元旦、寒くもあり、暇である
TVもこれといって観るものなし
で、プライムビデオから、やっとプライム会員に開放された「日々是好日」を選んで流した
しかし観ていられないのだ
お茶の先生役の樹木希林は好きな俳優だし、黒木華に至っては「澪」と呼ぶほどのファンである
だがこの映画、始まってからお茶の作法の場面が続く
懐から取り出した袱紗を、10工程くらいかけて、あっちからこっちからと折って、その折った袱紗を使って抹茶の入れ物の蓋を拭くが、その拭く方向の決まりもあって拭く
ここで私の我慢が切れて、映画は切った
私はどうもこの「作法」というものが嫌いなようだ
思い当たる節はある
私は小学生時代に、和弓を引きに小さな和弓場に通っていた
ここの先生だったか、経営者といってもいいのか、ここの指導者は、うるさいことは言わずに弓を引かせてくれていた
今となってはハッキリとは覚えていないのだが、この和弓場通いは、長くは続かなかったと思う
金銭的な理由だったかもしれない
だが、弓は面白い遊びであった
竹で弓を自作し、矢も竹であったと思うが、矢尻に父の蓄音機の針を取り付け、矢羽は伯父が飼っていた軍鶏の羽を取り付け、よく打って遊んでいた
当時、テレビにはロビンフッドの連続ドラマが流れていた
ロビンフッドが使っていたこの洋弓(ボーガン)の機能に感心し、私はこれも真似して作ってもいた
このボーガンの矢は、割り箸を加工して作った
もちろんこれも矢尻は蓄音機の針だし、矢羽は軍鶏の羽である
昔、男の子は、肥後守という折り畳みのナイフを誰もが愛用していた
今ではとても信じてもらえないだろうが、当時の男の子は、肥後守というナイフをポケットに入れていた
しかし、そのナイフで友達を傷つけたなんて話は、聞いたことがない
肥後守は、工作用の道具なのだ
その肥後守で鉛筆も削っていたので、学校にも持ち込んでいたと思う
私も弓矢の製作には、この肥後守のナイフを使ったと思う
切れなくなれば、自分で砥石を使い研いでもいた
また、自作の弓はどこで打っていたかはあまり覚えてはいないが、当時は海苔干し場という、子供にとっては広大で快適な遊び場所があり、その辺で弓も打って遊んでいたものと思う
当時から私は一人遊びが好きで、前述の和弓場へも一人で通っていたものと思う
私は仲間付き合いが苦手で、キャッチボールに誘われるのがとても嫌であった
その性格のせいか、人と競うことが嫌いというか苦手で、肝心なところで、一歩か半歩及ばす、一位になった記憶がない
だいたい、一位なることを望んでいない様な気がする
一人遊びで、弓以外で適したものにカメラがあった
私は、小学生低学年時に、小さな黒いカメラを使っていた
その小さなカメラで撮った、幼なじみの小さな白黒写真が、今も私のアルバイトにおさめられている
4年か5年生ころには、フジペットというカメラを使い、中学生になるとミノルタユニオマットという自動露光のカメラを使っていた
若いころ、社員旅行に組み込まれていたフィールドアーチェリーの体験コースがあった
このアーチェリー場の指導講師から、「あなた、弓をやっていたでしょう」と言われた
それほどに、私が打った矢は的によく当たった
それから私はアーチェリーにハマった
幸い、自宅から車で30分程の所に本格的な競技アーチェリー場があった
アーチェリーの弓の初期投資に25万円を使った
土日は一日中アーチェリー場に通い、昼飯もアーチェリー場のレストランで食べた
家に30畳の部屋があったので、そこに大きな巻き藁をセットし、毎日・毎日、弓を打った
沖縄国体出場を目標とし、夢中で練習した
家内から当然、苦情が出た
それは、趣味を持つことでも、金の使い方でもない
家内の不満は、子育てにあった
「4歳はとてもかわいい時期で、二度と来ない!」と言われた
私達には、8年目にしてやっと授かった息子がいた
これには、参った!
確かにそうだ
その夜、弓をしまい、それ以来、弓のケースは開けていない
時が経ち、市民講座の中に、和弓があった
興味があり、参加してみた
前述のとおり私は、子供のころ、和弓場に通っていたし、アーチェリーの経験者でもある
弓は好きだ
だが、この講座、初回から持たなかった
初回でやめた
作法がうるさい
脚の運びがどうだこうだと
袴に白足袋姿の指導講師が、打つ前から、ああだこうだ、何やかんやとうるさくて、肝心の弓はなかなか打たせない
やっと1m前の畳に打たせたと思ったら、リリース後の形にも注文が入った
私は、作法が嫌いだ
弓道の作法も嫌いだが、茶道の作法も嫌いだ
黒木華は好きだが、作法にうるさいお茶の映画は観ていられない
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