2024年4月25日木曜日

振り返り

 歳をとったせいなのか?

最近は昔のことを振り返り考えることが多くなった

若い頃は先のことばかり考えていたような気がする

古いことばかり考えるのは、やはり歳をとった証拠なんだろう

今朝は起きがけだと思うが、山友達に会いに行った夢を見た

夢の彼は大きな金物屋の社長で、その店に入っていった私は、その山友達と何か言葉を交わしている夢であった

その夢の中の彼はとても若かった

その夢がきっかけとなり、起きてからもその山友達のことを思い出していた

夢の彼の山岳会入会歓迎山行は、冬の谷川岳白毛門であった

その時に彼が背負っていたザックの色が黄色であったのを今でも記憶している

その年の会の新人賞は彼であったと思う

私が福島に移住するにあたっては、洗える革手2組とカンナに使うシリコンオイルをプレゼントしてくれたのも彼であった

また、伐木に使うチルホールを格安の値段で譲ってくれもした

ここの移住先にも家族で遊びに来てもくれた

彼の結婚式にも招待されて出席した

男には趣味は必要だが山は駄目だと私に意見をしたのは彼の父親であった

私が所属する山岳会の会員2名が昭和57年11月に、北アルプス穂高において他の山岳会員2名を巻き込む滑落事故を起こした

この事故にて3名が亡くなった

岐阜県の飛騨側のセマ谷に落ちた2名(会員1名と他会員1名)を探すため、雪に挿して遭難者を探すゾンデを自作してくれたのも、今朝の夢の彼であった

今朝の夢から山岳会の存続も危ぶまれた昭和57年に起きたこの大きな山岳遭難事故のことまでも引き出されるように思い出した

今朝の夢の彼は、遭難事故当時の当会のチーフリーダーであった

彼は、この山岳遭難事故処理の先頭に立たされた

事故発生から同年12月に発見された岐阜県側のセバ谷の遺体収容、そして翌年の5月までかかった長野県側の扇沢の遺体収容までは特に、遺族、山岳会会員および山岳会OBは勿論のこと、千葉岳連、巻き込んで落ちた方の所属山岳会の方々および埼玉岳連などの山関係者だけとっても、多くの方が大変な思いをした

チーフリーダーであった彼には、事故発生から遺体収容までの期間のみならず、その後の崩れかけた山岳会の運営についても大変な苦労をかけさせた

長野県警、岐阜県警にもお世話になった

遭難者3人(当会の2人と他会の1人)は、すぐに発見救出とはならなかったので、一次捜索後は、会員が交代で穂高に通って捜索や監視を続けた

それも岐阜県側と長野県側との両面の対応が必要となった

飛騨側のセマ谷に落ちた会員の一人は、千葉の職域山岳会の方が同年12月の白出沢下山中に発見してくれたことにより、すぐに新穂高温泉側から向かった若き会員と岐阜県警の協力による人力搬送で収容することができた

雪崩も考えられる場所であるし、ゴルジュ通過は危険と困難を伴い、2次遭難も考えられる収容活動であった

春に行った扇沢に残された会員の収容もかなり危険な作業であったが、これも無事に若き会員の手で下ろすことができた

この57年の遭難で亡くなった2人は、ヨーロッパアルプス遠征のトレーニングとして穂高に向かっていたものである

私はこの2名を含め、山の現役中に4名の岳友を山の遭難で亡くしている

今朝の私は、この亡くなった会員のことや、その後の山岳会存続の苦難を深く思い浮かべるとともに、山岳遭難ではないが、早く逝ってしまった多くのザイルの友のことも思い出している

私自身もチーフリーダー時代に穂高滝谷で滑落事故を起こしている

30m真っ直ぐ落ちたが助かった

運が良かったとしか言いようがない転落事故であった

事故は長野県警に自ら届け出たが、岐阜県側で起きた事故であったため管轄外として処理された

これ以外に遭難寸前の事態は、私自身にも会員にもいくつもある

どれもこれも古い古い話である

私は、前述の様な悲しい思い出や辛い思いでの中に沈み込むこともあるが、楽しい思い出の中に入ることも多くある

まだ16年で、古い思い出と言うには日が浅いかも知れないが、移住前に3年の通いを含めた19年間の「田舎暮らしの生活」は、楽しい思い出に満ちている

77年間、色々なことが起きたし、色々なことをやってきた

辛く悲しい私と弟の子供時代のこともよく思い出すが、考えようによっては楽しい思い出も沢山ある

この先、何年生きられるかわからないが、楽しい思い出となることに取り組んでいきたいと考える

p.s.

年寄りがしてはいけない中の一つに昔話があるそうだ

だが、古いことを考えるのは良いことで認知症の予防にも効果があるとの研究結果もあるようだ

また、昔話をするのと昔の古いことを考えるのは本質的な違いがあると思う

私は、新しいことでも、古いことでも「考える」ことは良いことだと思っている

妻からも言われたのだが、不思議なことに私は古いことはハッキリとよく覚えている

逆に言えば、(妻から見ると)最近のことはよく忘れるということだろう

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