2015年3月31日火曜日

14日目(3月31日)

今朝は6時まで目覚めず9時間の睡眠となった
国東半島の先端道の駅「くにみ」を6時50分に出発した
海沿いの道を選ぶか国東半島を縦断する道を選ぶか?
愛用のライダーマップには縦断道路は快走できるとあったのでこの道を選択した
マップが示した通り桜が咲き誇る道をゆっくり快走した(w)
山肌にはモコ・モコと桜のピンクが盛り上がっていて、とても美しい

別府に入り狙っていた「竹瓦温泉」の湯に浸かった
いい湯だ!しかも入浴料は100円とリーズナブル!
入った温泉、みんないい湯だ!ではわからないであろうが、それぞれ趣が違い「みんないい湯だ」としか言いようがない
竹瓦温泉はゆず湯のような薄白い色合いのきれいな湯で、私好みで43度と熱い!
竹瓦温泉の湯船は写真に収められないが、建物自体に趣があり、ここは温泉遺産としての登録されているようだ

今日は雨になりそうだ
設備が整った延岡のオートキャンプ場を選びそこに入村した
オートサイトは3600円と高いのでそれは使わず、1080円のフリーサイトを選択した
1080円は私にとっては高いのだが、芝生に車が横付けできるので車のサイドにタープが張れるから雨対策としては有効だ
天気予報によると、宮崎県北部は明け方まで雷を伴う雨だそうだ
次の予定は高千穂峡だが、明日の行動はお天気次第となる

今日は早い時刻に泊まりどころに入ったので、知人、友人に出す写真入りのハガキを作成することにした
PCは勿論、ポータブルプリンターも持参している
管理人にお願いをして100v電源を借りた
うまいこと写真ハガキは作成できた

2015年3月30日月曜日

13日目(3月30日)

今朝も結構な寒さであった
ここ阿蘇の道の駅の高度は700m位はあるだろう
道路表示の気温は3℃であった


薄明かりの6時に道の駅を阿蘇大観峰に向けて出発した
50分で大観峰に到着した
遮るもののない目の前には阿蘇山が美しい姿を見せている

阿蘇山を写真に収めていると私の後ろにハコスカが停まった
年輩の方がライトカバーを取り付けていた
私は声をかけた
革ジャンの男性は快く応じてくれた
この方とは車のことや全国の旅の話でシンクロし、思わぬ長話となってしまった
私と同年代と思われる
そのハコスカは昭和47年製だそうだ

晴天の中、走る車も少ないやまなみハイウェイを快走した
広大な高原牧場の中を走っていると表現したらよいか
私のネット相談の回答の中にあった虎乃湯に寄ってみた
ネット回答では素泊まり1990円で泊まれるとあったが1人でも二人分の5960円が必要であるとのことであった
当然、泊まらない

8時15分に牧ノ戸峠に到着した
お孫さんと登山に出かける準備をされていたご夫婦に声をかけ、推薦の温泉を聞いた
色々と沢山あるようで私が「ひなびた温泉を」と注文を出したところ、筌の口(ウケノクチ)温泉を紹介してくれた


少し迷ったが無事に筌の口温泉に到着した
風呂には誰もいない
協力金が200円と書かれていたので中型金庫のような大きな箱に100円玉2個を落とした
ご夫婦からは鉄錆のような赤い色をした湯だと紹介されていたが、赤というよりは黄色に近い濁り湯であった
かなり熱い
私の指輪はこのところ真っ青になったままだ

時刻は1時近くになっており、お腹がすいた
道の駅「耶馬トピア」の中にあった洞門そば「石臼亭」に入った
能書きからかなり期待をしていた
結果はガッカリ!の一言で表現できる
そば、つゆ共まずい!

今日の泊まりどころは国東半島の突端に位置した道の駅「くにみ」である
目の前は直ぐ海で、瀬戸内海の島々が思いの外近くに見える
道の駅の直ぐ隣にはオートキャンプ場があるが一泊3600円だそうだ
当然、泊まらない

2015年3月29日日曜日

12日目(3月29日)

朝ご飯もご馳走になり友人宅を9時45分に出発した
先ずは今日の泊まりどころと考えている阿蘇くじゅう国立公園阿蘇三合目キャンプ場へ車を向けた
草千里ヶ浜から美しくも噴煙を絶え間なく吐き続ける阿蘇山が青空の中私の目の前にその姿を表している
阿蘇山の登り口まで移動してみた
ゲートは閉じており、短いロープウェイも運行は停止している
車を引き返し阿蘇山の南側に向けて阿蘇山をぐるりと廻るコースに車を向けた
かなりの葛折りの急な道を下り、国道325号線にぶち当たった所にある白水温泉の湯に浸ろうと風呂支度をして向かったのだが残念!工事中であった

ここは活火山の真っ只中、温泉は至る所にあるはずだ
探して選んだのが地獄温泉!
ここにたどり着くためにも葛折りの急坂が待っていた
頑張った甲斐があり、いい温泉であった
白水温泉よりも良かったのではないかと思える

先ずは混浴の露天風呂へ
脱衣場の先に露天風呂があり、裸のまま青空の下を歩いていくと女湯がその先にあるためだろう、風呂に入りに来た女どもから丸見えである
キャー!とも言わないね
露天風呂に入ると婆さんが湯船に座った真っ裸の若い男と話をしていた

地獄温泉からまた急坂を下り、阿蘇山の南の縁を周り、その後北上してあまり思わしく思っていない今日の泊まりどころとしている「阿蘇山三合目キャンプ場」へ向かった
後10分もすればキャンプ場に辿り着こうかといった所で、道の駅「阿蘇」が目に入ってきた

この道の駅は頭になかった
入ってみた
結構いい道の駅だ
ラッキー!
ここに停まることにした
車中泊の車も結構な数がいる
何かひとつの所にかたまっているなと思ったら、この道の駅、その箇所で100V電源を無料で解放していた
わざわざ看板まで出し、「どうぞご自由に使ってください」とまで書いてある
こんな道の駅は初めてだ
残念!私の車の中には1mのテーブルタップしかない
とどかない

11日目(3月28日)




今日は島原外港からフェリーで熊本へ渡った
後ろに平成新山が見える
カモメが餌をもらいにフェリーに近寄って来る
熊本に近づくと阿蘇山が見えてきた
昨夜、熊本の友人から教えてもらった通り、熊本港から40分で友人宅に着いた
お互いに歳はとった
しかし、しばらく話しをしていると30年のギャップはどこかに吹き飛んでしまった
友人のお父さん、お母さんからも歓迎された

友人が運転をする車で熊本城に向かった
桜が満開直前位でお天気も良く、花見としても最高といえる時に訪れることができた
今日は土曜日ということであり、子供たちも春休みに入っており、城内はたいそうな賑わいで昼食をとるにも一苦労であった
金沢城や姫路城も広いが熊本城もかなりの広さであった
友人から石垣に残された石ノミの広さから年代が判断できることや、現存する櫓があることを教えてもらった

キャンプ場でも探し、おいとまするつもりでいたのだが、友人は泊まっていってくれと云われたので甘えることにした

友人の案内で本当に近くの温泉に向かい、のんびりと良い湯に浸かることができた

友人宅に帰るとお母さんが夕食を用意してくれて、お父さん、お母さんそして友人と私の4人が一緒に酒を酌み交わし、食事をいただいた
お母さんの佃煮風のフキもタケノコもたいへんおいしかった

食後も友人と二人で飲み続け、布団に入ったのは1時を過ぎていた

2015年3月27日金曜日

10日目(3月27日)

昨夜、明日の行動計画を練るのに時間を要し寝るのが10時を過ぎてしまった
昨夜は遅かったからか、今朝は目覚めたら7時になっていた
長崎に出るのに渋滞に巻き込まれてはいけないと考え、バターロールをホウバり7時半に川原大池公園キャンプ場を出発した

長崎港に着き、軍艦島コンシェルジュで軍艦島ツアーの申し込みを行ったのだが、本日は予約がいっぱいだそうだ
仕方がないので、ツアー料金としては一番高い「やまさ海運」のツアーに予約を入れた
車は近くの県営駐車場に入れ乗船した
ツアー客は150名位はいるだろうか、今日は二つの団体が入っていて混んでいるそうだ

軍艦島(端島)に上陸後、ツアー客は3班に分けられ回るコースを分散した
それぞれの班にツアーガイドがつき、拡声器を用いて3ヶ所で説明がなされた
80年の採炭のギュット押し固められた繁栄と廃退の歴史がここ端島(軍艦島)にあった
一番古い7階建ての6畳一間とかまど付きの台所が備わったアパートは大正5年に建てられたものだそうで築99年になる
日本初の鉄筋コンクリート造りのアパートだそうだ
南北に約480m、東西に約160m、周囲約1200m、面積約63000平方メートルの6度に渡る埋め立てによって広げられた小島に最盛期には約5300に人もの人々が住んでいたそうだ
住民の生活は実に近代的であり、ここ端島では、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機がほぼ100%の普及率であったそうだ
水はこれも日本初の給水管により6500mもの距離を本島から供給していたとのことである
電気はいくら使っても8円だったそうだ(年度の説明は無かった)

エネルギー需要が石炭から石油に移って1974年1月に閉山となり、無人島となって41年、自然がもたらす波・風にたたかれた島は破壊の一途をたどった
この6月に世界遺産登録の判断が出るとのことであった

端島から戻り、さてこれからどうしようかと考え、長崎の観光ヶ所を色々と検索・検討してみたのだが、昨日の平和公園、爆心地、原爆資料館、そして今日の軍艦島
この重みで私の長崎観光の器は一杯になってしまい、後のどこの観光地も薄れて見える

明日は熊本の友人宅を訪ねることもあり、島原へと車を向けた

島原では、島原温泉ゆらぎの湯に浸かった(520円)
黄色に少し濁ったとても熱い湯であった
温泉はいい、疲れた身体も癒してくれる

その後、鉄筋コンクリート造りの島原城に上がり、明日の熊本港へのフェリーを予約を済ませ、今日の泊まりどころである道の駅「みずなし本陣ふかえ」に入った

ここには第2駐車場もあり、静かに過ごせそうである
ここの駐車場からは雲仙普賢岳(正確には平成新山)が間近に見える

この道の駅の敷地内には、土石流により被災した家屋が保存されていた

1991年6月3日の火砕流では、43名の死者・行方不明者を出す大惨事となったのである

軍艦島の破壊といい、大噴火・火砕流・土石流といい、自然の力とは強大なものである

2015年3月26日木曜日

9日目(3月]26日)

今日は5時に起床し、明るくなった6時15分に道の駅「彼杵」を出発した

長崎に入り、まず平和公園に車を入れた
平和公園は被爆で破壊された刑務所の跡地にあった
まだ誰も観光客は来ていない
平和祈念像の前に立った
説明によれば、「垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている」そうである

平和公園から爆心地へと足を向けた
そこに浦上天主堂の焼けただれたモニュメントが移築されていた
1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、この上空500mのところでB29ボックスカーが放ったプルトニウム型原爆を爆発させた
この一発の原爆でナガサキの町は壊滅し、73884名の命が奪われ、74909人の負傷者を出したのである

その足で原爆資料館に入館した
言葉がでない
自然と涙が流れた

浦上天主堂も近くにあったのだが、車の中から眺めて通り過ぎた
そのまま稲佐山へ車で上った
この登り坂は急で、セカンドギャーには何度も入れた
有料の展望台にも上がってみた
長崎の細長い町並みと入江が一望できた
長崎は谷沿いの町であることがよくわかる
平和公園の緑も眼下に見ることができた
平和公園で、ボランティアガイドの方が言っておられたが、長崎は70%が坂だそうだ
信じられないような崖の上にいえもホテルも建てられている

長崎市内の道は走りづらい
右は市電が走り、左は数多くのバスが走り
間の二車線の道を結構速い流れで車が走っている
ナビなしでは曲がるところもわからない

昨夜は道の駅泊まりであったため、風呂には入っていない
温泉に入りたくなり、50km先の雲仙に車を向けた
雲仙に上がる道は葛折りの急登が続いた
ここもセカンドギャーが必要であった
雲仙のホテル群を抜け、小地獄温泉の素朴な湯に浸かった
熱めの白濁した良い温泉であった
北海道から来たという若者が湯に浸かっていた

急坂を降りてまた長崎に戻り、長崎の混雑した道を抜け、長崎半島の川原大池公園キャンプ場に到着した
今日の泊まりどころである
この近くを長崎に行くバスが通っているはずなので、車はここに置いて、明日はこのバスを利用して長崎に出てみようかと思っている

2015年3月25日水曜日

8日目(3月25日)

今日は平戸に渡った
先ずは松浦家800年の歴史を誇る平戸城を見学した(500円)
城は明治6年に廃城となり、現在の城は昭和37年に復元されたものである
日本初の貿易港らしく、城は三方を海に囲まれた高台に築城されている
明治天皇の祖母に当たる中山愛子がこの城で生まれているとかで、中には明治天皇の御七夜産着なども展示されていた

続いて「平戸ザビエル記念教会」に足を運んだ
靴や帽子を脱ぎ中に入ったが、入れるのは入り口までで、ここより中には入れなかった
宗教関係には全く疎い私にはよくわからないので写真だけ撮らさせていただき、松浦史料博物館へと足を向けた

史料は3万点あるとのことで、いっぺんには展示ができず、入れ替えているとのことであった
800年の歴史を誇る松浦家の武具や歴史的カ価値高いものだらけといったところであるが、私が驚いたのはこの屋敷の造りである
明治に建てられた松浦家の私邸らしいが、高く組まれた石垣の上に一枚大板の床材など贅沢な木材を使用して建築されている
廃藩になっても武家の力は強かったのであろう

そこから車で5分のところにある「オランダ商館」を見学した
後の長崎出島より数倍の貿易量であったようだが、キリシタン製品を扱っていたとの咎で8000人の人夫を動員して建造された石造り商館はわずか33年で徳川幕府の手で破壊された
内部に使われていた48センチメートルの梁や柱、幅広の床材は宮崎や鹿児島から運んだ松材を使用していたとのことである
現在の商館は2011年に再築され、48センチメートルの松材は国内では調達できなかったようで、カナダから取り寄せたとのことであった

島全体を車で回ってもよかったのだが、宗教的なことには興味が無く、平戸中心地を見学して平戸大橋を渡り、平戸を後にした

九十九島の絶景を見たく、長串山公園に上がった
今日は風も穏やかで、べた凪の海の中に島々が点在した美しい景色を私に見せてくれた

その後、本土最西端の地にも立った
昨年の北海道車中泊の旅で最北端、最東端の地には立っているので、残りは鹿児島の最南端の地のみとなった

今日中に長崎半島三和のキャンプ場に着くのは難しいので、今夜は彼杵の道の駅に泊まるつもりで4時前に到着した
今日は90kmしか走っていないが、平戸ではよく歩いた

駐車場の私の車の脇には函館ナンバーのCR-Vが停まった
車の中には年寄り夫婦がいた

2015年3月24日火曜日

7日目(3月24日)

今日は博多の町をぶらつくつもりでいたが、私らしくないと思い直し、自然を求めて先を急ぐことにした

福岡市内の渋滞を避けるため、若杉楽園キャンプ場を夜が明け切らぬ5時に出発した
思い通り福岡市内はスンナリと抜け、二見ヶ浦に出た
何ていうことはない海岸で夫婦岩だけが目立つ海にサーファーが一人が海に入って行った

すぐに車に戻り、呼子へ車を向ける
浜崎で国道202号線から外れ日本三大松原といわれている「虹の松原」へと入る
何故に虹といわれるのかはわからないが、これほどに数多くの密集した松を私は見たことがない
この街道の注意看板には「倒木注意」と書かれていた
確かに松の大枝だが道を覆っている

唐津に入り、呼子大橋を渡り、「風の見える公園」へ上る
呼子一の絶景といわれることはだけある
海、山、棚田が美しい

204号線沿いの浜野浦の棚田をみる
この棚田の石垣はすごい
城壁かとも思える造りであった
途中、車を止めるも難しい急坂の左手に美しい入江と棚田が目に飛び込んできた
車を無理やり脇に寄せて停め、シャッターを切った
日本は美しい!
昨日は風呂に入ってないので温泉を探し、「いろは温泉」を目指し、「国民宿舎いろは島」の湯に浸かった
私はこれほど美しい景色の湯船は初めての経験である
全面ガラスの向こうには美しい島々、美しい海が広がっているこの風呂を独り占めにした

この国民宿舎で売られていた10個ほど入ったみかんを103円で購入した
早速ほうばった。チョット皮は固いが、甘い!

車に戻り、少し走ると「展望台」の看板
それにつられて上ってみた
これまた絶景であった
この海、どこまでも青く、島々も美しい

お昼を過ぎている
腹を満たすため、玄海丸という鮮魚市場を併設している店に入り、海鮮チラシを頼んだ
期待を大きく外す寿司であった
過去にもチラシ寿司ではあまりよい思いではない

少し疲れも出てきていたので、ここの駐車場で横になり一時間ほど昼寝をした

さて、今日の泊まりどころに急ごう
伊万里市に入り、美しい海沿いの道を走り松浦市に入り、4時に平戸口にある「中瀬草原キャンプ場」に到着した
このキャンプ場の広大な草原の目の前には美しい海が大きく広がっている
とても気持ちがよい所なんだが、強風が吹き荒れている
とてもテンとを張る気にはなれず、今夜はここの駐車場で車中泊とした
さすが、日本最西端に近い地、7時近いがまだ明るい

2015年3月23日月曜日

6日目(3月23日)

今日は太宰府天満宮を見学する予定

当初の計画通り、若杉楽園キャンプ場から車を使用しJR篠栗近くの一日400円の駐車場に車を入れ、JRを使い博多に出て、西鉄福岡から太宰府天満宮駅に行く予定であった
しかし、あてにしていた駐車場はすでに満車であった
安いので通勤に使用しているものと考えられた



どうしようかと迷った
結果的に正解であったが、太宰府天満宮まで直接車で行くことにした
キャンプ場から25km、一時間ほどで到着した

天満宮駅近くのタイムズの駐車場に車を入れてゆっくりと天満宮を見学した
家内安全のお札と旅行安全のお守りをいただいた

月曜日だというのに結構な混雑である
休日となれば、駐車場を探すのも大変ではないかと思われた

このところの観光地はどこでもそのようだが、ここ太宰府天満宮も例に漏れず、中国人の観光客の姿が目立った

参道で天満宮名物の梅の枝餅を食べた
くどくない甘さで塩味もした(甘酒セットで450円)

チラッと福岡に出ようかとも考えたが、昨日は風呂に入っていないので、篠栗駅の裏手にある保養センターの風呂を使うつもりで、篠栗へ戻った
しかしここの風呂は月曜日は休みであった
ではということで、若杉の湯を目指した
しかし、平日は家族風呂だけの営業で、一人で利用できる浴室は休日のみの営業だそうだ
そんなの有りかねぇ~

仕方がないので、キャンプ場に戻って湯を沸かし体を拭いた
たまった洗濯もした

明日は早めにキャンプ場を出て早めに駐車場に車を入れ、JR利用で博多に出て天神あたりをぶらついてみようかと思っている

2015年3月22日日曜日

5日目(3月22日の日記より)

 定刻6時20分に新門司港に入港した
九州車中泊の旅のスタートだ(ここまで391km)

国道10号線、3号線、200号線と走り次ぐ
八幡市内も起伏が激しく、福岡に向かう道はスピンカーブの連続となった
3年目の車中泊旅行で慣れてはいるものの、県外軽バンはどんどん追い抜かれていく
玄海育ちは気性が強いのか、かなりのスピードで追い抜かれる
ナビ姉さんは何度も「事故多発地帯、運転注意」と告げている

8時35分最初の訪問地「伊藤伝衛門邸」に到着した
オープンは9時半とのことで1時間車中で時間をつぶした
ケヤキの一枚板の門が開き、見学者を招き入れた(300円)
日曜日といこともあってか見学者はかなり多い

空いている内にと係りの方の案内に従い屋敷から見学した
贅を尽くした造りと表現するしかない
トイレは九州初の水洗トイレだそうで、便器は有田焼だそうだ
庭も見事で庭から見た建屋は豪華である
白蓮の部屋は庭を見下ろす角部屋であった

天気は快晴、気温24℃でジャケットを着ていては暑くTシャツ1枚で運転することとした

続いて近くにある嘉穂劇場へ向かった(300円+駐車料金100円)

古いが大きな回り舞台の設備も備わった立派な劇場である
美空ひばりなど名だたる名優がこの舞台にたっている

これまたかなり曲がりくねった道をのぼり、本日の宿泊地に予定をしていた若杉楽園キャンプ場へ到着した(482km)

13時15分とまだ早いがここにテントを設営した
このテント場、チェックイン、チェックアウトともフリーで利用料は無料
炊事場もあり、キレイとはいえないが水洗トイレもある
2日ほどここに泊まらさせていただく予定である

2015年3月21日土曜日

4日目 (3月21日の日記より)

 昨夜は眠れたが船の振動と振動音は少し気になった
展望風呂は24時間開いているので朝風呂に行ってきた
誰もいなくて一人のんびりと海を眺めながら4畳の広さの湯に浸かった
湯船に浸かっていてわかったことだが、船は横に揺れるよりも大きく縦に揺れている
肩まで湯に浸かっていると30cmの高波の湯が顔に向かって押し寄せてくる

朝風呂からあがりフェリーに持ち込んだパンとジュースで朝食とした

乗船しているフェリーはオーシャンウエスト、11500トン、全長166m、全幅25mの船
特等室12名、一等室100名、二等室250名、ドライバー室10名、その他(?)29名、乗組員33名となっている

11時半にうどんコーナーがオープンしたのでここでかき揚げうどん(300円)、から揚げ(300円/5個)で昼食とした
アツアツのから揚げはおいしかった

デッキに出てみた
風が強く長くはいられない
進行方向右手に薄ぼんやりと陸が確認できる
陸地が近いせいかdocomoの携帯もつながる

疲れてはいないと思うのだが何故か体が重い
眠れそうなので読書はあきらめビル・エバンスのピアノでも聴きながら寝ることにしよう

16:30
時刻通り徳島港に14時30分に入港し、15時30分に出航した
徳島港で人が降りると船内は更にがら空きとなった
徳島港から乗船して人は少なく、20人位は楽に横になれる2等の1ブースに1人か2人しか横になっていない

再び7階のデッキに出てみた
すばらしい晴天だが、風はやはり冷たい
瀬戸内海に入ったのか否かはわからないのだが島々が見えてきた

17:22
左の窓から見えるのは広がった海で左の窓から見えるのは長い陸地
フェリーはどうも瀬戸内海を走っているのではなく、太平洋を走っているようだ
チョットがっかり!

3日目 乗船

東京港より新門司へ向けて出航した
東京港は東京ビッグサイトの脇の先であった
現役中にはここ東京ビッグサイトには何度も来ているが、こんなにも近くに海があり大型桟橋があるとも思わなかった

二等船室は最上階に一つだけの大部屋である
昨年の北海道旅行で利用した新日本海と比べると二等船室の規模は誠に小さい

船内を歩いてみた
2等船室がある最上階は7階でこの階には特等室もある
6階には2等船室、ラウンジ、ゲームコーナー、喫煙所、展望風呂がある
風呂場は大きくはなく、浴室内に貼られたタイルの数で広さを計ってみたところ2間×2間半の広さで洗い場は6箇所しかない
5階には2等の個室の和室、トラックドライバーの個室、小さな売店がある
この5階には広い食堂があるがレストランは無いようだ
自動販売機は充実している
ライブショウや映画鑑賞などが開かれることは無くまた開く会場もないようだ

外から見た船の大きさは大きく感じたが意外と船室スペースは小さい
外海に出でもってLTEがつながるので船内でブログがアップできる
2等船室でも100vがとれるので端末機器の充電ができるのはありがたい
船の横揺れは結構感じれるが船酔いするほど大きな揺れではない
ただ振動は大きく振動音も強く感じられ、睡眠中も気にはなる

さて、これからパンでもかじり朝食としょう

2015年3月18日水曜日

九州車中泊の旅へ

本日出発した

出がけに家内がお守りをくれた
愛犬ハルと愛猫smokyと家内の似顔絵が描かれていた
これは最も効果があるお守りになりそうだ

230km、5時間走り茨城県の南の箸まで来た

今日も暑い一日で日中はTシャツで過ごした

途中、奥久慈だいごの道の駅の温泉を楽しみにしていたが休みであった

夕食も済ませ、ノンビリしている
今夜は道の駅「いたこ」泊りだ

明日は千葉の父母の墓参りをしょう

2015年3月17日火曜日

円空 特別展

今日は暑かった
福島市で22℃まで上がった

今日は福島県立美術館で開かれている円空特別展に家内と一緒に行ってきた

展示室に入ってすぐに私の目に飛び込んできたのが、2mを超える堂々たる「金剛力士(仁王)立像 吽形」である(2枚目の写真)

私は円空の作品を知らな過ぎた
このように大きな作品があるとは思っていなかったし、
鉈で掘られたと云われているので、もっと荒削りのものかとも
思っていた
Googleの画像から

繊細な作品ばかりであった

良いものをみさせてもらえた

しかし、空いてたね
作品一つひとつを入場者の誰にも邪魔されることなく私はじっくりとみることができた
私が見ている間には、20人ぐらいしか入っていなかったと思う


後先が逆になったが、昼飯を食べるところを探していたら
サリバン(浜田店)というのが目に入った
狭い店内、うまい具合に二つ席が空いていた
パスタ屋だからパスタを食べた
私は「ホタテとイカのトマトソース」、家内は「エビとブロッコリーのペペロンチーノ」(また、写真を撮り忘れた)
ともにおいしかった
少し食べてから、私はテーブルに置いてあったガーリックオイルをかけて食べた
フレッシュなトマトソースが更においしくなった

食べ終わって隣の方を見たらサラダを食べていた
おいしそうだし、ボリームもある
セットメニューをケチった(100円)
失敗であった


【膝の具合】
痛みが消えた
明日、九州に向けて出発する

2015年3月16日月曜日

エアーコンプレッサーの修理

使用頻度としては少ないのだが、エアーコンプレッサーが使えないとなると結構不便なものだ

2週間ほど前、軽バンの車内清掃で使おうと思ったら動かない
モーターが動いていない

メーカーのナカトミのサポートにメールを入れた

次の日、ナカトミから電話連絡があった
最初は修理のため、故障機を送ってほしいような口ぶりであったが、福島からコンプレッサー本体を送るバカらしさを話したところ先方も納得をした
電話で症状を再度伝えたところ、モーターのスタートコンデンサーの故障の疑いが強いとの指導があった

汎用のコンデンサーを探してみると伝えたところ、ナカトミの指定パーツを使ってほしいとのことであった
コメリからも発注できるとのことであったので、サポートの指導に従うことにした

コメリから発注したパーツが本日届いた
10日ほど待った←チョット長いかも
価格は1980円←ビミョウな値段だ

早速交換した
動いた

なんだかんだといっても、日本メーカーのサポートは親切だ

【膝の具合】
押せばまだ痛みはあるが、歩くに支障はない状態にまで回復した
階段の下りではまだ少し痛む

2015年3月15日日曜日

陶芸茶碗の完成

昨年の12月21日(日)、友人夫妻に誘われて福島空港で開かれていた陶器市に行った

その会場で開催されていた陶芸体験教室に友人夫妻とわたくしたち夫婦も参加した

友人夫妻は夫婦湯呑を、わたくしたち夫婦は夫婦茶碗を講師の指導の下、ろくろで製作した

作品は先生方に焼いてもらい、作品が仕上がったとの連絡が入ったので、本日、友人が運転する車で福島空港まで取りに行ってきた

作品は思っていた以上の完成度であった

早速、夕ご飯に使わせてもらった

お茶碗の中は、その友人の奥様が作ったアサリごはんであり、これまたおいしかった

作品を受け取った帰りには道の駅に寄り、そのまま食べてよしの間引き人参を仕入れたり、手打ちそばを食べ、その先は少し足を延ばし、3月1日リニューアルしたばかりの「きつねうち温泉」の湯につかってきた
http://kitsune.life.coocan.jp/

今日もよい一日であった


膝は大分良いが、まだ痛い

2015年3月13日金曜日

鵞足炎

『膝の痛み』全解説より
昨夜から膝の痛みが出ていた

半年ほど前にテニスやパドルテニスの練習で痛めた右膝の痛みが再発したようだ

しかし、この症状、私は軽く考えていた
今日になって、時間が経つにつれ、歩くのも困難になってきた

本日出立予定であった「九州車中泊の旅」は今朝の思いもかけぬ降雪で足止めを食らっていた
『膝の痛み』全解説より

雪以前の問題だ
歩けない!

友人の勧めもあり、家内の運転で郡山の大病院へ向かった
受付で、『整形外科は午前中だけの診察です』と言われた
「受付は16時まで」と書いてあるじゃないですかとねばった

それと、家内が押す車椅子に乗っていたのが効いたのか
受付の方が『痛みがあり歩けないようです』と言ってくれたらしく
すぐに看護士が迎えに来てくれて、そのまま車椅子を押して直接整形外科の診察室に入った

手術に入る直前だという若い医師が待っていてくれて診てくれた
『特別』、『とくべつに』、『トクベツ』と三度も言われた
注射一本、5分で歩けるようになった

帰りは私がハンドルを握ったが、1時間で注射は切れた
また家内の運転で家まで帰った

私はツイテルようだ
☆思いもしなかった降雪・積雪で足止めを食らった
☆歩けないほどの痛みとなった

あきらめがついた
新門司へのフェリーの予約をキャンセルした(キャンセル料200円)
釜山のツアー参加をキャンセルした(キャンセル料2100円)

【痛みの具合・箇所から】
医師は筋の炎症といっただけだが、調べてみると「鵞足炎(ガソクエン)」らしい
鵞足が内側側副靭帯や大腿骨にすれ合うことにより炎症を発症するらしい
原因は医学的に解明されていないし、治療法も確立されたものは無いようだ
が、
私の場合、原因はハッキリしている
オーバーワークである
月曜日にテニスの練習、水曜日にパドルテニスの練習、木曜日にゴルフプレー、2日に渡り降った雪の除雪作業

痛めた膝は休めるしかないようだ
医師も28日分の痛みどめ(セルコック錠100mg)と湿布(ロキソニンテープ)を処方しただけで、明日にで来いとも言わなかった

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