最近話題の新国立競技場だが、その奇抜なデザインとともにその建築費が話題をさらっている
建築費は当初1300億円を見込んでいたが、昨日の下村文部科学大臣の発表によれば2520億円にまで拡大するそうだ
この建築費は、過去に建設した五輪スタジアムの建築費と比較すると、5つも6つも建設できるたいへんに大きな予算のようである
東日本大震災の復興予算まで使って改修をした1964年東京オリンピックの記念すべきメイン会場であった国立競技場はいとも簡単に解体してしまった(汗水たらし、夫婦努力して建てた家を息子が勝手に壊してしまったような感じだ)←話の道がそれた
JOCの「世界一の物を作りたい」で始まった新国立競技場、
多くの国民がこんなものいらないと感じていても、とまらないし、とめられないであろう
始めたらとまらない・とめられない日本人の体質、本能がここにもあると私は思うのである
多くの方が「危ない」と思っているし、大変に辛く痛い思いをし続けている福島第一原発の大事故があっても「原発再稼働」のうねりはとまらないし日本人にはとめることができないでいる
戦争を放棄した日本、
戦後70年、なぜ、ここにきて日本人は派兵を容認する法案を長々と審議しているのであろうか
この訳が分からないうねりもとまらない
勝てるわけがないと考えていた「先の戦争」を日本人はなぜ始めてしまったのか
なぜ、日本人は止めどなく戦線を拡大していったのか
無理に無理が重なってきたとわかっていながら、なぜ、日本人は戦争をやめようとしなかったのか
始めなかったら、やめていたなら、
東京は焼け野原にならなかったし、
沖縄の人たちは死なずにすんだし、
シベリア抑留はなかったし、
ヒロシマもナガサキもなかった
戦争をやめるタイミングは数多くあったと歴史家や知識人は語っている
なぜ、やめられないのか
日本人の体質、本能としか言いようがない
そして、無責任大国「日本」
先の戦争、誰か責任をとったか
福島第一原発の人災、誰か責任をとったか
借金までして、あんなもの「いらなかったな」といわれると思うとめられなかった「新国立競技場」
これも誰も責任はとろうとしないだろうし、またそれを許すのが日本人だと思う
初物のキュウリは一昨日にいただいた
ナスも大きくなってきたし、トマトはまだ小さいが確実に育っている
レタスは食べきれないほどあって、焼き肉を包んで食べたら大変においしかった
薪は十分に確保したし、今年も来年もストーブの燃料は大丈夫だ
私たち夫婦はこんな生活を大切にし、残り少ない人生をできるだけ有意義に過ごして行こうと考え、田舎暮らしを続けている
歳なんだろうとごまかしているが、私は「新国立競技場のことなんてどうでもいい」と実は思っている
こうした私の中にも、日本人のDNAが宿っている
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