2023年11月28日火曜日

喪中はがき

 この時期になった

年々年賀はがきの枚数は減って行き、逆に喪中はがきが増えてきた

中学校3年間の担任教師であった先生が亡くなったとの喪中はがきが届いた

団塊世代の私は中学一年生の時のクラス数はとても多く14クラスもあった

教室でない部屋も活用していた

これを解消するため新たな中学校が自宅からも近いところに作られた

私はその新中学校に移動した

旧中学校の私の担任であった教師も新中学校へ移動となった

私は新中学校に移動した後も同じ教師が私の担任となった

そうなったのは私一人であった

この担任教師とは個人的なつながりも強くあった

私の初登山はこの教師に案内された大菩薩峠であった

私が登山にのめり込んで行ったきっかけとなったハイキングであった

先生のお宅にも何度かお邪魔をした

幕張の古い農家風住宅であった

先生は、私の人生に他にも進路などの影響を与えた

この中学校の長いクラス会の歴史の中には私達の還暦クラス会がある

泊まりの還暦クラス会は私が幹事で企画した

福島県の塔のへつりから裏磐梯に周り、新野地温泉に泊まった

ここの宿主の理解もあって大広間で大騒ぎのクラス会となった

翌日は二本松の菊人形を見た後、福島の我が家に周り、妻の協力を得て開いたバーベキューパーティーを最後に、3年A組の還暦クラス会は終わった

この一泊クラス会で好評であったのは、秋紅葉真っ盛りの塔のへつりでも裏磐梯でもなく、二本松の菊人形であった

これは意外であった

幹事としては、一泊した新野地温泉からすぐ我が家へ来るのでは早過ぎるので、つけ足しに企画したのがこの二本松の菊人形であった

今にして思えば、我々の地元、谷津遊園の菊人形をみんなが懐かしく思い出したのではないかと考える

この泊まりのクラス会には先生も奥様と共に参加してくれた

とても楽しいクラス会となった

先生も奥様もとても喜んでくれた

先生は私の福島での第二の人生を祝福してくれた

私はここ5年ほど、年賀状もデジタル活用のものを多くしているが、先生ご夫婦への年賀状は年賀状はがきを使い続けた

先生からの年賀状も必ず届いた

私の年賀状の歴史の中で、最も長く続いたのは、この先生とのやり取りであった

同窓会嫌いの私であるが、この先生に会えなくなるのも、年賀状のやり取りが途絶えるのも残念な思いである

この中学校で共に学び、バスケ友であったヤツが私の最も古い友人である

こいつとは、この10月に泊まりでゴルフを楽しんだ

こいつは、私には元気でいてもらわなと困ると言う

その理由は、自分が困ることになるからだそうだ

どう解釈すればよいのか??

と考えたが、

確かに,バスケ友の中には先に逝っている者もいる

我々が先生の後を追うのもそれほど遠いことではない

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