これから更に雨量は増して行く様である
今年は雨がとても少ない春となっているので、農作物にとっても良い雨となっている
明日に予定している湯本スプリングスCCの雨後対策を参加者にお願いのLINEを送った
ゴル友の一人は、いまだに迷惑メールを心配して、LINEも電子メールも導入していない
私としては、この方への連絡は少し面倒になってきている
ショートメール対応だと文字数制限があることで、十分な内容で連絡することができない
それに小額とはいえ有料となる
電話は、相手のことを考えるとなるべく控えたいと思っている
相手の都合を考慮せずに電話で連絡をしてくる方がいる
前述の通り、私は電話の使用は控え気味であるが、電話が嫌いという訳ではない
相手の「今の生の声を聞き」、自分の「今の生の声で話し」何かを聞き、何かを伝えなければならない時には積極的に電話を使う
「かけ放題」は、便利で格安だとは私も思うが、これを誰にでも、いつでも適用するのは間違いである
電話は一方的な側面がある
前述の通り、電話の向こうの相手の状態は自分からは見えない
トイレに入っているかもしれないし、車の運転中かもしれないし、煮えたぎった料理鍋の前でお玉を握っているかもしれない
「それが電話だ!」と、かける方は正しく意識して使わなければならない
携帯電話の普及で、電話マナーは崩れてきていると感じている
また、無遠慮にビデオ通話を使う方がいる
ビデオ通話は、ノックなしにドアーを開け、部屋の中を覗く感じによく似ている
親しい仲にあっても、ビデオ通話を使うのは難しい通話手段であると考えなければならない
無料ビデオ通話の先駆けはスカイプであろう
このスカイプは驚きであった
ヘッドセットを着けて、パソコンに外付けカメラをつけて、私もスカイプを楽しんでいた時期もあった
最初は無料とは信じてもらえなかった
弟は、海外留学の娘とのやり取りには、このスカイプを活用していた
カナダにいる娘の顔や周りの雰囲気も掴めて弟は安心できたであろう
だか私は、使い始めとは違って、スカイプの無遠慮なビデオ通話は嫌いになって行った
友人からスカイプで連絡が入ると、ビデオは切ってもらった
最初の頃は楽しかったが、ドカンと出てくる汚い顔や、よく知った顔を見ながら話す必要はまったく無かった
その後だが、この嫌いなスカイプのビデオ通話を使う機会が来た
私が同窓会の幹事をしていた時のことである
クラスメイトのある方から、一人のいつも参加しないクラスメートへ、スカイプを使ってビデオ通話で連絡をしてくれと依頼された
そのクラスメイトは車椅子生活であった
「いつも参加しない」ではなく「いつも参加できない」であった
遠い地でもあった
この時のスカイプは役に立った
先に電話で述べたことに近いが、私も一概にビデオ通話を嫌っている訳ではない
時によっては、相手の「今の顔を見て」、自分の「今の顔を見せて」聞き、見て、伝える必要があることも理解している
その上においても、電話やビデオ通話は、慎重に使うべき通話手段である
私は長電話の代わりに電子メールやLINEをよく使う
最近は、LINEをより多く使う
弟はベッドの中で、私の長いLINE文を怒った
伝えたい連絡を、正しく伝えるには長くなる
伝えたい思いを、正しく伝えるには長くなる
それが道理というものだ
言葉よりも、伝わり方も、理解し易さからみても、文章は良くも悪くも正確である
読み返すこともできる
長電話が許されて長文が許されないのは理に適わない
私はこれからも長文で意思を伝える
p.s.
先に述べた通り、私は電話が嫌いではない
私もスマホは「かけ放題」の契約を結んでいる
友人とは一時間以上の長電話を楽しんでいる
特に弟との電話はとても長くなった
工具のこと、機械ものの修理のこと、気候のこと、息子や娘のこと、怪我のこと、次の彼岸のこと、体のことなど話すことはいくらでもあった
だが、その長電話の相手が少なくなってきて、寂しい思いとなっている
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