2012年6月20日(水曜日)~22日(金曜日)までの3日間,ブラジルのリオデジャネイロにおいて,「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催されました
そのリオ会議で話したウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ大統領のスピーチが感動します
そのスピーチは、それよりも私たちの行動へ心へと優しくも突き刺さる内容です
スピーチをしたムヒカ大統領は、郊外の質素な住宅に暮らし、 給与の大部分を寄付し月1000ドル強で生活しているそうで、
世界一貧乏な大統領といわれているそうです
「whats.be」といサイトにスピーチの日本語文字お越しがありましたので、お借りして次に載せました
ですが、
是非、前述のYouTubeの動画から、ホセ・ムヒカ大統領の肉声を聞いてください
優しくも力強い声が心に響くと思います
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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、セネカ(*-1)やアイマラ民族(*-2)までこんなことを言っています。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。
これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
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【whats.beの文字お越しから】
「リオサミット」といえば、このホセ・ムヒカ大統領の2012年のスピーチの丁度20年前、
1992年6月、同じ地、ブラジルのリオデジャネイロで開かれたこれも同じ、「環境と開発に関する国際連合会議」でのセヴァン・カリス=スズキの「伝説のスピーチ」が思い起こされます
これも振り返る意味で聴き直してみました
これは今もYouTubeに残されております
https://www.youtube.com/watch?v=N0GsScywvx0
これも是非肉声で聴いていただきたい
セヴァン・カリス=スズキは当時12歳でした
今も変わらず胸に迫りくるスピーチです
「世界を5分間沈黙させた少女」といわれています
このスピーチも「ナマケモノ倶楽部というウェッブサイトに翻訳を載せておりましたので、お借りして次に載せました
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こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼーション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたたち大人のみなさんにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。
なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが、私はこわい。
オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。
空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたたちは、私ぐらいの歳のときに、そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのになにをしたらいいのかはっきりわかりません。
でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。
あなたたちもよい解決法なんてもっていないっていうことを。
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。
ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。
あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたたちもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。
そしてあなたたちのだれもが、だれかの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、じつは3千万種類の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。
私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいません。
私はこわい。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私はおそれません。
私の国でのむだづかいはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富をわかちあおうとはしません。
物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
カナダの私たちは十分な食べものと水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」
家もなにもないひとりの子どもが、わかちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの歳だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民街に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかもしれないんです。
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけどそのことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたづけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* わかちあうこと
* そして欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。
なぜあなたたちが今こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。
そしていったいだれのためにやっているのか。
それはあなたたちの子ども、つまり私たちのためです。
みなさんはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。
親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子どもたちをなぐさめるものです。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。
しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。
おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。
しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。
あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。
しかし、いわせてください。
もしそのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。
最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。
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【ナマケモノ倶楽部の文字お越しから】
12歳の少女は怒っていました
そして、20年後、老人は怒っていました
私は怒ることさえも怠っています
(*-1)
Wikipediaより
ルキウス・アンナエウス・セネカ(ラテン語: Lucius
Annaeus Seneca、紀元前1年頃 - 65年 4月)は、ユリウス・クラウディス朝時代(紀元前27年 -
紀元後68年)のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。
(*-2)Wikipediaより
アイマラ(西: Aymara)は、南アメリカのボリビア、ペルーやチリのアンデス地域に住む先住民族、インディオの一部族。
ボリビア、ペルーのチチカカ湖周辺、およびチリやアルゼンチンの一部に住む。人口はおよそ300万人といわれている。アイマラ語を話す。