用頻度が下がると動きが悪くなる

動きが悪くなるから更に使わなくなるといった悪循環となっていった

ビデオ映画はWiFi経由でスマホからTVへ飛ばして観ているので、タブレットは必要ない

急激にタブレットの時代は終わったような気がする

タブレットを使っているのは、学校とか老人ホームとかになっているような気がする

手の中に収まるコンピューターは万能機器となった

アンテナを引き出して使った私の最初のSONYのスマートな携帯電話、そんな時代、私は大森駅のプラットホームで「本の様な四角い形をした物」を耳に当てて何か話をしている人を見た

それがスマートフォンであった

いつも時代とはそういうものなのかもしれない

何かが終わり、何かが始まる

この先10年、どうなっているのか?

良くなっていればよいが?!

戦争はスマホで人差し指一本で戦っているかもしれない

p.s.

タブレットとは直接には関係しないが、私の映像、音楽鑑賞、写真撮影およびビデオ撮影も大きく変わってきた

レーザーディスクでオペラは?、DVDで映画は?、レコードでジャスは?、ビデオカメラで撮影は?デジタルカメラで写真は?、いつ観たのか、聴いたのか、撮影したのか、写したのか、思い出すこともできないほど昔のこととなった

だが、オベラも映画も観ているし、ジャズも毎日聴いている

写真もバチバチ撮っている

時には、散歩中にだって動画を撮影している

いま、キース・ジャレットのビアノは、私の睡眠薬代わりとなり、耳元で静かに軽やかな音を響かせている

ビデオも音楽も、WiFi経由でこの手の中に収まったスマホから、TVへ、bluetoothアンブへと繋いで、観たり聴いたりしいる

写真もビデオもスマホに取って代わった

もっと横着には、ソファーに寝転んだままで「アレクサ、音楽をかけて」と叫ぶ

すると、私のお気に入りの曲が私のゲンコツよりも小さなスピーカーから流れてくる

アレクサは私の好みをよく知っている

「そろそろ何々を買う時期だと」買うものまで言ってくる

「アレクサ、僕を病院へ運んで!」と言ったら運んでくれそうな気がする

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