2024年5月31日金曜日

以外と静か

 本日はゴルフを予定していたが、2日前にキャンセルした

台風1号から変わった温帯低気圧が前線を刺激して、激しい風雨となると予想されていたためである

今も雨は降り続いているので、ゴルフの中止は正解であるが、天気は思っていたよりもおだやかで、雨も風も強くはならないようだ

特に風は、無風状態のように吹いていない

ただ、気温は低く、エアコンは入れて暖かくして過ごしている

梅雨入りはまだだそうだが、来週は梅雨のような天気と低温が続くようで、来週に予定しているゴルフも心配になる

前回29日の雨上がりのゴルフは苦労した

その日はどうしたわけか、バンカーに入ることが多く、ぐちゃぐちゃバンカーは出るには出ても飛ばない

フェアウェイもぬかるんでいて、バシャというショットになる

午後は強風が加わった

ゴルフを楽しくするには、おひさまが出ているだけでは足らない

p.s.

雨では修理中のネームプレートの取付作業もできず、宝沢ゴルフビレッジに行ってきた

道も空いていたが、ゴルフ練習場にも客は少なかった

今回は右腕の使い方を中心に練習してみた

インパクト時に右腕を意識的に少し強く振る(当てる)練習をした

右腕を強く振ったためか、グローブをしていない右手薬指の第一関節の外側(小指側)と、グローブはしていた左手人差し指の第2関節の内側(親指側)のこの2ヶ所が擦れて固くなっていた

ここがお互いに当たっているようだ

以前からここの2ヶ所は擦れる傾向にあった所だが、右腕を強く振った結果、より擦れたようだ

飛距離は少し伸びたような気かする

何故だか高弾道になるようだ

ゴルフでは右腕が悪さをすると言われていると思うが、私はその理由を理解できていない

今年のイチゴ

 妻は毎朝のイチゴ積みが忙しくなった

今年のイチゴは粒が大きいそうだ

買ってくるイチゴは甘くなる一方であるが、我が家のイチゴはいつもの通り酸っぱい

これがジャムになると、とても美味しく変身する

2024年5月30日木曜日

車中でのはなし

 昨日のゴルフの帰りの車中での話である

ラウンドでのクラブの本数を多くても半分に減らした方がスコアメイクには良いのではとなった

一人の方は、パターと56度のウェッジと6番アイアンがあれば事は済むと言われた

あれば使いたくなるので持ってこない方が良いとの意見でもあった

この話は、極端過ぎるし、ドライバーは必要と思うが、一理あるような気がした

昔、50代初めの頃であった

木曜会というゴルフ会に参加していたことがあった

リタイヤ組のゴルフ会であった

会社の役員でもあったような上品な方々が多くいた

ある方は、ティショットを打ち終えると、殆ど一本のウッドしか使わなかった

漫画「プロゴルファー猿」のようにこの一本で打ち分けていた

それがゴロゴロと真っ直ぐに飛ぶ

ゴロゴロとグリーンにも上がった

本日の話からそんな昔のことを思い出した

「付け加えると」

その木曜会の方々、ティグラウンドでは私の飛距離を心から褒めてくれた

だが上ればナンボで、プロゴルファー猿の方のスコアは、私の上を行っていた

「これもむかしのはなし」

習志野カントリーだったと思う

私達のラウンド後、キャディさんたちが回っていた

使用クラブはハーフセットであった

多分、私より上手いと思う

2024年5月29日水曜日

大雨の後の晴天

 昨日の雨は一日降り続いた

夜中には激しく降っていたようだ

今日は湯本SCCへ行ってきた

雨は朝には止んでいて、天気予報通りに10時には晴れてきて、午後には抜けるような青空となったが、これも天気予報通りに風が強まった

本日のテーマはハンドアップである

ショットは思った程ではなかった

※ティアップでのドライバーショットは、まずまずであったが、狙いよりも右に出る傾向となった

打痕を確認すると、上下左右ともセンターからのばらつきは大きかった

※FWでのショットは、頭を叩くことが多く出た???原因はわからない

※アイアンでのショットも、狙いよりも右に出やす傾向が見られた

今までよくやっていたアイアンの引っ掛けショットは出なかった

あまり経験することはなかったシャンクを2度打った

※アプローチショットでは、わりと良い結果が出ていた。方向性も距離感も出しやすかった。ボールは右足前よりも中に入れた方が良いようであった

※ラフ内:このハンドアップに関係しているのかは定かではないのだが、FWは出ない、飛ばない結果となった

本日は4、5、6番のユーティリティを抜いて、その代わりに4、5、6番のアイアンを入れてきた

ラフの中では、4番アイアンでも振り抜けたので、振り抜けない3Wを使うより、良い結果を生むこととなった

ラフに入ったら「距離は犠牲に」と考えてクラブを選んだ方が結果的には良いようであった

ラフも伸びてきたので、アイアンを多く使うようにしてみようかと考えている

p.s.

ハンドアップは、ティアップでの1Wでも、フェアウェイでもラフからのアイアンでも右に出る傾向があった

ハンドアップではクラブは立ち気味なるので、セットアップ時からフェイスは右を向いていると思われる

ハンドアップは振り上げやすく振り抜きやすいと感じるが、極端なハンドアップは良くないということかもしれない

23:46

 朝早く啼く一番鶏(野鳥)はテッペンハゲタカであった

この夜中に啼いている野鳥がいた

こいつもテッペンハゲタカと啼いていた

子育てはサボルくせに、何を働いているのか?遊んでいるのか?

2024年5月28日火曜日

右へ真っ直ぐ

 ドロー系のボールが打てるようになってきたことにより、OBでボールを失うことが少なくなってきた

ティグラウンドに立った時、ちょっと安心感もある

だが、インサイドアウトを意識しすぎなのか、右へ真っ直ぐに飛んでいくボールが出るようになった

その時のスイングを考えてみた

理論的に言われる「インサイドアウト」ではなく、私の場合は単なる「プッシュアウト」であるようだ

対策は取ってみた

最初は、ヘッドを返す意識をもって振ってみた

うまくいくこともあるが、多くはうまく行かない

スパンと当たることもあるが、多くの場合、当たりは悪い

オープンスタンスで振っていた頃のように、ハンドアップにセットアップしてから振ってみた

結果は良いようであった

なぜ防止できるのか?良くはわかっていないが、ヘッドの振り抜きは良くなるようだ

スタンスを狭めると更に良いようだ

縦振りの傾向が強まる感じもあった

アプローチショットでは、狙いよりも右に出る傾向が私にはある

困ったことに、アイアンでのフルショットでは、逆に狙いよりも左に出る傾向が強い

右へ左へと、こうなると一体何が悪いのかわからなくなって来る

庭でアプローチショットの練習はしている

昨日の庭での寄せの練習で、52度のウエッジを少しハンドアップ気味にして振ってみた

結果は良いようだ

6番アイアンもハンドアップで素振りをしてみた

ウェッジと共に落下点が安定するような気がする

明日のラウンドでは、どのクラブもハンドアップで振ってみようかと考えている

ダメ元である

別の話になるようだが、昨日のチャールズ・シュワブチャレンジの試合を見ていて思うことがあった

スコッティ・シェフラーはクラブを握った状態でセットアップに入る

この試合では見ていないが、ビリー・ホーシェルもそうである

ビリー・ホーシェルはバターもそうしている

二人共、とてもグリップを大切にしていると感じた

私の場合は、右手でクラブを握り、スタンスを合わせてから、クラブは左手で握り直し、そして再び右手でグリップをして構える

その時に、左グリップがドローグリップになってしまうようだ

その方が握りやすいので、そうなる

その結果、クラブのフェイスが閉じる傾向になる

そうなることはわかっているので、両手のグリップを一旦離し、特に左グリップの握りを注意しながら握り直している

時々忘れる

低いボールしか出ない

今にして思うと、アイアンでのフルショットで狙いよりもボールが左に出るのは、このグリップが原因ではないかと思う

アプローチショットではボールは狙いよりも右に出るのでこれは矛盾しているようになる

しかし、この場合は、ボールが右足の前にあるので、フックグリップになっていてもまだフェイスは開いた状態でヒットしているのではないかと考える

ハンドアップで構えると落下点が安定するのでフェイスの向きも構えた向きのまま降りてきて安定すのではないかと思われる

だが、慣れ切ったグリップの握り方を変えるのはなかなか難しい

まず、とても握りづらい

握りづらいことから、テークバックも何だかぎごちない感じになる

しかし、正しいグリップはとても大切である

グリップによってフェイスの向きは変わってしまうとの認識をもつべきと考える

セットアップ手順を変えてみようと思う

最初に左手のグリップを決めてセットアップ入るように変えてみるつもりでいる

ラフ

 前週のゴルフは棚倉田舎倶楽部であった

お天気も良く、ゴルフ日和で汗もかいたので、ラウンド後は温泉で汗を流した

なぜだか当日は、力が入りすぎたのか、アプローチショットもパッテングも極端に強めとなりスコアを崩した

冬芝に甘えて過ごしてきたが、ラフは元気になった

当日はこの元気なラフに苦労させられた

ファウェイウッドもユーティリティもラフに負けて振り抜けない、飛ばない!

途中からダウンブロー気味に振り抜くようにしたら少し良くなった

このところアイアンは7番からしか入れてない

次回のラウンドでは、3番ウッド、5、6ユーティリティを抜いて、4、5、6番のアイアンに入れ替えてみるつもりでいる

p.s.

歳をとったら「アイアンの代わりにユーティリティ」と長いこと思ってきたが、逆かもしれないとも思える

ミドルホールでも、どうせ届かないのだから、アイアンでブレなく繋いだ方が良いような気にもなっている

年相応に、一番手も二番手も上げて打つように道具だけでなく気持ちも入れ替えた方が良いようだ

昔のことは忘れよう

バランス

 気圧の高低もバランスを保つ

「南に台風、北は晴れ」と言われる

まさに明日の天気がそれに当たる

今日降っていて更に強まる雨は、台風1号の影響があるかもしれないが、梅雨前線によるものだろう

明日はゴルフを予定している

南低北高の気圧配置で、明日と明後日は晴れる

この5月、当該ゴルフ場が久しぶりに格安プランを2回連続で設定した

明日に続いて明明後日に設定された格安プランも予約してある

前述の通り、明日雨は止み、少しずつ晴れて来るが、明明後日はどうもいけない

台風1号は梅雨前線に溶け込み低気圧となる

台風のまま、南海上を通ってくれれば良かったのに!と思う次第である

予定ガラ空きな年寄りは、雨の日はゴルフに行かない

キャディバッグの中に入ったままの私の雨具は、2年近く出していないと思う

2024年5月27日月曜日

冬毛

 最近、smokyの毛を梳いてあげてなかった

冬毛のホワホワ状態も可愛いが、冬毛が浮いた状態は良くない

絡んできて悪くすると塊となってしまう

妻が前日に胸についた枯れ葉と絡んだところを少し梳いてやっていたが、私が本格的に梳いてやった

梳いている時もとても気持ち良さそうであった

かなりの量の毛が梳けた

すっきりしてきれいになった

お餅

 妻の友人からつきたてのお餅をいただいた

餅は大好きだ

胡麻和えとお雑煮でおいしくいただいた

この餅をついた餅つき機は、嫁に来た時のものだそうだ

この餅つき機はかなりの高齢である

3:50

 今朝は3時半過ぎに目覚めた

脚が暑くて目が覚めたような気がする

最近、夜が少し寒くなっていたので、布団をかけ過ぎていたのかもしれない

先のブログに野鳥は朝が早いと書いた

今朝の一番鶏(野鳥)は、「テッペンハゲタカ」であった

そいつは、育児放棄するづるい奴だ

その後、キィとがチチとかウィウィとかホヒィとか、まだ朝はやく口が重いのか、誰ともわからないさえずりが届く

「ホォ〜ホケキョ」とはっきり言ってくれたのは誰だかすぐにわかった

ア〜だとかコ〜だとかゴチャゴチャ言って啼くのは、これも誰だかわかる

3:50、空も目覚めて、灰色に明るい

2024年5月26日日曜日

新星誕生

NHKテレビより
 大相撲五月場所を楽しませてもらった

五月場所千秋楽の日に新星が誕生した

大の里には怪我をせず、この先も活躍し続けてもらいたい

やっぱり相撲はおもしろい!

若隆景も十両優勝を果たし、幕内に戻ってくるのも嬉しい

名古屋場所での兄弟相撲も楽しみとなった

若元春の怪我の回復を願う

相撲だけでなく、アスリートの命を奪うのは怪我だ

ハルちゃんのイチゴ!

 今朝、妻は庭から初イチゴを摘み取ってきた

我が家では「ハルちゃんのイチゴ」と呼んでいる

4日後の今月30日はハルちゃんの誕生日である

生きていれば、18歳となる

私達を置いて10歳半で逝ってしまった

移住の相棒である

移住前、ハルとふたりでここに通い、リビングルームの改造を行った

大分弱まって来たが、思い出すと悲しいと言うか寂しいと言うか、なんとも表現が難しい

朝食のジャムは、このハルちゃんのイチゴを毎年妻が摘み取り加工したもので、我が家のイチゴジャムはこれで一年をまかなっている

2024年5月24日金曜日

福一視察

 本日(5月23日)、福島第一原子力発電所の視察に行ってきた

国道288号線を東へ都路町から富岡町に入り、まずは東京電力廃炉資料館(*1)へと向かった

東京電力廃炉資料館へ向かう道のりで目にしたものを言ってみると次の様になる

都路町まで:工事中、新工業団地、田植え、新緑、新トンネル、新砂防ダム、太陽光パネル、新築など

富岡町から大熊町まで:バリケード、高圧鉄塔、整地された田、新生コン工場、作業員、工事、ダンプカー、新築アパート、新築、廃屋など

東京電力廃炉資料館では、東京電力の制服を着た多くの方に玄関外で迎えられた

中に入ると、視察の申し込み時に使った身分証明の提示が求められた

私はマイナカードを見せた

これは一旦預かるとのことである

コピーを取り、そのコピーは福島第一原子力発電所への入域時に使うとの説明があった

質問した訳ではないが、それ以外のことには使わないとの説明が加えられた

その後、少なくとも30人は収容でき2階のシアタールームに案内され、超大型の壁と床のスクリーンへ映像を映しての、お詫びの言葉から始まり、原発事故の経緯が説明された

処理水、燃料デブリの取り出しの説明も中にあった

この説明が終わると昼食時間となり、私はコンビニで買ってきたサンドイッチと持参の水とで昼食とした

昼食後、東京電力が用意した大型バスにて富岡町の東京電力廃炉資料館から国道6号線を仙台方向へ北上し、福島第一原子力発電所へと向かった

メモ用具以外の持ち物はすべて置いておくようにとの指示に従い、財布とメモ用紙と鉛筆をポケットに仕舞い、スマホなど他の物は東京電力廃炉資料館の会議室内に置いて出た

時計も外して残すようにと指示があった

口の中にガムがあったり飴があったりしても駄目だそうだ

廃炉資料館を出るに際し、許可証の様なものを首から下げるようにとの指示があって配られた

視察の組を表す青色の輪となった紐も指示に基づき首にかけた

バスは、国道6号線から262号線(夫沢大野線)を東の海方向へと右折し、検問所を通り、車は入退域管理棟に横付けされた

このバスはフロントガラスに許可証が貼られていたためか、すんなりと通過した

廃炉資料館で首から下げるように言われた許可証の様なものに加え、黄色の首から下げる入退証を渡され、これも首にかけた

入退域管理棟の入り口ではガードマンによる入退証のチェックを受けた

入り口では、靴を上履きに履か替え、金属探知機のチェックを受け、入退証を用いたチェックを受ける入りと出のゲートを通過後、体のサイズに合わせた多くの網目ポケットがついたベストが支給された

その後、個人別に首から吊るしている紐にセットする線量計が渡された

この線量計は男性の場合は着たベストの左胸ポケットへ、入退証は右胸ポケットへ収めるようにとの指示があった

外に出る際にも、線量計と入退証が正しい位置にあるか否かのチェックをドアー内の回転ゲートのところで受けた

実に細かい

確かに、歩いている人を見ると、何種類もの許可証の様なものを首からぶら下げている人もいる

色々な所で入域に制限があるのだろう

バスは桜通りを北に進み、右に汚染水貯蔵タンクを見ながら東の海方向に右折し、左に汚染水処理のALPSを見ながら真っ直ぐに進み、瓦礫と化した1号機の前に出た

バスの中の線量計は、24.4μS/hの数値を示している

バスを降り、階段を少し登り、1号機、2号機のほぼ正面に設けられたブルーデッキ(*2)に上がった

天気は快晴で、デッキの上は太平洋から吹く風が少し強く当たるものの、心地よく爽やであった

私はただマスクをしただけの普段着の姿のままで視察をしている訳だが、15メートル下では、白のタイベックを着て、防護マスクをつけた作業員が何人も動き回っている

こんなに大きなクレーンが世の中にあるのかと思える超大型のクローラー移動クレーンが1号機の前でゆっくりと2号機方向へと動いていた

時折、大きな音を響かせる

クレーンの運転席には豆粒の様に見える一人のオペレーターの姿があった

ここブルーデッキに設置された線量計は、何と59μS/hの値を示していた

ブルーデッキから1号機、2号機までは直線距離にして80メールの距離しかない

本当に目の前といった感じである

ゴルフがわかる人ならサンドウェッジがアプローチウェッジの近さの距離であると理解できる

未来 ワーク ふくしまのHPから
水素爆発した1号機の姿は鉄骨がむき出しですさまじいが、見た目は外壁が残っている2号機からの放射性物質の拡散が激しかったとの説明は不思議な感じがした
添付写真は1号機の状況を写したものだが、写真撮影は禁じられているので、「未来 ワーク ふくしま」のHPにある視察記録からお借りした
私が目にした現物はもっと生々しく見えた
このブルーデッキの上で3号機方面をバックにし、案内者の1人がかなり古いデジタルカメラを使い記念撮影(?)が行われた
何かに使う目的はなく、写真は頂けると説明された
帰るまでに頂けると思っていたが、そうではなかった
※この記念写真が届いたら、お借りした1号機の写真と入れ替えるつもりでいる
撮影許可の特定場所を設け、そこだけは写真が撮れるようにしてくれても良いのではないかと感じた
しかし、ブルーデッキの下には配布されたボールペンが何本も落ちている状態であったし、風で防止が飛ばされて案内者が追いかけるということもあって、放射線量の高いところで落とされたら返すことができなくなる難しさもあるのだろうとは理解した

1号機と2号機は、一本の共用排気塔の関係でつながっていたこと、また、1号機の水素爆発の衝撃で2号機の外壁の破れた個所から放射性物質が漏れ出たとの説明が加えられた

3号機と4号機の使用済み燃料プールにあった使用済み燃料の取り出しは完了している

しかし、1号機と2号機の使用済み燃料プールには使用済み燃料が残されている

これの取り出しが急がれる

各号機の破損状況が違うためだろうか、各号機の使用済み燃料プールから使用済み燃料を取り出す方法は違っているようだ

3号機は上部にかまぼこ型の設備を設置し上から取り出したようだ

2号機は横に穴を空けてそこから取り出す方法で進めているとの説明があった

見た目には損傷の激しい1号機の使用済み燃料プールに残された使用済み燃料はどのようにして取り出すのか、説明はあったように思うが、私の理解は及ばなかった

4号機は上から取り出したと説明があったように記憶している

4号機は一番奥にあってよくは見えなかったが、1号機から3号機は私の目の前にあり、今まで話しにも聞き、写真も動画も見て来ていたが、現物を目の前にすると、また大きな衝撃と怒りが胸にこみ上げてきた

13年も経って、まだこんな姿なのかとの思いにも駆られた

その後、汚染水処理施設とか事故当時壮絶な戦いやTVを通しての見ることも聞くこともできた東電本社との激しいやり取りが行われた免振重要棟(*4)とか、水冷の使用済み燃料保管場所とかの説明を受けながら海を間近に見る双葉町側のグリーンデッキ(*3)に案内され、そのデッキに上がった

このデッキからは、晴れ上がった太平洋が奥の奥までどこまでも広がって見えた

処理水の排水設備、経路についてはかなり長い説明があった

また、グリーンデッキには処理水を海洋放出するための地下の岩盤を削り掘り進め、トンネル掘削に実際に使った切り刃がペンキで塗り直されて展示されていた

ただ水を流すめにしてはかなり大きなトンネルであることがわかる

直径3メートルほどはあるかと思えた

パーツを組み合わせてトンネルの形にする

このグリーンデッキから右手の大熊町方向を眺めると真っ白な防潮堤が建設済みになっていた

この防潮堤、グリーンデッキからだとても低く見えたが、説明によると15mあるそうだ

防潮堤の上は道路になっているそうだ

クリーンデッキの真下には、古い白い円柱形のタンクが残されている

このタンクは津波の威力によって付け根付近が反時計回りに捻れて、右の付け根部分はちぎれていた

このタンクの左には、これより小さなタンクが2つあったそうだが、これは津波で剥がされ流されたそうである

残されたこのタンクは津波の威力を伝えるためにも残すと説明されていた

それならば、もう少し保存状態を良くしてもよい様に思われた

掛けてあったと思われるシートは風化して殆ど残っていなく、風に揺れていた

この処理水の排出については海外からの批判、常磐物水産物に対する風評被害等が社会問題となっている関係であろうか、結構な時間をかけての長い説明であった

どんなに丁寧に説明されようが、どんなに安全と言われようが、増え続けて処理に困った処理水を希釈して海に流して捨てていることにかわりはない

そんな処理水に関しての私の関心度は低く、その説明を聞くよりも、私は、5号機、6号機の先にどこまでも続く、双葉町の太平洋から垂直に切り立った崖の上に広がる高台をぼうっと眺めていた

どんな事情があったのかは知れないが、そもそも、この海岸線から一気にそびえる崖上の高台を削ってまでして原子炉本体を海面近くまで下ろして建設していなければ、大地震が来ても、大津波が来ても、これほどまでの大事故、大惨事には至らなかったのではないかと思うのである

バックアップ用の電源もすべて津波によって破損し機能しなくなったと記憶している

再びバスに乗り入退域管理棟へ帰ってきたが、その途中に何号機だかの格納容器の頭の部分と言われた思う物が、それもやけに簡単に包まれて道路脇に保管されていた

ちょっとその保管方法も、置いてある場所も、簡単すぎるように見えて不思議に思えた

案内者はその大きさだけを強調して説明していた

私は2013年春の西日本車中泊の旅で、中部電力浜岡原子力発電所の電力資料館を見学している

その日その時の見学者は私一人で、広くがらんとした資料館をゆっくりと見学できた

その電力資料館には、原子炉の現物大の模型が展示されていた

私はその大きさに圧倒された

模型とはいえこの目で原子炉全体を見ているので、原子炉の頭の部分と説明された物のその大きさは実感として捉えることができる

また入退域管理棟に帰る途中では、大きいものだが一般的にも地下タンクとして使われている古いタンクが、裸のまま何本も横倒しに積まれて保管されていた

事故当初の汚染水を保管していた容器と説明があった

これも廃棄処分待ちであろうと想像できる

また、帰りの途中で、空冷の使用済み燃料の保管設備の脇を通りその説明もあった

使用済み核燃料の本当にすぐ脇を、手を伸ばせば届きそうでは大げさだが、バスの中とはいえ、そんな近くを通っていることは、驚き以上のものがあった

実は、「驚き」ではその気持ちは表せていないのだが、なんと表現したよいのかもわからなかった

使用済みとはいえ、この様にして核燃料の近くに行くことは、私の人生において二度とないことだろう

後で質問したところ、この空冷貯蔵庫は、事故前から備わっていた設備だそうで、水冷貯蔵庫で放射レベルが下がった燃料は、この空冷貯蔵庫に移して保管するそうである

この空冷貯蔵庫は裸のままの姿のように見えた

ここで放射レベルが下がった使用済み燃料はどうするのかと追加で説明を求めたところ、案内者は即答ができず、説明用のパソコンを操作していた人と話をして、現在は処理できる所がないと回答された

またこれも帰りの途中にあった大きな設備であるが、原子力発電所内で出たものは外に出せないと説明された

例えば作業員が使った防御服のタイベックとか原発敷地内の木々はチップに加工して原発敷地内で焼却して減容しているそうだ

このことは双葉町の協力を得てのことと説明が加えられた

そんな説明を聞いた後にバスから別なものも見た

廃車に近い車やナンバープレートもない車が敷地内の駐車スペースに結構な数が置かれていた

これも原発敷地外には出せないものの一つになっているのではないかと思われた

また、水素爆発で吹き飛んだものや瓦礫と化して整理したものも、ここにか、またはどこかの原発敷地内に保管されているのだろうと思える

汚染水だけでなく、これらの放射性廃棄物の処分にも困ってくるのではないかと思われた

既に困っているのかもしれない

入退域管理棟から出るにも、再び複雑な工程を経て外に出ることになる

体全体の被ばく線量を測っているのかそんなケージの中にも入った

入って出るまでの手順はちょっと複雑であった

足は少し開いて金属のスノコの上に置く

前方左右のボックス状の中に、両の手のひらを開いて指の先が当たるところまで入れる

頭の上から降りてくるものを感じで終わる

チェックOKならばケージの扉が開いて出る

私は左手の甲か測定機に触れたようで、一度やり直しとなった

これを出ると胸につけていた個線量計のチェックがある

私の線量計は、0.01の値を示していた

線量計を受け取った従業員に「この値はマイクロシーベルトですか」と聞いたら、そうだという

だが、それは違っていたようで、私の後方から誰だか確認はできなかったけれど、「マイクロシーベルトにすると、10μS/hになる」声高く訂正した方がいた

多分、案内者の一人であったと思う

線量計の値は、mS/hだったようだ

この従業員は良くわかっていなかったようである

案内者は、この視察で受けた0.01mS/hの被ばく線量についてその安全性を説明した

「歯医者さんでレントゲン撮影を一枚撮った程度の被ばく線量である」と説明し、その安全性を強調した

私は逆に考えた

歯科医のレントゲンでそれほど被ばくするのかと認識を新たにした

入退域管理棟を出る際にも入った時と同じ入りと出のゲートを通る

入りのゲートを入り、入退証をチェック窓にかざしたが、出のゲートが開かず、私はしばらく閉じ込められてしまった

係員が私の首にぶら下げてある入退証を手に取り、そこに記されている入退証番号を電話で連絡していた

その入退証には私の情報とつながっていたとも思えるやり取りが、電話の会話の中にあったように思えた

確かに、入退管理にミスがあってはならない

連絡後もしばらくゲートは開かず、やっと開いたのは出のゲートではなく入りのゲートで、もとに戻されて私は最初からやり直しとなった

私は「原子力発電所から何も持ち出していないょ〜」と叫びたくなったが、この雰囲気の中において、そんなことは言えるはずもなかった

今回の視察は、バスに乗り案内され、それほど原発敷地内を歩いたわけでもないが、なんだかとても疲れた!!

その後、東京電力のバスで、再び出発地である東京電力廃炉資料館へ戻って来た

福島第一原子力発電所から国道6号線に出るまでの262号線(夫沢大野線)は一般車両は乗り入れ禁止となっている

福島第一原子力発電所を出て直ぐのところの左手の藪の中に、そしてもう少し先の右手にも廃屋となった一般住宅があった

こんな近くで生活をしていた方が居たとは驚きであった

廃炉資料館に向けて走るバスの窓から、私は左手の太平洋側をぼおっと眺めていた

国道6号線の道路脇の固定の線量計が私の目に止まった

その線量計の液晶表示には、0.47μS/hの値が示されていた

私も普通にこの6号線を走っているし、ダンプ以外にも一般車両も多く走っている

国道6号線は重要な生活道路であると案内者もそのような話をしていた

少し先には規制が解除された桜で有名な夜の森公園もある

富岡町の規制は緩和され、新築の家も多く目にすることができるが、まだまだ放射線量は高いと実感できた瞬間であった

我が家の場合、玄関先の放射線量の値が0.23μS/hで、12年前に除染対象となった

作業員が来て、ガレージとパイプハウスの作業場の周囲1mだけの表土を剥いだ(w)

母屋の周りの汚染度は低いと言って、母屋周りの表土の剥離は行わなかった

母屋の周りの放射線量が低かったのは当然なのである

平均で0.20μS/h以下まで下がり、4ヶ月に及ぶ自主避難から私達は我が家に帰って来た

妻は、小さなシャベルを使って母屋の周りの表土を削り、私はそれを土のう袋に詰めて、バックホウで穴を掘り、その汚染土は庭に埋めた

除染対象となった我が家へは、除染作業のために10名ほどの作業員が派遣されて来た

家の周りには除染作業中の青や赤の旗竿が立てられ風になびいた

除染作業員のボスとサブリーダーは岡山県人であった

ボスは杖をついて歩き、何もしない人であたし、実際に手を汚して働いていたのは福島県人のおばさんやおじさん達であった

指示役は、高校野球球児と自慢していた岡山県人のサブリーダーであった

除染作業後、きれいな作業服を着た人が我が家の敷地内に無断で入ってきて、ガレージ裏を線量計で測定し始めた

私は外に出て、あなたは誰で、何をしているのかと問いただした

市の職員で、除染後の放射線量を測りに来たという

住人に無断で測って良い理由はない

いうまでもなくこの様に我が家の除染はどこをとっても茶番でしかなかったが、国道6号線脇の0.47μS/hの値を示していたところは、この先どうするんだろうと思えた

福島第一原子力発電所の広い敷地内にはとても多くの車、とても多くの人が歩いていた

それもマスクさえしていない人が多い

中身が見える透明のビニールバックをぶら下げて歩いている方を何人か目にした

入退時にバッグの中が見えた方がわかりやすいのかもしれないと思った

金属探知機を通って中に入る作業員が、カップラーメンをステレス皿に乗せて金属探知機に通す姿も見た

大きな建屋の作業員の休憩棟の脇も通った

ここでカップラーメンは食べるのかもしれない

何処にあるのかは聞かなかったが、中にはコンビニのローソンが入っているそうだ

食堂もあるが、中で調理はできないそうだ

入退域管理棟を出たすぐ脇には緊急車が2台止まっていた

またそのすぐ先のドアーの上には赤文字でERの表示があった

医師も看護師も常駐している

この原子力発電所の入口を入ってすぐのところにヘリポートもあった

瓦礫と化した原発に近づかなければ、原発敷地内は大きな町の中を歩いているような気になる

桜通りの桜の古木は、今年もきれいな花を咲かせただろう

汚染水タンクの増設で、1000本あった桜は400本になったと説明があった

つくづく思った

東京電力は、原発敷地内を見ても、東京電力廃炉推進カンパニーという組織の規模、機能を見ても、何を見ても、これほどのことができるのだと余裕さえ感じられたし、道々見せる新築住宅、復興設備、工事現場、絶え間なく走るダンプカーなどなど、多くのものが目に入ってくると、30km圏外の゙当市の一部を含む30km圏内の復興支援、生活補償といったような名目の資金など、ここには莫大に金が落とされ、落とされ続けているのだろうと感じた

【説明からのメモの一部】

富岡町:事故前住民16,000人、住民登録13,000人、現住民2,300人

大熊町:事故前住民11,000人、住民登録10,000人、現住民600人

福島第一原子力発電所内の東京電力廃炉推進カンパニー従業員:1,000人

福島第一原子力発電所内で働く作業員:4,000人

視察者:18,000人/年、100組/年、1,500人/日

汚染水処理:3つのALPSそれぞれで、 750+750+500リューベの処理能力を有する

原子炉循環冷却:80トンの循環水で原子炉を冷却、燃料に触れた地下水と雨水の汚染水が不要となる

1号機(稼働中):水素爆発 (燃料外側金属と水が反応して水素を発生)

2号機(稼働中):爆発はしなかったが1号機爆発により外壁の損傷個所から放射性物質が漏れだした

3号機(稼働中):水素爆発

4号機(点検中):3号機からの水素の流れ込みによる水素爆発

◇使用済み燃料の取り出し

3号機566体取り出し完了、4号機1535体取り出し完了している

今も、1号機使用済み燃料プールに392体あり、2号機使用済み燃料プールに615体が残されている

※「体」という単位は、燃料集合体を表しているのではないかと思われる

◇ALPS処理水

セシウム137(Cs-137):ND(0.1539Bq/L未満、告示濃度限度90Bq/L)

ストロンチウム90(Sr-90):ND(0.07584Bq/L未満、告示濃度限度30Bq/L)

トリチウム(H-3):取れない(366,200Bq/L、告示濃度限度600,000Bq/L)

※中国が問題視しているのはトリチウムではなく、セシウム137とストロンチウム90はゼロではないということを言っていると説明があった

トリチウムはどの原子力発電所からも出ているとの説明も加わった

(*1) 東京電力廃炉資料館:以前は福島第ニ原子力発電所の電力資料館であった建屋と説明があった

(*2) ブルーデッキ:福島第一原子力発電所は大熊町と双葉町にまたがって隣接されている

大熊町側には1号機から4号機がある。大熊町のシンボルカラーは青である。町のシンボルカラーに合わせ1号機から4号機の外壁は青に塗られていた

1号機から4号機を見ることができるデッキを大熊町のシンボルカラーに合わせてブルーデッキと名付けたようだ

(*3) グリーンデッキ:5号機と6号機は双葉町にある。双葉町のシンボルカラーは緑である。町のシンボルカラーに合わせ5号機と6号機の外壁は緑に塗られていた

5号機から6号機を見ることができ、処理水排出施設のあるデッキを双葉町のシンボルカラーに合わせてグリーンデッキと名付けたようだ

(*4) 免震重要棟:事故直前に完成した設備棟であり、これがなかったら事故直後の対応は難しかったと説明があった

◇案内者

バスのドライバーを除いて5名の東京電力の方がついて案内をしてくれた

悪く取れば「監視」、良く取れば「安全確保」といえる

案内者のうち、マイクを使っての説明は、リーダー格の方が一人で行っていた

この方は、事故時には6万6千ボルトの電源をつなぐために東京本社から来たと言うのだから、優秀な技術屋さんだろう

事故当時には、建屋に入るのも電源喪失状態であったため、自動ドアーも開かず、中に居る人の手を借りて開けてもらう必要があったそうだ

事故当時、作業員は原子力発電所内に寝泊まりしていたが、自分は家族寮を使ったと話されていた

この案内者の方々は、福島第一廃炉推進カンパニー(東京電力の社内分社)の廃炉コミュニケーションセンターの方々と思う

案内者の方々は、東京電力廃炉資料館から私達の車が立ち去るまで玄関外に並んで立ち送ってくれた

中で最後には、また来ていただき、廃炉の進捗を見てもらいたいと言われたが、二度目の視察はないだろうと思う

また、他の方に廃炉の現状を説明してあげて欲しいとも言われた

東京電力関係者の説明よりも住民の方からの説明の方が良いとも話されていた

丁寧な案内をしてくださったとは感じたし、お礼も言った

しかし、どんなに説明されようが、努力している、頑張っているとなんと言われようが、私の芯のところから、この重大事故に至った東京電力の責任を問う気持ちを変えることはできなかった

案内者の方々もそう思ってくださっていると本日は感じた

シアタールームでの説明では、「人災」という言葉が使われた

日本政府の方針に強く絡んでのことではあるが、30km圏内に厚く、30km県外には冷たい東京電力の保障となっている

放射能汚染の広がりには仕切り線はないので、この考え方を基にして対応すべきだと思う

当市の場合、市の中に30kmの仕切りラインが存在し、更に30km圏外にも市長権限に基づいた仕切りラインが作られたため、複雑な状態が作り出されている

このことから、市民の感情のもつれやコミュニティーの崩壊を招いている

いまも思うことなのだが、子供を抱えた30Km圏外の自主避難者には特に冷たい対応が続いていると考える

最後に、このツアーは市の主催で行われたものである

参加者は、市の世話役職員一名を含めての9人であった

p.s.

この福島第一原子力発電所の人災といえるこの事故は、私の人生観を大きく変えた

人間不信に陥った

真面目に生きる人ほどバカを見る世の中である

だが、それを受け入れても真面目に生きて行きたいと思う

2024年5月23日木曜日

色々に啼く

 この季節になると愛犬との散歩は時刻を早める必要がある

熱くなってしまった舗装路を歩かせるのは虐待と言える

今朝の私は5時に起床し、コーヒーを楽しんでから愛犬Matthewには6時少し前に朝ごはんを食べさせ、6時15分ころに散歩に出た

野鳥たちの朝は早い

色々なさえずりが届いてくる

ホーホケキョは勿論、少し大型の野鳥が電線に止まり「ビァ〜」と啼いた

チィチィと啼くのもいれば、鈴のように軽やかに啼くのもいる

ツッピーと啼くのはシジュウカラだろう

姿を追うがなかなか見えない

まあ色々で、ガビは出任せでうるさく啼く

散歩を終え、私達は爽やかな気分になって帰って来た

2024年5月21日火曜日

測定器

 どうもこのところ調子が悪い

80台のスコアを目指すどころか、100切りも怪しくなってきた

これではいけないと、今日はキタスポに行って練習してきた

練習場は久しぶりである

私の前の打席の方が、ボールの後ろに測定器らしき物を置いて練習に励んでおられる

聞いてみた

それはやはりゴルフの測定器だそうで、ここで貸してくれるそうだ

フロントに行き借り入れを申し込んでみた

会員でないと貸せないそうだ

打席に戻ってそのことを前の打席の方に話した

その方は、「貸してあげるから使ってみろ」と言う

「会員でないとだめだそうだから」と辞退したが、「あとで、(フロントに)言っておくから使ってみろ」とおっしゃる

まあ、いいかなと思い借りてみた

少し説明もしてくれた

ドライバーで普段通りに振り、何球か打ってみた

ヘッドスピードは38m/sほど、ボールスピードは57m/sほどであった

飛距離は198ヤードから208ヤードの幅くらいであった

ミート率は1.37から1.41くらいであった

なかなかおもしろい機械であった

家に帰ってきてからヘッドスピードおよびボールスピードと飛距離の関係を調べてみた

ヘッドスピードに5.5、ボールスピードに4.0をかけると大まかな飛距離が出るそうだ

5.5×38=209ヤード

4.0×57=228ヤード

測定器が示した飛距離とヘッドスピードおよびボールスピードから求めた飛距離とに差がある

特にボールスピードの差が大きい

練習場のボールは飛ばない設計となっているが、この測定器はかける1.1で補正されているそうだ

この測定機に現れる飛距離は、測定器自身が測ったものではなくボールスピードから計算されて出された数値だそうだ

ボールスピードが計測されない場合は、ヘッドスピードから計算された飛距離となるようだ

今回の測定器を使った試打で表示された飛距離は、ヘッドスピードから算出された数値に近い

また、私の実力から見てもこの数値に近い

ただしこの測定器、1Wはロフト角が9.0の設定になっているようで、私の10.5度のドライバーとの違いが飛距離の違いとして出ているのかもしれない

今回、ヘッドスピードがわかっただけでも良かったと思う

それはチョットがっかりというか、そうだろうなぁというか、思っていたよりも低いことがわかった

飛距離も落ちてきたのはこのためだが、それは歳のせいだろう

むかし使っていたヤーデージブックのメモには、250ヤードと記されている

それは遠い昔のことで、仕方がないことと考え、ボールを無くさないゴルフをして行こうと思う

p.s.

その方、ドライバー用のショットマーカーを3枚私にくれた

ありがたく頂戴し、貼って打ってみた

ほぼ真ん中に当たっていた

ど真ん中だと言ってくれたが、その方が言うには、もう少し先に当たるとより良いという

チョットそれを意識して振ってみた

意識しただけで、その方が言う真ん中より少し先に当たるようになった

少し先に当たるようになったが、やはり真ん中に当たる方が私は良いような気がする

が、

クラブのヘッドセンターより少し先が良いとは?

どういう意味なのか・・・

聞く前に帰られた

苦労の皮むき

 妻が青森の市場からシャコを買って帰ってきた

私が好きだと思っていたようだ

確かにシャコは好きだが、寿司ネタとして好きなだけで、皮をむいたことはない

子供の頃の船橋の海はきれいであった

その海で泳いだし、アサリも捕れたし、ゴカイを掘ってそれを餌にハゼを釣ったし、カレイは踏んで捕ったし、ワタリガニも獲れたし、シャコも獲れた

他にも色々獲れた豊かな海であった

ついこの間のことだ

思いにふけっても、眺めていても始まらない

YouTubeを参考にしてシャコの皮むきにチャレンジした

頭を切って落とし、尻尾を両側から三角に切り、腹を上にして左右の脇をジョギジョギと切り、身を指で押さえながら腹の皮をはぎ、最後に背の皮をはいで終わる

腹の方の皮がなかなか剥がれずとてもむきづらかった

段々と上手くなって行った

右の2匹のひどい状態から左に向けて徐々に上手くなり、左端はほぼ完璧にきれいにむけた

「癖になったりして」と言ったら、高級品だからと妻!

かなり高かったようだ

剥くのに10分、食べるのに1分!

私一人でいただいた

妻は昔から食べない

山形育ち・・・

私は船橋育ち・・・

2024年5月20日月曜日

紙一重

 全米プロゴルフ選手権(第106回大会)の最終日も楽しませてもらった

伸ばし合いの試合は見ている分にはとてもおもしろい

LIVツアーに移籍したブライソン・デシャンボーが特におもしろくしてくれた

デシャンボーは、最終18番でバーディパットを決めてトップを走るザンダー・シャウフェレの20アンダーのスコアに並び、練習場で2組後のシャウフェレの上がりを待った

シャウフェレも負けず、最終18番でバーディパットを沈め、最終日最終ホールを1打差で勝利をおさめる最高の形で自身との戦いを締めくくった

ザンダー・シャウフェレは、念願のメジャー初制覇となった

5億円を超える優勝賞金もすごいが、それ以上のものを手に入れただろう

素晴らしい試合であった

しかし、この結果は紙一重でもあった

シャウフェレの263打目(最終18番最終パット)は、左カップの縁からくるりと回って入った

左へ1cmズレていたら、いや5mmのズレでも入らないパットであった

そうなればデシャンボーとのプレーオフとなる

同スコアで上がってきた2人のことを考えれば、実力・気力とも同じと考えられる

単純に考えると優勝できる確率は50%となる

ブライソン・デシャンボーの264打目の「ポトリと入ったパット」は驚きで、

シャウフェレの263打目の「くるりと回って入ったパット」も驚きだが、

この結果を生んだのは、この紙一重の一打であった

この「一打=2億円以上」のようです

竹の秋

 今日の夕方の散歩中にも枯れた竹の葉がパラパラと落ちてきた

竹の葉も道にかなり積もっている

竹が枯れていることを妻に告げた

妻は「竹の秋」ということもあると言った

竹は秋ではなく春に落葉するようである

まるで秋の落葉のようなので、竹の秋と言われるようである

春の季語にも「竹の秋」はあるそうだ

竹の落葉の原因はタケノコに養分を取られるからだそうだ

しかし、そうであるならタケノコは沢山出てくるはずだが、今年はタケノコは不作で大して採れなかった

矛盾している

やはり落葉の竹の秋ではなく、枯れているのではないかと思う

友人が言うには「竹の花」が咲いているという

今年のこの5月の私の花粉症の症状は重い

竹はイネ科の植物だそうだ

私はスギ・ヒノキは勿論のこと、イネ科の植物にもアレルギー反応を示す

我が家の家裏の竹も花が咲いたのではないかと疑う

それが原因で私の今年の5月は鼻水とクシャミに悩まされている (のではないだろうか?)

ならば、タケノコ不作も私の鼻水クシャミも因果はつながる

ワイルドsmoky

 今朝、雨は結構な降りとなっている

この雨の中、ワイルドsmokyは庭の藪の中に何かがいるのか、しきりと顔を突っ込んでる

今は戻ってきて、ウッドデッキのテーブルの上にある自分の外ベッドに入り、時間をかけ、濡れた体をなめて手入れをしている

そして籠ベッドの中にもぐり寝てしまった

14歳のsmoky、元気だ!

2024年5月19日日曜日

竹枯れ

 車で走っていると今年はよく見かける

竹が枯れている所を多く目にした

我が家も庭に毎日多くの枯れた竹の葉が落ちいるので、竹箒で頻繁に掃いている

見上げると、我が家の家裏の竹林の孟宗竹の竹がかなり広範囲に枯れているのがわかる

宮城県丸森町のタケノコは豊作だったそうだが、我が家のタケノコは昨年に続き今年も不作であった

これも地球温暖化が関係しているのか?

う?松竹東急

 今朝は朝ごはんも食べずに、全米プロゴルフ選手権をTV観戦で楽しんている

日曜日なのでBSJapanextでも放送しているかと番組表を見てみたら、隣のチャンネルのBS松竹東急で放送していた

BSjapanextでPGAの試合が放送されているのは知っていたが、BS松竹東急でPGAの試合を観るのは初めてである

伸ばし合いの試合は見ていておもしろい

2024年5月17日金曜日

岳友から電話

 古い岳友から電話が入った

16年ぶりだという

移住時には奥さんと娘さんと一緒に遊びにもきてくれた

なぜなのか、1ヶ月ほど前になるが、その彼の夢を見た

彼の歓迎山行が冬の白毛門であったことや、その時の彼が背負ったサックの色が黄色であったことなども思い出した

こんな話を私は口にした

彼は私も知る岳友達と九州の九重山を歩いてきたそうだ

その際なのか、来年はキリマンジャロに行くという

私にも行こうと誘っている

私はキリマンジャロはほとんど研究していない

そんな話もしたが、私は彼のことがとても懐かしく思えて、私の話は、あっちに飛びこっちに飛びしてしまった

話したいことが沢山ある訳である

彼は高山病のことなども知りたがった

色々と話は続き電話は長くなった

私は、2016年のエベレスト・トレッキングと1979年のネパール ジョムソン街道トレッキングの私の2冊の旅行記を彼にLINEをつなぎ送った

これを見れば、高地のことは大体わかる

はなしの終わりに彼はまたこう言った

キリマンジャロへ行こうと誘っているんだからねと!

終わりのタブレット

 ノートパソコンの使用頻度は激減したものの、やはりバソコンの使い勝手は良いので使っている

2年ほど前までは、「PC+タブレット+スマホ」と使い分けてきたが、タブレットの出番はなくなってきた

タブレットは2012年だったと思うがnexus7が発売となると、飛びつくようにして買った

宝物のように扱い大事にした

ノートパソコンで読んでいた朝日新聞もこのnexus7に移った

ビデオ映画もソファーに寝転んでnexus7で観た

nexus7は、2013年5月18日に出発した西日本車中泊の旅のブログ作成にも役立った

次の年の2014年7月17日に出発した北海道車中泊の旅でのブログ作成にもnexus7は働いた

2016年のエベレスト・トレッキングの旅にも持っていった

その後、nexus7にカバー一体型のBluetoothキーボードとBluetoothマウスが加わった

ほんの少し大きめのMicrosoft社製のゴムカバー付きのキーボードはその後に買い足した

このMicrosoft社製のキーボードは使いやすく、家に居ても、わざとPCは使わずに、ドッキングステーションにnexus7を立てて置き、このbluetoothキーボードを使ってブログや日記の作成、メールの送受信などに使い、遊んでいたりもした

小ささを楽しんでいた

置くだけで充電できたドッキングステーションは枕元のテーブルの上に置いていた
ベッドの中でも使えるように、手を伸ばした先にnexus7は置いてあった

タブレットは最初のnexus7を含めると、私と妻とのを合わせると5台使ってきた

私は、このタブレットで新聞を読み、ブログも書き、映画も見て、スマホより大きなタブレットは重宝して使ってきた

だがここ2年ほどは、私も妻もタブレットは全く使っていない

まず、スマホの画面が大きくなったし、軽くなった

それにスマホの画面はどんどんときれいになっていった

妻もスマホを手にしてからは、花の写真もタブレットではなくスマホで見るようになった

タブレットは確かに大きく見やすいが、重く感じるようになった

また、使用頻度が下がると動きが悪くなる

動きが悪くなるから更に使わなくなるといった悪循環となっていった

ビデオ映画はWiFi経由でスマホからTVへ飛ばして観ているので、タブレットは必要ない

急激にタブレットの時代は終わったような気がする

タブレットを使っているのは、学校とか老人ホームとかになっているような気がする

手の中に収まるコンピューターは万能機器となった

アンテナを引き出して使った私の最初のSONYのスマートな携帯電話、そんな時代、私は大森駅のプラットホームで「本の様な四角い形をした物」を耳に当てて何か話をしている人を見た

それがスマートフォンであった

いつも時代とはそういうものなのかもしれない

何かが終わり、何かが始まる

この先10年、どうなっているのか?

良くなっていればよいが?!

戦争はスマホで人差し指一本で戦っているかもしれない

p.s.

タブレットとは直接には関係しないが、私の映像、音楽鑑賞、写真撮影およびビデオ撮影も大きく変わってきた

レーザーディスクでオペラは?、DVDで映画は?、レコードでジャスは?、ビデオカメラで撮影は?デジタルカメラで写真は?、いつ観たのか、聴いたのか、撮影したのか、写したのか、思い出すこともできないほど昔のこととなった

だが、オベラも映画も観ているし、ジャズも毎日聴いている

写真もバチバチ撮っている

時には、散歩中にだって動画を撮影している

いま、キース・ジャレットのビアノは、私の睡眠薬代わりとなり、耳元で静かに軽やかな音を響かせている

ビデオも音楽も、WiFi経由でこの手の中に収まったスマホから、TVへ、bluetoothアンブへと繋いで、観たり聴いたりしいる

写真もビデオもスマホに取って代わった

もっと横着には、ソファーに寝転んだままで「アレクサ、音楽をかけて」と叫ぶ

すると、私のお気に入りの曲が私のゲンコツよりも小さなスピーカーから流れてくる

アレクサは私の好みをよく知っている

「そろそろ何々を買う時期だと」買うものまで言ってくる

「アレクサ、僕を病院へ運んで!」と言ったら運んでくれそうな気がする

2024年5月16日木曜日

壁紙

 新しくしたスマホの壁紙は飾らずに単色を選んでいた

昨夜、「ねぇ、お父さん、ドアを開けてょ」と振り返ったsmokyの姿が可愛くて、思わずパチリと一枚写真を撮った

やっぱりスマホの壁紙はsmokyだよなぁ〜となった

2024年5月15日水曜日

うまく焼けた

 餃子がうまく焼けた

冷凍餃子を手順通りに焼いただけだけど
うまく焼けるもんだ

2024年5月14日火曜日

目の前にうぐいす

 目の前の庭の築山の中の茂った木の中でうぐいすが盛んに鳴いている

肉眼では見えるが、写真の中では確認は難しい

枝から枝に移りきれいなさえずりを聞かせてくれた

今日は昨日の強い雨から一転し、暖かで穏やかな日となった

風も爽やかである

乾いた洗濯物を取り込んだ

今朝、妻は迎えに来た弟夫婦と一緒に3人で豪華なキャンピングカーを使っての車中泊の旅に出た

弟夫婦は北海道に向かうようだが、妻は青森で降りて返ってくるそうだ

何処をどう行くのか、何処をどう返ってくるのか私は知らない

日曜日の青森の朝市は行ってみたいと言っていた

私は一昨日の安売り日に冷凍食品を沢山買ってきてある

今日の昼食は、豪華なラ王カップ麺で済ませた

愛犬と愛猫の世話を私一人でしなければならないので、しばらくゴルフはお休みとなる

腕は鳴っているのだが・・・(w)

ネームプレート

 自宅敷地内に入るところに設置してあったネームプレートが倒れかかっていた
支えの丸太が腐っていた
妻が制作者に依頼して作ったネームプレート自体には問題はないようだ

ネームプレートを貼り付けたけやきの板材もかなり腐っていた

けやきの板を交換するつもりで外してきた

外してきたが、交換する良い形のケヤキ材がない

腐り始めていたけやきの板を削り再利用しようかと考えている

昨日の雨でかなり濡れているのでまずは乾かしている

表はサンダーをかけて磨き、天気の良い日にニスで仕上げようかと考えている

裏はベンキを塗ろうかと思う

既にこのネームプレートは設置から10年は経過している

あと、10年保てばよい

設置ポールも今まで使ってきた丸太ではなく、単管パイプにするつもりで、塗装は二度塗りして済ませてある

次の腐った姿をこの先私が見ることはないだろう

p.s.

他のところも「あと、10年保てば良い」対策を施し始めている

昨年は、風呂場の塗装や手すりの設置、エアコン増設にリビングルームの内壁の再漆喰塗り、ダイニングキッチンのランプの増設などを行った

私の弟もそうであったが、死んだあと、残された者が困らないようにと家のメンテを急いでいた

電動スライド門扉の製作は終わらないままで逝ってしまった

私も、やるべきところが見つかってもやり切れないであろうし、思わぬところもでてくるだろうが、できるところの補修や増設は行っている

庭の草刈りは、10年保てば良いとはならない

草刈りの範囲は広いので、困るだろうとは思うし、樋の掃除も困るだろう

庭木も切り倒すものは切り倒し、枝の剪定も行ってはいるが、植物はグングン伸びるので、これも「10年保てば良い」とはならない

タケノコはちょっと見ぬ間に大きな竹になっている

玄関、廊下、リビングルームの床磨きとワックスがけは移住時に行ったきりなので、16年間磨いてない

先の愛犬バルちゃんのよだれで広縁は点々としみが目立つ

これも思い出だが、今年は磨いてワックスを塗ることにしよう

無垢材は磨くことができる

玄関と風呂場のタイルもきれいにしておこう

サンポールは買ってある

この様に上げれば切りなくでてくるが、考えるとプレッシャーとなるので、考えずに思いつくままに行う

私は物を捨てられないタイプなので、私の物は残された者に託そう

あげても、売っても、捨てても、燃やしてもよい

当の持ち主が燃やされゃうんだから仕方がない

灰は海に捨ててもらうことにしてある

妻は付箋を貼って「これはあなたに、あなたょ」と決めるそうである

2024年5月13日月曜日

激しい雨

 昨夜から降り続いている雨は現在激しく降っている

この激しい雨は予測されていたので、昨日に各所の樋の中を掃除した

母屋は梯子を使わないと掃除はできないので、さぼりがちになる

ウッドデッキの樋の位置は私の失敗作で、これも昨日少し位置は修正した

かなり改善されたが、それでも左端の樋の位置はまだ浅いようで、雨水の回り込みがまだ少し見られた

この雨でタケノコがグンと育つのではないかと思う

チェックし蹴り倒して回る必要がある

2024年5月12日日曜日

安全帽

 最近は、頭の保護に簡易的なヘルメットを着用して作業にあたっている

簡易ヘルメットなので、バイクのヘルメットとして勿論、自転車のヘルメットとしても認められたものではない

だが、軽くて帽子感覚で着用できるので私は愛用している

過去には無帽での作業で、頭をぶつけることが結構な件数であった

大事には至ってないが、注意しなければならない

前述の通り、簡易的なヘルメットなので強度はあてにならないものの、結構安全は確保できている

先の下屋の取り付け工事中に、鉄骨の角に頭をぶつけたが、この簡易ヘルメットが頭を守ってくれた

ヘルメットにはその痕跡が残されている

頭を保護する帽子であっても、ボケを保護する防止にはならない!

当たる

 今日は朝から大風が吹く天気となった
大風は気分が落ち着かない
それでも作業服に着替えて外に出た
靴は何にしようかと考えた
安全靴を選んだ
安全靴は必要である

薪割り作業では特に必要である

普通の作業でも履いていた方が安心である

革靴の編み上げタイプの安全靴は待っている

これは安全性は高いのだが、履いたり脱いだりが面倒である

マジックテープで止められる安全靴を以前に買った

しかし、右足の小指が中の鉄板部分の端に当たり痛くて長くは履けなかったので、放ったらかしにしていた

今日、履いてみた

やはり当たって痛い

広げてあげればよいのだが、適正な道具は持っていない

潰せば広がると考えて、万力に挟んでつぶしてみた

ズレて生地の部分を傷めてしまった

掛矢で叩いてつぶしてみた

完ぺきではないが、まあ履けるようにはなった

痛くはなくなった

2024年5月10日金曜日

洗濯予約

 風呂に入る際、脱いだ衣類を入れる洗濯物カゴの中を見たら空であった

洗濯物は洗濯機の中に入れてあった

妻は、明日になったらすぐに洗濯を始めるつもりで洗濯機の中に洗濯物を入れておいたのだろう

私も脱いだものを洗濯機の中に放り込んだ

その時、タイマー機能を使って洗濯をしておいたら明日は妻も楽だろうと考えた

タイマー機能を使うのにはもう一つ理由があった

深夜電力の活用である

昼間の電力料金よりも深夜電力料金は安い

1kWh当たり27円99銭となる

翌朝の7時に洗濯が終わるようにタイマーをセットして床に就いた

この方法は日常化できると思う

楽して安い

p.s.

洗濯終了時間を予約設定できるのが便利である

ただ私は取説にあるこの予約設定「時間」については認識違いがあった

私はこの「時間」は設定時からと理解をして「8時間」後で設定した

この設定だと6時に洗濯は終わっているはずだが、今朝洗濯機を見たら終わっているどころか洗濯は始まってもいなかった

アレ??と思いながら、洗濯機の予約はそのままにしておいた

6時少し過ぎから洗濯は始まった

あぁ〜、この洗濯終了「時間」は、洗濯終了「時刻」なんだ!と認識を新たにした

多分、「8時」に洗濯は終了すると思われる

この様に設定はミスしたが、夜間電力使用終了時刻の8時に洗濯は終わりそうである

p.s.

洗濯は7時半過ぎに終えた

8時ではなく・・・何だぁ〜

「思ったほど、時間はかかりませんでしたぁ〜」ということなのか?

よくわからん!

p.s.

よく考えてみた

やはり現時刻から「何時間後に洗濯が終わる」設定であるはずだ

なぜなら、この洗濯機に時計は備わっていない

なぜなら、時刻を設定していないから

今夜は23時34分に「8時間」で設定した

明日確認してみるが、7時半頃に洗濯は終わっているはずだ

タビックス

 靴下はタビックスが好きである

作業用としては勿論、普段履きとしても愛用している

タビックスの良さは靴の中で靴下が回らないことにある

五本指の靴下も靴の中で回らないが、何といっても履きづらい

「タビックス」は造語だと思う

足袋+ソックス=タビックス

タビックスの軍足があるが、これはだめである

ゴムの部分がすぐに伸びてしまう

ワークマンで良いタビックスを見つけて最近はこれを愛用している

しっかりした作りで、かつ安い

最近、タビックスもオシャレな物が出ているが、高い

タビックスは機能重視で良いと思う

2024年5月9日木曜日

冷たい雨

 5月、一桁台の気温、雨で5℃の気温はやはりかなり寒い

この低温は昨日から続いており、昨夜は仕舞っていた「かいまき毛布と冬用の羽毛ふとん」を出し、これを掛けて眠りに就いた

正解であった

今朝も昨日に続き、灯油ストーブを焚いて暖かくして過ごしている

5月は油断できない

5月に寒い日があるのは経験している

本日、北海道では雪が降り積もっているようだ

今年のゴールデンウィークの暖気、昨日からの寒気をもたらした原因は偏西風の蛇行にあると天気予報士は言う

偏西風が日本の北に上がれば南の暖気が日本に入り、偏西風が南に下がれば北の寒気が日本を覆う形になると解説する

今日から明日にかけて偏西風の蛇行がまた北に上がり暖かくなると解説する

明日に予定しているゴルフが楽しみだ

しかし、写真にある偏西風の蛇行の流れの映像(テレビ朝日から)はきれいでダイナミックに見え、気象予報士の解説はわかりやすく感じたが、この暑さ寒さは偏西風の蛇行が原因ではなくそれは結果である

北の寒気と南の暖気のバランスの崩れた結果、偏西風の蛇行につながっていると考える方が正しい

ここまでのメカニズムでいえば、偏西風の蛇行をいうより、ゴールデンウイーク中の暑さは日本の位置での南の暖気の北上、昨日から今日にかけての寒さは日本の位置での北の寒気の南下がもたらしたものと単純に考えた方がよい

偏西風の蛇行をもたらした寒気と暖気のバランスが、どこで、どう崩れたのか、その先のメカニズムまでは私にはわからない

因果は深く連鎖していく

私の前立腺が20年以上かけて大きくなっていった原因は医者からも説明はされていない

前立腺肥大と排尿障害の関係性については理解している

PSAの値の変化と排尿障害との関係性についても明確ではない

多分、わからないのだと思う

最近の私の状態は、何でも「加齢性」のことばが付いて片付けられてしまう

「劣化」の方がわかりやすい

我が家の15年使ったヒートポンプ式の洗濯機は軸受が「劣化」して騒音を発している

私の77年使った膝は「劣化」して騒音を発している

しかたないか?!

2024年5月8日水曜日

定期検診

 昨日は泌尿器科の定期検診であった

前立腺がんの疑いは、2年前に生検によってその疑いははれたが、前立腺肥大による排尿障害は悪くなる一方である

その対策として1年前から薬物治療を受けている

最初に処方された薬は、排尿障害に対する効果も出て、PSA値も下がる効果を見せたものの、めまいの副作用が生じた

続いて処方された薬は、排尿障害に対する効果は全くなく、PSA値も上がってしまう結果を招いた

3度目に処方され薬は昨日現在で3ヶ月服用している

排尿障害に対する効果は低いのだが、PSA値は基準上限値に近いところまで下がり、2006年夏の18年前の数値以下にまで下がった

この薬はあと3ヶ月服用することにした

59.6mLと卵大の大きさがある私の前立腺の大きさも、この3ヶ月後に測定してみることにもなった

排尿障害は前立腺肥大だけに原因があるとは思えない

排出する力そのものが弱っているようにも感じている

医師に確認すべきであったが、昨日聞き忘れた

p.s.

PSA値の推移は22年間取り続けている(まとめはExcelを活用)

2006年7月4日の人間ドックで基準値の4.0ng/mLを超えた時、産業医の薦めで都内の大病院の泌尿器科の診察を受けた

しかし、この大病院の医師の態度が気に入らなかった

触診をするでもなく、大した質問をするでもなく、私の話を聞くでもなく、ただ一言「生検の予約をしていってくれ」とだけ言われた

私はセカンドオピニオンを受けることにした

まともな話をしていると思えた泌尿器科の町医者の診察を受けた

状態把握のための各検査はしっかりしていたし、話の筋も通っていたし、結論もはっきりしていて見解に自信が感じられた

がんではなく、前立腺肥大であるとのこの町医者の見解を私は信じ、2021年の夏に胃がんが見つかるまでの15年間、PSA値が10.0を超えても私の前立腺はがんではないと信じ過ごしてきた

2年半前に胃がんが見つかり、すぐにESD手術を受けてがんは切除した

その後、大腸も前立腺もよく診てみようとなり、大腸はがんではない良性ポリープ5個を切除するに至り、前立腺はエコー検査、MRI検査の画像判断から前立腺がんと判断されるも、生検を行った結果、12本さした針からがん細胞はひとつも出なかった

検査担当医師から、前立腺は大きいがシコリはなく、進行性のがんではないだろうとの見解も得られた

触診ひとつとっても、医師のコメントの内容や質に差があることが感じられた

基準値の4.0ng/mLを超え4.83ng/mLとなった日から数えて16年、やはり町医者がいった通り私の前立腺はがんではなく前立腺肥大であることが明らかになった

しかし、排尿障害は生活の安定を崩すものであるから何とかしなければならない

だが、処方された薬で翻弄されている直近の一年があるのも事実である(副作用、逆効果、PSA値上昇など)

古い友人達の中にもこの前立腺肥大で苦しんでいる者は多い

私のように長年の記録を残したり、調べまわる者も珍しいだろうが、何の薬を飲んでいるのかさえもわからない者もいて、それもどうかと思うよ

寒い一日

 今日は小雨まじりの寒い一日となった

明日の午後から天気は回復してくる模様であるが、明日も寒さは続くようである

14時現在で外気温は15℃を下回っている

玄関内でも17℃ほどの気温となっている

今日は昼間もエアコンと灯油ストーブ頼みとなった

本日予定していた那須陽光GCのゴルフは明後日に延期してある

明後日は高気圧に覆われた良いお天気となるようで、気温も24℃まで上がる予想となっている

楽しみだ

2024年5月5日日曜日

遊ぼうモード

 今朝は何故かMatthewはとても元気だ

テニスボールで遊ぼうモードになっている

「お父さん取ってみな!」といった感じのようだ

ドアストッパーのviviもこっちを向いていた

昨夜は外で

 今朝、リビングルーム内にsmokyの姿はなかった

カーテンを開けたら、その先のウッドデッキのテーブルの上のsmokyの外ベッドの中にいた

昨夜はこの外ベッドで過ごしていたようだ

春だぁ〜

2024年5月4日土曜日

3日雨

 今年のゴールデンウイークは良い天気が長く続いた

仲日の5月1日がチョット崩れた程度であった

だがこのゴールデンウイーク中に長く続いた好天は明後日の6日で終わるようで、その先3日は雨模様である

8日に予定していたゴルフは10日に先延ばしとした

先延ばしは、リタイヤ組の特権である


昔々、会社勤めであった私は、長いことこのゴールデンウイークには毎年春山合宿を組んで仲間と山に入った

今年のように、ゴールデンウイークには良い天気が期待でき、ゴールデンウイーク明けには真っ黒に日焼けした顔で出社することも多くあった

春の強い陽射しは雪からの反射も加わり、ひどい日焼けとなることも雪目になる危険もあった

春山では、水ぶくれとなる日焼けを防止対策をとっていた加藤先輩の方法を私は真似ていた

顔にメンソレータムを塗った

こうすると、水ぶくれになるようなひどい日焼けになることはなく、きれいに日焼けした

ただ、雪目防止にサングラスは欠かせなかったので、目の周りは日焼けはしない

結果、目の周りだけ白い猿のような顔となった

春山の天気は変わりやすくもあった

好天も多くあるが、雪になることもあるし、雨になることもあった

入山日の雨が最も煩わしい天気である

ゴアテックスができてから、春山にはヤッケ上下ではなく、雨具上下が登山装備となった

シュラフカバーにもゴアテックスを使った

今や靴にもゴアテックスが使われる時代である

私が普段の生活で履いているメレルの靴(カメレオンやトレッキングシューズ)はゴアテックスである

雨で濡れないための完全防水の雨具は他にある

だが、完全防水の雨具は蒸れて中から濡れるし、とても気持ち悪いものである

それに比べ、ゴアテックスの雨具の防水性は完璧ではないが、蒸れを感じさせない

これが素晴らしい

最初に着た時は驚きでさえあった

着たことがない人にはこの素晴らしはわからない

私は40年以上、登山で使う雨具はゴアテックスと決めている

愛犬との散歩にも雨の日はゴアテックスを着ている

ゴアテックスの価格は高いのも事実である

ゴアテックスも含め、登山用具には惜しみなく私は金をつぎ込んだ

給与が15万円の時代に10万円のフランス産モンクレールの羽毛シュラフを使った

山では、良いものは快適を超えた安全につなる

p.s.

当方の会員ではないが、春山の山中で顔全面に白いガーゼを被った女性を見ることがあった

(男性はいない)

日焼け防止に絶対だそうで、ガーゼの隙間から先は見えるそうである

だが、真っ白な顔に出会うと、ドキッと驚かされた

初草刈り

東の花の庭から市道に出るアプローチ
 今日は雲一つない天気となった気温も上がってきてが、風も爽やかな良い天気となった
今朝早く1時間ほどかけて市道に出る迄のアプローチ、畑の脇道、南の庭、ガレージ裏、西の庭などの草刈りを行った

今シーズン初の草刈りとなった

刈払機は一発で始動した

この刈払機は、田舎暮らしを始めるに当たり、中古だが19年前に弟が整備したものを肩バンドなども含めてもらったものである

私も自身で整備はしているし、キャブレターも一度は交換しているロートル機であるが、調子よく毎年動いてくれている

これからは2週間〜4週間に一度は草刈りを行うことになる

いつまで行えることかと考えてしまうが、田舎で暮らすからには避けられない作業となる

下屋製作

 一昨日に一組、昨日に一組の下屋を製作した

昨日製作した一組の下屋一組は今朝早く塗装した

久しぶりの溶接作業となった

2024年5月3日金曜日

イネ科なのか?

花粉症ナビから
 ここ一週間、鼻がとても痒く、クシャミがひどい

目も痒くはあるが、大したことはない

何かに反応している花粉症である

イネ科の花粉に反応していることも疑われるが、我が家の周りにはヒノキも多く、ヒノキの花粉に反応しているのではないかと思われる

先の通院時に、医師から花粉症対応の目薬と鼻の薬を追加処方するかと聞かれたが、スギ花粉が収まっていたので、処方してもらわなかった

いま発症している花粉症の症状は、スギ花粉の時よりもひどい

残っていた鼻に入れて吹きかける薬を朝に一回だけ使っている

残り少ない!

2024年5月1日水曜日

寒暖差

 昨日までは夏のような天気で、作業後には扇風機を使って体を冷やした

今日は一転して寒く、ダイニングキッチンてもリビングルームでも灯油ストーブを焚いて過ごしている

3時過ぎから小雨も降り出した

羽毛ふとんは片付けたが、今夜は羽毛ふとんに戻したほうが良いかもしれない

スギ花粉が収まり、花粉症から開放されたと思っていたが、何かに反応しているようだ

4〜5日ほど前から、鼻も目も痒く、くしゃみが止まらない

明後日3日から始まるゴールデンウイーク後半は、天気は回復してきて、また暑さも戻ってくるようだ

草花も虫たちも元気が良い

雑草までも元気が良い

草刈りも開始の春となった

14歳

 今日はsmokyの誕生日

14歳になった

よく食べるし、元気だ

今日は特別にいつもの療法食にオカカがかけられるようである

14年間、この療法食しか食べていない

野鳥や野ネズミなどをゲットして食べることもあったが、殆どは吐いてしまう

ここ2年ほどは野鳥も野ネズミも捕って来ることはなくなった

以前の狩人smokyは、モグラ、ヘビ、リス、キジも捕ってきた

我々夫婦にとって、smokyはなくてはならない存在だ