高曇りで陽射しは弱いので昨日の暑さはないが、それでも12時40分現在で外気温は25℃を超えている
作業後は扇風機の風で汗をかいた体を冷やした
今日のお昼は辛いワンタン麺となった
暑い時には辛いものを食べて元気を出そう
今日の水分補給も冷たいカルピスとなった
高曇りで陽射しは弱いので昨日の暑さはないが、それでも12時40分現在で外気温は25℃を超えている
作業後は扇風機の風で汗をかいた体を冷やした
今日のお昼は辛いワンタン麺となった
暑い時には辛いものを食べて元気を出そう
今日の水分補給も冷たいカルピスとなった
作業台の上の2枚の板が割れた
割れたのは板と言っても木片を固めたパーティクルボードである
湿気を吸い化けていた
修理した
苦労した
止めの部材の穴径が19ミリと何とも中途半端なサイズだ
木工ドリルは18ミリもあり、20ミリもあるが、19ミリはない
仕方がない
まず18ミリで空けて、ジグソーを使って少し削り、その後、筒状に巻いた荒いサンドペーパーで穴の内面を削って仕上げた
これで、私が死んだ後もこの作業台は残るだろう
その後は、廃棄されるか誰かの元で使われているかだ
今後、プラスチックのハンドルは劣化してボロボロになるかもしれない
それも私なら(代用品を探して)直すが、そう考える人は少ない
時代がそうさせている
自作のカメムシ取りが活躍した
カメムシは静かに取り扱わないと臭くてたまらない
掃除機で吸い取ってもだめで、排気が臭くなる
ハエ叩きなどで叩いてつぶしては絶対に駄目である
部屋中が臭くなる
このカメムシ取りならば、カメムシの下に置いてチョット上げるだけで容器の中に落ちてくれる
それでもだめなら、刷毛でそっと払ってカメムシ取り容器に落とす
中には水で溶いた台所用石鹸が入っている
p.s.
カメムシと取り製作:
ペットボトル上1/3を水平にカット
それを逆さまにして合わせたところをテープで止める
中には石鹸水をいれる
むせることが多くなった
自分のつばでもむせることがある
私は誤嚥性肺炎で死ぬのではないかと思っている
「歳のせいだと」とだけにはせず「何とかしよう」と考えるのが私の特性である
今回の何とかしようは「ストロー」である
今日は夏のような暑さとなった
大きなグラスに氷を入れて冷たくしたカルピスの出番となった
このカルピスもストローを使って飲んだ
むせることが低減できる
11時50分現在、外気温は28℃を少し超えている
午前中に家裏の片付けを行った
汗が流れ、シャツは濡れた
風呂の残り湯にザブンと入ろうとした
あれ!湯がない
そうだ、洗濯機を増設し、残り湯の湯取り機能を使って洗濯をしていた
ではと、シャワーを使った
初シャワーである
シャワー後、納戸から扇風機を出してきて、体を冷やした
初扇風機でもある
福島市では30℃の夏日になるそうで、4月中の30℃は、過去10年の間に3度しかなかったそうだ
それも過去10年で3度は、全国で福島市だけとのことである
福島は暑いんだぁ〜
45日毎に尿酸抑制剤と胃薬の処方箋をもらうために通院している
いま私は、薬局で薬待ちをしている
また発生した
1人の患者の薬の在庫が切れて出せないようだ
(薬が)入ったら連絡すると言われてその患者は帰った
前回もあった
前回は2人の患者の薬がなかった
その内の1人には、宅急便で送ることもできると話していた
送料は誰が持つのか話にはなかった
前回この話をお隣に話したところ、自分も経験したそうである
以前には経験したことがない薬切れを2回の通院で経験した
大丈夫なのか?日本!
円安が進み、本日円は1$159円を超えた
大丈夫なのか?日本!
昨日は初夏を思わせる天気の中、棚倉田舎倶楽部でゴルフを楽しんできた
昨日のゴルフは「左腕の動き」をテーマに取り組んでみた
西コースの最初のホールでのティショットも5番ウッドを使ってのセカンドショットもまずまずの結果を生んだ
しかしそれ以降は、段々とショットの精度は落ちて行った
何故なのかはわからなかった
更に右へのプッシュアウトは大きくなり、午後の中コース最初のスタートホールでは、右へ大きくプッシュアウトしOBとなった
その後も不調は続いた
最後に残された2ホール
8番のティーグラウンドに立った時に気づきがあった
左腕主体で振ってはいるが「合わせている」だけで、「ヘッドが走っていない」と感じた
8番ティーグランドで、急がず、意識し、ヘッドを走らせた
飛んだし、方向性も改善された
飛球の確認は遅れた
顔は下向きのままであった
このホールの8番、続く難しいホールの9番とパーで上がることができた
振り返って考えてみると、「練習場でできていた」ことが「実践プレーではできない」と感じた
「練習場」では、思いっきり打てる
「実践プレー」では、怖くなるのか、合わせ打ちをしている
何もOBを打ったからといって殺されるわけではない
実践プレーにおいても、ヘッドは走らせよう
歳をとったせいなのか?
最近は昔のことを振り返り考えることが多くなった
若い頃は先のことばかり考えていたような気がする
古いことばかり考えるのは、やはり歳をとった証拠なんだろう
今朝は起きがけだと思うが、山友達に会いに行った夢を見た
夢の彼は大きな金物屋の社長で、その店に入っていった私は、その山友達と何か言葉を交わしている夢であった
その夢の中の彼はとても若かった
その夢がきっかけとなり、起きてからもその山友達のことを思い出していた
夢の彼の山岳会入会歓迎山行は、冬の谷川岳白毛門であった
その時に彼が背負っていたザックの色が黄色であったのを今でも記憶している
その年の会の新人賞は彼であったと思う
私が福島に移住するにあたっては、洗える革手2組とカンナに使うシリコンオイルをプレゼントしてくれたのも彼であった
また、伐木に使うチルホールを格安の値段で譲ってくれもした
ここの移住先にも家族で遊びに来てもくれた
彼の結婚式にも招待されて出席した
男には趣味は必要だが山は駄目だと私に意見をしたのは彼の父親であった
私が所属する山岳会の会員2名が昭和57年11月に、北アルプス穂高において他の山岳会員2名を巻き込む滑落事故を起こした
この事故にて3名が亡くなった
岐阜県の飛騨側のセマ谷に落ちた2名(会員1名と他会員1名)を探すため、雪に挿して遭難者を探すゾンデを自作してくれたのも、今朝の夢の彼であった
今朝の夢から山岳会の存続も危ぶまれた昭和57年に起きたこの大きな山岳遭難事故のことまでも引き出されるように思い出した
今朝の夢の彼は、遭難事故当時の当会のチーフリーダーであった
彼は、この山岳遭難事故処理の先頭に立たされた
事故発生から同年12月に発見された岐阜県側のセバ谷の遺体収容、そして翌年の5月までかかった長野県側の扇沢の遺体収容までは特に、遺族、山岳会会員および山岳会OBは勿論のこと、千葉岳連、巻き込んで落ちた方の所属山岳会の方々および埼玉岳連などの山関係者だけとっても、多くの方が大変な思いをした
チーフリーダーであった彼には、事故発生から遺体収容までの期間のみならず、その後の崩れかけた山岳会の運営についても大変な苦労をかけさせた
長野県警、岐阜県警にもお世話になった
遭難者3人(当会の2人と他会の1人)は、すぐに発見救出とはならなかったので、一次捜索後は、会員が交代で穂高に通って捜索や監視を続けた
それも岐阜県側と長野県側との両面の対応が必要となった
飛騨側のセマ谷に落ちた会員の一人は、千葉の職域山岳会の方が同年12月の白出沢下山中に発見してくれたことにより、すぐに新穂高温泉側から向かった若き会員と岐阜県警の協力による人力搬送で収容することができた
雪崩も考えられる場所であるし、ゴルジュ通過は危険と困難を伴い、2次遭難も考えられる収容活動であった
春に行った扇沢に残された会員の収容もかなり危険な作業であったが、これも無事に若き会員の手で下ろすことができた
この57年の遭難で亡くなった2人は、ヨーロッパアルプス遠征のトレーニングとして穂高に向かっていたものである
私はこの2名を含め、山の現役中に4名の岳友を山の遭難で亡くしている
今朝の私は、この亡くなった会員のことや、その後の山岳会存続の苦難を深く思い浮かべるとともに、山岳遭難ではないが、早く逝ってしまった多くのザイルの友のことも思い出している
私自身もチーフリーダー時代に穂高滝谷で滑落事故を起こしている
30m真っ直ぐ落ちたが助かった
運が良かったとしか言いようがない転落事故であった
事故は長野県警に自ら届け出たが、岐阜県側で起きた事故であったため管轄外として処理された
これ以外に遭難寸前の事態は、私自身にも会員にもいくつもある
どれもこれも古い古い話である
私は、前述の様な悲しい思い出や辛い思いでの中に沈み込むこともあるが、楽しい思い出の中に入ることも多くある
まだ16年で、古い思い出と言うには日が浅いかも知れないが、移住前に3年の通いを含めた19年間の「田舎暮らしの生活」は、楽しい思い出に満ちている
77年間、色々なことが起きたし、色々なことをやってきた
辛く悲しい私と弟の子供時代のこともよく思い出すが、考えようによっては楽しい思い出も沢山ある
この先、何年生きられるかわからないが、楽しい思い出となることに取り組んでいきたいと考える
p.s.
年寄りがしてはいけない中の一つに昔話があるそうだ
だが、古いことを考えるのは良いことで認知症の予防にも効果があるとの研究結果もあるようだ
また、昔話をするのと昔の古いことを考えるのは本質的な違いがあると思う
私は、新しいことでも、古いことでも「考える」ことは良いことだと思っている
妻からも言われたのだが、不思議なことに私は古いことはハッキリとよく覚えている
逆に言えば、(妻から見ると)最近のことはよく忘れるということだろう
昨日は出ていなかったタケノコである
これからは毎日見張る必要がある
食材の確保という意味もあるが、育てってしまったら困るといった意味もある
タケノコの成長は早い
梅は豊作と不作を繰返す
梅と同じく、タケノコも豊作と不作を繰り返すようである
タケノコの産地である宮城県の丸森町では、今年は豊作の年に当たるそうだ
我が家のタケノコもそうであると、ありがたいようなありがたくないような気になる
食材としてはありがたいが、タケノコ掘りが大変になってくる
タケノコは放置しておくわけにはいかないので、困ったものにもなってくる
オープスタンス、ループスイング、右脚軸、クローズドスタンス、ベタ足、鞭撃ち、右腕で叩く、などなど長いこと色々とゴルフのショットには取り組んできた
クォーター理論も試してみたし、色々なレッスン動画も見てきた
だが、未だに、どのようにしてクラブは振ればよいのかわかっていない!
1986年39歳でのヨーロッパアルプスの遠征を節目に、中学生から長く続けてきた登山の中の岩登りとか厳冬期の登山は止めた
その後も家族や山岳会での軽い登山(死亡リスクの低い登山)は続けていたが、その軽登山にテニスとアーチェリーの趣味を加えた
実弟の趣味である釣りの中の、沖釣りも始めるようになった
私の趣味は多様化した
釣りは、義弟や義弟の仕事仲間などと千葉や茨城の海で釣りも多く楽しんだ
テニスは、妻と息子と3人でスポーツジムのテニススクールに通い続けた
テニス後に泳いで帰ることもあったし、ジムには泳ぎにだけ行くこともあった
アーチェリーは、凝りすぎて沖縄国体参加を目指すようになって行った
夕食後、毎日家の20畳の部屋に籠もり巻藁を相手に弓を撃ち続け、土日祝日はアーチェリー場に通い続けた
昼食もアーチェリー場のレストランで取った
勝負事が苦手な私だが、アーチェリーだけは違って、試合にも出るようになって行った
ひとり息子は4歳であった
妻から苦情が出た
かわいい盛りの4歳は二度と来ない!と
その晩に私は弓矢をケースに仕舞い、その後、二度とアーチェリーケースを開けることはなかった
納得の一言であった
そんな頃、上司からゴルフに誘われるようになっていた
そして私はゴルフを始めた
仕事においても人間的にも信頼していた方からの誘いということもあったが、没頭していた登山、それもハードな登山を止めたことによる空虚感のようなものがゴルフに走らせたような気もする
私はゴルフを始めるのは遅いと感じたので、テニスで通っていたスポーツジムのゴルフスケールに入った
ここではアメリカ流のレッスンを受けた
初期、中級、上級と進み学んだ
最後のラウンドレッスンだけは受けずに卒業した
ジムのゴルフスクールでの内容はかなり濃かった
座学は、講師がついて教本とレーザーディスクの教習動画を見ながら学んだ
実技は、多くのクラブを使っての打撃練習もあるが、バンカーショットの練習もあったし、作られたあらゆる方向に向いた斜面の上に立ってのショット練習もあった
勿論パッテングの練習もあったし、スイングプレーンを確認するために大きな輪の中に入ってのスイング軌道を作る練習もあった
実際のラウンドに出たのは、44〜45歳の頃であった思う
初ラウンドは船橋カントリークラブであった
会社の仕事仲間がこの船橋カントリークラブの会員であって、この方から誘われての初ゴルフであった
最初のホールのグリーン周りで、バンカーから向こう側のバンカーへ打ち込んだ記憶が鮮明に残っている
その日のスコアが124であったこともハッキリと覚えている
この日から私のスイングの悩みが始まったと言ってよいだろう
現在私は77歳、30年以上もゴルフを続けているのに、未だにどう打てば良いのかわかっていない
身体つきも体力も変わってきているという要因はある
元々身体は硬い方なのだが、歳を重ねてきて更にトップが浅くなってもいるし、体の捻りも難しくなってもきている
明後日のゴルフでは、左腕主体でクラブを振ることを頭に置いて取り組んでみたいと考えている
毎回テーマを決めて取り組んでいるのだが、上手くいった例はない(w)
P.S.
先に「勝負事が苦手なのだが、アーチェリーは別」と述べた
アーチェリーの試合は、競うというよりも自らの力で結果を残すという感覚になるので、勝負事に対する違和感は出にくいように感じていたと思う
結果は後からついてくるといった感じで、この感覚はゴルフにも近いものがあると感じている
まあそれでも、私はコンペは苦手で、避ける傾向にある
ビール一杯も勝負事になるので、賭けの対象にしたことはない
勝負事の中でも一対一の勝負が最も苦手である
将棋もその一つである
私は、縁台将棋が有名な船橋で生まれ育ったが、いまだに駒の動かし方さえ良くはわかっていない
だが、不思議なことに将棋の駒は立派なものを私は所有している
おそらく、私と生活を共にし私の生活を支えてくれていた義叔父からのプレゼントではなかったかと思う
船橋っ子は、将棋をするのは当たり前だったからだろう
私は違っていただけだ
ゴルフもテニスも良いショットが打てれば、それで私は大満足なのである
勝負は勿論、スコアも二の次なのである
熱中したり好きになったりした私の趣味は、振り返ってみるとスポーツ系に傾向しているように思う
文化的なものは、多少、音楽好き、また一時期、会社の写真部に入り山岳写真などに手を出したことはあったものの、副次的だし大したものでもない
音をとことん追求したり、写真の深みを増していくようなことはなかった
趣味とは言えないが大工仕事は好きで、どちらにしろ体を使い汗を流すものが私は好きで熱中できるようだ
だが、マラソンは、走っている人の気がしれない
山は勿論好きだが、山岳トレールランも走っている人の気がしれない
それが競技となると更に気がしれない
空は雲に覆われてはいるが、9時半現在、上空にはまだ雨雲は来ていないようである
しかし、これから明日にかけて雨降りの天気となる
低気圧は日本の南岸と日本海にあり、この二つ玉気圧が作る気圧の谷が西から東に移動して来る
南岸低気圧から寒冷前線と温暖前線が伸びて東に進んで来る
この前線の影響で今日は梅雨寒のような天気になる模様である
この低気圧が抜けると明日の午後からは晴天が戻ってきて暑くなってくる
明後日にはゴルフを予定している
明後日は南風も伴うので、気温以上に蒸し暑さを感じる天気となりそうだ
服装は初夏のスタイルで、汗はゴルフ場の温泉で流して帰ろう
P.S.
4月もそして5月も日によっては、まだ少し寒い日もやって来る
今日もそうだが、こんな少し寒い日には、エアコンは止めて灯油ストーブを焚こう
数多くある灯油ストーブの灯油を空にする必要がある
衣替えの前の仕事である
今日はその東京見物のご婦人方で、この一万円を使って、インドカレーを食べに行ってしまった
仕方なく、私は昼食に一つ残ったカップうどんを食べた
そのカップうどんには七味唐辛子をかけた
この七味唐辛子、香り高くとても美味しい
私は、無駄に高いものは嫌いだか良いものは好きである
この七味唐辛子も好きである
七味唐辛子は、良いもので、新しいものが良い
前述の通り香りが良いし、汁を飲んだときの風味が違う
湿気を避けるために、昔からのこの缶とか、小さなひょうたん容器に入れておくのが良い
昔、七味唐辛子も売りに来ていたように思う
鍋穴修理も、刃研ぎも、豆腐も自転車で売りに・修理に・メンテに来ていた
床屋も回って来ていた
小さい頃には、庭先で丸椅子に座って髪は切ってもらっていた
これらのことは、ついこの間のことだが、時代は随分と変わった
良くなったと思いたいが、最近はそうでもないなぁ〜と感じることも増えた
便利さに追い回されている感じもする
いま手にしてブログを書いているのは、超小型のコンピューターであり、TV電話である
あと10年経ったらドロンタクシーで空を飛んでいるかもしれない
150年前のついこの間、多くの方は江戸から京都、大阪、長崎へ歩いて行った
p.s.
妻達はインドカレーを食べに行ったと思っていたら違った
三春のハーブガーデン内のレストランに行ったようだ
予約客でいっぱいだったようで、50分待っての食事であったようだ
野菜中心のヘルシー食であるとのことだ
私は嫌だね!
肉たっぷりがいいし、そうでなくてもインドカレーの方がいい
ましてや、50分も待つなんて、私にはできない
上半身は肌着着用なしのモックネックのフリース素材の作業シャツの上に薄手の羽毛ベスト、下は古い暖パンを着用したスタイルでいる
15℃だと、部屋で何もしないでいるとチョット寒く感じ、散歩では丁度いい感じで、外で作業をすると薄いダウンベストを脱いでも汗をかくほどに暑く感じる
いい気候になって来た
愛猫smokyは15℃では寒いのか、タライの中にスッポリと入って寝ているY!mobile版でないSIMフリー版を選択した
スマホケースもあり保護フィルムも貼られていた
OPPO Reno7 Aは、OPPO Reno9 Aの型落ちである
OPPO Reno9 Aは、OPPO Reno7 Aのマイナーチェンジのようで大きくは変わっていないとの情報もあった
私はOPPO Reno7 Aを選択し購入した
マイナーチェンジが型落ち版を購入する理由ではない
主な理由はコスパである
OPPO Reno5 A購入時も、OPPO Reno7 Aが発売になってから買った
OPPOのスマホは妻のOPPO Reno3 Aから始まり、この買い替えで3世代に渡り使用することとなった
安く、結構高性能で、軽いのが良いと思っている
OPPO Reno5 Aは、2年ほど使った
電池の持ちが悪くなったのが買い替え理由である
私のスマホ利用はハードだと思う
妻はまだOPPO Reno3 Aユーザーのままである
電池のもちにまだ問題はないそうである
多分、4〜5年ほどは使っていると思う
写真写りは良いそうだ
p.s.
今日のこのブログは買い替え前のOPPO Reno5 AをWi-Fi接続で使い書いている
プライムビデオなどは前の前の機種の雷神でTVに飛ばして見ている
雷神のバッテリーの持ちは良かったが重かった
家の中で使う分には良い
PCの使用頻度は少なくなってきている
3回目のドラム内への給水漏れとなった
脱水時の騒音は家の中をジェット機が飛び回っているようである
選択肢は2つであった
1案は、またヒートポンプ式の乾燥洗濯機に買い替える
2案は、縦型の全自動洗濯機を追加で購入する
妻と現物も見に行き、採用したのは2案となった
購入したのは日立の全自動洗濯機 BW-X100Jである
ネット注文で2日で大阪から本日届いた
配送は玄関前に置いてもらった
配送業者は「大丈夫ですか?」と心配顔であった
この老人が、この重量物を運んで、更にセットアップもできるのだろうか?と心配したようだ
心配ない!
41kgは軽いもんだ!
ヒートポンプ式の乾燥洗濯機は80kgあった
15年前だが、これも自作の台車を使い一人で運び、チェーンブロックを使い一人で設置した
床板を剥がし、張り直し、排水施工も上水施工も一人で行った
今回は、妻の手も借りて梱包を解き、本体は寝かせて排水パイブの取り回しを決めて出し、底板を取り付けてから洗濯機は立て、脱衣所の奥に少しづつ移動し置いた
給水口の部材がなく、コメリで購入し給水をつなぎ、床板も架構して準備しておいた排水口に排水パイプをセットした
アースも準備しておいたラインと繋いだ
これらの設置作業、前作業と部材の買い足しなどは含めない本日の実作業としては2時間ほどで終えた
先ずは同梱されていた試運転の操作手順に従い動かし、水漏れなども点検した
試運転後すぐに、冬の間、廊下の仕切りに使っていたカーテンを「お湯取り」からの給水(給湯)で洗濯を行ってみた
この全自動洗濯機の稼働音はとても静かであった
ヒートポンプ式の乾燥洗濯機は洗濯室に置いたままなので、今回購入した全自動洗濯機は脱衣所の奥に置いた
湯槽に近いのでお湯取りポンプを作動させて風呂の残り湯を使うこともできた
汚れ落ちも良くなるだろう
湯槽からの残り湯の減る具合を見ると、この全自動洗濯機はかなりの水を消費することがわかった
水漏れ、騒音の古いヒートポンプ式乾燥洗濯機を残したのには訳がある
夫婦二人の生活なので、洗濯物が特別に多いという訳ではない
今まで、妻もヒートポンプ式乾燥洗濯機で洗濯物を乾燥させるのは滅多になかった
だが、二人ともかなり高齢となった
これから先は洗濯物を干す手間を省き、乾燥機を使う機会も増えるのではないかと考えた
15年もののヒートポンプ式乾燥洗濯機であっても、乾燥機能には何の問題もなく使える
これにもまだ働いてもらうつもりである
風邪などで寝込んだときに役立つと思っていたが、簡単な物なのに介護用品として売られている物は結構高いと感じ、今まで買わないできていた
昨日、別な物を買いに百均に行った際、ペットボトルキャップにつけるシリコンストローなる製品があり購入してきた
早速、空いたペットボトルにつけて使ってみた
使える!!
ロボットが配膳をしてきた
このファミレスでは全てを自身で行う
水は自分で取りに行く必要がある
注文はタブレット端末から行う
配膳ロボットから注文したものは受取り、ロボットには確定して帰ってもらう
精算もポイント付与も全て機械対応で済ます
優待カード読み取り→ポイントアプリ読み取り→優待カード外料金の電子決済→領収書発行
この手順で精算は終えたが、かなりの時間を要した
帰りに妻の思いつきで、小沢の桜を見に行ってみた
専用駐車場には4〜5台ほどの車が駐車していた
ライトアップされていた
遠くから眺め、写真におさめてから帰宅した
手前の田にまだ水ははられていなかった
田に水があると、よりきれいに映るのだが、今年は間に合わなかったのかもしれない
ここの桜はピークは過ぎていたものの、それでもきれいな状態で楽しませてくれた
私のゴルフの方はきれいには咲かなかった
我が家の方は、梅の花は散って花は少なくなったが桜は満開となった
ゴルフ場への行き帰り、いたるところで桜は満開で、山もポコポコとピンクの化粧をして美しい
こんな中のドライブは楽しい
この好天を利用して薪ストーブの煙突掃除を行った
煙突掃除は慣れているので、1時間ほどで作業は終えた
今シーズンの薪ストーブは、12月から焚き始め3月末で焚き納めとした
この3ヶ月間、毎日焚き続けた薪ストーブの煙突にたまった煤は900g程となった
焚いた薪の量は3トン強となる
今シーズンから12月までと3月以降の暖房はエアコンを使うこととした
シーズンフルで薪ストーブを焚いていた昨年までは、年に2回の煙突掃除は必要であったが、今年は3ヶ月しか焚いてないのでこの1回で済んだ
U14のエラーが表示されていた
ネットで調べてみた
給水エラーとある
給水バルブが閉じられていた
妻になぜバルブを締めていたのかを聞いた
「水漏れがあったから」だと言う
故障が再現したようだ
また給水の電磁バルブがキチンと閉じていないようである
この電磁バルブを確認するには裏からでないと確認できない
このヒートポンプ洗濯機の重量は81kgもある
先日はドラム内のバックフィルターが外れ、取り付けにかなり苦労させられた
給水電磁バルブの動作不良からくる水漏れの不具合はこれで3度目である
脱水時の騒音はジェット機が室内を飛んでいるような音がする
電磁バルブを交換し、ドラムのベアリングなどを交換すれば、元に近い状態に戻すことは可能ではあると思う
しかし、この状態なら寿命といって良いかもしれない
移住時に設置した洗濯機なので15年働いた
洗濯好きな妻はほぼ毎日洗濯機は回している
買い替えを検討する
案-1:同じ乾燥機洗濯機と買い換え
案-2:乾燥機なしの洗濯機を追加購入
※乾燥機能を残す理由:今まで乾燥機はあまり使わないできたが、私と妻の高齢化に伴い、乾燥機の使用頻度は今後増加すると考えられる
ふたりは三春の滝桜見物と福島市の花見山見物が目的であったようだ
自慢のキャンピングカーを私に見せたかったようだが、当日の私は湯本SCCでのゴルフが計画されていたため会うことはできなかった
ふたりのみやげは「伊勢うどん」であった
妻が言うには、伊勢うどんは不味いと私は言って以前は食べなかったそうだ
しかし、私にその記憶はない
また現役中、伊勢市には何度も出張していたが、食べものに対し興味が薄い私は、この本場、伊勢市でも伊勢うどんは食べていなかったと思う
私が食べようと希望したので、本日の昼食に妻が伊勢うどんを作ってくれた
塩っぱそうな濃いたまり醤油の中にかなり太いうどんが埋まっている
何ともまったくコシのない千切れそうなうどんを箸ですくい上げて口へ運んだ
え!
うまい!
塩辛そうな濃い汁は見た目とは違い、甘めでまろやかで、ダシの風味も豊かであった
丼ぶり一杯を一気に平らげた
これは好きになった
以前、不味いと言っていたのも事実であれば、私の好みも変わったということになる
料理音痴の私も、若い頃にはうどんだけは打っていたので、「うどん=コシ」と頑固に思っていたのかもしれない
コシがないといったら共通になるのだが、九州・四国を車中泊で回った際、徳島のかずら橋で食べた「祖谷そば」は、今でも不味いと思う
ぶつぶつと切れてしまい、店の方に「茹ですぎ」では?と聞いたところ、祖谷そばはこれが特徴との返事が返ってきた
が、
これも関東育ちの私の偏見であろうか?
ではと、みやげにこの祖谷そばを買ってきて、友人達に食べてもらった
東北人も私と同じで、「これは蕎麦ではない!」との見解を述べた
やはり蕎麦はツルッと行かねば!
慣れてもいるし、それほど時間を要する作業でもないが、年々きつくなってきた
妻のハスラーのタイヤ(165/60R15)は小さく軽いので、まだ良いのだが、私のエクストレールのタイヤ(225/65R17)は大きく結構重いので、交換はきつくなってきた
この大きさ重さもさることながら、立ったり座ったりの繰り返し作業が辛いし、ホイールナットを緩めたり締め付けたりする作業も辛くなってきた
整備工場とか、ガソリンスタンドに頼る日も近くなって来たのかもしれない
白石川堤一目千本桜
満喫した
色々と写真は撮ったが、
「青空+白き蔵王連峰+千本桜+東北本線を走る電車」の写真が素人写真としては一番良かったかと思う
雲ひとつない快晴の一日であった
ここ柴田町は、若かりし頃、新グレーブ会社の立ち上げメンバーとして、4年間、ここに住みここで仕事をしてきた思い出の地である
とても懐かしかった
車を船岡駅の裏手に当たる白石川の河原に設けられた臨時の駐車場に置き、桜堤を妻とふたりで大河原方面へと歩いた
しばた千桜橋から船岡城址公園に上がり、原田甲斐の樅の木を見て、更に歩いて平和観音がある山頂まで登った
帰りは来た道をそのまま戻った
帰りには見物客は更に増えていた
外国人の見物客がかなり多いのに驚いた
妻の話によれば歩数は11,400歩ほどだったそうだ
よく歩き、よき一日であった
臨時の白石川河原の駐車場には駐車待ちの車が長蛇の列を成していた
桜見物は朝早くが良い
p.s.
行きは東北縦貫自動車道を使って130km、帰りは一般道を使って100kmの車を使っての走行となった
時間的にみても大きくは変わらなかった
smokyの餌も少なくなってはいたが、まだ大丈夫そうであった
いつも注文している尿ケアのsmokyの餌は一番大きな4kg袋のものを購入している
アレ!4kgといえば、本日測ったsmokyの体重と同じだ!
それに、本日注文したMatthewのサイエンスダイエットの餌もいつも一番大きな12kg袋のものを購入している
これもなんと、本日測ったMatthewの体重12kgとピタリ同じである
不思議なことがわかった
たまたま、本日測った愛猫と愛犬の体重といつも買っていたそれぞれの餌の重量がピタリと一致していた
私も妻も驚いた!!
こんなことがあるなんて・・・
やはり、トゥーランドットで、女奴隷リューが歌う (バーバラ・ヘンドリックス)「お聞きください、王子様」が最高にいい!
その後に続く王子カラフ (プラシド・ドミンゴ) が歌う「泣くなリュー」も良い
このアルバムに収録された女奴隷リューが歌う「お聞きください、王子様」は、1998年に中国北京の紫禁城で行われたトゥーランドットの公演でバーバラ・ヘンドリックスが美しく歌い上げたものである
このプッチーニのオペラアリア集のCDは妻からのプレゼントの品で大切にしている
動画としてのトゥーランドットは、LD版も持っているが、DVDに収録された紫禁城公演のトゥーランドットは私の大切な一枚であり、これも大切にしている
昨夜から、掛ふとんは羽毛布団一枚だけにした
リビングルームに降りドアーを開けたら、愛猫smokyがいつまで寝てるんだ!お腹すいただろう!と言わんばかりに文句たらたらであった
7時半のリビングリーム内の室温は18℃もあった
雨はかなりの勢いで降っているが、暖かな朝となった
この雨は今日一日長く降り続くようである
20℃セットのエアコンの暖房を入れたが、直ぐに停止状態となった
昨夜のお風呂も楽であっが、寒くないというのはとても楽である
気温は10℃近くとかなり高い
こんな日がゴルフてあったら最悪である
しかし、暖かなのはいい!
ベッドから出てきた姿のままで居られる
p.s.
しばらくすると朝霧は消え、青空が広がる良い天気となった
気温もぐんぐん上がり、お昼すぎには22℃まで上昇した
シャツ一枚でも汗ばむような陽気となった
暖かなのはいい!
庭木であったり畑の脇の邪魔な木だったりする
このお二人は、私が薪ストーブを使っていることをご存知で、薪ストーブの薪になるならと運んでくれた薪材である
薪ストーブの薪にするには、丸太の薪材を40cmの長さにカット(玉切り)するわけだが、届いた薪材の長さはバラバラなので、端材は沢山出る
また、軽トラで運んできてくれた物なので、それぞれ一回の量は少ないのであるが、本日割り終えたところを見ると、3ヶ月分くらの薪にはなったように見える (端材も含めて)
ありがたいことである
今シーズンから薪ストーブは12月から2月の一番寒い時期にだけ焚くようにした
この様に3ヶ月だけ薪ストーブを焚くようにすると、フル稼働で3年分の薪は、6年分の薪となる
この様にして在庫している薪の寿命を延ばすには訳がある
山に入り伐木から始める薪作りは、既に無理な年齢となっている
山での労力を軽減するため、薪材は3年前には森林組合から購入した
一年半分、10トンの薪材は10万円であった
単純計算で、1トン=1ヶ月分の薪=1万円となる
これには、器具費、機器費、燃料費、修繕費、労費などは含まれない
薪は、自力で調達しても薪材を買っても高いものである
価格だけではなく、この様に薪材を自宅の空き地に運んでもらったとしても、4m長×40cm経の薪材の重機作業、玉切り作業もかなり無理な年齢になってきた
これらは危険な作業でもある
加齢性膝関節症の両膝は、サポーターを巻いてだましだまし使っている
昨年の10月に薪ストーブがあるリビングルームに寒冷地仕様のエアコンを設置した
10月〜11月と3月〜4月の4ヶ月間はこのエアコンで暖を取ることにし、最も寒いと思われる12月〜2月の3ヶ月間を薪ストーブで暖を取ることとした
この様に冬は薪ストーブとエアコンの併用体制にすれば、前述の通り現在庫分の薪でで6年間薪ストーブは焚き続けられる
すれば、最も寒い時期に、私は82歳まで私が自ら作った薪を燃やして薪ストーブで暖を取ることができる
だが、前述の通り頂いた薪材によって、もう3ヶ月分の薪が加わった
おかげで、もう一年長生きしなければならなくなった(w)
p.s.
薪ストーブの暖かさは他の暖房器具と比べて別格である
新設したエアコンも暖かくはある
だが、室温が同じ18℃であっても、エアコンの18℃は寒く感じ、薪ストーブの18℃は暖かく感じる
どうにもロジカルな説明ではないとわかっているが、事実そうなのである
だが、エアコンは楽だ!
薪ストーブのように、種火の心配もなく、灰を取って処分したり、耐熱ガラスをきれいにしたり、周りの汚れを気にすることもないし、毎日30キロの薪を運んでくることもない
3〜4ヶ月毎に煙突掃除をすることもない
タイマーをセットしてけば、エアコンは朝、部屋に入った瞬間から暖かい
リモコンひとつで温度は高くも低くもできる
年寄りには楽で良い!
あぶくま高原台地の夏にもエアコンは必要になってきたし・・・
給湯は石油給湯器から夜間蓄熱式電気温水器に替わった
東北電力との電力使用契約は深夜電力を使う「時間帯別電灯B」となった
夜の10時から朝の8時にかけては格安の深夜電力が使える契約である
しかし、2021年3月31日をもって時間帯別電灯Bは廃止となった
我が家の電力利用料金は2021年4月1日から急激に上がることとなった
特に深夜電力を使って給湯用のお湯を沸かせていた夜間蓄熱式電気温水器が我が家の電気料金アップの主原因となった
その対策としては2年近く遅れたが、2023年7月にこの夜間蓄熱式電気温水器を止め、給湯は石油給湯器へ切り替えた
この対策で大分電気料金を抑えることができたのだが、深夜電力を使う「時間帯別電灯B」契約は継続中である
細かなことを言うと、前述の通り2021年3月31日をもって時間帯別電灯B契約は廃止になっているが、「よりそう+ナイト10」と名前を替えて生き残っている
この際、深夜電力を使わない従量電灯Bの契約へ戻したら更にコストダウンになるのではないかと考えた
東北電力にメールで「時間帯別電灯B」契約の変更に対するメリットとデメリットを教えてほしいと質問を出してみた
一日後に「メールではなく」「電話で」回答があった
契約の見直しは得策ではないという
今の深夜電力は生きているので、今の契約のままが良いそうである
奥様の協力を得て、「洗濯は夜の10時以降」に「ご飯は朝の8時前に炊く」ようにすると良いそうだ
では、2021年3月31日をもって深夜電力は廃止になったという声明は何であったのかわからなくなった
調べてみた
現契約にも深夜電力はまだあった
だが、単価が以前とは全ったく違っていた
2021年3月31日までの深夜電力は1kWh当たりの料金は11円22銭であったのに対し、現在の深夜電力は1kWh当たり27円99銭となっている
確かに昼間の電力料金の41円92銭(80kWh~200kWh)より安いことは確かだが、以前と比べたら、1kWh当たりで16円77銭も高くなっている
そう考えてくると、メールではなく電話で回答してきたのも何だか疑わしくなってきて、「深夜電力は今もお得」とか「奥様の協力を得て」など、ユーザーを離さない策略のように思えてきた
今は、多くの電力会社がある
乱立していると言っても良い
電気代シュミレーションでヒットした「シン・エナジー」に見積もり依頼を出している
3日経つが、まだ回答はない
p.s.
熱くならずに冷静にもなって考えてみた
1. いま、夜間電力の比率はどうか:179kWh/538kWh=33.3% (2024年3月の実績)で意外と高い (多分2台の冷蔵庫と私の夜更かし早起き)
2. 工事費:従量電灯Bへ戻したら変更のための工事費がかかる
3. 深夜電力料金は電力会社が勝手に変更できる
※シン・エナジーの回答を待ちたいが、このままの契約で良いかもしれない
ただし、深夜電力料金の価格変動は注視しておく必要はある
※我が家の電気温水器は何の故障もなく14年働き続けた (電気温水器の寿命は10年と言われている) 深夜電力利用の格安の給湯は十分にその役割を果たした
【追記】
シン・エナジーより回答がメールで届いた
届いたが、不誠実な回答であった
※メールに自社のHPのURLが貼られていて、この中の料金プランを見て良ければ契約に進めといった内容であった
おそらく定型文の自動返信であろう
自動返信に3日も要したことになる
※料金内容はとても複雑であった
1. 基本料金は高い
2. 電力量料金の基本単価は安い
3. ただこの基本料金と電力量料金の上に次に示した色々な料金が加わって月額の電気料金は決まるということのようだ
「燃料費調整単価」「電源調達調整単価」「容量拠出金」「再生可能エネルギー発電賦課金」
この様に細かな深く理解しなければわからない内容のものが加わるとなれば、安易には契約するのは難しい
燃料が上がったら2ヶ月先に電力量単価は上がるといった事なのである
今日は良い天気となり、玉切り作業で汗が流れた
11時過ぎに作業は中断し、裸になって上半身の汗をぬぐい着替えた
そんな陽気になってきたのが嬉しい
午後も玉切り作業を続け、明日は薪割りを行おう
明日も天気は良さそうだ
結論から言えば、夜間電力で使い続けてきた電気温水器の電力と電力料金で、暖房と給湯を賄えたと言えるかと思う
昨年3月(電気温水器使用時)と今年の3月(エアコン使用時)の電力を比較すると、電力量でいうと193kWhの削減、電力料金でいうと8,091円(193kWh×41円92銭/1kWh)の削減となった
暖房エアコンは、電気温水器で使ってきた電力以上には使わないと言える
しかし、給湯は電気温水器の代わりに灯油給湯器に替えているので、ここで使う灯油のコストは加えなければならない
この3月の冬場は1.2㍑~1.5㍑/日程度、夏場は0.8㍑/日程度の量は消費している
年間平均だと、月当たり30㍑程度の消費、冬場だと36㍑~45㍑になると考える
その結果から考えると、灯油は月平均で3,000円ほど冬場だと3,600円~4,500円は使っていると思われる
この灯油購入費用は、前述の電力料金削減で充当できるし、春になればエアコンは使わないので更に電力使用量は下がる
エアコンはほとんど使わず薪ストーブで過ごしてきた2月の電力使用と、薪ストーブは使わずエアコンだけを使って過ごしてきた電力使用を比べると、暖房で使ってきたエアコンのコスト評価ができる
暖房として使うエアコンの冬場一ヶ月の稼働は、電力使用量で198kWh、電力使用料金で8,300円(198kWh×41円92銭/1kWh)のコストとなる
思っていた以上に安いと感じている
夏場であっても、電気温水器は「効率悪く」お湯を作り続けてきた
一番下の表を見れば明らかで、我が家の電力使用量の内、79.3%は夜間に使われている
夜間の電力は2台の冷蔵庫と常夜灯と、それに電気温水器に使われている
電気温水器を止めていた今月の夜間に使われた電力量は179kWhである
電気温水器を使っていた2022年6月~2023年5月までの夜間に使われた電力量の月平均は710kWhである
この違いから考えれば、我が家の24時間に使われてきた電力の60%は、夜間にスイッチオンとなるこの電気温水器が消費していたことになる
それも温めては冷やし、また温めては使うということを繰り返してきた
これは「浪費」と表現してもよいかと思う
前述の通り、エアコンは思っていたほど電力は使っていないこともわかった
暖かであった2月に比べ、寒かった3月と比べても電力使用料金で6,500円ほどであった
いま、ダイニングキッチンは小型の対流式の灯油ストーブ(トヨトミのレインボーストーブ)を使っている
推定ではあるが、一日当たり5㍑程の灯油は消費していると思う
500円×30日=15,000円、3㍑としても9,000円を消費している
このレインボーストーブの燃費効率は良いと思っているが、年齢的な問題からも、コストの面から考えても、ダイニングキッチンにもエアコンを設置した方が良いような気がする
リビングルームのエアコンの使用実績から考えても、月9,000円も電力は使わないと予測できる
設置するとしても、今回リビングルームに設置した強力暖房のエアコンほどの能力は必要ないだろうとも思う
地球温暖化は都市問題に止まることはなく、このあぶくま高原台地にも押し寄せてきている
p.s.
コストを評価するには、エアコンおよび石油給湯器の設備投資費用も計算に入れる必要もあるが、それは含めていない
それと同じく、いま止めてある電気温水器の設備投資費用も計算には含めていない
今年も入ってくれることを願う
スムシは困る
こいつになんとかやられない手はないものかと思う
2年連続でスムシにやられ、ニホンミツバチにはかわいそうなこととなった
ニホンミツバチの巣箱は他に3つあるが、これには入ってくれない
ドラム式洗濯機のバックフィルターが外れた
爪が外れただけだと思った
爪が掛かる部分は洗剤カスでかなり汚れていた
その汚れを取り、爪の部分を押し込めばバックフィルターはカチッと止まると考えていた
しかし止まらなかった
汚れもひどかったので、奥の車のホイールのような形をした金属の部材も外してきれいにしようと思ったが、ビスもポルトも固着していて全く緩まない
作業性が悪いこととドラム自体が動いてしまうことにも緩められない原因はある
インパクトドライバで緩く回してみたが、ビスの頭をかじってしまいそうになったので、このビスも6本のボルトも緩めるのは止めにした
結束バンドを使ってバックフィルターは止めた
結束バンドのかみ合わせ部が表に出たのでは洗濯物を傷めると妻に言われたので、かみ合わせ部を裏にして止めた
しかし、かみ合わせ部を裏にするにはかなり苦労した
まともな修理ではないが、妻にはこれで我慢してもらうことにした