東電の社内事故調の報告書は別として、他の3つの報告書は全てではないが読んでみた
(1)福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書(約400ページ)
(2)国会事故調 ダジェスト版(10ページ)と要約版(99ページ)
(3)政府事故調 最終報告書の概要版(34ページ)
国会事故調は「人災」と言い切ったが、他の報告書にみられないとか細部での相違点はあると思うが、大きなところはほぼ同じような結論を導き出しているのではないかと思う
読後感であるが
私の読解力の低さからくるものかも知れないが、どの報告書も読み終わった後の怒りはこみ上げてくるものの、何か霞がかかったような印象が残る
何故なのかを考えてみた
どの報告書も中濠、外濠はかなり埋められている
中濠は、「あれは悪かった」、「ここも不十分であった」、「役割を果たしていなかった」等々の指摘は多く示されている
外濠は、今後あるべき姿の提言が多く示されている
残念ながらどの報告書も本丸までは攻めあがっていない
現場に入れない以上それは今後の課題として仕舞い込まれている
確かに「現場」、「現物」に検証の手がさし伸ばせないことは私も理解はできる
しかし一事例ではあるがNHKスペシャルが報道したとおり「2号機格納容器の損傷にまで至ったSR弁の開放失敗問題」は明らかになっており、ここ本丸を切り口に中濠、外濠へと要因・原因を追記展開していく故障解析的なアプローチはできなかったのかと考える
報告書の中に特定事象の発生からそれは何故ダ・何故ナンダと展開する内容があれば読み手は理解しやすかったのではないかと考えている
原発事故に限らず多くの事故が狭い路地に引き込まれるかのようにして起こっている
事故に至る道筋には多くの分岐点が存在している
そのどれかひとつの分岐点において事故の方向に進路を取らなければ、あるいはそのタイミングでその路に入らなければ事故には遭遇しなかったと考えさせられことが多い
今回の福島第一原発の事故の多くの事象に至った分岐点を明らかにし、その分岐点においてどのように考え、どの路を選び、どう行動したのかを明らかにすることが原因究明や再発防止を考える上では大事になってくると私は思っている
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