2015年3月27日金曜日

10日目(3月27日)

昨夜、明日の行動計画を練るのに時間を要し寝るのが10時を過ぎてしまった
昨夜は遅かったからか、今朝は目覚めたら7時になっていた
長崎に出るのに渋滞に巻き込まれてはいけないと考え、バターロールをホウバり7時半に川原大池公園キャンプ場を出発した

長崎港に着き、軍艦島コンシェルジュで軍艦島ツアーの申し込みを行ったのだが、本日は予約がいっぱいだそうだ
仕方がないので、ツアー料金としては一番高い「やまさ海運」のツアーに予約を入れた
車は近くの県営駐車場に入れ乗船した
ツアー客は150名位はいるだろうか、今日は二つの団体が入っていて混んでいるそうだ

軍艦島(端島)に上陸後、ツアー客は3班に分けられ回るコースを分散した
それぞれの班にツアーガイドがつき、拡声器を用いて3ヶ所で説明がなされた
80年の採炭のギュット押し固められた繁栄と廃退の歴史がここ端島(軍艦島)にあった
一番古い7階建ての6畳一間とかまど付きの台所が備わったアパートは大正5年に建てられたものだそうで築99年になる
日本初の鉄筋コンクリート造りのアパートだそうだ
南北に約480m、東西に約160m、周囲約1200m、面積約63000平方メートルの6度に渡る埋め立てによって広げられた小島に最盛期には約5300に人もの人々が住んでいたそうだ
住民の生活は実に近代的であり、ここ端島では、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機がほぼ100%の普及率であったそうだ
水はこれも日本初の給水管により6500mもの距離を本島から供給していたとのことである
電気はいくら使っても8円だったそうだ(年度の説明は無かった)

エネルギー需要が石炭から石油に移って1974年1月に閉山となり、無人島となって41年、自然がもたらす波・風にたたかれた島は破壊の一途をたどった
この6月に世界遺産登録の判断が出るとのことであった

端島から戻り、さてこれからどうしようかと考え、長崎の観光ヶ所を色々と検索・検討してみたのだが、昨日の平和公園、爆心地、原爆資料館、そして今日の軍艦島
この重みで私の長崎観光の器は一杯になってしまい、後のどこの観光地も薄れて見える

明日は熊本の友人宅を訪ねることもあり、島原へと車を向けた

島原では、島原温泉ゆらぎの湯に浸かった(520円)
黄色に少し濁ったとても熱い湯であった
温泉はいい、疲れた身体も癒してくれる

その後、鉄筋コンクリート造りの島原城に上がり、明日の熊本港へのフェリーを予約を済ませ、今日の泊まりどころである道の駅「みずなし本陣ふかえ」に入った

ここには第2駐車場もあり、静かに過ごせそうである
ここの駐車場からは雲仙普賢岳(正確には平成新山)が間近に見える

この道の駅の敷地内には、土石流により被災した家屋が保存されていた

1991年6月3日の火砕流では、43名の死者・行方不明者を出す大惨事となったのである

軍艦島の破壊といい、大噴火・火砕流・土石流といい、自然の力とは強大なものである

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