亡くなったこの日も、とても暑い日であった
命日には、妻と食事に行くのが毎年のこととなっている
今年は、妻が「道の駅なみえ」に行ってみたいという
ネットで確認したところ、ここのレストランには美味しそうな海鮮料理が並んでいた
行ってみた
葛尾から浪江に通じる道は、恐ろしいほどに狭いところがあった
工事関係者の車が多く、脇道は封鎖されているところも多くあった
停止して、対向車を先に通すことが3度あった
浪江の街中はまったく新しい街になっていた
道の駅なみえの駐車場には平日にもかかわらず、多くの車があった
私が止めた前の車は足立ナンバーであった
お昼も近かったので、直ぐにレストランに入った
席は9割ほどが埋まる結構な混雑であった
妻は色々な魚の小鉢の寿司を注文した
私は、トンカツを食べた
並盛でお願いしたのに、ご飯の量はすごく多かった
外に線量計が設置されているのが目に止まった
0.087μSv/hの値を示していた
我が家のリビングルーム室内とほぼ同じ値である
帰りは葛尾に向かう道は狭すぎたので、288号線を使って帰ることにした
途中の県道35号線沿いは、「太陽光田んぼ」(妻の表現)となっていて、見渡す限り太陽光パネルの海と化していた
太陽光パネルの周りは、雑草が高く伸び放題となっていた
汚染残土を運ぶダンプの数はものすごく多く、汚染土を積み上げた黒いフレコンバックもまだ多く見られた
工事関係者の車は、もうスピードで走り抜けて行く
70kmで走っている私の車を、風を張ってトラックが追い抜いて行く
浪江、大熊はまだ復興途中にある
脇道はほとんどゲートが設置されていて封鎖されていた
この暑さの中、所々でガードマンが立っている
ビーチパラソルの下で立っていた
妻が、何で立っているのだろう?椅子に座っていればいいのにと言う
汚染残土の山を見ると、思わず息を吸うのをためらった
車のクーラーのエアー取り入れ口を車内循環に切り替えた
線量計を持ってくればよかったと思った
走っていると、廃屋のような家があると思うと、超モダンな家があったりする
何だか、とてもちぐはぐだ
道の駅なみえの食事はとても美味しかった
美味しかったとはいえど、道の駅なみえだけを目ざしてそこへ向かうことは、もうないだろうと妻と車の中で話した
p.s.
昨日のテレビであったと思う
3.11を語り継ぐためにと、震災を知らない高校生たちが寸劇を演じていた
演じた高校生たちも観客も、どれ程この被災について理解できたかと、チョット疑問に感じた
そんなことよりも、ここに来てみれば、12年が経っても、「現場・現物・現実」がどういう状態にあるのかを感じてもらえると思った
百聞は一見に如かずである
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