元旦の大揺れの後もこれほど頻繁に揺れていたのでは、能登の被災者は落ち着かないことであろう
能登で群発している地震の状況を少し調べてみた
日本気象協会の発表資料によると、この地帯はかなり前から地震は群発しているとのことである
それにしても元旦からの群発地震の回数はすごく、1月3日08時現在まで、実に500回に迫る回数を記録している
3.11東日本大震災の後も、マグニチュード7以上の余震も含め、何度も来る地震におびえ、外に飛び出したことが何度もあった
3.11東日本大震災の余震は今も続いていると言われている
能登地方では水道も止まったり、電気もガスも止まったり、雨が来たり、これから先には雪も来て寒さも増す
それに加え、何度も襲ってくるこれほどの余震が続いては、身も心も休まれないと思う
p.s.
そんな思いはあるが、自分自身の別の思いを述べると、能登地震もウクライナも、パレスチナとユダヤの戦も、私にとっては「対岸の火事」なんだと思う
3.11東日本大震災後の2013年の春に、私は西日本車中泊の旅に出た
福島ナンバーの私の車を見つけると、多くの方が3.11大震災の時のことを聞こうとしてくれたし、慰めてくれたり、悲しんでくれたりもしてくれて、ありがたいと感じた思いもあったが、「わかってないなぁ〜」と感じた思いも中にはあった
やはり西の人にとって3.11の大震災や原発事故は「対岸の火事」なんだと思う時もあった
また3.11のあと、何度も何度も聞かされた「花は咲く」は、「対岸の火事の歌」である
当時も今も聞きたくない歌である
だが、その私も、前述の通り、大災害を目の当たりにすれば、大変なことになったと思うし、悲しくもなるが「対岸の火事」状態から抜け出てはいないと思えるのである
またこれもそうだが、比較するものでも比較できるものでもないとわかってはいるつもりだが、東日本大震災の地震は、マグニチュードは9.0であったし、震度は7を記録しているし、多くの方が多くの家が津波に飲まれて流されたし、福一原発は吹き飛んだ(だょ)
それに比べたらぁ
あの時、どれほど思ってくれたぁ
もう、忘れていたでしょ!
なんて思ったりもしている自分がいる
QCの考え方に「ユーザーの立場に立つて考える」がある
だがそれも古い考え方となり「ユーザーの中に入らなければ、ユーザーの立場は理解できない」と言われるようになった
大災害や戦争で苦しむ人を「対岸の火事」で終わらせないためには、現地に赴かないと現地のことは少しの理解もできないということだと思う
本田宗一郎の言葉に「三現主義」がある
私はこの言葉を基本指針として仕事にも活かしてきた
仕事では何とか「思いと行動」をリンクさせることができても、大災害ましてや戦争となると、
「言うは易し行うは難し」となる
それであっても、災害から学びそれを教訓とし活かして行けば「わかってもらっている」と思っていただけるかもしれない
だが、広島、長崎の悲劇も福一原発で起きたことも活かされてはいないようだ
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