2017年4月5日水曜日

仙台から松島(一泊旅行、ルノワール展からの続き)

昨日、ルノワールを見てから、クルマをは宮城県美術館の駐車場に置いたまま、仙台国際センターまで歩き、久しぶりに地下鉄に乗った
歳はいっても、迷いはしなかった
プラットホームの安全扉は子供に対しても安全性は高いと思われた

これも昨日だが、家内は仙台の「ユザワヤ」 を探した
地下鉄車中での家内の提案により、地下鉄は一番町で降り、仙台駅まで歩くことにした
地上への出口は、チョット方向オンチにはなったが、藤崎デパートの地下2階から中央通のアーケードに出た
ウィンドショッピングを楽しみながら、懐かしさも加わった中央通を仙台駅方向に歩いた
昼食は、大戸屋を利用した
無難にと思って入ったのだが、大戸屋の蕎麦はぶつ切れ状態であった
茹でている最中に蕎麦をかき回したのではないかと思われる

ユザワヤへは、Googleマップを使い辿り着いた
家内も変わったものだ。スマホを使いこなしている
だが、やっと辿り着いた「ユザヤワ」はがっかりだったそうだ
ユザワヤにかつての繁栄はなくなったようだ

ホテルを出て、今日は快晴の中、通勤ラッシュで込み合う中、クルマで青葉城(仙台城) へ上がってみた
雲ひとつない中、眼下に大きく変わった仙台があった
私が知る45年前、仙台駅前を市電が走っていた

仙台市内は、自転車を利用する人が多いように感じられる
ママチャリも、スポーツ車も多い
老いも若きも、男も女も、
仙台市内はわりと平坦であったかも知れないなぁと思ってみたりした

上段:松島 中段:瑞巌寺 下段:円通院
仙台から松島にへ向かった
まずは遊覧船に乗った
家内は、学校の旅行で来たことがあるそうだが、遊覧船に乗ったかどうか記憶はハッキリしないようだ
私は、仙台近くで生活していた45年前、友人が訪ねてきた際、松島を案内(?)し、遊覧船にも乗った
当時は、今回乗船した大きな船ではなく、もっともっと小さな船であった
東日本大震災の津波で島の松はなぎ倒されているのではないかと思っていたが、そうでもないように見えたが、実際は違うのかもしれない

続いてお決まりの様な遊覧船の波止場から近くの瑞巌寺へと向かった
東日本大震災の津波は、瑞巌寺近くまで押し寄せた
参道は今年の今月1日から歩けるようになったそうだ。今日は4月5日、まだ五日目だ
その参道に津波到達点が示されていた
「こんなもの?」と、私の感じとしては、思いのほか津波は届いていない
後のガイドの説明によると、200以上ある松島の島々が防波堤となり津波の被害を低減してくれたそうだ
「3.11」、松島では、観光客も含めて死者は一人も出していないそうだ
瑞巌寺の内部は宝物殿も含めて撮影禁止であった
45年前にも見学しているはずだが、まったく記憶の中にはなかったが、見学し甲斐のある内容であった

続いてこれまた近くの円通院を見学した
12時近くになっていたが、昼食は後にして入ったところ、12時から無料のガイドが案内してくれるとのことである
一瞬、どうかなぁ~とも思ったが、案内をお願いした
確かにどうかなぁ~と思えるところはあったが、ガイドの説明はなかなか聞きごたえのあるものであった
忘れてしまいそうなので記憶のポイントは、
*伊達正宗の嫡孫、光宗霊廟
*禅寺、お墓は男性のみ、禅の修行跡の洞穴
*光宗は19歳で(江戸で)死亡、病死とも暗殺とも言われている
*7名の家臣が殉死している(伊達正宗の場合は20名が殉死、二代目の忠宗は16名が殉死)
*伊達家の家紋は20(?)←(そんなにはなく、八つ)もある。桐の家紋もある。光宗の霊廟にはトランプ模様もバラも十字もある
*この霊廟は300年間、開いていない。(だから中が綺麗なまま)
*位牌が置いてある屋敷は、伊達家の江戸屋敷を移築したもの(船で運んだ)
*立派なバラ園

続いて昼食
私は、カキ丼、家内はアナゴ丼
そして私は、焼カキを追加
おいしかった
松島は、アナゴも良いそうです
お土産を買い、船岡の友人宅にも廻り、東北自動車道を使い帰宅した
良い、一泊旅行であった
smoky君にはお留守番をお願いした
寂しかったそうだ

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