2013年8月9日金曜日

原爆再認識

原発事故から原発の危険性を学ぶことになり、背景にあると思われる、幕末史、昭和史を学び直し、原爆を再認識するに至った
母の実家は広島市の福島町にあった
爆心地にも近く、原爆ドームから1.6㎞のところで箪笥屋を営んでいた
今も福島市西区福島町には、母の一番下の妹である叔母が住んでいる 

このところ、熱い日が続き、広島市は35度以上の猛暑日が続いている
年老いたひとり暮らしの叔母の「熱中症」が気になり、昨日電話を入れてみた
クーラーはあるが、使っていないそうである
叔母も、一般的な年寄りと同じで、クーラーが嫌いなようだ 

私は、「原爆の日に叔母さんはどこにいたの」と、初めて聞いてみた
「ジゴゼンにおった」
「イツクシマの近くょ」
ジゴゼンとは、現在の廿日市市地御前のことであった
爆心地から西南西14㎞に位置している
 
叔母の話によると、福島町の家には、祖父母や母の姉とその子供、母の弟と妹が在住していた
叔父たちは一番下を除いて戦地にいた
一番下の叔父は、軍事工場にいて、発火した建物の下敷きになり、背中に大火傷を負ったが助け出された
叔母は、8月6日、8時15分には、地御前の兵器工場の屋外で体操をしていたそうで、原爆の閃光を見て、その後の爆風が襲ってきたときは、草むらに伏せたそうである
2日後に徒歩で広島市内に戻ったそうで、家は蔵があったものの全焼しており、祖父母たちは橋の下に避難をしていたそうである 

川では遺体を焼いており、死臭でごはんが食べられなかったとか、市内には真っ黒に焼けこげた人や、ひどい火傷を負った人が水を求めていたと話をしてくれた
叔母は、地獄を見たのだと思う 

私は、原爆体験者が身内にいるのに、今まで話を聞いたことがなかった
叔母が原爆手帳(被爆者健康手帳を持っていることさえ知らなかった
昭和生まれの私としては、これは恥ずべきことのような気がした

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