2020年12月15日火曜日

高齢者講習

 私もなんとか、高齢者と言われる年齢になった

運転免許証の更新は、来年の春に迫っている

高齢者の運転免許の更新には、自動車学校に行って、高齢者講習なるものを受けなければならない

本日、予約をしておいた自動車学校に行き、約2時間の高齢者講習を受けてきた

内容は、講義と目の検査と実技に別れている

自己申告で、現在の運転状況も、チェックシートで報告するようになっていた

講義は、言ってみれば、高齢者は、運転していても歩いていても、いかに危険かという内容が主体であった

目の検査は、視力、動体視力、夜間視力、視野の検査となった

実技検査は、自分が希望する車種のハンドルを握っての運転検査である

希望車種を選べるとは思っていなかった

乗用車種は、普通乗用車か軽乗用車を選べるし、また、オートマ車かマニュアル車も選べる

試験官が助手席に同乗しての運転確認となる

(いま、あらためて考えると、助手席というのも、変な日本語だ!助手席を英語にすると、passenger seatとなるようだ。passengerは、乗客と言った意味になるので、英語と日本語はつながらない。助手席は、違った語源から発生した用語と考えられる。例へば、飛行機の副操縦士の席のようなことから生まれたとか)

視力検査は、これも歳をとったことを自覚させる検査で、夜間視力の検査では、受講生9人全員が「まったく見えなかった」との結果に終わった

実技確認は、10分ほどの時間を要した

私の場合は、オートマ車を使い、乗車後、シートベルトを付け、バックで走行車線へと車を出した

続いて、外周をゆっくりと走り、停車中の車を避けて通り、外周を一周後、信号機のある路線に入り、赤信号で停止、その後は細い道に右折で入り、バックで車庫入り、車庫から右折で出て、S字に入り、出た道から直ぐにコーン5箇所ほどのスラローム走行を行って、右折で外周路に出て進む。また外周路から信号機のある路線に入り、踏切で一旦停止をして、そのまま進み、また外周路前で一旦停止をして、外周路を進み、幅寄せをして停車して終わるといったところである

運転後、同乗していた指導員から、指導コメントが述べられる

私の場合、一部の内ハンドルと、一箇所の一旦停止箇所で、停止ラインを越えていたとの指導があった

停止ライン越えについては、停止ラインを越えて前に出ないと左右の確認はできないと訴えてが、聞き入れてはもらえなかった

法規と現実の不一致が現れた事例となった

この実技確認の運転は、日頃、車を運転していないと、慣れない車を使うし、緊張も加わるだろうから、苦労するだろうと思われる内容であった

今日、受講された高齢者9名の方の中には、問題になる運転をされている方はいなかったようだが、ペーパードライバーは、まず無理であろう

日頃、運転されていない方も、この実技確認の運転には、かなり苦労されるのではないかと思われた

私にあてがわれた車庫入れの場所は、かなり狭く、2回ほど切り返しを行わないと、車庫には入れなかったし、奥ゆきも狭い駐車場であった

ここで、運転がうまく行かなかったらどうなろのだろう?

この高齢者講習は、あからさまに、危なかっしい高齢者ドラバーの排除を目的にしていると考える

自動車学校の救済と高齢者ドライバーの排除という、一石二鳥の制度である

それも、自己負担で!

みなさん人が良すぎる!

最後に出てきた校長から、各自に、高齢者講習終了証明書が与えられ、「ありがとうございました」と頭を下げたが、ひねくれ者の私は、そうにはならなかった

校長が、ありがとうございましたと言って、送り出してくれても良かった(筋)と思ったが、そうではなく、「高齢者講習終了証明書は、折ったり、破ったり、汚したりせずに、警察に持っていくまで、大切に保管しておくように」と、上から目線で言われて送り出された

時代劇の映画の中に、同じようなシーンがあったような気がした

先のブログで、この高齢者講習の費用、5,100円は高いと書いた

受講してみてハッキリとわかった

2時間の実技チェックも含めた講習内容としては、5,100円くらいの費用はかかるだろうと、わかった

老人は危険といった講義と、視力などのチェックは、飯場にあるようなプレハブ講義室で行われ、ここは寒過ぎて、ダウンジャケットは脱げなかったが、講習自体を考えると、費用は高くはないと感じられた

だが、尚も言うと、やはり5,100円の費用は高い!

ここでの、高い!という意味は、

この(篩落す、蹴落とす、払い落とす)制度に払う自己負担金としては高い!ということである

こんなにも高齢者は危ないと講義し、目はこんなにも衰えていると、数値を出して証明してみせ、まともに運転もできないと実技体験をさせ、自腹を切らせて、高齢者を「篩(フルイ)落す」制度に他ならない

本高齢者講習は、高齢化社会に逆行する制度であると感じた次第である

先にも書いたが、日本は、今やどっぷりと高齢化社会の中に浸かっている

団塊世代が死んでしまわない限り、高齢者数も高齢者率も、確実に上昇する一方となる

厄介者排除は、この現実から見ても、正しい制度ではなく、正しい政治でもなく、この方法では、高齢化問題は解決しない

高齢者を厄介者にしない制度や施策が求められているのに、その根本を見誤っていると思う

それと、団塊世代を敬い、もう少し優しく扱って欲しいものだ

どうやって、ふんだくってやろうかと考えるだけでなく!

団塊世代は、「今や」細々と年金で暮らしているか、「今も」年金だけでは暮らして行けず、老体にむち打ち、働き続けているのである

国は、ふんだくるだけでなく、年寄をどうやって働かせるかについても、頭をひねっている

“一億総活躍社会”???

もう、勘弁してよ!

働きすぎたよ!

今や、過労死が社会問題となっているが、昔・むかし、団塊世代は、死んだらみんな今いうところの過労死だよ

毎月、定額給与の2倍、いや2倍以上の額が給与袋に入っていたのは、多くの団塊世代労働者が、過労死を招くが如く働いていたからだ!

働くのは当たり前だったし、自分が、家庭が、地域が、国が豊かに成長していく姿が目に見えたし、過労死なんて考えてもいなかった時代でもあったが、バカみたいに働いた時代でもあった

土曜日は、休みではなかったし、私は、三食会社の食堂で済ましていた時代もあったし、家に帰れず会社に泊まったことも、ホテルに泊まって仕事をしたこともある

会社には、社用の寝袋まで置いてあって、仕事に追われた時は、事務机の上で、寝袋に包まって寝た

朝、お茶当番で早く出てきた女子社員に起こされて目覚めた

私の自宅のパソコンは、会社につながっていた時代もあった

会社の私のIT担当者は、私の家まで来て、私の自宅のパソコンと会社との間をつなぐ作業を行った

仕事で使うNotesやOfficeなどのソフトウェアも私のパソコンに入れていった

彼の仕事の中には、私が家で仕事ができるようにIT面からサポートすることも含まれていた

通信回線の普及と、社内ネットワーク(グループウェア)環境の整備・充実により、休日でも夜中でも、会社に行かずに家で仕事ができた

コロナ禍の中、最近は、盛んにテレワークが叫ばれているが、私は25年も前からテレワークであった

サテライトオフィスも検討されていたが、私の現役中には実現しなかった

私は、有給休暇を消化したことがない

前年の残った有給休暇さえ、消化できなかった

そんな時代を団塊世代は生きてきた

私のようなサラリーマンだけではない

農業も林業も漁業も工業にだって従事していた団塊世代は、自分とか家族のためといった目先の目標に向かってだが、日本の発展にも大きく寄与してきた世代である

電話も車もクーラーも洗濯機も冷蔵庫も、水道さえない時代に育ち、ララ物資の脱脂粉乳をアルマイトカッブで飲んで育ち、GHQによるシラミ駆除のDDTの白い粉を頭にかけられた世代である

もう少しわかってもらいたい!


なんて、

自己主張したり、泣きついたり、愚痴ったりすることもできるのだが、

戦時中を生きた父や母のことを考えてみると、想像を絶する時代を生きたと思える

物のない時代どころではなかった

沖縄を生きた人たち、広島、長崎を生きた人たちのことを考えれば、些細なことでは愚痴れない思いにもなる

命さえ奪われた時代を生きてきた人々がいる

遡ればどこまでも遡れる

私が、俺が、一番苦労した時代を生きたと・・・

だから優しくしてと・・・


そして、チョット前、

大震災、原発災害の中を、逃げ、逃げ惑い、恐怖の中で、生きる場所さえ奪われて生きている人たちがいる

そして、今、

コロナ禍の中で、生きている

職を奪われる、命を奪われる、その日の食べるものにも、寝る所にも困る、今を、この時代を、家族を支え、命を守って生きる人たちからは、いつまで寝言みたいなことを言ってるんだ!と怒られるかもしれない

団塊世代は、希望に満ちた、元気が出る良い時代を生きたようにも感じられる

爺さん、「年金というものがあった」いい時代を生きたじゃん!

なんて、新しい時代の人たちから、羨ましがれたりするかもしれない・・・

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