この11日が過ぎれば、東日本大震災から5年の時が流れ去る
あるニュース番組で津波被害に遭遇した子供たちの心の痛みに迫る特集を観た
特集といっても5分程度のものであったが考えさせられる内容であった
津波の被害に遭われた小学生の事例が紹介されていた
学校に通えないのか、学生がボランティアで運営する塾のようなところに心の避難先を見つけて来ている高校生
「この子にカメラを向けないでくれ」と母親に言われたというカメラマン
その子は震災後引き籠もりとなり、自殺を図ったそうだ
50代の男性が自分に向かって救いの手を差し出したが何もできず、その男の人は波にのまれ、「見殺しにしてしまった」という当時小学6年生の少年
その少年はその後、その男性が死んでいる姿を見てしまい、「生きているのか、死んでいるのかわからない」という言い訳さえも失ってしまったという
その少年、「見殺しにしてしまった」という痛みを心の奥底にしまい込んだまま誰にも話せずに過ごし、高校生になっていた
その後その少年は高校である国語教師と出会う
その教師は、小学6年生のわが子を津波で失い、泥の中に転がっていた娘の姿を自身が発見したという辛い経験を有していた
その教師は、娘を失ったその場所で、娘を失った話を第3者に話して聞かせていた
少年は、教師が自身の体験を話す姿をきっかけに、自分の心の奥底にしまっていた体験を第3者にも話せるようになっていった
この少年はその教師との出会いがあり、その少年自身も強い子であったような気がする
訪れた修学旅行生の前でも、大人たちの前でも当時の苦しみは絞り出すようにではあるが言葉という手段で吐き出すことができている
忘れたいほどつらい経験は心の奥底に沈み込み、引き出してしまえと言われてもそう簡単には引き出せないものだと思う
引き出せないものは引き出せないままで、無理やり引き出させようとしなくてもよいのではないかと思う
学生ボランティアが開いている「塾」という駆け込み寺に逃げ込んで、心の傷を癒すだけでもよいと思う
テレビを通してその少年少女たちの辛い気持ちは伝わってきたが、私にはその辛い気持ちを理解することは不可能である
辛かった気持ちを理解し、共有し、その傷を癒せるのは、同年代の、同じ場所で、同じ空気を吸っていた者にしかできないのではないかと思える
喜びも悲しみも同年代に生きたものには共有も共感もしやすく、理解もできると思う
そして痛んだ心の傷を癒す方法も見つけ出してくれるだろう。お互いに
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