2015年11月23日月曜日

民主主義

あまり観る番組ではない
10日ほど前になると思うがBS1の「久米書店」を観た
高橋源一郎がゲストで彼の著書である「ぼくらの民主主義なんだぜ」の紹介(?)番組であった
高橋源一郎という人物を知りたいと気持ちが以前からあったし、「ぼくらの民主主義」というワードの餌に私は引っかかった
入院前にその本を仕入れ、病室でそれを読んだ
本書のあとがきにも書かれているが、本書は著者が朝日新聞の論壇時評に20114月28日から載せ始めた時評を本としてまとめたものである
2011年4月28日といえば、東日本大震災から一ヶ月チョットしか経過していない
この時点で時評を、それも朝日新聞の時評を引き受けたのであるから相当な覚悟を要したであろうと考える
タイトルをなぞっただけではわからないが、震災とか、原発とかの用語がかなり出てくる

高橋源一郎が朝日新聞の論壇時評に書いていることを私は知らなかった
家内は朝日新聞を購読しているので知っているかと思う
私は現役中の日経新聞、日刊工業新聞、環境新聞以外の印刷された新聞は20年以上読んでいない
ニュースも含め、この20年間はもっぱらネット情報を頼りにしてきた
2年ほど、朝日デジタルは見ているのだが毎日は見ていなかったし、よほどのところでない限り、流し読み、斜め読みの時が多かった

高橋源一郎の声はよく耳にしている
それは、NHK第一放送ラジオの朝番組「すっぴん」である
高橋源一郎は、「すっぴん」の金曜日のパーソナリティーである
私はここ3年、毎年一ヶ月近くの車中泊旅行を楽しんでいるが、その時はNHKラジオが旅の友となっている
火曜日のユージ、水曜日のダイヤモンド・ユカイとともに金曜日の高橋源一郎が私のお好みパーソナリティーである

本書の話に戻そう
一つひとつの時評が新書版で4ページぐらいのボリュームで終わる
文字数の制約は、書き手にとっては言い表し切れない部分を多く残してしまうからなのか、突如引用文の短い内容が現れ、著者のメッセージが断片的にしか伝わらず読みづらいと感じた
しかし、その断片的ではあるが著者のそのメッセージにはキラリと光るものが感じられ、読んでよかったとの読後感もある

キラリと光るメッセージは多くあるがその中のひとつを紹介すると、
2014年3月18日、「中台サービス貿易協定」に反対した台湾の数百人の学生が立法院議会を占拠した
この占拠は24日間(?/4月10日)にわたり続いた
占拠が20日(?/4月6日)を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、立法院議長から魅力的な妥協案が提示された
葛藤とためらいが占拠学生の中に流れた
その時、一人の学生が手を挙げ、壇上に上がった
「撤退するかどうかについて、幹部だけで決めることには納得できない」と声を上げた
この後、占拠学生のリーダーであった林 飛帆(和名表記:リン・ヒハン、発音転記:リン・フェイファン)は驚きの行動をとった
彼は丸一日かけて、占拠している学生の一人ひとりの意見を訊いて回ったのである
最後に林は妥協案の受け入れを正式に表明した
すると、前日に壇上に上がった学生が再度壇上に上がった
かたずを飲んで見守る学生達に向かって彼は、
「撤退の方針は個人的には受け受け入れ難いです。でも、僕の意見を聞いてくれたことを感謝します。ありがとう。」と言って彼は静かに壇を降りた
それから学生たちは2日をかけて院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったヒマワリの花を一輪ずつ手に持って学生たちは立法院を去って行った

わかっているような気になっていた「民主主義」がクリアーになった気がした

先のブログにも記したが、
病院というところは弱い者の集まりである
怪我を負ったり病気で苦しんでいる人たちの集団である
その弱い(?)患者に対して強い(?)集団が病院側である
医師であり、看護士であり、介護士であり、受付であり、会計であり、食堂であり、掃除のおばちゃん・おじちゃんであり、薬局であり、売店であり、守衛のおじちゃんだったりする
この病院、この強い側のほとんどの方が優しく親切である
弱い人にやさしくし親切にしてあげる多くの人たちがいる社会=民主主義が存在する社会と言えるのではないかと思うのである

いつからなのか日本には民主主義はなくなってしまったのではないか、または今まで経験したことがなかったのではないと思えてしまう
だが、今私が肩の痛みをこらえて過ごしているこの病院には民主主義が存在しているように感じているのである

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