vivianeの絵は、本日、妻が描いた
viviが懐かしい
顔や体に似合わず、とても臆病であった
私の愛犬歴は、
子供の頃、最初の愛犬は黒、その後の愛犬は白
黒は名前の通り全身真っ黒な雄のたくましい犬であった
白はその名の通り真っ白な雌犬でおとなしい犬であった
結婚して子供が生まれた後、子供のためにと、もらい犬のランちゃんを子犬の時から育てた
ミックス犬であったが私の愛犬の中では最も賢い犬であった
私の帰りを遠くから察知し、玄関で尾を振っていたそうだ
前の日まで元気にしていたランは、一晩で逝ってしまった
耳はかなり遠くなっていて、私の帰りは分からなくなっていた
その後が本日妻が描いたvivianeである
母犬はチャンピオン犬の血筋を持ったハスキー犬である
しかし、この子は売れ残った
血統書付きで我が家にやって来た
前述の通り、この子は我が家の愛犬の中で最も臆病な犬であった
私達は子供を連れてよくハイキングやキャンプに行った
viviも連れて行くわけだが、エンジンがかかった車に乗れなかったし、この大きな体をワンボックスカーのステップの中にしばらくの間、沈めてじっとしていた
そんな子であったが、とても可愛い子であった
寿命は10年と言われていたが、12歳で逝った
妻はこの子を介護した
夜中も20kg以上あるviviを抱いて、二階の寝室から庭に出し、オシッコをさせた
お父さんオシッコとは来なくて、お母さんオシッコと妻の方へ行った
私のハンドルネームの「vivi」はこの子の名前から取った
私達と一緒に移住してきたのが愛すべき、コーギー犬のハルである
生まれて1ヶ月も経たないで我が家の子になった
小さなこの子を連れて、セカンドハウスとなっていた福島へ毎月通った
移住前の一年間は、この移住先のこの家のリフォームに通った
いつもハルと一緒だった
ハルと一緒に眠った
愛犬は何れも可愛く、差はつけられないのだが、愛くるしいハルは、たまらなく可愛いかった
ハルは急性膵臓病で、10歳の若さで、わずか一日と一晩で逝ってしまった
いつもの動物病院に見せたが、その晩に急変し、救急病院の処置で治った思ったのだが、その日の明け方に亡くなった
具合悪くその時、妻は海外旅行中で、その夜の内に成田から急いで帰ってきていた
思うと、ハルは救急病院からの帰りの車の後部座席の中で、逝くのをじっと耐えていた
家に戻り、妻の顔を見てから、すうっと静かに息が絶えた
死に方も関係していたと思うが、私も特に妻には長いことハルの話は勿論、犬の話はできなかった
不思議なことに愛猫smokyは、テーブルの上に置いたハルの遺骨を両腕で抱いて眠った
ハルが逝ってから一年、私達は犬のいない生活がとても寂しいことがわかった
妻の誕生日に、愛犬フェアーで子犬を見て回ってから、1軒、2軒、3軒とペットショップを回り、3軒目のペットショップで今いる怒りん坊の雄のコーギー犬に出会った
妻と話し合い名前はMatthewとした
赤毛のアンに出てくるアンの育ての男親から名前はいただいた
最初は犬を飼うのは悩んだ
飼ったら飼い主としての責任が生まれる
私の年齢がその悩みの原因であった
この子を最後まで見てやることができるかと悩んだ
だが、逆に「この子を最後まで見てやれるように私が頑張って生きる」と考えた
今年の夏が来れば、愛犬Matthewもおじさんの8歳となる
早いものだ
8年前、私はひどい不整脈が出るようになっていた
最初、集団検診で見つかった
検診バスの中の心電図の検査員は、「病院で早く診てもらったほうがよい」と忠告してくれた
それほどひどい不整脈であったようだ
心臓の検査は色々と続き、最後には心シンチ検査まで行った
ちょっと気になるところはあったようだが、状況監視となった
前の愛犬にもそうであったが、私と愛犬との散歩は雨が降ろうが、雪が降ろうが朝夕の散歩は欠かさなかった
元気なMatthewとの散歩が始まった
私の不整脈は止んだ!
p.s.
医者の言う「状況監視」とは、「一件落着」の合図のようなものらしい
「1年後に検査してみましょう」でもなく、「その後はどうですか?」もない!
心電図検査で引っかかったら、また最初からやり直すのかもしれない
医者なんてそんなもんだと思っていた方が間違いは起こらない
「基本、自分の身は自分で守る!」と考えていた方が良い
だが、がん患者を診る医師はちょっと違うようだ
私の胃は1年毎の検査が必ず予約されるし、家内の場合は、最近、3ヶ月毎の検診から6ヶ月毎の検診に移行した
がんというのはそれだけ、再発のリスクが高いということだろう
それと、ペットの獣医師はもっとめちゃくちゃな奴がいる、いると言うより、多いと言った方が正しい
信頼できる獣医師はとても少ない